「シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の『シュール』」
東海林 洋(ポーラ美術館 学芸員)
現在、箱根・仙石原のポーラ美術館では、「シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の『シュール』」という展覧会を開催しています(4月5日まで)。2019年10月に各所で被害を出した台風19号の影響により、今なお箱根登山電車は不通のままですが、代わりに代替バスが箱根山内の主要な輸送を担うことで、交通網(ネットワーク)が多様化し、ポーラ美術館への経路が増えています。
さて、アンドレ・ブルトンの著書から引用したこの展覧会では、もちろん「美術」、特に「絵画」におけるシュルレアリスムを扱っているのですが、この展覧会を通して当時から現代における幅広い問題を照射する機会になりました。展覧会の構成と作品については、光栄にも土渕信彦氏にご紹介頂きましたので、こちらの記事をご参照ください。
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53411770.html
ここでは、以下の視点から内容を深く掘り進めていきたいと思います。
①シュルレアリスムとは何か
②日本における「超現実主義」
③今日の「シュール」
①シュルレアリスムとは何か

Photo by Ken Kato
20世紀最大の芸術運動のひとつであるにもかかわらず、「シュルレアリスム」は美術関係者のなかでさえ理解が進んでいるとは思えません。それはブルトンの文章の難解さだけではなく、彼らが活動をはじめた1919年から100年の間に多くの誤解や曲解、あるいは恣意的な歪曲によって「シュルレアリスム」そして「シュール」という言葉が実に多様な意味を含むようになっているからです。
改めてこの運動の動機に立ち返ってみましょう。1919年、ブルトンは第一次世界大戦の惨状を目の当たりにしたことが何よりも重要な出来事でした。フランスでは19世紀半ばから近代主義が加速し、理性に基づく科学を称揚することで鉄道を敷設し、巨大な橋を作り、エッフェル塔を建ててきました。それが人類の生活を良くすると信じていたからです。しかし、その帰結として資本主義と帝国主義によって第一次世界大戦という「合理的な大殺戮」が行われることに、ブルトンら若い世代が気づいたのです。理性では到達できない領域を「超現実(仏:surréal)」と名付け、オートマティスムという実験をはじめ、1924年には『シュルレアリスム宣言』を発表します。アンドレ・マッソンやマックス・エルンストが絵画によってシュルレアリスムの探究を進め、しだいに彼らは大きな芸術運動に発展していきました。
何よりもこの近代性を批判し、世界に新しい眼差しを注ぐことこそが、シュルレアリスムと他の芸術運動とを根本的に異質なものにしている点です。シュルレアリスムは芸術運動というより、「ものの見方」という方が近いのかもしれません。事実、ブルトンが1928年に刊行した『シュルレアリスムと絵画』は、「シュルレアリスム絵画とは何か」を説明するのではなく、幾人かの画家の作品のなかに「超現実」を見つける指南書のように書かれています。第一次世界大戦後のヨーロッパでは「秩序への回帰」という名のもとに万博やオリンピックが開かれ、かつて前衛芸術でしのぎを削った芸術家の多くが「復興バブル」に参画している時期です。1929年にはじまる世界恐慌というバブル崩壊によって、近代性の負の側面がさらに露呈し、反近代的なシュルレアリスムの影響力が増していきました。
②日本における超現実主義

Photo by Ken Kato
本来は思想や「ものの見方」であるにもかかわらず、日本においてシュルレアリスムを訳した「超現実主義」は、絵画の一様式として1930年代を通して流行しました。近代化を進める日本において、キュビスム、未来派等々に次ぐ最新の絵画様式として受け入れられたのです。シュルレアリスムが反近代的な運動であることを理解していた芸術家は少なかったと思います。このとき「超現実」という言葉が「非現実=幻想」のように受け入れられてしまったようです。
