橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」第7回
ランプ オバQ (1972)
前回のエッセイで「倉俣はいつもインテリアと家具のあいだを自由に行き来する」と書いたが、今回紹介する《ランプ オバQ》(1972)の照明器具デザインと1985年の福岡・小倉フォロンの「ISSEY MIYAKE」のためのインテリア・デザインとの関係は実に意外なものだ。約40㎡の長方形のブティックを支配するのは、長い辺の壁の左右の端から垂れ下がった巨大なFRPのドレープである(注1)。ドレープの裏には照明が仕込まれていて、ハロゲンとおぼしき強い光がドレープから発せられる。倉俣によれば、このインテリアは《ランプ オバQ》の「ランプの内側をイメージして試みたもの」だそうだ(注2)。つまり、プロダクトのインテリアを建物のインテリアへと拡大した、とも解釈できる。
建築家の場合は、遅くとも18世紀には建築の外観のミニチュアとして家具デザインを手がけることが意識され始めたから、この「ISSEY MIYAKE」のインテリアは、そのインテリア・デザイナー版といえるかもしれない。とはいえ、光源はドレープの向こう側にあるので、実のところこの店内は「ランプの内側」ではなく「外側」なのだ。しかし、店内に足を踏み入れた多くの人は照明器具の内部にいるような気分を味わうだろう。それはおそらく、店が商業ビルの内部にあり、自分はその内部にいる、ということが意識されているからである。
倉俣はそのように人の心理というか先入観を上手く捉えて、デザインに採り入れることに長けていた。人間の不安感、錯覚といった心理は、倉俣の場合、色や形や材質と同等のデザイン構成要素だったといえよう。無論、建築家も錯覚や身体性を重視するわけだが、不安や恐怖のようなネガティヴな感覚の採用はためらうであろうし、たとえしたくとも通常の建物では難しい。そうした否定的な感覚を利用できるのは商業インテリアの特権なのだ。
倉俣は、彼の知られたインテリアのひとつである《クラブ・ジャッド》(1969、東京・赤坂)において、地上から地下の店内入口までわざと長い鏡張りの通路を設けている。それは、「遊びの場所」にいくまでの「不安」や「期待感」といった「心理作用」を用いた「演出」だったと彼は1969年に語っている(注3)。本連載の第1回で触れたサパークラブ《カッサドール》(東京・新宿、1967)もお客の不安感を採り込んだインテリア・デザインだ。店内のブロック塀のような壁には美術家の高松次郎による「人の影」の絵がいくつも描かれているが、倉俣はデザイン主旨を次のように記している。
「店に入る大半の人は 自分の影だと思いこんでおり……ある瞬間 自分の影ではなく 主を持たぬ影であることに気付く……その時人は必ず自分の影を求める。それはあたかも自分の存在を確かめるかのように……それはM・C・エッシャーの視覚的なトリックと異なり 複雑な感情の反応が示され……そして空間への参加がはじまる。そこには影のもつ陰性はなく ユーモアを含んだ一涼の風のようなさわやかさがある。影を陽性に転化させる演出は 家具・色彩・照明そして音楽である。逆に 壁面の影はブロック積みにした目的のため かえって現実感が出た。」(注4)
さて、話を《ランプ オバQ》に戻そう。マンガのキャラクターに因むタイトルは、石岡瑛子により命名されたが、フロアランプに付き物の脚がない「おばけ」のような外形は、やはり不安感を抱かせるかもしれない。ドレープのような笠は正方形の乳白色アクリル板を電気炉で軟化させ、ポール状のものに被せて垂れ下がるままに自然成形したものである。1972年3月に東京・千駄ヶ谷のギャラリー・フジエで披露されたときは、笠の頂点の形状が平らなものや丸いもの、尖ったもの等さまざまだったが、これは、ポールに載せる物体を正方形や円形、球形等、変化をつけたためである。後のヤマギワによる商品化の際、球形の頂点に統一された。
