<6人きょうだいで決して裕福ではなかった家では、暴力が絶えませんでした。ささいなことで殴られ、怒鳴られるのではとびくびくしていました。唯一止まったのは「8時だョ!全員集合」のときでした。心安らげ、笑える時間をくれた志村さんにはとても、本当に、感謝しています。
だからいま、とても辛いです。何かできることがあればよかった。どこかでお礼を言いたかった。
(20200330/青木美希さんのfacebookより)>
<志村けんさんが亡くなって、とても悲しい。小学生のころ、「八時だよ!全員集合」を毎週それこそ家族全員が集合して楽しんでいた。ドリフターズを夢中になって観ていた。志村さんは、東村山とか、髭ダンスとか。毎回大笑いした。志村さんの思い出は、子供の頃の家族団欒の楽しい記憶と繋がっている。
笑うと免疫力があがるという。小さなころ病弱だった私が無事大人になれたのは、志村さんを観て、笑って、免疫力をあげたためかもしれない。そう思うと感謝したくなる。
昨今の状況で気が塞ぎがちなところ、必要なのは志村さんの笑いではないだろうか。どこかの局が、志村けん特集番組を作らないかしら。ユーチューブを観ればいいのか。そんな番組を観て、笑い転げるのは、この状況下で不謹慎だろうか。
いつも、いなくなって、その存在の大きさに気付く。
志村けんさん、こころよりご冥福をお祈りします。合掌。
(20200330/今村創平さんのfacebookより)>
なんということでしょうか。
あっという間に、コロナウイルスが人々から笑いを、安心を、日常を奪ってしまった。
ちょうど一年前の今日3月31日は ART BASEL HONG KONG 2019 の最終日でした。
右は100号の油彩大作「海の原型」(1958年)、左は油彩10号「黄色い朝」(1958年)




史上初、海外での瑛九個展は出品17点中、9点が売れ、スタッフたちの高揚感は今となっては夢のようです。
あれから一年、新型コロナウイルスの蔓延がなければ二度目のバーゼル香港でオノサト・トシノブ展でガンガンやっているはずでした(涙)。
アートフェアどころか、ギャラリーまで臨時休廊とせざるを得ず(お客様はもちろん、スタッフ全員の健康と安全を守る)、本日もスタッフたちは在宅勤務に勤しんでいます。
それぞれが担当の関係資料などを自宅に持ち帰り、いつもはガミガミとうるさい亭主から遠く離れて静かに机に向かっている(はず)。
国内販売担当のスタッフMはギャラリーの展示やネットで紹介する作家たちのレゾネ資料なども持ち帰り、猛勉強しているようです。
ということで、本日の
「一日限定! 破格の掘り出し物」は、スタッフMの調査結果をもとに、ときの忘れものが最も得意とする瑛九の稀少な銅版画をご紹介します(長文です、すいません)。
「最も得意」といいながら瑛九の版画(銅版、リトグラフ等)については長い間、このブログではまともに取り上げてきませんでした。その理由は20年も前に掲示板に書いた「瑛九について」をお読みいただきたいのですが、いまだにヤフオクなどに溢れる瑛九の銅版画後刷りの問題です。
油彩が数千万円から億、フォトデッサンが数百万円、リトグラフの名作「旅人」は恐らく200万円出しても買えるかどうかという内外の高い評価にもかかわらず、ひとり銅版画(後刷り)がいまだに1円だの千円スタートで売られている。市場で闘おうにも多勢に無勢、亭主の生きているうちは無理とあきらめて、ひたすら無視してきました(ほんとは心で泣いている)。
しかし、それでいいはずが無い。後刷りの功罪を冷静に論じて、「自刷り作品」の素晴らしさ、稀少性を伝える努力をそろそろ再開しないといけませんね。
当時(瑛九没後の後刷りがどのような状況で行われたか)を知る者として正確に瑛九の版画制作を伝えていかねばと考えています。
ごく大雑把にいうと、瑛九は1951年から1958年までの僅か8年の間に約350点の銅版を集中して制作しました。しかしほとんど売れませんでした。亡くなった(1960年3月10日没)直後に福井の支援者たち(主に学校の教師)がアトリエに入り全遺作をカウントします。銅版(エッチング作家自刷り)は605枚が残されていました。亭主は上述の「瑛九について」には<自刷り作品は最大各5部と試算しても1,750枚>と書きましたが、アトリエに遺されていた605枚から逆算すると、生前の作家自刷りは多くても千枚でしょう。
瑛九の没後、都夫人から銅版の提供を受け、大規模な後刷りが二回行われました。
最初の後刷りは1969~70年 に久保貞次郎先生が主導して比較的大判の代表作50種類を選び南天子画廊を版元として各限定50部(池田満寿夫刷り)を刊行しました。50種類×各50部=2,500部が市場に提供されたわけです。南天子版(又は池田刷り)と言われるこの2,500部は久保先生の見事な(販売)戦略によってまたたく間に市場に吸収され、これはヤフオクでも、他のオークションでもほとんど出てきません。
ここで止めておけばよかった・・・
二回目の後刷りは、林グラフィックプレス(版画工房)を主宰した林健夫さんが1974~1983年にかけて行いました。南天子版の50種類以外に都夫人の手元に残されていた原版 278点から各60部(一部は10部、または45部)後刷りしました。総数実に1万6千枚余!。