1932年に「巴里新興美術展」が開催され、日本でも欧米の最新の絵画が実物で見られるようになり、技法的な影響を三岸好太郎たちに与えました。瀧口修造がブルトンの著書を翻訳し、1930年に『超現実主義と絵画』として刊行していますが、第一次世界大戦という近代批判の機会を持たず、大正モダニズムというバブル景気を謳歌していた日本には、反近代という思考は理解しがたいものでした。しかし、グラッタージュやコラージュなど常識にとらわれない技法を通して、三岸や古賀春江は自分なりの「超現実」に目を向けることができたのかもしれません。
しかし、1937年に瀧口修造が山中散生とともに「海外超現実主義作品展」を開催する頃には、戦争の足音とともに近代性に不穏な陰りが見え始めていました。この時代の機運とともにシュルレアリスム運動は活気づいてきます。この時期の瀧口や福沢一郎の文章には、シュルレアリスムを禅や俳諧と結びつけて捉える言説が目立っています。国粋的な機運が漂う時代に検閲を逃れる目的もあったかもしれませんが、理性という概念すら覚束ない日本においてはシュルレアリスムを前近代的な思想や芸術と結びつけた方が理解を得やすいと判断したのではないかと考えられます。その影響か、1930年代の後半に北脇昇は、サルバドール・ダリの「ダブル・イメージ」を寄せ絵として独自に解釈したような《鳥獣曼荼羅》(1938年、名古屋市美術館)を制作しています。
既に多くの研究者が指摘しているとおり、日本における「超現実主義」は本来のシュルレアリスム運動とは同じものではありません。しかし1930年代を通して、はじめは表層的に移植された運動が、不安な時代の潮流とともに既存のものの見え方に疑問を呈する芸術へと歩みを進めていったことを見逃してはいけません。
③今日の「シュール」

Photo by Kato Ken
第二次世界大戦中に多くの亡命シュルレアリストを受け入れたアメリカで、その影響下に抽象表現主義が展開したように、日本で「超現実主義」を経験した画家たちが、戦後に抽象絵画への探究を進めました。例えば吉原治良の抽象の探究をたどると、シュルレアリスムの影響を受けた絵画から、物質的な技法の探究を経て、禅画を思わせる「円」へと到達します。戦前にマン・レイやモホイ・ナジのフォトグラムを応用した「フォトデッサン」を制作した瑛九は、戦後に「野生の状態の眼」を思わせる光彩を散りばめた抽象の絵画へと探究を進めていきました。日本における超現実主義の独特な展開をみると、その転換には断絶よりも連続をみることができます。
一方、芸術ではなく映画や漫画のなかでは、高度経済成長期を迎えた1960年代にはシュルレアリスムと響き合う表現が生み出されています。例えば成田亨の特撮映画のデザインや、つげ義春の漫画は、様々なイメージを組み合わせて新たな物語を紡ぐコラージュの手法を用いています。岡上淑子のコラージュのように、第一次世界大戦において近代性を省みる機会を持っていなかった日本では、第二次世界大戦の荒廃のなかからシュルレアリスムがはじまったといえます。
こんにち日本では「シュール」という語が、単なる「シュルレアリスム」でも、芸術の探究でもなく、現実離れした違和を生じさせる笑いや恐怖という感覚を示す、むしろ「デペイズマン」に近い意味で日本語に定着しています。1919年にブルトンの探究からはじまったシュルレアリスムは、100年後の日本までどのように変容していったのでしょうか。本展覧会は最後に「シュール」を思わせる現代美術家として束芋の作品を展示しています。彼女は特にシュルレアリスムからの影響を意識することなく探究を進めていますが、偶然性、アナグラム、個の否定というシュルレアリスムと問題意識を共有しているアーティストでもあります。その作品は直接ではないがゆえに、シュルレアリスムが100年後の今に投げかけた大きな問いかけに対する、ひとつの応答ともいうことができるでしょう。
本展を通して、シュルレアリスムと絵画との関係だけではなく、シュルレアリスムと我々との関係を考える機会となれば幸いです。

束芋《dolefullhouse》2007年
映像インスタレーション 6分21秒
Photo by Ken Kato
※私見では「シュール」という語は、1930年代に独立美術協会内で福沢一郎らと対立していた「フォーヴ」の対として定着したと考えています。1937年に「シュール」という言葉が使われている文献を確認していますが、これよりも先行する使用があればぜひご教示いただけますと幸いです。
(しょうじ よう)
■東海林 洋(しょうじ よう)
