<昨日はギャラリーときの忘れものに松本竣介と雑記帖展も見に行く。初めて名前を聞いた人だった。ギャラリーは教会の裏手にあり、何となく懐かしい頃のモダニスム(最近この言葉の定義が揺らぎまくってるので上手く言えないが)のような感じで、中でスタッフの方が居住してるかのような、美術部の部室みたいな雰囲気もあり素敵だった。
36歳で亡くなってしまった松本竣介さんの編集した雑記帖は明るい感じの雑誌で、展示してあった絵もとてもラフな走り描きのような感じなのだが、ただ街があったり人が居たりする事に対するとても肯定的なものを感じた。恩地孝四郎が見たく、飾ってあったのは小さい絵だったが、建物の雰囲気にとても合っていた。海老原喜之助とか難波田龍起とか、結構長生きして抽象画も凄く堂々とした絵を沢山描いたような先入観を勝手に持ってる人と、割と早くに亡くなってしまった人との時間枠を考えると、ちょっと泣いてしまいそうになるんだよなとおもう。
(20191024/Yukiyo Matsushitaさんのtwitterより)>
<ときの忘れもの「松本竣介と『雑記帳』展」001
雑に記すとは日常における瞬間瞬間の思いを飾ることなく発露すること。短い生涯を生きた松本竣介だからこそそのひとつひとつが限りなく尊い。
(20191026/岡田昌浩さんのtwitterより)>
< 「松本竣介と『雑記帳』」展@ギャラリーときの忘れもの。
最終日、駆け込みで駒込まで。
今回は竣介が編集していた雑誌「雑記帳」にフォーカスし、貴重な実誌や、ゆかりの画家の作品も展示。
彼の描いた都市風景を通じて、美術から建築へと関心がブリッジされていったのは自分の原体験ですが、(今回も建物のデッサンがよかったなー)実はときの忘れものさん自体が、磯崎新、安藤忠雄、石山修武といった建築家の作品を取り扱ったり、建築見学の会を主催していたりで、美術と建築をブリッジするよーなギャラリーであるということが、自分の中では竣介と重なり、おもしろく感じます。
またオーナー綿貫さんの該博な知識、戦後美術の裏話に触れられるのもたのしく、自分の美術体験の幅を広げてくれた存在としても、ありがたいなーと思っています。
またお伺いしますー。
(20191027/渡邊隆史さんのfacebookより)>
ときの忘れものとしては三回目の開催となった松本竣介展(松本竣介と『雜記帳』)、竣介作品は僅か8点の出品でしたが、おかげさまで若い世代からご年配の方までたくさんの方にご来場いただきました。
お買い上げいただいたお客様には心より御礼を申し上げます。
36歳の生涯で遺された作品も少なく、市場に出ることが稀な作家ですが、岩手県立美術館には常設展示室があり、桐生の大川美術館にはいつ行っても竣介作品をみることができます。
再開された神奈川県立近代美術館の鎌倉別館でもいまちょうど名作「立てる像」が公開展示されています。
ときの忘れものは今後も機会をつくり、竣介作品の紹介に努めていきたいと思います。
~~~~~~
第ニ回『久保貞次郎の会』開催のご案内
日時:2019年11月2日(土)11:00~16:30
第一部/11時より、自由学園明日館見学
第二部/13時半より レストラン ラ・ムジカ (目白駅前)にて、
細江英公×栗田秀法 対談と会食(懇親会)
主催:久保貞次郎の会
詳しくはコチラをお読みください。
「久保貞次郎の会」は、新しい児童美術教育運動のオルガナイザー・美術評論家・新しい芸術とその運動のパトロン・現代美術のコレクター・跡見学園短期大学学長・町田市立国際版画美術館館長・エスぺランチストとして、実に多くの顔を持っていた 久保貞次郎氏(1996年10月31日没)ゆかりの地を訪問し、久保氏を知る方々との触れ合いの場を設けることで、今一度久保氏の業績を振り返り、 後世に伝えて行きたいと思いで、2018年10月に会を発足致しました。

真岡の久保アトリエの前に立つ久保貞次郎先生
2018年10月27日に開催した第一回は、栃木県真岡市の久保記念館、真岡小学校久保講堂(遠藤新設計)を訪問致しました。ご参加頂いた塩野様がウェブマガジンcollage冬の号にレポートを載せて頂きましたので是非ご覧ください。
第ニ回『久保貞次郎の会』と致しまして、昨年訪問した久保講堂(栃木県真岡小学校)の 設計者、遠藤新とその師フランク・ロイド・ライト設計の自由学園「明日館」見学と、 写真家細江英公先生と栗田秀法先生(名古屋大学大学院人文学研究科教授)の対談を目白のレストランにて行います。
『久保貞次郎の会』世話人
榎本エミ子、川口真寿美、中村茉貴、秀坂令子、藤沼秀子、綿貫令子(五十音順)
