土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
6.瀧口修造『ミロ』
瀧口修造『ミロ』
アトリヱ社 西洋美術文庫第四八巻
18.7×12.8㎝(「四六変型判」)
本文33頁、あとがき1頁、図版目次4頁
モノクロ図版48点、
表紙:ジョアン・ミロ肖像写真
図1 瀧口修造『ミロ』
奥付の記載事項
西洋美術文庫 ミロ
昭和十五年三月廿日印刷
昭和十五年三月廿五日發行
著者 瀧口修造
發行人 東京市牛込區西五軒町三四 福山福太郎
原色版印刷 東京市芝區西芝浦三ノ二 アサヒ印刷株式會社
表紙及寫眞版印刷 東京市小石川區柳町二四 近藤印刷所
本文印刷及製本 東京市牛込區西五軒町三四 福山印刷製本所
發賈所 東京市牛込區西五軒町三四 有信書房
發行所 東京市牛込區西五軒町三四 アトリヱ社
電話牛込四三六〇
振替東京六六〇〇二
第廿五囘配本
定價九拾五錢
図1 瀧口修造『ミロ』
アトリヱ社の『ミロ』は、前回採り上げた『ダリ』同様、西洋美術文庫の1冊で、ミロに関する世界初のモノグラフ(単行研究書)としてあまりにも有名です。1967年にせりか書房から刊行された『シュルレアリスムのために』(図2)に「苦行と童心―ホアン・ミロ」として再録されています。なお、ミロの名前Joanについて、本書では「ジョアン」と表記されていますが、『シュルレアリスムのために』のように、スペイン語読みの「ホアン」と表記された時期もありました。その後来日したミロ本人との面談の際に(後述)、スペイン語読みの「ホアン」ではなくカタルーニャ語読みの「ジョアン」としてほしいとの旨が瀧口に伝えられ、以降は「ジョアン」に統一されています。
図2 『シュルレアリスムのために』
本書の「あとがき」には次のように記されており、すでに執筆当時から瀧口は、世界初のモノグラフであることを承知していたと思われます。
「ジョアン・ミロについての纏まった画集は、予告されたことはあったが、いまだに公にされたことを聞かない。不思議だとさえ思う。ささやかなものではあるが、怖らくは本書が最初の画集になるかも知れない。」
世界初のモノグラフが、どうして極東の島国に居る瀧口によって書かれることとなったのか、その背景や理由については、別のところで論じたことがありますので(註)、ここでは触れません。ただ、ブルトンおよびエリュアールの応召に起因すると思われる「シュルレアリスム観の瓦解」(「自筆年譜」1940年の項)という事態のもと、当時の瀧口の関心がシュルレアリスムそのものよりも、マグリット、ダリ、ミロ、クレーなど、シュルレアリスム周辺の、ないしはシュルレアリスムとは疎遠となった画家に向かっていたように思われることは、指摘しておきたいと思います。
註:土渕信彦「瀧口修造著『ミロ』の成立過程試論―国際シュルレアリスム運動の流れの中で」、佐谷画廊「ジョアン・ミロ」展カタログ、1990年7月
戦後の1958年にヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして渡欧した際に各地を訪れていますが、マジョルカ島にアトリエを構えていたミロの訪問は叶いませんでした。その後、1966年に開催された「ミロ展」のために来日した際に初めて面会し、本書を献呈しています。同席していた大岡信は、そのときのことを次のように記しています(「『手づくり諺』への旅」、「手づくり諺」展カタログ、南画廊、1970年9月。大岡信『ミクロコスモス瀧口修造』、みすず書房、1984年12月に再録。図3)。
「その日私は朝からミロに同行していた。草月会館や銀座のいくつかの画廊を見てまわるのに同行して欲しいといわれたためだった。瀧口さんは、1940年にアトリヱ社から出した『ミロ』を二冊持って、南画廊で待っていた。ミロの同行はマーグ画廊主のエーメ・マーグと、大冊のミロ研究を書いた詩人のジャック・デュパンだった。瀧口さんが、いつもの口籠る小声で、ついに逢うことのできたこの画家と二言、三言語り、二十数年前の自著をミロたちに手渡したとき、デュパンが、「1940年? それでは、この本がミロについて書かれた最初の本ではないか!」と言ったのだ。このことは、瀧口修造自身は知っていたことだった。知られている限りでは、欧州でミロについての最初の単行本が出たのは、1941年のことだったからである。