ポーラ美術館学芸員。1983年生まれ。2011年よりポーラ美術館に勤務。主な担当展覧会に「いろどる線とかたどる色」(2014)、「紙片の宇宙」(2014-2015)、「自然と都市」(2015)、「ピカソとシャガール 愛と平和の讃歌」(2016)、「ルドン ひらかれた夢―幻想の世紀末から現代へ」など。2020年4月5日(日)まで「シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の『シュール』」展が開催中。
●シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」
会期:2019年12月15日~2020年4月5日
会場:ポーラ美術館
住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
電話番号:0460-84-2111
開館時間:9:00~17:00 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:会期中無休
料金:大人 1800円 / 65歳以上 1600円 / 大学・高校生 1300円 / 中学生以下無料


フランスの詩人、アンドレ・ブルトンが中心となり推し進めた「シュルレアリスム」は、20世紀においてもっとも大きな影響を及ぼした芸術運動だ。これに賛同した思想家たちは、理性を中心とする近代的な考え方を批判し、精神分析学の影響を受けて無意識の世界を探究することで「超現実」という新たなリアリティを追い求めた。
日本においては、1928年にブルトンが発表した『シュルレアリスムと絵画』が、瀧口修造(1903~79)によって30年に日本語に翻訳されたため、30年代を通して「超現実主義」という訳語のもと最新の前衛美術のスタイルとして一大旋風を巻き起こした。こうした広がりのなかでシュルレアリスムは、第二次世界大戦へと向かう時代の閉塞感と響き合い、次第に現実離れした奇抜で幻想的な芸術として受け入れられていくようになった。
そして今回、シュルレアリスム運動からどのようにシュルレアリスム絵画が生まれたのか、シュルレアリスム誕生から日本における超現実主義の展開に焦点を当てる展覧会展覧会「シュルレアリスムと絵画」が、箱根のポーラ美術館で開催される。本展では、「偏執狂的=批判的」方法という独自の理論にもとづいて絵画を制作し、美術だけではなくファッション界をも巻き込む大きな流行を創出したサルバドール・ダリのほか、マックス・エルンスト、古賀春江、三岸好太郎、瑛九、吉原治良などの作品を見ることができる。会期は12月15日~2020年4月5日。
*画廊亭主敬白
まさかあのポーラ美術館に瑛九の作品が、それも100号の油彩大作をはじめ、フォトデッサン、コラージュ合わせて6点も展示されるなんて夢にも思いませんでした。企画者の東海林先生にその意図をぜひ書いて下さいとお願いしました。
時期を同じくして、東京都現代美術館ではオノサト・トシノブが32点も特別展示されています(2月16日まで。福原コレクション)。ときの忘れものがオノサトで出展するはずだったアートバーゼル香港の開催中止は痛恨の極みですが、二人のパトロンだった久保貞次郎先生は東京と箱根の展示をさぞかし喜んでいるでしょう。3月7日(土)に久保貞次郎の会とときの忘れものの共催で「ポーラ美術館に瑛九を観に行く小ツアー」を計画しています。詳細はお問合せください。
さて、明日からは久しぶりに名古屋へ。三年ぶりにART NAGOYA 2020 に出展します。
会期:2020年2月14日[金]―2月16日[日]
地元の葉栗剛さん、長崎美希さんが木彫の新作を出品するほか、松本竣介、難波田龍起、瑛九、オノサト・トシノブ、安藤忠雄、磯崎新、元永定正、北川民次などをご覧いただきます。ぜひご来場ください。
●今日のお勧め作品は、瑛九です。
瑛九 Q Ei
《花々》
1950年
油彩
45.5×38.2cm(F8)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年09月23日|土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート
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●箱根のポーラ美術館で開催中の《シュルレアリスムと美術 ダリ、エルンストと日本の「シュール」》展に瑛九の油彩、フォトデッサン、コラージュなど6点が展示されています(~4月5日)。
詳しくは1月4日の土渕信彦さんのレビューをお読みください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