倉俣と親交のあった批評家の羽原粛郎によれば、《ランプ オバQ》の笠の自然成形のプロセスは、マルセル・デュシャンに触発されて発想された可能性がある。というのも、羽原が倉俣にデュシャンの《三つの停止原器》(1913-1914)についての話をした際、倉俣はそれを大変面白がり、直後に《ランプ オバQ》が構想されているからだ(注5)。《三つの停止原器》とは、デュシャンが3本の1メートルの帯を高さ1メートルの場所から落とし、空中でねじれて曲線となって床に着地した帯を、そのかたちが保たれた状態でカンヴァス布にニスで固定した作品である。これはデュシャンによれば、通常の原器であるメートル法に対する歪なメートル原器であり、デュシャン自身の言葉を借りれば「偶然によって、私の偶然によって得られる形」であった(注6)。
倉俣は1985年に《ランプ オバQ》に関して「自分の中に何故か造形することに対してシャイな感覚があり、布地やアクリルというような、自身が形を生む素材を選び、その中で生まれる偶然なものの形を硬化させて用いるくせがあります」と語っている(注7)。《ランプ オバQ》の発想にデュシャンの《三つの停止原器》が関係していることはほぼ間違いない。しかし、コンセプトがたとえ同じでも、倉俣の手にかかれば、コンセプチュアルアートではなく、あのような美しい光と化すのだ。小倉フォロンの「ISSEY MIYAKE」のためのインテリアもまた然りである。この光の前では、人間の本能的な不安感も理知的な発想も消え去ってしまう。それこそが、倉俣の世界なのだ。
(はしもと けいこ)
注1:1985年の福岡・小倉フォロンの「ISSEY MIYAKE」の図版は次を参照:Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013. Book 2: Catalogue of Works, p. 377.なお、ドレープ部分はジャージー布をFRP加工したもので、倉俣はこのドレープを1983年のパリ・サンジェルマンの 「ISSEY MIYAKE」のインテリアで初めて用いている。
注2:倉俣史朗「倉俣史朗 記憶と想像力の交点に生み出されるデザイン」『建築知識』1985年10月号、60頁。
注3:倉俣史朗、高松次郎「倉俣史朗の仕事と考え方」『商店建築』1969年8月号、86頁。
注4:倉俣史朗「サパークラブ カッサドール」『商店建築』1967年10月号、48頁。
注5:2007年10月31日に筆者が行った羽原粛郎との会話による。
注6:マルセル・デュシャン「私自身について」ミシェル・サヌイエ編『マルセル・デュシャン全著作』北山研二訳、未知谷、1995年、333頁。なお本訳書では「私の」に傍点がある。
注7:倉俣史朗「倉俣史朗 記憶と想像力の交点に生み出されるデザイン」60頁。
■橋本啓子
近畿大学建築学部准教授。慶應義塾大学文学部英米文学専攻、英国イースト・アングリア大学美術史音楽学部修士課程修了後、東京都現代美術館、兵庫県立近代美術館学芸員を務める。神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程において博士論文「倉俣史朗の主要デザインに関する研究」を執筆。以来、倉俣史朗を中心に日本の商環境デザインの歴史研究を行っている。神戸学院大学人文学部専任講師(2011-2016)を経て、2016年から現職。倉俣に関する共著に関康子、涌井彰子ほか編『21_21 DESIGN SIGHT 展覧会ブック 倉俣史朗とエットレ・ソットサス』東京:株式会社ADP、2010年(「倉俣クロニクル」執筆)、Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013(Book 2: Catalogue of Works全執筆)、埼玉県立美術館・平野到、大越久子、前山祐司編著『企画展図録 浮遊するデザイン―倉俣史朗とともに』東京:アートプラニング レイ、2013年(エッセイ「倉俣史朗と美術」執筆)など。
◆橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」は奇数月12日の更新です。
●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
浮遊するデザイン倉俣史朗とともに(埼玉県立近代美術館)ポスター
2013年 オフセット
72.7x51.4cm
倉俣史朗 Shiro KURAMATA
Floating Feather(白)
c.a. 2004
Acrylic
14.0×9.5×8.0cm