ミロは感動して瀧口修造の肩を抱いた。少しも大げさにでなく。私はそのときの、二人の無口な詩人の、言葉少ない抱擁を、鮮明に記憶にとどめている。」
図3 『ミクロコスモス瀧口修造』
また自分の世界初のモノグラフを著したのは瀧口修造であると、ミロ自身が語っている対談もあります。ただ、翻訳で「タニグチ」「谷口修造」と表記されているのは、いただけません(ジョアン・ミロ、ジョルジュ・ライヤール『ミロとの対話』、美術公論社、1978年3月。図4)。
図4 『ミロとの対話』
他にも瀧口は、ミロに関するいくつかの画集を監修・編集し、解説も執筆しています。また、ミロの展覧会にも関与し、カタログテキストを寄せています。年代順に挙げると、以下のとおりです。
・「ホアン・ミロ」、『ミロ』、みすず書房「原色版美術ライブラリー」42、1958年(図5)
・「解説」、「ミロ展」カタログ、東京国立近代美術館・京都国立近代美術館、1966年(図6)
この「解説」は以下の4部構成です。
「初期・画家の形成・1914-1923」
「夢と超現実への冒険・1924-1934」
「悲劇の時代・星座・1935-1941」
「新たな開花と展開・1942-1966」
・「ジョアン・ミロ」、『ミロ』、平凡社の「ファブリ世界名画集」59、1971年(図7)
・「野に置け風の時計 CLÉ DES CHAMPS À L’HORLOGE DU VENT」、西武美術館「ミロ展 ユーモアと冒険の彫刻」カタログ、1979年(図8)
図5 『ミロ』原色版美術ライブラリー
図6 「ミロ展」カタログ
図7 『ミロ』(ファブリ世界名画集)
図8 「ミロ展 ユーモアと冒険の彫刻」カタログ
その後もミロとは親しい交流が続き、『手づくり諺』および『ミロの星とともに』の、二つの詩画集に結実しました(両詩画集についてはいずれ採り上げる予定です)。ミロから贈られたカタロニア原産の植物カルバサの実(富山県美術館蔵)もよく知られています(図9)。「瀧口修造・自筆年譜」の1976年の項(綾子夫人による補筆)には以下のとおり記されています。
「6月、バルセロナのポリグラファ社の社長、ムガさんから託されてミロの畑で穫れたカラバッサを小野羨子さんが届けて下さって大変な喜びよう。以来、ミロのひょうたんと呼び、わが家の宝ものとなりました。」
図9 ミロから瀧口に送られたカルバサ(撮影:大辻清司。西武美術館「ミロ展 ユーモアと冒険の彫刻」カタログより転載)
造形作品も何点か贈呈されています。瀧口の没後に出版された追悼文集『雷鳴の頸飾り―瀧口修造に』(「雷鳴の頸飾り」刊行会、1979年12月。図10)などで紹介されています(図11)。
図10 『雷鳴の頸飾り―瀧口修造に』
図11 瀧口修造宛てミロの献呈作品(『雷鳴の頸飾り―瀧口修造に』より)
瀧口の生涯はデュシャン、フォンタナ、ジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシスをはじめ、数多くのアーティストとの交流で彩られていますが、ミロとの生涯にわたる交誼はその代表的な例と思われます。本書『ミロ』はその礎となった、記念すべき一冊といえるでしょう。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"I-16"
インク、紙(郵便はがき)
イメージサイズ:14.1×10.2cm
シートサイズ :14.1×10.2cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは「第27回瑛九展 」を開催しています。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。1930年代最初期から最晩年まで、油彩大作、フォトデッサンの代表作を香港に持って行く前に、ギャラリーで展示しています。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れもののブログは年中無休ですが、それは多くの執筆者のおかげです。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

6.瀧口修造『ミロ』
瀧口修造『ミロ』
アトリヱ社 西洋美術文庫第四八巻