東海林 洋(ポーラ美術館 学芸員)
現在、箱根・仙石原のポーラ美術館では、「シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の『シュール』」という展覧会を開催しています(4月5日まで)。2019年10月に各所で被害を出した台風19号の影響により、今なお箱根登山電車は不通のままですが、代わりに代替バスが箱根山内の主要な輸送を担うことで、交通網(ネットワーク)が多様化し、ポーラ美術館への経路が増えています。
さて、アンドレ・ブルトンの著書から引用したこの展覧会では、もちろん「美術」、特に「絵画」におけるシュルレアリスムを扱っているのですが、この展覧会を通して当時から現代における幅広い問題を照射する機会になりました。展覧会の構成と作品については、光栄にも土渕信彦氏にご紹介頂きましたので、こちらの記事をご参照ください。
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53411770.html
ここでは、以下の視点から内容を深く掘り進めていきたいと思います。
①シュルレアリスムとは何か
②日本における「超現実主義」
③今日の「シュール」
①シュルレアリスムとは何か

Photo by Ken Kato
20世紀最大の芸術運動のひとつであるにもかかわらず、「シュルレアリスム」は美術関係者のなかでさえ理解が進んでいるとは思えません。それはブルトンの文章の難解さだけではなく、彼らが活動をはじめた1919年から100年の間に多くの誤解や曲解、あるいは恣意的な歪曲によって「シュルレアリスム」そして「シュール」という言葉が実に多様な意味を含むようになっているからです。
改めてこの運動の動機に立ち返ってみましょう。1919年、ブルトンは第一次世界大戦の惨状を目の当たりにしたことが何よりも重要な出来事でした。フランスでは19世紀半ばから近代主義が加速し、理性に基づく科学を称揚することで鉄道を敷設し、巨大な橋を作り、エッフェル塔を建ててきました。それが人類の生活を良くすると信じていたからです。しかし、その帰結として資本主義と帝国主義によって第一次世界大戦という「合理的な大殺戮」が行われることに、ブルトンら若い世代が気づいたのです。理性では到達できない領域を「超現実(仏:surréal)」と名付け、オートマティスムという実験をはじめ、1924年には『シュルレアリスム宣言』を発表します。アンドレ・マッソンやマックス・エルンストが絵画によってシュルレアリスムの探究を進め、しだいに彼らは大きな芸術運動に発展していきました。
何よりもこの近代性を批判し、世界に新しい眼差しを注ぐことこそが、シュルレアリスムと他の芸術運動とを根本的に異質なものにしている点です。シュルレアリスムは芸術運動というより、「ものの見方」という方が近いのかもしれません。事実、ブルトンが1928年に刊行した『シュルレアリスムと絵画』は、「シュルレアリスム絵画とは何か」を説明するのではなく、幾人かの画家の作品のなかに「超現実」を見つける指南書のように書かれています。第一次世界大戦後のヨーロッパでは「秩序への回帰」という名のもとに万博やオリンピックが開かれ、かつて前衛芸術でしのぎを削った芸術家の多くが「復興バブル」に参画している時期です。1929年にはじまる世界恐慌というバブル崩壊によって、近代性の負の側面がさらに露呈し、反近代的なシュルレアリスムの影響力が増していきました。
②日本における超現実主義

Photo by Ken Kato
本来は思想や「ものの見方」であるにもかかわらず、日本においてシュルレアリスムを訳した「超現実主義」は、絵画の一様式として1930年代を通して流行しました。近代化を進める日本において、キュビスム、未来派等々に次ぐ最新の絵画様式として受け入れられたのです。シュルレアリスムが反近代的な運動であることを理解していた芸術家は少なかったと思います。このとき「超現実」という言葉が「非現実=幻想」のように受け入れられてしまったようです。
1932年に「巴里新興美術展」が開催され、日本でも欧米の最新の絵画が実物で見られるようになり、技法的な影響を三岸好太郎たちに与えました。瀧口修造がブルトンの著書を翻訳し、1930年に『超現実主義と絵画』として刊行していますが、第一次世界大戦という近代批判の機会を持たず、大正モダニズムというバブル景気を謳歌していた日本には、反近代という思考は理解しがたいものでした。しかし、グラッタージュやコラージュなど常識にとらわれない技法を通して、三岸や古賀春江は自分なりの「超現実」に目を向けることができたのかもしれません。