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ランプ オバQ (1972)
前回のエッセイで「倉俣はいつもインテリアと家具のあいだを自由に行き来する」と書いたが、今回紹介する《ランプ オバQ》(1972)の照明器具デザインと1985年の福岡・小倉フォロンの「ISSEY MIYAKE」のためのインテリア・デザインとの関係は実に意外なものだ。約40㎡の長方形のブティックを支配するのは、長い辺の壁の左右の端から垂れ下がった巨大なFRPのドレープである(注1)。ドレープの裏には照明が仕込まれていて、ハロゲンとおぼしき強い光がドレープから発せられる。倉俣によれば、このインテリアは《ランプ オバQ》の「ランプの内側をイメージして試みたもの」だそうだ(注2)。つまり、プロダクトのインテリアを建物のインテリアへと拡大した、とも解釈できる。
建築家の場合は、遅くとも18世紀には建築の外観のミニチュアとして家具デザインを手がけることが意識され始めたから、この「ISSEY MIYAKE」のインテリアは、そのインテリア・デザイナー版といえるかもしれない。とはいえ、光源はドレープの向こう側にあるので、実のところこの店内は「ランプの内側」ではなく「外側」なのだ。しかし、店内に足を踏み入れた多くの人は照明器具の内部にいるような気分を味わうだろう。それはおそらく、店が商業ビルの内部にあり、自分はその内部にいる、ということが意識されているからである。
倉俣はそのように人の心理というか先入観を上手く捉えて、デザインに採り入れることに長けていた。人間の不安感、錯覚といった心理は、倉俣の場合、色や形や材質と同等のデザイン構成要素だったといえよう。無論、建築家も錯覚や身体性を重視するわけだが、不安や恐怖のようなネガティヴな感覚の採用はためらうであろうし、たとえしたくとも通常の建物では難しい。そうした否定的な感覚を利用できるのは商業インテリアの特権なのだ。
倉俣は、彼の知られたインテリアのひとつである《クラブ・ジャッド》(1969、東京・赤坂)において、地上から地下の店内入口までわざと長い鏡張りの通路を設けている。それは、「遊びの場所」にいくまでの「不安」や「期待感」といった「心理作用」を用いた「演出」だったと彼は1969年に語っている(注3)。本連載の第1回で触れたサパークラブ《カッサドール》(東京・新宿、1967)もお客の不安感を採り込んだインテリア・デザインだ。店内のブロック塀のような壁には美術家の高松次郎による「人の影」の絵がいくつも描かれているが、倉俣はデザイン主旨を次のように記している。
「店に入る大半の人は 自分の影だと思いこんでおり……ある瞬間 自分の影ではなく 主を持たぬ影であることに気付く……その時人は必ず自分の影を求める。それはあたかも自分の存在を確かめるかのように……それはM・C・エッシャーの視覚的なトリックと異なり 複雑な感情の反応が示され……そして空間への参加がはじまる。そこには影のもつ陰性はなく ユーモアを含んだ一涼の風のようなさわやかさがある。影を陽性に転化させる演出は 家具・色彩・照明そして音楽である。逆に 壁面の影はブロック積みにした目的のため かえって現実感が出た。」(注4)
さて、話を《ランプ オバQ》に戻そう。マンガのキャラクターに因むタイトルは、石岡瑛子により命名されたが、フロアランプに付き物の脚がない「おばけ」のような外形は、やはり不安感を抱かせるかもしれない。ドレープのような笠は正方形の乳白色アクリル板を電気炉で軟化させ、ポール状のものに被せて垂れ下がるままに自然成形したものである。1972年3月に東京・千駄ヶ谷のギャラリー・フジエで披露されたときは、笠の頂点の形状が平らなものや丸いもの、尖ったもの等さまざまだったが、これは、ポールに載せる物体を正方形や円形、球形等、変化をつけたためである。後のヤマギワによる商品化の際、球形の頂点に統一された。
倉俣と親交のあった批評家の羽原粛郎によれば、《ランプ オバQ》の笠の自然成形のプロセスは、マルセル・デュシャンに触発されて発想された可能性がある。というのも、羽原が倉俣にデュシャンの《三つの停止原器》(1913-1914)についての話をした際、倉俣はそれを大変面白がり、直後に《ランプ オバQ》が構想されているからだ(注5)。《三つの停止原器》とは、デュシャンが3本の1メートルの帯を高さ1メートルの場所から落とし、空中でねじれて曲線となって床に着地した帯を、そのかたちが保たれた状態でカンヴァス布にニスで固定した作品である。これはデュシャンによれば、通常の原器であるメートル法に対する歪なメートル原器であり、デュシャン自身の言葉を借りれば「偶然によって、私の偶然によって得られる形」であった(注6)。
