H氏による作品紹介4

縁は異なもの -コマーシャルギャラリーで写真を買う(2)- ~原田正路、萩原義弘、渡邉博史、渡部さとる、山田陽~

 画廊街という言葉があるし、ギャラリーの街と呼ばれるようなエリアも少なくない。けれども、写真ギャラリー、特にコマーシャルギャラリーとなると、ついでに寄れる交通の便の良いところというよりは、むしろわざわざそのために足を運ばなければならない場所にあることが多い。それはそのまま写真の売買でギャラリーを成り立たせることの難しさでもあるだろう。けれども、それぞれの立地を生かした興味深い展示が見られるのもまた写真ギャラリーの面白さである。

_IMG1989Lot.93 原田正路
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 11.5x11.5cm
S: 29.9x14.7cm

_IMG1992Lot.94 原田正路
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 11.7x11.7cm
S:19.9x15.1cm

_IMG1995Lot.95 原田正路
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 7.9x8.3cm
S:10.3x15.3cm

_IMG1998Lot.96 原田正路
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 8.4x8.4cm
S:10.2x15.2cm

_IMG2001Lot.97 原田正路
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 8.3x8.3cm
S:10.2x15.2cm

CIMG6290Lot.98 原田正路
(3点組)
ゼラチンシルバープリント
I: 8.4x8.4cm
S: 10.1x15.2cm
M: 35.6x28.0cm

RIMG0478Lot.99 原田正路
作品
ゼラチンシルバープリント
I: 27.6x27.4cm
S: 40.3x35.8cm

 原田正路さんは1931年旧満州大連市生まれ。中学生の頃より写真に興味を持ち始め、独学で写真を始める。1955年より長崎で7年間の会社勤務の後、フリーカメラマンとなり、NHK長崎放送局の写真構成による番組製作などを手がける。1971年に木耳社から『世界史の中の長崎』を出版。その後福岡市に転居。福岡市美術館の委嘱による美術品資料の撮影、出版、番組製作に従事。1984年にドイツの「dumont foto 5 ”Die Japanische photographe”」展に出品。1986年、京橋のINAXギャラリーでの個展開催を機に横浜に移住。その後10年余にわたって横浜を撮り続ける。1999年1月死去。
 1989年にはマールブルグ大学美術館、1990年にはウィーン商工経済局ホールにて個展を開くなど、写真家の評価はむしろ海外の方が早く、作品はハンブルグ工芸美術館やパリ国立図書館にも収蔵されている。日本では横浜の写真専門のコマーシャルギャラリー「パストレイズ」が1992年より定期的に個展を行ってきた。
 こんな詳細な略歴を書けるのも、パストレイズが作品を購入する毎に付けてくださった「作家略歴」があるからである。
 その頃はまだ少なかった写真ギャラリーを探して横浜遠征。カメラ雑誌の展覧会のページのコピーを片手に石川町から歩いて5分。あまりお洒落とはいえない町並みの中のお洒落なビルの一階がギャラリーパストレイズだった。1989年の開廊だが、それをHPで「横浜開港から130年後」と表現しているところに横浜のギャラリーとしての矜恃が覗く。「開港以降、横浜には多くの写真スタジオが林立し、港に出入りする外国人たちへのスーベニール・アートとして文化往来の役割を担い、大いなる繁栄を見てきました。現在のオリジナル・プリントの売買につながる、写真マーケットの原型を培ってきたのかと思います」とHPにあるように、一貫してオリジナルプリントの販売を看板にしてきた。
 最初にお伺いした展示が何であったかは思い出せないが、販売コーナーに置かれていたポストカードの中でひときわ目を引かれたのが、端正なモノクロの正方形のイメージとその下に記された「© Masamichi Hrada」の文字だった。
 「先日亡くなられて、もう手元にあるのはこれだけです」と奥から何枚かのプリントを出していただいたのだが、あるだけ全部欲しくなってしまう。とにもかくにもどうしても欲しい一枚をまず購入することにしたのだが当然手持ちはない。誰かに取られてはならじととりあえずなけなしの1万円を内金に入れて、残りを月3万円づつの3回払いにしてもらって手に入れたのがLot.99の作品である。「シートに折れ、シミあり」とあるが、これは当方の保管上の不手際ではなく最初からのもの。「存命中ならスポッティングとか再プリントとかしていただけたのですが、今となってはそれを含めてのオリジナルということでご了解くだされば」とのことだった。
 そのころの作家さんの常として、プリントはたとえ展示用ではあっても販売用ではなく、当然エディションナンバーを付けるといったこともなしに、ベストの一枚を全身全霊を込めてプリントしておられたのだと思う。一方展示が終わると保管はアバウトで、日本の住宅事情の貧しさも相まって、引っ越しのたびごとにプリントが(ヴィンテージプリントが!)処分されてしまい、残されたネガも(化学製品なので)経年変化で痛んでしまって最後は写真集からのリプリントが美術館での回顧展を飾るといったことも少なくない。
 もっとも、この折れとシミがあったればこそ私のような小コレクターにも何とかなったともいえるので思いは複雑である。ネガが無事なら、今のうちに「長崎」「横浜」「外人墓地」の3シリーズでポートフォリオを作って貰えればと思うこと切実である。
 現在ではこの3シリーズは横浜美術館に所蔵され、「横浜美術館コレクション展」として何年かに一度展示されている。ちなみに2009年度のコレクション展(2009/3/17~7/10)は、「都市の記録、都市の記憶―ウジェーヌ・アジェと原田正路」と題されたアジェとの二人展(!)であった。
 サイズは小なりとはいえ、アジェと共に美術館で展示される作家のオリジナルプリント(ひょっとしたらヴィンテージ!)を手に入れる貴重な機会かと思う。まだ充分に評価されているとは言えない原田正路さんの顕彰の意味も込めて、多くの皆様の入札をお願いする次第である。