しかし、1937年に瀧口修造が山中散生とともに「海外超現実主義作品展」を開催する頃には、戦争の足音とともに近代性に不穏な陰りが見え始めていました。この時代の機運とともにシュルレアリスム運動は活気づいてきます。この時期の瀧口や福沢一郎の文章には、シュルレアリスムを禅や俳諧と結びつけて捉える言説が目立っています。国粋的な機運が漂う時代に検閲を逃れる目的もあったかもしれませんが、理性という概念すら覚束ない日本においてはシュルレアリスムを前近代的な思想や芸術と結びつけた方が理解を得やすいと判断したのではないかと考えられます。その影響か、1930年代の後半に北脇昇は、サルバドール・ダリの「ダブル・イメージ」を寄せ絵として独自に解釈したような《鳥獣曼荼羅》(1938年、名古屋市美術館)を制作しています。
既に多くの研究者が指摘しているとおり、日本における「超現実主義」は本来のシュルレアリスム運動とは同じものではありません。しかし1930年代を通して、はじめは表層的に移植された運動が、不安な時代の潮流とともに既存のものの見え方に疑問を呈する芸術へと歩みを進めていったことを見逃してはいけません。
③今日の「シュール」

Photo by Kato Ken
第二次世界大戦中に多くの亡命シュルレアリストを受け入れたアメリカで、その影響下に抽象表現主義が展開したように、日本で「超現実主義」を経験した画家たちが、戦後に抽象絵画への探究を進めました。例えば吉原治良の抽象の探究をたどると、シュルレアリスムの影響を受けた絵画から、物質的な技法の探究を経て、禅画を思わせる「円」へと到達します。戦前にマン・レイやモホイ・ナジのフォトグラムを応用した「フォトデッサン」を制作した瑛九は、戦後に「野生の状態の眼」を思わせる光彩を散りばめた抽象の絵画へと探究を進めていきました。日本における超現実主義の独特な展開をみると、その転換には断絶よりも連続をみることができます。
一方、芸術ではなく映画や漫画のなかでは、高度経済成長期を迎えた1960年代にはシュルレアリスムと響き合う表現が生み出されています。例えば成田亨の特撮映画のデザインや、つげ義春の漫画は、様々なイメージを組み合わせて新たな物語を紡ぐコラージュの手法を用いています。岡上淑子のコラージュのように、第一次世界大戦において近代性を省みる機会を持っていなかった日本では、第二次世界大戦の荒廃のなかからシュルレアリスムがはじまったといえます。
こんにち日本では「シュール」という語が、単なる「シュルレアリスム」でも、芸術の探究でもなく、現実離れした違和を生じさせる笑いや恐怖という感覚を示す、むしろ「デペイズマン」に近い意味で日本語に定着しています。1919年にブルトンの探究からはじまったシュルレアリスムは、100年後の日本までどのように変容していったのでしょうか。本展覧会は最後に「シュール」を思わせる現代美術家として束芋の作品を展示しています。彼女は特にシュルレアリスムからの影響を意識することなく探究を進めていますが、偶然性、アナグラム、個の否定というシュルレアリスムと問題意識を共有しているアーティストでもあります。その作品は直接ではないがゆえに、シュルレアリスムが100年後の今に投げかけた大きな問いかけに対する、ひとつの応答ともいうことができるでしょう。
本展を通して、シュルレアリスムと絵画との関係だけではなく、シュルレアリスムと我々との関係を考える機会となれば幸いです。

束芋《dolefullhouse》2007年
映像インスタレーション 6分21秒
Photo by Ken Kato
※私見では「シュール」という語は、1930年代に独立美術協会内で福沢一郎らと対立していた「フォーヴ」の対として定着したと考えています。1937年に「シュール」という言葉が使われている文献を確認していますが、これよりも先行する使用があればぜひご教示いただけますと幸いです。
(しょうじ よう)
■東海林 洋(しょうじ よう)
ポーラ美術館学芸員。1983年生まれ。2011年よりポーラ美術館に勤務。主な担当展覧会に「いろどる線とかたどる色」(2014)、「紙片の宇宙」(2014-2015)、「自然と都市」(2015)、「ピカソとシャガール 愛と平和の讃歌」(2016)、「ルドン ひらかれた夢―幻想の世紀末から現代へ」など。2020年4月5日(日)まで「シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の『シュール』」展が開催中。