南天子版や、その他の後刷り(作品集などに挿入)を合わせると2万枚近くが市場に提供されたわけです。動機は瑛九への愛だったとしても半世紀近く経っても市場がそれを吸収できず、いまだに1円などという悲しむべき値段がついている、暴挙だったと言わざるを得ません。
現在の市場で瑛九の銅版画が安いのは瑛九の責任でもなければ、自刷り作品のせいでもありません。ひとえに大量に市場を漂っている瑛九本人はあずかり知らぬ万を超える後刷りのせいです。
いずれこの問題はちゃんと論じますが、
本日は「一日限定! 破格の掘り出し物」の名に恥じない作家自刷り作品を出品します。しかも上述の南天子版50種、林グラフィックプレス版278種の後刷りから幸運にも漏れてしまった「海」という作品です。つまり後刷り無し(正確にいうと、亭主の知らないものもあるかも知れませんので、99%後刷り無しと言っておきましょう)。
瑛九《海》(シート) 1955年 銅版(エッチング、作者自刷り) 10.7×6.2cm Ed.3
*裏に都夫人の署名あり
*都夫人が編集した《私家版の銅版画目録》(瑛九没後の1960年~1961年に制作された写真アルバム。229点収録、ただし重複あり)のNo.171に掲載されている作品。「限定3」と記述があります。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2017年07月24日|塩見允枝子のエッセイ「パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年」
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◆「春の画廊コレクション展」
新型コロナウィルスの感染防止のため、ただいま休廊中(アポイントメント制)。来廊をご希望の方は前日までにメールで予約してください。
◆ときの忘れものは「OIL by 美術手帖 オンライン・ビューイング」(4月5日まで)に参加しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●大阪・Nii Fine Artsで「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 刊行記念展」が開催されています。
会期:2020年3月27日―4月5日 11:00~19:00(日曜日 ~17:00) 会期中無休
●ときの忘れものは2017年6月に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
だからいま、とても辛いです。何かできることがあればよかった。どこかでお礼を言いたかった。
(20200330/青木美希さんのfacebookより)>
<志村けんさんが亡くなって、とても悲しい。小学生のころ、「八時だよ!全員集合」を毎週それこそ家族全員が集合して楽しんでいた。ドリフターズを夢中になって観ていた。志村さんは、東村山とか、髭ダンスとか。毎回大笑いした。志村さんの思い出は、子供の頃の家族団欒の楽しい記憶と繋がっている。
笑うと免疫力があがるという。小さなころ病弱だった私が無事大人になれたのは、志村さんを観て、笑って、免疫力をあげたためかもしれない。そう思うと感謝したくなる。
昨今の状況で気が塞ぎがちなところ、必要なのは志村さんの笑いではないだろうか。どこかの局が、志村けん特集番組を作らないかしら。ユーチューブを観ればいいのか。そんな番組を観て、笑い転げるのは、この状況下で不謹慎だろうか。
いつも、いなくなって、その存在の大きさに気付く。
志村けんさん、こころよりご冥福をお祈りします。合掌。
(20200330/今村創平さんのfacebookより)>
なんということでしょうか。
あっという間に、コロナウイルスが人々から笑いを、安心を、日常を奪ってしまった。
ちょうど一年前の今日3月31日は ART BASEL HONG KONG 2019 の最終日でした。
右は100号の油彩大作「海の原型」(1958年)、左は油彩10号「黄色い朝」(1958年)



史上初、海外での瑛九個展は出品17点中、9点が売れ、スタッフたちの高揚感は今となっては夢のようです。
あれから一年、新型コロナウイルスの蔓延がなければ二度目のバーゼル香港でオノサト・トシノブ展でガンガンやっているはずでした(涙)。
アートフェアどころか、ギャラリーまで臨時休廊とせざるを得ず(お客様はもちろん、スタッフ全員の健康と安全を守る)、本日もスタッフたちは在宅勤務に勤しんでいます。
それぞれが担当の関係資料などを自宅に持ち帰り、いつもはガミガミとうるさい亭主から遠く離れて静かに机に向かっている(はず)。
国内販売担当のスタッフMはギャラリーの展示やネットで紹介する作家たちのレゾネ資料なども持ち帰り、猛勉強しているようです。
ということで、本日の
「一日限定! 破格の掘り出し物」は、スタッフMの調査結果をもとに、ときの忘れものが最も得意とする瑛九の稀少な銅版画をご紹介します(長文です、すいません)。