RIMG2009Lot.87 萩原義弘
『巨幹残栄』より端島炭鉱(軍艦島)
1995 Printed in 2004
ゼラチンシルバープリント
I: 22.0x21.9cm
S: 30.3x25.4cm

DSC_0719Lot.88 萩原義弘
『巨幹残栄』より鳥帽子坑
1996 1996Printed in 2004
I: 22.0x21.7cm
S: 30.3x25.2cm

DSC_0732Lot.89 萩原義弘
『巨幹残栄』より好間炭鉱ズリ山
1998 Printed in 2004
ゼラチンシルバープリント
I: 22.0x22.0cm
S: 30.3x25.3cm

 主として予算の面でではあるが、半分は本当に購入できる原田さんの作品がなくなってしまい、原田ロスとなった当方が次に思いを寄せたのが萩原義弘さんである。手元にはパストレイズから送っていただいた2004年の「巨幹残榮」展と2006年の「SNOWY」展のDMが残るが、思えば、ギャラリーも原田さんに続く作家さんを求めておられたのだと思う。
 萩原さんは1961年群馬県高崎市生まれ、日本大学芸術学部写真学科卒業後、毎日新聞社出版写真部で報道写真に携わる。2001年にさがみはら写真新人奨励賞を受賞。2007年に写真家として独立。雪に埋もれた産業遺跡を詩情豊かに写したSNOWYシリーズをライフワークとして制作しながら、国内外で多くの写真展を開催。2010年東川賞特別作家賞を受賞。2004年に「巨幹残栄(窓社)」、2008年に「SNOWY(冬青社)」、2014年に「SNOWYⅡ(冬青社)」を刊行。現在は母校の日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として後進の育成にも携わる。
 といったところが作者の略歴なのだが、写っているモノを含めてそうしたバックグラウンドがむしろノイズでさえあるような作品自体の完成度が萩原さんの魅力である。
 Lot.87は宇宙空母のようだし、Lot.88は国籍不明の新型潜水艦に見えるし、Lot.89は古代遺跡とそこに降り立つUFOと言われてもおかしくない。これはタイトルを聞く前に当方が抱いた偽らざる感想である(でも人には何も言わなかった。恥ずかしかったからである)。いまそこにあるものを写していながら、それがどこにもない何かを呼び出してしまうところに写真の魅力と力とがあるとしたら、まさに萩原作品はそのような写真の力を示してくれるものであろう。
 じっさい、萩原さんの作品は、フランスの最高級ファッションブランドであるエルメスの2013年秋冬物のカタログにその作品が8ページにわたり掲載(ちなみに前号がアンリ・ラルティーグ!)されるなど、海外での評価も高い。
 自宅の壁に異次元への窓を開いてくれる魔方陣をぜひ一枚である。