●シュルレアリスムと絵画 ―ダリ、エルンストと日本の「シュール」
会期:2019年12月15日~2020年4月5日
会場:ポーラ美術館
住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
電話番号:0460-84-2111
開館時間:9:00~17:00 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:会期中無休
料金:大人 1800円 / 65歳以上 1600円 / 大学・高校生 1300円 / 中学生以下無料


フランスの詩人、アンドレ・ブルトンが中心となり推し進めた「シュルレアリスム」は、20世紀においてもっとも大きな影響を及ぼした芸術運動だ。これに賛同した思想家たちは、理性を中心とする近代的な考え方を批判し、精神分析学の影響を受けて無意識の世界を探究することで「超現実」という新たなリアリティを追い求めた。
日本においては、1928年にブルトンが発表した『シュルレアリスムと絵画』が、瀧口修造(1903~79)によって30年に日本語に翻訳されたため、30年代を通して「超現実主義」という訳語のもと最新の前衛美術のスタイルとして一大旋風を巻き起こした。こうした広がりのなかでシュルレアリスムは、第二次世界大戦へと向かう時代の閉塞感と響き合い、次第に現実離れした奇抜で幻想的な芸術として受け入れられていくようになった。
そして今回、シュルレアリスム運動からどのようにシュルレアリスム絵画が生まれたのか、シュルレアリスム誕生から日本における超現実主義の展開に焦点を当てる展覧会展覧会「シュルレアリスムと絵画」が、箱根のポーラ美術館で開催される。本展では、「偏執狂的=批判的」方法という独自の理論にもとづいて絵画を制作し、美術だけではなくファッション界をも巻き込む大きな流行を創出したサルバドール・ダリのほか、マックス・エルンスト、古賀春江、三岸好太郎、瑛九、吉原治良などの作品を見ることができる。会期は12月15日~2020年4月5日。
*画廊亭主敬白
まさかあのポーラ美術館に瑛九の作品が、それも100号の油彩大作をはじめ、フォトデッサン、コラージュ合わせて6点も展示されるなんて夢にも思いませんでした。企画者の東海林先生にその意図をぜひ書いて下さいとお願いしました。
時期を同じくして、東京都現代美術館ではオノサト・トシノブが32点も特別展示されています(2月16日まで。福原コレクション)。ときの忘れものがオノサトで出展するはずだったアートバーゼル香港の開催中止は痛恨の極みですが、二人のパトロンだった久保貞次郎先生は東京と箱根の展示をさぞかし喜んでいるでしょう。3月7日(土)に久保貞次郎の会とときの忘れものの共催で「ポーラ美術館に瑛九を観に行く小ツアー」を計画しています。詳細はお問合せください。
さて、明日からは久しぶりに名古屋へ。三年ぶりにART NAGOYA 2020 に出展します。
会期:2020年2月14日[金]―2月16日[日]地元の葉栗剛さん、長崎美希さんが木彫の新作を出品するほか、松本竣介、難波田龍起、瑛九、オノサト・トシノブ、安藤忠雄、磯崎新、元永定正、北川民次などをご覧いただきます。ぜひご来場ください。
●今日のお勧め作品は、瑛九です。
瑛九 Q Ei《花々》
1950年
油彩
45.5×38.2cm(F8)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年09月23日|土渕信彦「瀧口修造をもっと知るための五夜」第2夜レポート
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●箱根のポーラ美術館で開催中の《シュルレアリスムと美術 ダリ、エルンストと日本の「シュール」》展に瑛九の油彩、フォトデッサン、コラージュなど6点が展示されています(~4月5日)。
詳しくは1月4日の土渕信彦さんのレビューをお読みください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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