倉俣は1985年に《ランプ オバQ》に関して「自分の中に何故か造形することに対してシャイな感覚があり、布地やアクリルというような、自身が形を生む素材を選び、その中で生まれる偶然なものの形を硬化させて用いるくせがあります」と語っている(注7)。《ランプ オバQ》の発想にデュシャンの《三つの停止原器》が関係していることはほぼ間違いない。しかし、コンセプトがたとえ同じでも、倉俣の手にかかれば、コンセプチュアルアートではなく、あのような美しい光と化すのだ。小倉フォロンの「ISSEY MIYAKE」のためのインテリアもまた然りである。この光の前では、人間の本能的な不安感も理知的な発想も消え去ってしまう。それこそが、倉俣の世界なのだ。
(はしもと けいこ)
注1:1985年の福岡・小倉フォロンの「ISSEY MIYAKE」の図版は次を参照:Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013. Book 2: Catalogue of Works, p. 377.なお、ドレープ部分はジャージー布をFRP加工したもので、倉俣はこのドレープを1983年のパリ・サンジェルマンの 「ISSEY MIYAKE」のインテリアで初めて用いている。
注2:倉俣史朗「倉俣史朗 記憶と想像力の交点に生み出されるデザイン」『建築知識』1985年10月号、60頁。
注3:倉俣史朗、高松次郎「倉俣史朗の仕事と考え方」『商店建築』1969年8月号、86頁。
注4:倉俣史朗「サパークラブ カッサドール」『商店建築』1967年10月号、48頁。
注5:2007年10月31日に筆者が行った羽原粛郎との会話による。
注6:マルセル・デュシャン「私自身について」ミシェル・サヌイエ編『マルセル・デュシャン全著作』北山研二訳、未知谷、1995年、333頁。なお本訳書では「私の」に傍点がある。
注7:倉俣史朗「倉俣史朗 記憶と想像力の交点に生み出されるデザイン」60頁。
■橋本啓子
近畿大学建築学部准教授。慶應義塾大学文学部英米文学専攻、英国イースト・アングリア大学美術史音楽学部修士課程修了後、東京都現代美術館、兵庫県立近代美術館学芸員を務める。神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程において博士論文「倉俣史朗の主要デザインに関する研究」を執筆。以来、倉俣史朗を中心に日本の商環境デザインの歴史研究を行っている。神戸学院大学人文学部専任講師(2011-2016)を経て、2016年から現職。倉俣に関する共著に関康子、涌井彰子ほか編『21_21 DESIGN SIGHT 展覧会ブック 倉俣史朗とエットレ・ソットサス』東京:株式会社ADP、2010年(「倉俣クロニクル」執筆)、Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013(Book 2: Catalogue of Works全執筆)、埼玉県立美術館・平野到、大越久子、前山祐司編著『企画展図録 浮遊するデザイン―倉俣史朗とともに』東京:アートプラニング レイ、2013年(エッセイ「倉俣史朗と美術」執筆)など。
◆橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」は奇数月12日の更新です。
●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
浮遊するデザイン倉俣史朗とともに(埼玉県立近代美術館)ポスター2013年 オフセット
72.7x51.4cm
倉俣史朗 Shiro KURAMATAFloating Feather(白)
c.a. 2004
Acrylic
14.0×9.5×8.0cm
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