e-mail: kubosadajironokai@gmail.com
●「久保貞次郎の会」ホームページができました
お申込み方法:
参加ご希望の方は、下記をご記入頂きメールでお申込み下さい。
ときの忘れものでも受け付けています。
●メール送信先: kubosadajironokai@gmail.com

細江英公先生(若いときから瑛九や久保貞次郎先生と親交されました)
■細江英公(ほそええいこう) 1933年山形県米沢市生まれ、東京で育つ。1951年富士フイルム主催の「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞。翌年19歳で東京写真短期大学(現 東京工芸大学)に入学。評論家の福島辰夫は土門拳らのリアリズム派にない彼の人間味に注目した。デモクラート美術家協会の瑛九と出会い、既成概念に挑む作家精神を受け継ぐ。1954年同大卒業。1959年に写真家集団「VIVO」を結成。三島由紀夫をモデルに「薔薇刑」を撮影、秋田の農村を舞台に土方巽をモデルにした「鎌鼬」を発表し、写真界に確固とした地位を確立した。2003年英国王立写真協会より「生涯にわたり写真芸術に多大な貢献をした写真家」として特別勲章を授与された。2010年文化功労者となる。清里フォトアートミュージアム館長、東京工芸大学名誉教授、鎌鼬美術館名誉館長。
■栗田秀法(くりたひでのり)1963年愛知県生まれ。 名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業、同大学院博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授を経て、現在、名古屋大学大学院教授(博物館学担当)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「 戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)などの企画に携わる。
■フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wright(1867-1959)
アメリカ・ウィスコンシン州に生まれる。アドラー=サリヴァン事務所に勤める。その才能を見込まれ、事務所における1888年以降のほとんどの 住宅の設計を任せられる。1893年独立後、1910年までの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計を行ない、プレイリースタイル(草原様式)の作品で知られるようになる。1910年ドイツのヴァスムート社から100点ものリトグラフの入った第一作品集(ヴァスムート版)を出版し、大きな反響を呼び、近代建築の時代への魁となった。
ウィスコンシン州南西部の彼の祖先の地ウェールズに自邸タリアセンを建設。1913年に帝国ホテル新館設計のために来日し、旧山邑邸(現・淀川製鋼所迎賓館、重要文化財)、福原有信別荘(箱根、現存せず)などいくつもの建築を残す。
1930年代後半になるとカウフマン邸(落水荘)、ジョンソンワックス社と相次いで2つの代表作を世に発表した。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と称えられている。
自由学園・明日館
[自由学園・明日館]
1921年竣工(修復前の撮影)
自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一・もと子夫妻が創立した自由学園の校舎としてライトの設計により建設されました。
帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤新が羽仁夫妻をライトを紹介し、夫妻の教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。
空間を連続させて一体構造とする設計は、枠組壁式構法(2×4構法)の先駆けとの見方もあります。木造で漆喰塗の建物は、中央棟を中心に、左右に伸びた東教室棟、西教室棟を厳密なシンメトリーに配しており、ライトの第一期黄金時代の作風にみられる、高さを抑えた、地を這うような佇まいを特徴としています。
老朽化が激しく一時は存続が危ぶまれましたが、1997年(平成9)に国の重要文化財指定を受け、1999年(平成11)から2001年(平成13)にかけて保存修理工事が行われ、貴重なライトの遺作として面目を一新しました。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