「最も得意」といいながら瑛九の版画(銅版、リトグラフ等)については長い間、このブログではまともに取り上げてきませんでした。その理由は20年も前に掲示板に書いた「瑛九について」をお読みいただきたいのですが、いまだにヤフオクなどに溢れる瑛九の銅版画後刷りの問題です。
油彩が数千万円から億、フォトデッサンが数百万円、リトグラフの名作「旅人」は恐らく200万円出しても買えるかどうかという内外の高い評価にもかかわらず、ひとり銅版画(後刷り)がいまだに1円だの千円スタートで売られている。市場で闘おうにも多勢に無勢、亭主の生きているうちは無理とあきらめて、ひたすら無視してきました(ほんとは心で泣いている)。
しかし、それでいいはずが無い。後刷りの功罪を冷静に論じて、「自刷り作品」の素晴らしさ、稀少性を伝える努力をそろそろ再開しないといけませんね。
当時(瑛九没後の後刷りがどのような状況で行われたか)を知る者として正確に瑛九の版画制作を伝えていかねばと考えています。
ごく大雑把にいうと、瑛九は1951年から1958年までの僅か8年の間に約350点の銅版を集中して制作しました。しかしほとんど売れませんでした。亡くなった(1960年3月10日没)直後に福井の支援者たち(主に学校の教師)がアトリエに入り全遺作をカウントします。銅版(エッチング作家自刷り)は605枚が残されていました。亭主は上述の「瑛九について」には<自刷り作品は最大各5部と試算しても1,750枚>と書きましたが、アトリエに遺されていた605枚から逆算すると、生前の作家自刷りは多くても千枚でしょう。
瑛九の没後、都夫人から銅版の提供を受け、大規模な後刷りが二回行われました。
最初の後刷りは1969~70年 に久保貞次郎先生が主導して比較的大判の代表作50種類を選び南天子画廊を版元として各限定50部(池田満寿夫刷り)を刊行しました。50種類×各50部=2,500部が市場に提供されたわけです。南天子版(又は池田刷り)と言われるこの2,500部は久保先生の見事な(販売)戦略によってまたたく間に市場に吸収され、これはヤフオクでも、他のオークションでもほとんど出てきません。
ここで止めておけばよかった・・・
二回目の後刷りは、林グラフィックプレス(版画工房)を主宰した林健夫さんが1974~1983年にかけて行いました。南天子版の50種類以外に都夫人の手元に残されていた原版 278点から各60部(一部は10部、または45部)後刷りしました。総数実に1万6千枚余!。
南天子版や、その他の後刷り(作品集などに挿入)を合わせると2万枚近くが市場に提供されたわけです。動機は瑛九への愛だったとしても半世紀近く経っても市場がそれを吸収できず、いまだに1円などという悲しむべき値段がついている、暴挙だったと言わざるを得ません。
現在の市場で瑛九の銅版画が安いのは瑛九の責任でもなければ、自刷り作品のせいでもありません。ひとえに大量に市場を漂っている瑛九本人はあずかり知らぬ万を超える後刷りのせいです。
いずれこの問題はちゃんと論じますが、
本日は「一日限定! 破格の掘り出し物」の名に恥じない作家自刷り作品を出品します。しかも上述の南天子版50種、林グラフィックプレス版278種の後刷りから幸運にも漏れてしまった「海」という作品です。つまり後刷り無し(正確にいうと、亭主の知らないものもあるかも知れませんので、99%後刷り無しと言っておきましょう)。
瑛九《海》(シート) 1955年 銅版(エッチング、作者自刷り) 10.7×6.2cm Ed.3
*裏に都夫人の署名あり
*都夫人が編集した《私家版の銅版画目録》(瑛九没後の1960年~1961年に制作された写真アルバム。229点収録、ただし重複あり)のNo.171に掲載されている作品。「限定3」と記述があります。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2017年07月24日|塩見允枝子のエッセイ「パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年」
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◆「春の画廊コレクション展」
新型コロナウィルスの感染防止のため、ただいま休廊中(アポイントメント制)。来廊をご希望の方は前日までにメールで予約してください。
◆ときの忘れものは「OIL by 美術手帖 オンライン・ビューイング」(4月5日まで)に参加しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●大阪・Nii Fine Artsで「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 刊行記念展」が開催されています。
会期:2020年3月27日―4月5日 11:00~19:00(日曜日 ~17:00) 会期中無休
●ときの忘れものは2017年6月に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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