 自分にとって、萩原さんが開いてくれた窓は東京は中野、中野駅から徒歩12分、新中野駅から徒歩6分の住宅街に突然開廊した「ギャラリー冬青」にまで通じていた。
 ギャラリー冬青は、総合出版社であった冬青社の高橋国博社長が、1999年の『愛をつなぐ』、2000年の『デヴィのちょっと一言よろしいかしら』の2冊のデヴィ本で「一発当て」て、「これまでの借金を返せたから、あとは自分の好きな本だけ出そうと思」って会社を縮小整理(退職を希望する社員にはびっくりするぐらいの割り増しの退職金を出したとか)。以前の応接室を改装してギャラリーを併設した写真集の出版社として再出発したのが始まりである。(高橋社長! 記憶違いがあったらゴメンナサイ!!)。開廊記念展は2005年6月1日~6月30日の「土田ヒロミ展」。その後は月に一度の割合で、内外のシリアスフォトグラファーの個展を開催すると共に、積極的に写真集の出版に取り組んでいる。
 元が(今でもだが)出版社だけあって、印刷へのこだわりはハンパなく、日本ではもうその黒の出せる印刷機がないといえば香港に、職人がいないといえば台湾にと、作家と一緒に社長自らが刷り出しに立ち会ってダメを出すという徹底ぶりで、多くの写真家から絶対的な支持を受けている。ここも、羽根があったら飛んでいくのに、のギャラリーである。

RIMG1065Lot.147 渡邉博史
White Terns Midway Atoll
1999 Printed in 2005
ゼラチンシルバープリント
I: 25.5x25.4cm
S: 35.5x27.8cm
Ed.30(26/30)

 ギャラリー冬青で最初に購入したのがLot. 147の「White Terns Midway Atoll」。2007年の渡邉博史写真展「Observations」(1/5~1/31)からの一枚である。渡邉博史さんはアメリカを拠点に活動している作家さんで、この時が日本初個展。
 北海道札幌出身。1975年に日本大学芸術学部写真学科を卒業。ロサンゼルスでテレビコマーシャル制作の仕事に従事し、その後自ら製作会社を設立。1995年頃から作品として写真を撮り始め、2000年に会社を畳んで写真家として活動を開始。以後アメリカ、日本、ヨーロッパでの個展多数。作品は数多くの賞を受け、いくつもの美術館に収蔵されている。2011年にはヴェネツィアヴィエンナーレの公式プログラム、"REAL VENICE"展に招待されるなど、海外での評価の方が高い作家さんである。
 海外の取り扱いギャラリーの契約の関係で、価格は全世界共通。当時の価格で18万円を越えていたから自分としてはかなりの頑張りである。エディションは26/30。エディション番号が進むほど価格が上がるステップアッププライスなのでこの値段も当然なのだが、30という限定数(これはフランスだと写真が美術品として通用する最大数と聞いたことがある。それを越えると工芸品の扱いになるのだそうだ)のうち26まで進んでいるということはかなりの人気作家だし人気のイメージだということである。おそらく今だとエディション切れで所属ギャラリーからの入手は不可能だと思う。
 ちなみにタイトルの「White Terns」は鳥の「白アジサシ」のことで、拡げられた布に止まった沢山の白アジサシを下から逆光気味に撮ったものということである。「ここにあるのはどこに居ても異邦人の私が見たベールの向こうの世界です」との、個展に寄せた作者のメッセージに重なるものがあるように思っての購入だった。
 というわけで気に入った方、気になった方、ぜひ入札してください。

RIMG0459Lot.142 渡部さとる
『da gasita2004~05』より「はた」
2006
ゼラチンシルバープリント
I: 24.7x25.1cm
S: 35.4x27.8cm
Ed.5(1/5)

RIMG0469Lot.143 渡部さとる
『da gasita2004~05』より「はくさい」
2006
ゼラチンシルバープリント
I: 15.4x22.9cm
S: 20.3x25.2cm

RIMG0464Lot.144 渡部さとる
作品
2009
ゼラチンシルバープリント
I: 25.2x25.6cm
S: 35.4x27.9cm
Ed.15

RIMG0475Lot.145 渡部さとる
『da gasita2004~05』より
2005/2005
ゼラチンシルバープリント
I: 24.9x25.4cm
S: 40.4x30.5cm

DSC_0990_1Lot.146 渡部さとる
Silent Shadow Aomori 2011
2011
ゼラチンシルバープリント
I: 25.0x25.1cm
S: 35.2x28.0cm
Ed.15(1/15)

