芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」 第25回


第25話 鉄の十字架を越えて ~中世の巡礼を体感する~

10/25(Wed) Astorga - Manjarin (30.9km)

 アストルガから先は峠越えが待っている。イラゴ(Irago)峠は別名「マーキュリーの丘」とも呼ばれ、標高1530mの巡礼路の最高到達地点である。この峠は夏でも霧に覆われ、天候が激変する難所である。

 巡礼路沿いに小さな教会がある。入り口部分の庇は巡礼者の日除けと雨宿りのためだろう。ベンチも置かれている。横には水道があり、巡礼者の水筒を満たしてくれる配慮がある。モニュメントには各国の言葉で「信仰は健康の泉」と書かれていた。

01教会


02モニュメント


 アストルガ以降、アルベルゲや巡礼者向けのバルが増えているように感じる。アストルガからスタートする巡礼者が多いのだろう。アストルガからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは徒歩で約2週間の行程である。このぐらいがちょうど良いのかもしれないと思う。体力の問題もあるだろうし、巡礼の前後を含めて考えると、夏のバカンスや休暇などを使っても、巡礼そのものは2週間ぐらいがヨーロッパでも限度なのだろう。
Murias de Rechivaldo、Santa Cataline de Somozaと雰囲気の良いバルが続き、温かいカフェ・コン・レチェとスペイン風オムレツを食べながら休息を挟む。その際にスコットランドから来たという巡礼者と仲良くなり、途中まで一緒に歩いた。

03十字架


04
黄色い矢印が巡礼路を示す


05


06青い扉の家


07アルベルゲ


08虹の十字架


09道2


 ラバナル・デル・カミーノに着いた。ここは人口50人ほどの村である。この先から本格的にイラゴ峠越えになるため、ここで一泊し、明日に備える巡礼者も多い。
 時間が正午に近く、お腹も空いていたため、ここで昼食にする。巡礼者用のメニュー(定食)ではあるが、スープとフィレ肉のステーキであり、なかなか美味しかった。ラバナル・デル・カミーノ

10ラバナル・デル・カミーノ


 フォン・セバドンに向かう道は徐々に勾配は増し、道も荒れてきた。標高が上がるにつれて霧が立ち込め、気温も下がってくる。

11道3


 フォン・セバドン、ここはかつて人の住まない廃村であり、野犬の多い難所として知られていた。今でもところどころに打ち捨てられたままの民家が残る。場所によっては廃墟のような様相を呈し、寂しい集落ではあるが、現在は巡礼者が増加したことにより、バルやアルベルゲが出来つつある。巡礼によって経済的に回復し、村や町が復活する顕著な例であろう。

12十字架2


13フォン・セバドン


 フォン・セバドンを過ぎると、標高1530mのイラゴ(Irago)峠越えとなる。巡礼路の最高標高地点であり、夏でも霧に覆われる難所である。別名「マーキュリーの丘」と呼ばれるが、これはキリスト教が伝えられる以前、ローマ神話で商人・旅人の守護神とされたメルリウス(英語読みでマーキュリー)がここに奉られていたことに由来する。
 積み上げられた無数の石によって小高い丘が形成されている。その家に木の柱がそびえ立ち、先端には鉄製の十字架が置かれている。これがCruz de Ferro「鉄の十字架」である。十字架を支えている丘の石は巡礼者が積み上げたものである。故郷や途中の巡礼路から持参した石を願いや祈りを込めてここに積む(私は近くの広場の石を置いた)。巡礼者たちの思いの込められた大切な場所なのである。まさに、ここに地霊は宿るのだろう。

14鉄の十字架


15鉄の十字架2
各国の旗や石が無数に置かれている


16十字架3


 イラゴ峠を越えて緩やかな下り道をマンハリンに向けて下る。ここには一軒の私設のアルベルゲがあるだけであるが、ここはある意味、巡礼路において一番有名なアルベルゲかも知れない。建物はセルフビルドでつくられ、山小屋のようである。むしろ、これこそが山小屋であり、ここには電気も水道もない。「最後のテンプル騎士団員」と呼ばれるオスピタレロのトマスが巡礼者のために泉に水を汲みに行き、食事を作る。霧の深い日には鐘を鳴らして巡礼者たちを導き、励ます。夕食はテーブルに置かれたランプの灯りに巡礼者たちが集まり、トマスと食事を共にする。廃村であったマンハリンに一人移住し、手作りでアルベルゲを作ったトマスはこうした生活を何十年も続けているのだろう。

17マンハリン


18トマスのアルベルゲ


19トマスのアルベルゲ2
セルフビルドによる建築


 ちなみに「テンプル騎士団」は、第1回十字軍(1096-1099)の終了後、ほとんどの参加者が帰国する中、聖地の守護と巡礼者の保護を目的として活動を開始した騎士修道会である。トマスが団員以外には秘密とされた入会儀式を経た団員であるかどうかは聞けなかったが、少なくともその精神においては紛れもない「テンプル騎士団員」であることは間違いないだろう。

20巡礼グッズ


21看板
各国までの距離が記されている


22屋根裏


23本日の寝床


 このイラゴ峠の頂上付近での水も電気もないアルベルゲでの1日は、中世の巡礼者と同じ環境を疑似体験することができたように思う。かつての巡礼者は毎日このような―それどころか野宿を含むさらに大変な―日々を過ごしながら、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したのだろう。周りを山々に囲まれ、遠くを見つめると日常の世界との乖離をより強く感じる。このサンティアゴ巡礼それ自体も一つの世界を形成しているものであるが、そこはどこまでも普通の人が普通に生活をしている町や村であり、実世界との関係性は保たれている。しかし、ここマンハリンはもはや修行のために山籠りをするような場所であり、それゆえの神秘的なエネルギーをこの場所が保有しているようにも思われた。

24風景


25リビング


26夕食
パンとサラダ


27夕食2
豆のスープ


歩いた総距離1288.5km
(はが げんたろう)

芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属

2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。

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