スタッフSの「金子隆一ギャラリートーク」レポート
読者の皆様こんにちは、この度慣れ親しんだ青山より画廊が移転することとなり、引っ越しのあれこれを考えると憂鬱になりつつも、新天地を思い年甲斐もなくウキウキしております、スタッフSこと新澤です。

普段は展覧会半ば、或いは最終日前後に開催するギャラリートークですが、今回は月末にギャラリーコンサートが控えていたこともあり、「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」初日に開催することと相成りました。既に過去に二回、「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」と「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」のギャラリートークにご出演いただき、最早ときの忘れもので写真について語っていただくのはこの方しかおられない(と、スタッフSは勝手に思っている)写真史家・金子隆一先生に、ひょんなことから画廊で取り扱うこととなった、珍しい植田正治作品についてお話しいただきました。
恒例、亭主の前語り。
今回のお題は今展覧会の開催経緯について。さるお客様より持ち込まれた植田作品の数々ですが、その来歴からサインされていないものが多数。ですが、もしご存命ならばツァイトフォトの石原氏に話が行ってもおかしくないものばかり。早々に画廊内だけの判断は無理と結論し、金子先生にご出馬願うことに。
金子先生は複数の植田正治写真集の出版に関係されており、こちらもときの忘れものが大変お世話になっている飯沢耕太郎先生と共に去年の12月に出版された「植田正治作品集」にも監修として参加されています。この作品集は特徴として、掲載内容をプリントの実存が確認されている作品に限らず、雑誌等に掲載された作品をベースとして選ばれています。今回展示した作品もその中に含まれていますが、驚くべき事に、編集時にプリントの現存が絶望視され、雑誌に掲載された画像を撮影した作品が、非常に良好な状態であっさりウチに入荷されていることが判明しました。他にも構図は同じものの、左右が反転している作品もあり、それはミスではなく、元々掲載されていた冊子の構成に逆らわないように構図を調整した結果であること等を教えていただきました。
写真雑誌、特に日本のそれが半ば観光雑誌ともいえる特異性を持ち、1960年代の植田正治が所謂「有力な地方作家」と見做されていたことを説明する傍ら、作品集の編集時に集められた資料を回覧。
今回最も自分の興味を惹いたのは、昨今美術写真としてモノクロ写真がカラー写真よりもてはやされている理由が、作風だけではなく社会インフラも関わっているというお話でした。後発の技術であるカラー写真は当初白黒写真よりも手間暇が必要とされる分野でしたが、1970年代には技術の発展に伴い一般においてカラー写真の方が簡単、安価に大量のプリントが処理できるようになりました。結果として一般人が気軽に、自分でも撮影できるカラー写真と、手間暇がかかる玄人志向のモノクロ写真という棲み分けが確立したということです。また、2014年の4月に開催した「百瀬恒彦写真展―無色有情」のギャラリートークで写真家・百瀬恒彦さんは現在でも個人単位ではカラー現像よりモノクロの方が簡単と言われており、その辺りの労力の差も写真屋任せの一般人と、現像まで自分でこなす作家でカラーとモノクロが分かれた理由なのかと思い返してみたり。
今回のギャラリートークでは建築評論の植田実先生、奈良原一高先生の夫人の恵子さん、写真家の五味彬先生、植田正治事務所の増谷寛さん、国立美術館や大学の研究者の皆さんなどなど、何時にもまして豪華な面々が来廊され、青山での最後のギャラリートークを飾るに相応しい盛況ぶりでした。
建築評論の植田実先生
奈良原一高先生の夫人の恵子さん(右)
写真家の五味彬先生
植田正治事務所の増谷寛さん
本日のギャラリーコンサートを持ちまして青山CUBEでのイベントは全て終了します。
とはいえ画廊の場所が変わったくらいで亭主のイベント好きが収まるハズはありませんので、そう遠くない内にまた何かしら告知することとなると思われます。
どうぞ今後ともお付き合いいただけますよう、宜しくお願い申し上げます。

(しんざわ ゆう)
◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊

初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。
本日夕方6時からギャラリーコンサートを開催します(既に満席)。6時以降は予約者以外は入場できません。
読者の皆様こんにちは、この度慣れ親しんだ青山より画廊が移転することとなり、引っ越しのあれこれを考えると憂鬱になりつつも、新天地を思い年甲斐もなくウキウキしております、スタッフSこと新澤です。