36歳で亡くなってしまった松本竣介さんの編集した雑記帖は明るい感じの雑誌で、展示してあった絵もとてもラフな走り描きのような感じなのだが、ただ街があったり人が居たりする事に対するとても肯定的なものを感じた。恩地孝四郎が見たく、飾ってあったのは小さい絵だったが、建物の雰囲気にとても合っていた。海老原喜之助とか難波田龍起とか、結構長生きして抽象画も凄く堂々とした絵を沢山描いたような先入観を勝手に持ってる人と、割と早くに亡くなってしまった人との時間枠を考えると、ちょっと泣いてしまいそうになるんだよなとおもう。
(20191024/Yukiyo Matsushitaさんのtwitterより)>
<ときの忘れもの「松本竣介と『雑記帳』展」001
雑に記すとは日常における瞬間瞬間の思いを飾ることなく発露すること。短い生涯を生きた松本竣介だからこそそのひとつひとつが限りなく尊い。
(20191026/岡田昌浩さんのtwitterより)>
< 「松本竣介と『雑記帳』」展@ギャラリーときの忘れもの。
最終日、駆け込みで駒込まで。
今回は竣介が編集していた雑誌「雑記帳」にフォーカスし、貴重な実誌や、ゆかりの画家の作品も展示。
彼の描いた都市風景を通じて、美術から建築へと関心がブリッジされていったのは自分の原体験ですが、(今回も建物のデッサンがよかったなー)実はときの忘れものさん自体が、磯崎新、安藤忠雄、石山修武といった建築家の作品を取り扱ったり、建築見学の会を主催していたりで、美術と建築をブリッジするよーなギャラリーであるということが、自分の中では竣介と重なり、おもしろく感じます。
またオーナー綿貫さんの該博な知識、戦後美術の裏話に触れられるのもたのしく、自分の美術体験の幅を広げてくれた存在としても、ありがたいなーと思っています。
またお伺いしますー。
(20191027/渡邊隆史さんのfacebookより)>
ときの忘れものとしては三回目の開催となった松本竣介展(松本竣介と『雜記帳』)、竣介作品は僅か8点の出品でしたが、おかげさまで若い世代からご年配の方までたくさんの方にご来場いただきました。
お買い上げいただいたお客様には心より御礼を申し上げます。
36歳の生涯で遺された作品も少なく、市場に出ることが稀な作家ですが、岩手県立美術館には常設展示室があり、桐生の大川美術館にはいつ行っても竣介作品をみることができます。
再開された神奈川県立近代美術館の鎌倉別館でもいまちょうど名作「立てる像」が公開展示されています。
ときの忘れものは今後も機会をつくり、竣介作品の紹介に努めていきたいと思います。
~~~~~~
第ニ回『久保貞次郎の会』開催のご案内
日時:2019年11月2日(土)11:00~16:30
第一部/11時より、自由学園明日館見学
第二部/13時半より レストラン ラ・ムジカ (目白駅前)にて、
細江英公×栗田秀法 対談と会食(懇親会)
主催:久保貞次郎の会
詳しくはコチラをお読みください。
「久保貞次郎の会」は、新しい児童美術教育運動のオルガナイザー・美術評論家・新しい芸術とその運動のパトロン・現代美術のコレクター・跡見学園短期大学学長・町田市立国際版画美術館館長・エスぺランチストとして、実に多くの顔を持っていた 久保貞次郎氏(1996年10月31日没)ゆかりの地を訪問し、久保氏を知る方々との触れ合いの場を設けることで、今一度久保氏の業績を振り返り、 後世に伝えて行きたいと思いで、2018年10月に会を発足致しました。

真岡の久保アトリエの前に立つ久保貞次郎先生
2018年10月27日に開催した第一回は、栃木県真岡市の久保記念館、真岡小学校久保講堂(遠藤新設計)を訪問致しました。ご参加頂いた塩野様がウェブマガジンcollage冬の号にレポートを載せて頂きましたので是非ご覧ください。
第ニ回『久保貞次郎の会』と致しまして、昨年訪問した久保講堂(栃木県真岡小学校)の 設計者、遠藤新とその師フランク・ロイド・ライト設計の自由学園「明日館」見学と、 写真家細江英公先生と栗田秀法先生(名古屋大学大学院人文学研究科教授)の対談を目白のレストランにて行います。
『久保貞次郎の会』世話人
榎本エミ子、川口真寿美、中村茉貴、秀坂令子、藤沼秀子、綿貫令子(五十音順)
e-mail: kubosadajironokai@gmail.com
●「久保貞次郎の会」ホームページができました
お申込み方法:
参加ご希望の方は、下記をご記入頂きメールでお申込み下さい。
