もう一つの遊び――植田正治のポラロイド写真

金子隆一(写真史家)


「写真で遊ぶ」という言葉は植田正治自身に拠っているが、それは植田の「写真」とのかかわり方の本質を言い当てていよう。そして植田のもう一つの言葉に「写真する」というのがある。こちらは「写真」そのものがシャッターを切る最大の目的であることを現している。この二つの謂いは、写真を通して何事かを伝えたり表現したりするのではなく、つまり「写真」をメディアとしてとらえるのではなく、人間の本源的な行為そのものであることを意味している。

植田正治は、カメラが大好きであった。
カメラというものは、まぎれもなく写真表現のあり方を規制する。大型のビュー・カメラを選択すれば精密な描写が可能になるが、機動性は損なわれる。一方、小型カメラを選択すれば、肉眼の延長として自由自在な視点は可能(機動性)になるが、ネガ・サイズが小さいので描写のシャープネスはあきらめなくてはならない。それゆえに写真家は、自分が何を表現しようとするか、ということによってカメラを選択するのである。それは、カメラという器材を内在化するというベクトルを持ったかかわり方であるといってよいだろう。
だが植田にとってのカメラは、どのようなものとしてあるのだろうか。例えば目の前に新製品のカメラがあるとする。それを使ってどんなことが出来るかということを試みるが、そこで自分の目指す表現を実現するのに適格であるかによって評価するのではない。そのカメラそのものによって切り開かれる世界に、自分自身の表現を合わせてゆくというべきであろう。それは1970年代の代表的シリーズである〈小さい伝記〉は、「ハッセルブラッド」という6×6判の一眼レフカメラで撮影されている。そのカメラを持つことによって、植田は真四角な画面を発見し、それがその表現を成立させる重要な要素となっている。つまり植田はカメラを変えることによって表現の様式のみならず、表現の世界そのものを変容させた顕著な例と言ってよいだろう。この意味において、植田にとってカメラは何かを実現するためのメディアとしてあるのではなく、カメラそのものとの純粋なかかわり方こそが植田の表現の根源にあるのだ。「写真で遊ぶ」「写真する」という謂いは、このようなカメラとのかかわりを指している。植田正治にとってカメラという器材は、外在化された装置として存在しているというべきなのではないか。
植田正治にとって「写真」は、カメラでありレンズであり、プリントを作るときにイメージの周囲に大きく白枠を付けることであり、仲間たちと一緒に写真を撮りに行くことであり、海外の最新の写真集を見ながら喧々諤々と話しをすることである。「写真」に関わるすべてのことが「写真で遊ぶ」ことであり、だからこそ写真は「撮る」ものではなく、一般的な動詞である「する」という言葉として現れてくるのではないだろうか。
P1植田正治
《P1》
制作年:1974~1985
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm

今回新たに発見されたSX-70というポラロイド・カメラで撮影された植田正治の作品は、「写真で遊ぶ」作家にとってどのようなものであったのだろうか。
このことを考える前に、ポラロイド・カメラというものはどのようなものであるのか、ということをまず振り返っておきたい。
ポラロイド・カメラはまぎれもなく銀塩写真のシステムではあるのだが、通常のフィルムや印画紙を使うカメラとの汎用性はなく、それ独自で完結したものである。それゆえにポラロイドは「カメラ」という系の中で考えるのではなく、一つの完結したシステム、つまり「ポラロイド・システム」とでも呼ぶべきなのである。
このポラロイド・システムは、アメリカのエドウィン・H・ランドによって1947年に発表された「拡散転写法」という技法によるもので、当時は「インスタント写真」と呼ばれていた。1948年に最初のポラロイド・カメラが発売された。それは専用のフォールディング・カメラ(蛇腹引き出し式カメラ)で、感光材料は専用のパッケージ化されたものを使う。その専用カメラで撮影したあと、シートを引き出すと現像剤が押しつぶされ画像が数分で形成され、そのシートを剥離するとポジが得られる「ピール・アパート(剥離)方式」と呼ばれるものであった。はじめはモノクロのみであったが、1963年にはカラーのポラロイド・システムが発売される。この「ピール・アパート方式」のポラロイド・システムは、はじめは専用カメラでしか使えなかった。それは言い換えれば、アマチュア写真家が家庭用に使うものであり、プロの写真家が使うシステムではなかったということである。それゆえ、後にビュー・カメラなどに装着できるような装置が発売され、また通常のフィルムのようなネガを、ポジと同時に得られるものも発売される。その発売当初からアドバイザーをつとめていたアメリカを代表する風景写真家アンセル・アダムスは、このポラロイド・システムによって得られるネガの調子が柔らかく豊かな階調が得られるということで一時積極的に使用していたという話もある。この第一段階の技術的進展は、ポラロイド・システムを閉じた系から普通の写真システムと同様の開かれた系への変換を目指すものであったと言えよう。
それを決定的に変えたのが1972年にアメリカ・フロリダ州で発売され、73年には全米で、そして日本では1974年に発売されたSX-70というポラロイド・カメラであった。これはこれまでの「ピール・アパート方式」ではなく、非剥離方式であった。通常のポラロイド写真と異なり乳剤面が露出しておらず、透明なフィルムの下に画像が形成されるのである。専用カメラは、116㎜f8のレンズを装着した専用の折り畳み可能な一眼レフで、最短撮影距離は26㎝、無段階電子式シャッターを組み込んだAEカメラである。出来上がった写真は、カラーのみで、そのサイズは8×8㎝の真四角な画面であった。「現代のダゲレオタイプ」とも称されたこのSX-70というポラロイド・システムは、シャッターを切った直後にカメラの底部から吐き出された写真には画像がまだ現れてはおらず、明るいところで見る間に画像が現れてくるという、普通の銀塩写真はもとよりそれまでのポラロイド・システムとも全く異なる写真経験をもたらすものであった。そしてその画像は、これまでのポラロイド・システムによる写真と比べてそのシャープネスという点では明らかに劣っていた。またその色調においてもSX∸70独特のものがあった。さらに、そのプリント自体も、普通の印画紙の写真とは明らかに異なり、独自の物質性が顕著であった。通常のポラロイド・システムが、ネガ/ポジ法をベースとする普通の銀塩写真システムへと開かれたのに対して、SX-70は閉じられた系を開くことが不可能であるのだ。このために一点制作と紙とは異なる物質性も持つことになり、当時「現代のダゲレオタイプ」と称された所以であろう。
そしてこのSX∸70は非剥離方式であるがゆえに、画像が完全に固定される前に、透明フィルムの上から棒状のもので圧力を加え、画像を手でゆがめることが盛んにおこなわれ、「ポラロイド・アート」ともいわれた独自の表現世界を生み出した。アメリカのルーカス・サマラスやレス・クリムスといった写真家が、70年代後半盛んに行い話題となった。
その後、「ピール・アパート方式」のポラロイド・システムは、70年代後半から80年代にかけて8×10インチ、さらには20×24インチと大型化してゆく、一方では83年に発売された「ポラクローム」のようなカラー透明陽画を得られるシステムも開発されてゆく。そしてポラロイド社は、さまざまなポラロイド・システムを写真家のみならずアンディ・ウォーホルのようなアーティストを含めて、提供し、普通の写真システムとは異なった「ポラロイド・アート」の可能性を追求して、厖大なコレクションを作り上げてゆく。