18.7×12.8㎝(「四六変型判」)
本文33頁、あとがき1頁、図版目次4頁
モノクロ図版48点、
表紙:ジョアン・ミロ肖像写真
図1 瀧口修造『ミロ』奥付の記載事項
西洋美術文庫 ミロ
昭和十五年三月廿日印刷
昭和十五年三月廿五日發行
著者 瀧口修造
發行人 東京市牛込區西五軒町三四 福山福太郎
原色版印刷 東京市芝區西芝浦三ノ二 アサヒ印刷株式會社
表紙及寫眞版印刷 東京市小石川區柳町二四 近藤印刷所
本文印刷及製本 東京市牛込區西五軒町三四 福山印刷製本所
發賈所 東京市牛込區西五軒町三四 有信書房
發行所 東京市牛込區西五軒町三四 アトリヱ社
電話牛込四三六〇
振替東京六六〇〇二
第廿五囘配本
定價九拾五錢
図1 瀧口修造『ミロ』アトリヱ社の『ミロ』は、前回採り上げた『ダリ』同様、西洋美術文庫の1冊で、ミロに関する世界初のモノグラフ(単行研究書)としてあまりにも有名です。1967年にせりか書房から刊行された『シュルレアリスムのために』(図2)に「苦行と童心―ホアン・ミロ」として再録されています。なお、ミロの名前Joanについて、本書では「ジョアン」と表記されていますが、『シュルレアリスムのために』のように、スペイン語読みの「ホアン」と表記された時期もありました。その後来日したミロ本人との面談の際に(後述)、スペイン語読みの「ホアン」ではなくカタルーニャ語読みの「ジョアン」としてほしいとの旨が瀧口に伝えられ、以降は「ジョアン」に統一されています。
図2 『シュルレアリスムのために』本書の「あとがき」には次のように記されており、すでに執筆当時から瀧口は、世界初のモノグラフであることを承知していたと思われます。
「ジョアン・ミロについての纏まった画集は、予告されたことはあったが、いまだに公にされたことを聞かない。不思議だとさえ思う。ささやかなものではあるが、怖らくは本書が最初の画集になるかも知れない。」
世界初のモノグラフが、どうして極東の島国に居る瀧口によって書かれることとなったのか、その背景や理由については、別のところで論じたことがありますので(註)、ここでは触れません。ただ、ブルトンおよびエリュアールの応召に起因すると思われる「シュルレアリスム観の瓦解」(「自筆年譜」1940年の項)という事態のもと、当時の瀧口の関心がシュルレアリスムそのものよりも、マグリット、ダリ、ミロ、クレーなど、シュルレアリスム周辺の、ないしはシュルレアリスムとは疎遠となった画家に向かっていたように思われることは、指摘しておきたいと思います。
註:土渕信彦「瀧口修造著『ミロ』の成立過程試論―国際シュルレアリスム運動の流れの中で」、佐谷画廊「ジョアン・ミロ」展カタログ、1990年7月
戦後の1958年にヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして渡欧した際に各地を訪れていますが、マジョルカ島にアトリエを構えていたミロの訪問は叶いませんでした。その後、1966年に開催された「ミロ展」のために来日した際に初めて面会し、本書を献呈しています。同席していた大岡信は、そのときのことを次のように記しています(「『手づくり諺』への旅」、「手づくり諺」展カタログ、南画廊、1970年9月。大岡信『ミクロコスモス瀧口修造』、みすず書房、1984年12月に再録。図3)。
「その日私は朝からミロに同行していた。草月会館や銀座のいくつかの画廊を見てまわるのに同行して欲しいといわれたためだった。瀧口さんは、1940年にアトリヱ社から出した『ミロ』を二冊持って、南画廊で待っていた。ミロの同行はマーグ画廊主のエーメ・マーグと、大冊のミロ研究を書いた詩人のジャック・デュパンだった。瀧口さんが、いつもの口籠る小声で、ついに逢うことのできたこの画家と二言、三言語り、二十数年前の自著をミロたちに手渡したとき、デュパンが、「1940年? それでは、この本がミロについて書かれた最初の本ではないか!」と言ったのだ。このことは、瀧口修造自身は知っていたことだった。知られている限りでは、欧州でミロについての最初の単行本が出たのは、1941年のことだったからである。
ミロは感動して瀧口修造の肩を抱いた。少しも大げさにでなく。私はそのときの、二人の無口な詩人の、言葉少ない抱擁を、鮮明に記憶にとどめている。」