普段は展覧会半ば、或いは最終日前後に開催するギャラリートークですが、今回は月末にギャラリーコンサートが控えていたこともあり、「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」初日に開催することと相成りました。既に過去に二回、「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」と「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」のギャラリートークにご出演いただき、最早ときの忘れもので写真について語っていただくのはこの方しかおられない(と、スタッフSは勝手に思っている)写真史家・金子隆一先生に、ひょんなことから画廊で取り扱うこととなった、珍しい植田正治作品についてお話しいただきました。
恒例、亭主の前語り。今回のお題は今展覧会の開催経緯について。さるお客様より持ち込まれた植田作品の数々ですが、その来歴からサインされていないものが多数。ですが、もしご存命ならばツァイトフォトの石原氏に話が行ってもおかしくないものばかり。早々に画廊内だけの判断は無理と結論し、金子先生にご出馬願うことに。
金子先生は複数の植田正治写真集の出版に関係されており、こちらもときの忘れものが大変お世話になっている飯沢耕太郎先生と共に去年の12月に出版された「植田正治作品集」にも監修として参加されています。この作品集は特徴として、掲載内容をプリントの実存が確認されている作品に限らず、雑誌等に掲載された作品をベースとして選ばれています。今回展示した作品もその中に含まれていますが、驚くべき事に、編集時にプリントの現存が絶望視され、雑誌に掲載された画像を撮影した作品が、非常に良好な状態であっさりウチに入荷されていることが判明しました。他にも構図は同じものの、左右が反転している作品もあり、それはミスではなく、元々掲載されていた冊子の構成に逆らわないように構図を調整した結果であること等を教えていただきました。
写真雑誌、特に日本のそれが半ば観光雑誌ともいえる特異性を持ち、1960年代の植田正治が所謂「有力な地方作家」と見做されていたことを説明する傍ら、作品集の編集時に集められた資料を回覧。今回最も自分の興味を惹いたのは、昨今美術写真としてモノクロ写真がカラー写真よりもてはやされている理由が、作風だけではなく社会インフラも関わっているというお話でした。後発の技術であるカラー写真は当初白黒写真よりも手間暇が必要とされる分野でしたが、1970年代には技術の発展に伴い一般においてカラー写真の方が簡単、安価に大量のプリントが処理できるようになりました。結果として一般人が気軽に、自分でも撮影できるカラー写真と、手間暇がかかる玄人志向のモノクロ写真という棲み分けが確立したということです。また、2014年の4月に開催した「百瀬恒彦写真展―無色有情」のギャラリートークで写真家・百瀬恒彦さんは現在でも個人単位ではカラー現像よりモノクロの方が簡単と言われており、その辺りの労力の差も写真屋任せの一般人と、現像まで自分でこなす作家でカラーとモノクロが分かれた理由なのかと思い返してみたり。
今回のギャラリートークでは建築評論の植田実先生、奈良原一高先生の夫人の恵子さん、写真家の五味彬先生、植田正治事務所の増谷寛さん、国立美術館や大学の研究者の皆さんなどなど、何時にもまして豪華な面々が来廊され、青山での最後のギャラリートークを飾るに相応しい盛況ぶりでした。
建築評論の植田実先生
奈良原一高先生の夫人の恵子さん(右)
写真家の五味彬先生
植田正治事務所の増谷寛さん本日のギャラリーコンサートを持ちまして青山CUBEでのイベントは全て終了します。
とはいえ画廊の場所が変わったくらいで亭主のイベント好きが収まるハズはありませんので、そう遠くない内にまた何かしら告知することとなると思われます。
どうぞ今後ともお付き合いいただけますよう、宜しくお願い申し上げます。

(しんざわ ゆう)
◆ときの忘れものは青山に編集事務所を構えてから30年近くなりますが、諸般の事情によりここを引き払い移転することになりました。
ただいま開催中の「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」が青山での最後の企画展となります。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊

初期名作から晩年のカラー写真など15点をご覧いただきます。出品リストはコチラをクリックしてください。
本日夕方6時からギャラリーコンサートを開催します(既に満席)。6時以降は予約者以外は入場できません。
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