「美術館に瑛九を観に行く」番外編 
中上邸イソザキホール(勝山市)と お食事処 飛騨(福井市)


瑛九の作品は、前回の取材地福井県大野市に隣接する勝山市や福井市でも所有しているという情報を得て、引続きコレクターの荒井由泰氏のガイドで、福井県内を観てまわった。

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中上邸イソザキホールの外観。建築家磯崎新の設計による個人住宅である。かまぼこ型の屋根が並び、明り取りの大きな窓がはめ込まれている。地元の子供たちからは、「カエルのおうち」と呼ばれ、親しまれているという。取材で訪れたときは、前夜から降り続いた雨がコンクリートの外壁を濡らしていた。緑に佇む様相は、まさしく「カエル」である。この建物を気に入った近所の人の中には、住宅の設計を磯崎新に依頼して、建ててしまった人もいる。

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玄関を上がり左手に進むと、こちらの広間がある。泉茂李禹煥菅井汲、瑛九、オノサト・トシノブ倉俣史朗の作品が並ぶ。四方八方、見渡す先に作品があり、プライベート空間とは思えないほど、量質ともに充実している。

ところで、去る2015年1月に福井県立美術館で行われた展覧会「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」では、ここ中上邸イソザキホールを舞台にアートを通じた交流会を行う模様が紹介された。そもそも、1950年代後半から1970年にかけて、創造美育協会による小コレクター運動や美術普及活動が行われ、靉嘔池田満寿夫、瑛九、オノサト・トシノブ、北川民次等の作品が頒布会などを通じて福井に入ってきていた。荒井氏は、そのような環境で育ち、1972年20代で世界のアートが競合するニューヨークで伊藤忠商事の繊維部門の仕事を得て、1977年帰国後の翌年、地域にアートを根づかせることを目的とし、1978年に「アートフル勝山の会」を創立した。定期的に展示会や音楽会などを主催し、2007年まで開かれていた。詳しい経緯については、荒井氏の「コレクション事始め In New York」を参照されたい。新しい世代が小コレクター運動を引き継ぎ、なおかつ、特定作家に留まることのない多様で豊かな収集活動に広がっていった。
1997年11月には、この中上邸イソザキホールで瑛九展が開催されたこともある。福井で瑛九の作品が世代を超えてどのように受け入れられてきたのか、荒井氏の文章でたどってみたい。

勝山市や隣の大野市の「創美」信奉者の存在が、地域にコレクターを育てたのだ。私も、五〇年代から六〇年代に盛んに地元で開催された展覧会の洗礼を受けた。これらの運動を行った人たちがもっとも支持したのが瑛九であった。瑛九を溺愛(できあい)したと言っても過言ではない。彼は六〇年に亡くなったが、その晩年を支えたのは実は福井の人々であったと言われている。瑛九の油絵頒布会という組織も作られ、毎月一作品を送ってもらうことを条件に代金を送ったり、頒布会で彼の作品を熱心に販売したりした。
(中略)
瑛九の美しく激しい作品群と、それを支えた人たちの熱い情熱を今一度アートフル勝山の会の活動の力として、確実に伝えていくことが私の使命のような気がしている。
荒井由泰「北陸の里に現代美術の輪―福井県勝山市で毎年企画展、画家・瑛九も支える」『日本経済新聞』1997年12月25日

久保貞次郎が提唱した小コレクター運動の息吹は、福井だけでなく、東京、埼玉、栃木などの各地に届き、作品が点在していた。しかし、そのほとんどは、美術館や画廊などに渡り、新たなコレクターの育成には繋がらなかったと思われる。しかし、荒井氏の言葉から分かるように、福井の近代美術コレクターの第一世代(創美信奉者)が地域に残した遺産は、確かに後世へと伝えられている。

nakagamitei03瑛九《黄色いかげ》、1959年、左下に「Q 59」のサインあり
〔レゾネNo.523、F60(130.3×97.0)〕(「高野明広、小林美紀編「瑛九 油彩画カタログレゾネ1925-1959」『生誕100年記念 瑛九展』図録)


nakagamitei04瑛九《(作品)》、1959年、左下に「Q 1959」のサインあり〔レゾネNo.552、F10(45.5×53.0)〕


nakagamitei05ロイ・リキテンスタイン恩地孝四郎、瑛九の作品が並んでいる。個人コレクターならではの贅沢な作品の楽しみ方である。3点の表現技法は全く異なる。しかし、いずれも作家が直線や円を画面上に置くことを愉しんでいるかのような印象を受ける。丸い形は、それぞれ作品に彩を添えるポイントとなっている。


nakagamitei06瑛九《赤と青の線》、1957年、左下に「Q Ei 1957」のサインあり〔レゾネNo.355、F3(27.3×22.0)〕


nakagamitei07瑛九《風船(仮)》、1956年〔レゾネNo.284、F15(65.2×53.0)〕
瑛九の作品の中では珍しい背景が赤い作品。


最後にもうひとつ福井創美に関するエピソードを紹介したい。時代はさかのぼるが、1960年3月10日に瑛九が逝去したあと、アトリエに遺された作品の整理は、都夫人と福井の教職員が行ったということはご存知だろうか。当時の様子を伝える新聞記事があるため、下記に一部抜粋して紹介したい。