図3 『ミクロコスモス瀧口修造』また自分の世界初のモノグラフを著したのは瀧口修造であると、ミロ自身が語っている対談もあります。ただ、翻訳で「タニグチ」「谷口修造」と表記されているのは、いただけません(ジョアン・ミロ、ジョルジュ・ライヤール『ミロとの対話』、美術公論社、1978年3月。図4)。
図4 『ミロとの対話』他にも瀧口は、ミロに関するいくつかの画集を監修・編集し、解説も執筆しています。また、ミロの展覧会にも関与し、カタログテキストを寄せています。年代順に挙げると、以下のとおりです。
・「ホアン・ミロ」、『ミロ』、みすず書房「原色版美術ライブラリー」42、1958年(図5)
・「解説」、「ミロ展」カタログ、東京国立近代美術館・京都国立近代美術館、1966年(図6)
この「解説」は以下の4部構成です。
「初期・画家の形成・1914-1923」
「夢と超現実への冒険・1924-1934」
「悲劇の時代・星座・1935-1941」
「新たな開花と展開・1942-1966」
・「ジョアン・ミロ」、『ミロ』、平凡社の「ファブリ世界名画集」59、1971年(図7)
・「野に置け風の時計 CLÉ DES CHAMPS À L’HORLOGE DU VENT」、西武美術館「ミロ展 ユーモアと冒険の彫刻」カタログ、1979年(図8)
図5 『ミロ』原色版美術ライブラリー
図6 「ミロ展」カタログ
図7 『ミロ』(ファブリ世界名画集)
図8 「ミロ展 ユーモアと冒険の彫刻」カタログその後もミロとは親しい交流が続き、『手づくり諺』および『ミロの星とともに』の、二つの詩画集に結実しました(両詩画集についてはいずれ採り上げる予定です)。ミロから贈られたカタロニア原産の植物カルバサの実(富山県美術館蔵)もよく知られています(図9)。「瀧口修造・自筆年譜」の1976年の項(綾子夫人による補筆)には以下のとおり記されています。
「6月、バルセロナのポリグラファ社の社長、ムガさんから託されてミロの畑で穫れたカラバッサを小野羨子さんが届けて下さって大変な喜びよう。以来、ミロのひょうたんと呼び、わが家の宝ものとなりました。」
図9 ミロから瀧口に送られたカルバサ(撮影:大辻清司。西武美術館「ミロ展 ユーモアと冒険の彫刻」カタログより転載)造形作品も何点か贈呈されています。瀧口の没後に出版された追悼文集『雷鳴の頸飾り―瀧口修造に』(「雷鳴の頸飾り」刊行会、1979年12月。図10)などで紹介されています(図11)。
図10 『雷鳴の頸飾り―瀧口修造に』
図11 瀧口修造宛てミロの献呈作品(『雷鳴の頸飾り―瀧口修造に』より)瀧口の生涯はデュシャン、フォンタナ、ジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシスをはじめ、数多くのアーティストとの交流で彩られていますが、ミロとの生涯にわたる交誼はその代表的な例と思われます。本書『ミロ』はその礎となった、記念すべき一冊といえるでしょう。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI"I-16"
インク、紙(郵便はがき)
イメージサイズ:14.1×10.2cm
シートサイズ :14.1×10.2cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは「第27回瑛九展 」を開催しています。
会期:2019年1月8日[火]―1月26日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは3月末開催のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。1930年代最初期から最晩年まで、油彩大作、フォトデッサンの代表作を香港に持って行く前に、ギャラリーで展示しています。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れもののブログは年中無休ですが、それは多くの執筆者のおかげです。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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