これまで植田正治がポラロイド・システムを使った作品としては、私家版写真集『軌道回帰』(1986年刊)が知られている。この写真集に収められた作品は、すべて1983年に発売された「ポラクローム」で撮影されている。これは現像所での処理が不要のカラーフィルムで、一本で36コマを撮影した後に、通常のポラロイド・システムのように明るいところで処理をすると35㎜判のカラーの透明陽画(カラースライド)が得られるものであった。植田は、このシステムで得られるカラー写真の色調が鮮やかでないところに魅かれて使ったようである。また植田は、山岸亨子の企画による20×24インチという専用の大型ポラロイド・カメラを使うプロジェクトに参加し、その成果は森山大道、深瀬昌久、横尾忠則、石内都、山崎博ら18人の写真家とともに『スーパー・イメージの世界 ポラロイド20×24作品集』(青弓社、1986年)に収められている。
しかしこれまで植田がSX-70のポラロイドを使った作品がまとまって問題にされたことはなかった。「新しもの好き」の植田のことを考えれば、SX-70が発売された当初に飛びついたことは疑いようがない。海外の写真集などでこれを使った様々な表現があることも知っていたに違いない。にも拘わらず、植田はSX-70を使った成果を発表することはなかったのだ。
植田が写真集にまでした「ポラクローム」というシステムが、それまでのポラロイド・システムと比較して決定的に違うことは、普通のフィルムと同様に一本連続して撮影できる、撮影しなければならないという点にある。SX-70も含めて、ほかのポラロイド・システムは、ダゲレオタイプやコロジオン湿板法、ゼラチン乾板と同じように一コマ撮影である。つまり、通常のポラロイド・システムでは、連続撮影ができない。つまり植田にとっての「写真」は、あくまでも通常の使い慣れたカメラを使うことが重要であったのではないだろうか。
P5植田正治
《P5》
制作年:1974~1985
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm

今回発見された植田正治のSX-70による作品は、前述のように画像に手を加えたものはない。その表現は、〈小さい伝記〉を撮影した頃の表現と極めて似通っているので、1970年代中頃に撮影されたのではないかと推測できる。ここに見られる植田正治の表現は、ストレートであるがゆえに、普通のカメラで撮影したときのような自由闊達さはないと言わざるを得ない。連続撮影をしようとしても、それは動いてゆく現実と渉りあってゆくものではない。一枚一枚のカメラから吐き出される写真を否応なく見てしまい、そこで流れが切断されてしまっているかのようである。植田にとって、大型のビュー・カメラとは異なった不自由さを強いるSX-70のポラロイドで撮影することは、撮影した直後に現像・定着をしなくてはならなかったダゲレオタイプやコロジオン湿板法が示す、本当の意味での写真の歴史的原点を経験することになってしまったのではないだろうか。
このSX-70のポラロイドによる作品は、植田正治の多彩な作品群の中にあって特別なものである。それは、表現として決して成功していないがゆえに、植田が言う「写真で遊ぶ」という意味を逆説的に照射している。それは19世紀的な、写真の発明に遡ってゆく原点ではなく、近代写真というパースペクティブの中で追求された「写真」という枠組みを明らかにしてしまっているように思えてならない。この意味において、SX-70のポラロイドによる植田の作品群は、「もう一つの遊び」として、植田の表現の在り処を示す興味深いものであるのだ。
かねこ りゅういち

『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録所収

金子隆一(かねこ・りゅういち)
写真史家。1948年東京生まれ。立正大学文学部卒業。おもな著書に『日本写真集史 1956-1986』、『日本近代写真の成立』(共著)、『インディペンデント・フォトグラファーズ・イン・ジャパン 1976~83』(共著)など。展覧会キュレーション多数。

●書籍・カタログのご案内
表紙『植田正治写真展―光と陰の世界―Part II』図録
2018年3月8日刊行
ときの忘れもの 発行
24ページ
B5判変形
図版18点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:800円(税込)※送料別途250円

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『植田正治写真展―光と陰の世界―Part I』図録
2017年
ときの忘れもの 発行
36ページ
B5判
図版33点
執筆:金子隆一(写真史家)
デザイン:北澤敏彦(DIX-HOUSE)
価格:800円(税込)※送料別途250円


●今日のお勧め作品は、植田正治です。
新発掘のこのポラロイド写真はSX-70というポラロイド・カメラを使用したもので、撮影年はSX-70が日本で発売された1974年から〈小さい伝記〉が終わる1985年までと推測されます。
ポラロイド写真ですからネガもポジもありません。オンリーワンのビンテージプリントで、コンディションも発色も良好です。
こちらは6点組での販売となります。
P8植田正治
《P8》
1974年~1985年
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P9植田正治
《P9》
1974年~1985年
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P10植田正治
《P10》
1974年~1985年
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P13植田正治
《P13》
1974年~1985年
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P15植田正治
《P15》
1974年~1985年
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


P18植田正治
《P18》
1974年~1985年
拡散転写法(SX-70)
Image size: 8.0x8.0cm
Sheet size: 10.8x8.9cm


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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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