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「遺作を整理する都未亡人と福井の人たち(左上の写真が瑛九氏)」
瑛九氏が亡くなって一同嘆きは大きかったが、福井市内に集まって同志をしのぶ夜をすごし、春休みとともに六人がかけつけてきたもの。東京近代美術館で毎年開いている物故者の〝四人の作家展″に瑛九氏はさっそく四人の一人として選ばれ、四月二十七日から約一か月間同美術館で菱田春草(日本画)高村光太郎(彫刻)上阪雅人(版画)とともに展覧会が開かれるが、いま福井の瑛九会員たちは同氏宅に泊まり、作品の整理を急いでいる。

そしてこの四人展と並行して五月初旬福井市の繊協ビルに百数十点を集め遺作展を開く話がまとまった。都未亡人も「瑛九は作品をあまり発表したり売ったりしたがらなかったので生活は苦しく、福井の皆さんの物心両面の援助のおかげで制作が続けられたのです。瑛九は晩年の油絵を〝血でかいた作品だから売ってくれるな″といっていました。今後も瑛九の作品を守りつづけていくつもりですが、福井の皆さんが支援して下さるので心強く思っています。遺作展にはぜひ出かけたいと思います」といっていた
「花ひらく瑛九氏の遺作 5月に福井で展覧会 12人の教員グループ」『読売新聞』埼玉版1960年3月30日

福井からかけつけた「六人」というのは、木水育男、谷口等、中村一郎、藤本よし子、堀栄治のことで、1960年3月28~29日に埼玉の瑛九宅を訪れた彼らは、アトリエに遺された作品の整理を手伝った。生前の瑛九ばかりでなく、残された都夫人との交流の深さも分かる記事で、彼らの存在が非常に心の支えになっていたことが推測される。



中上邸イソザキホールを後にして、次に瑛九の作品を観に行った先は、福井駅から徒歩約7分の「お食事処 飛騨」である。前回は、大野市の蕎麦屋の店内に靉嘔や木村利三郎の作品が掛かっていることを紹介したが、こちらの「飛騨」では、瑛九の作品が展示されているという。にわかに信じ難い話ではあったが、期待に胸を膨らませて店内にお邪魔した。

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「お食事処 飛騨」の店内。3点の作品があるうちの左右2点が、瑛九の作品である。
真っ赤な背景に小口切りの木片がコラージュされた中央の作品は、三上誠(1919~1972年)の作品。三上は、肺結核の療養のために福井へ訪れて、そのまま定住した日本画家である。「パンリアル」や「人人」展の第一回展に出品したほか、福井大学学芸部の非常勤講師を勤めるなど、福井で精力的に作家活動を続けた。

nakagamitei10部屋の奥側に展示されていた瑛九の油絵。《ひろがる赤》、1958年、下部に「Q Ei /58」のサインあり〔レゾネNo.490、41.0×31.8〕


nakagamitei11出入口を背にして壁にかかっている作品は、瑛九の水彩画である。《(題不明)》、下部に「Q 1958」のサインあり


瑛九の作品を所蔵する「飛騨」のご主人Y氏に、コレクターになった経緯についてお伺いした。まず、絵に関心を持ちはじめたのは、中学生の時であった。学校の課題で、家にあった和田三造の花の絵を模した作品を提出したら、学校の先生がそれを「上手い」、「絵を観る目がある」と評価されたことが印象に残っていたという。
また、瑛九の作品をはじめて入手したのは、バブル崩壊の少し前、30代になったY氏が週に一度東京へ繰り出していたときであった。パウル・クレーの作品を求めて銀座の某画廊に入ったという。そこで目にしたクレーの作品は、予想を遥かに超えた0の多さで、とても購入できない額であった。仕方なくあきらめると、代わりに画廊主から勧められたのが、瑛九であった。「福井の人なら瑛九を買って応援するべきだ」と、瑛九の作品を紹介され、一目でそれを気に入り、購入に至ったという。それ以来、瑛九をはじめ福井ゆかりの作家を支援するためにも、作品を収集するようになった。

さて、次に紹介する作品は、今回の訪問に合わせて特別に出していただいた油絵作品である。
同じ作家、同じ油絵作品でも実験的に描き方を変えていることが分かる作品群である。丸いカラフルな丸いタイルを敷き詰めたような作品、植物の維管束を覗いているような作品、水面に漂う油膜のような作品、レゴブロックを積み上げたような作品がある。何れも何度も筆を置いた形跡の残る密度のある作品で、完成度が高い。どの作品を見ても画面上では瑛九の独特な色彩感覚が存分に発揮されている。

nakagamitei12瑛九《(題不明)》、1958年、右上に「Q Ei 1958」〔レゾネNo.487、F10(45.5×53.0)〕


nakagamitei13瑛九《窓(仮)》、1958年、左下に「Q 1958」〔レゾネNo.423、F3(22.0×27.3)〕


nakagamitei14瑛九《空のひよこ(仮)》、1958年、左下に「Q Ei 1958」〔レゾネNo.415、F6(31.8×41.0)〕


nakagamitei15瑛九《(題不明)》、1953年、左下に「Q Ei 53」〔※レゾネに掲載なし〕
この作品が一番のお気に入りだと目を細めて話す「飛騨」のY氏。