 高橋社長が言うには、「額はともかく枚数を一番売ってるのは渡部さとるさん」だそうである。ちなみにギャラリー冬青の 2019年の最初の展示も渡部さとるさんの「IN and OUT」(2019/1/4~26)だった。冬青での初個展「da・gasita - 43年目の米沢」が2006年2月で、今年が10回目ということなので、ほぼ年に一度の割合で個展を開催されていることになる。そしてこの間に2007年に『traverse』、2012年に『da.gasita』、2014年に『prana』、2017年に『demain』をいずれも冬青社から出版(ちなみに最初の写真集は当時写真集の出版元としては指折りだったMOLEから2000年に出版された『午後の最後の日射-アジアの島へ』)。文字通りギャラリー冬青の看板作家のお一人である。
 略歴的なことを記せば、1961年山形県米沢市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ、報道写真に従事。同社退職後、個人事務所「スタジオモノクローム」を設立、フリーランスとして、ポートレートを中心に活動。2003年より写真のワークショップ「ワークショップ2B」を主宰。2006年よりギャラリー冬青にて本格的に作家活動を開始。2015年屋久島国際写真祭(Y. P. F)招待作家として「prana」を展示。同作品はパリ“What's up photodoc”でも展示され、ベストギャラリー賞を受賞するなど、内外の評価も高い。ちなみに作品はアテネ国立美術館、グリフィン美術館(マサチューセッツ)、ケ・ブランリー美術館(パリ)等にコレクションされている。
 またエッセイの名手としても有名で、MOLEの倒産に伴い最初の写真集を自力で売りさばく必要から「仕方なしに始めた」というご自身のHPのエッセイをまとめた『旅するカメラ』(エイ出版)は現在4巻まで刊行されている人気シリーズである。

Line1_lilyGrass1107Tokyo_Select003Lot.134 山田陽
Line1_Lily Grass_Untitled(1)
2001
ファイバープリント, ゼラチンシルバープリント
76.2x101.6cm
Ed.10(1/10)

 これは説明するまでもなく「ときの忘れもの」の取り扱い作家山田陽さんの作品で、「ときの忘れもの」の企画展「山田陽写真展 Line1_Lily Grass」(2011/7/5~7/16)で購入したもの。
 略歴を「ときの忘れもの」のHPからコピペすると「神奈川県川崎市に生まれる。文化服装学院でファッションデザインを学ぶ。1998年渡米。ニューヨークで6年間ブティック、レストラン、プライベートパーティのために高級フラワーアレンジメントを提供するフローラルデザイナーとして活躍。2004年その創造的な関心は「写真」に向けられた。 ポートレートやルポルタージュが『ヴォーグニッポン』や『ヴォーグチャイナ』、『マダムフィガロ』、『ハーパースバザージャパン』、『ウィメンズウェアデイリージャパン』、『カーサブルータス』、『メンズノンノ』、『ギンザ』、『ポパイ』に掲載される。
 ポートレートやルックブック(スタイル見本)を撮影し、「デレク・ラム」や「3.1 フィリップ・リム」、「トッズ」、「バンドオブアウトサイダーズ」などのファッション会社と仕事をする。 ファッションやデザインをあらためて学んだことで、どんなものにも美しさを見出し、洗練されたイメージを創り出すようになる。記録や探検、そして、他の文化からインスピレーションを得るために世界を旅する。現在、ニューヨークを拠点に活動。」となる。

 写真をコマーシャルギャラリーから買うといったら、やはり「ときの忘れもの」は外せない。写真展自体はそれほど多くはないが、取り扱い作家と取り扱い作品の数と厚みとは日本有数だと思う。特に、海外のマスタークラスの作品や日本を代表する写真家の代表作が手に入るのはお世辞ではなく凄いと思うし、その価格が海外のギャラリーに比べると0が一つ少ないというか、ほぼ仕入れ値じゃないかと思われるような価格なので、いつ大量の写真作品の海外流出か起こるか心配である。本当に冗談ではなく今のうちだと思う。
 今回のオークションは最低入札価格がその価格のさらに三分の一程度に設定されていると聞くので、どうぞ個人コレクターの皆様はコレクションの充実に、ギャラリー関係者各位におかれては仕入れのつもりで、ずずずいと入札をお願いする次第である。(H)

◆ときの忘れものはH氏写真コレクション展を開催します。
会期:2019年7月9日(火)~7月13日(土)
H氏写真コレクションDM

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
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