ときの忘れものでも受け付けています。
●メール送信先: kubosadajironokai@gmail.com

細江英公先生(若いときから瑛九や久保貞次郎先生と親交されました)
■細江英公(ほそええいこう) 1933年山形県米沢市生まれ、東京で育つ。1951年富士フイルム主催の「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞。翌年19歳で東京写真短期大学(現 東京工芸大学)に入学。評論家の福島辰夫は土門拳らのリアリズム派にない彼の人間味に注目した。デモクラート美術家協会の瑛九と出会い、既成概念に挑む作家精神を受け継ぐ。1954年同大卒業。1959年に写真家集団「VIVO」を結成。三島由紀夫をモデルに「薔薇刑」を撮影、秋田の農村を舞台に土方巽をモデルにした「鎌鼬」を発表し、写真界に確固とした地位を確立した。2003年英国王立写真協会より「生涯にわたり写真芸術に多大な貢献をした写真家」として特別勲章を授与された。2010年文化功労者となる。清里フォトアートミュージアム館長、東京工芸大学名誉教授、鎌鼬美術館名誉館長。
■栗田秀法(くりたひでのり)1963年愛知県生まれ。 名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業、同大学院博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授を経て、現在、名古屋大学大学院教授(博物館学担当)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「 戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)などの企画に携わる。
■フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wright(1867-1959)
アメリカ・ウィスコンシン州に生まれる。アドラー=サリヴァン事務所に勤める。その才能を見込まれ、事務所における1888年以降のほとんどの 住宅の設計を任せられる。1893年独立後、1910年までの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計を行ない、プレイリースタイル(草原様式)の作品で知られるようになる。1910年ドイツのヴァスムート社から100点ものリトグラフの入った第一作品集(ヴァスムート版)を出版し、大きな反響を呼び、近代建築の時代への魁となった。
ウィスコンシン州南西部の彼の祖先の地ウェールズに自邸タリアセンを建設。1913年に帝国ホテル新館設計のために来日し、旧山邑邸(現・淀川製鋼所迎賓館、重要文化財)、福原有信別荘(箱根、現存せず)などいくつもの建築を残す。
1930年代後半になるとカウフマン邸(落水荘)、ジョンソンワックス社と相次いで2つの代表作を世に発表した。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と称えられている。
自由学園・明日館
[自由学園・明日館]1921年竣工(修復前の撮影)
自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一・もと子夫妻が創立した自由学園の校舎としてライトの設計により建設されました。
帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤新が羽仁夫妻をライトを紹介し、夫妻の教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。
空間を連続させて一体構造とする設計は、枠組壁式構法(2×4構法)の先駆けとの見方もあります。木造で漆喰塗の建物は、中央棟を中心に、左右に伸びた東教室棟、西教室棟を厳密なシンメトリーに配しており、ライトの第一期黄金時代の作風にみられる、高さを抑えた、地を這うような佇まいを特徴としています。
老朽化が激しく一時は存続が危ぶまれましたが、1997年(平成9)に国の重要文化財指定を受け、1999年(平成11)から2001年(平成13)にかけて保存修理工事が行われ、貴重なライトの遺作として面目を一新しました。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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