福井のコレクターにとって、瑛九は特別な作家である。「瑛九は先輩の世代が集めていた手の届かない作家というイメージがある」と荒井氏は話し、「飛騨」のY氏も口をそろえて瑛九の作品収集が、一筋縄ではいかなかった経験を語っていた。福井で瑛九の作品を所有する持主を訪ねたこともあったようだが、作家とのお付き合いがあって入手した思い入れのある作品であることを説明され、とてもお金と引き換えに譲って欲しいとは言い出せなかったという。福井のコレクターとしては、新しい世代であるY氏は、創美の教職員とは異なり、ほとんど東京の画廊から購入していたことが分かった。

「飛騨」のY氏は、瑛九の作品を「病気のように集めた」とこぼしながらも、満面の笑みでコレクションを披露され、誇らしげに見えた。ご案内いただいたコレクターの荒井氏も、Y氏が収集した作品を観て、「盆と正月が一緒に来たよう」と嬉々としていた。両者は別れ際にコレクター仲間として、お互い激励するように固く握手を交わしていた。

***

ちょっと寄道…

度々ご紹介しているように、今回はコレクターの荒井氏が取材先のガイドをしてくださった。それだけで、たいへん有難かったが、ご自宅にお邪魔して荒井氏のコレクションまで拝見させていただいた。版画作品は、一枚刷りの他にも版画入りの同人誌等もあり数百点にのぼるという。短時間のうちに拝見できたものはわずかであったが、人気の高い恩地孝四郎、谷中安規、長谷川潔のものだけでも50点ほどあっただろうか。いずれも良い状態のものを購入されていた。また、シートのものは出来るだけマットを付けて保管し、湿度にも気を配っていた。

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引出しにびっしりと入れられた版画の数々。表には同人誌『水甕』がある。
荒井氏は、研究者のようなこだわりをもった作品の見方をされる。たとえば、表紙をめくった見返し部分の但し書き、あるいは奥付に記された出版部数は、大事な情報であると話していた。コレクションの仕方も徹底しているようで、時間軸でいうと前後左右、ときには同じ版の別刷りの作品を比較するためにまとめて所有されている。

nakagamitei17谷中安規(佐藤春夫著『FOU』より)


nakagamitei18恩地孝四郎(室生犀星著『青い猿』より)本作については、荒井氏がブログでも紹介しているため、併せて確認してほしい。


nakagamitei19椅子に置かれたルドンの《光の横顔》。後方では荒井氏が作品整理をしている。ルドンの版画は、2007年Bunkamuraザ・ミュージアムで開催された展覧会を拝見したとき、黒い諧調の豊かさに魅了され、すっかりファンになってしまったので、まさか個人宅で拝見できるとは思いもよらなかった。白い女性の顔立ちは黒いやわらかな背景によって、優麗さを際立てている。本作についても荒井氏が詳しい解説をブログに掲載している。熱のこもった文章に触れて、作品の魅力を知ってほしい。


荒井氏個人のコレクションを拝見していて気付いたことがある。久保貞次郎が提唱した小コレクター運動に賛同した世代とは、異なる視点が2つ加わっている。①できる限りいい状態で作品を保存管理しようとしている。②「宝石」を買うように、お気に入りの美術作品を手に入れる感覚、さらには作品を(他人に)プレゼントするようになってほしいと考えている。むろん、荒井氏に限る考え方かもしれないが、この一歩先を行く美術作品のたのしみ方が次第に広まって行くことに期待したい。



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ここは、福井市内にあるギャラリー喫茶「サライ」。造形作家でもある松村せつ氏がもっとアートを身近なものにしたいという思いから、21年前の1997年から開業をはじめた。基本的には、彼女の好みで展示する作家を選定するが、やはり意識的に地元ゆかりの作家を紹介しているという。取材に伺った当時は、細密な鉛筆画を描く木下晋の展覧会が開催中であった。過去には、北川健次、木村利三郎、松井シゲアキを展示したこともあるという。店の入口は木でおおわれていて、まさに隠れ家のような場所であるが、常連客が多いようだ。毎月9日には、やはり常連客のひとりであった増永迪男氏(登山家・文筆家)を囲んでサロンを開いている。
なかむら まき

●本日のお勧め作品は瑛九です。
NC661瑛九工事場レゾネ133瑛九「工事場」
1957年  リトグラフ
イメージサイズ:38.0x25.0cm
シートサイズ:54.8x38.5cm
限定10部(9/10) 裏にタイトルと杉田都(瑛九夫人)の署名あり
*レゾネNo.133(瑛九の会、1974年)
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