「わたしたちはどこにいるのか」
版画掌誌第5号より再録)

ジョナス・メカス

 フィラデルフィア芸術大学から大変に名誉ある賞を授かることになり、わたしはややためらいを感じました。そしてこんな自問自答をしたのです。
 わたしはだれだろう?わたしはまだたいしたことをしてはいない。わたしがしたいこと、わたしの夢、それもこれもすべてまだ先のことではないか。そう思って、いやと、考えなおしました。大学がこの賞をわたしに授与するのは、世間の人々の関心を前衛芸術に向けるためではないのか、と。この賞は、じつはわたし個人に与えられるものではない。この賞の本当の受け手は新しい映画であり、悲しみと恐怖に満ちた世界に美しさをもたらそうと、日々力を尽しているすべての前衛芸術家たちであるにちがいない。
 わたしたちのしていることは、本当のところ、なんなのだろう。わたしたちはどこにいるのか――アンダーグラウンドなのだろうか。それはいったい何を意味しているのか。これからわたしはこうした問いに答えてみようと思います。たとえ答えきれないまでも、わたしたちの仕事のもつ意味のいくつかを示す努力をしてみるつもりです。またその意味は、じつはわたしたち一人ひとりと身近に関わるものだと思います。
 まだ16か17のころのことですが、わたしもまだ理想に燃えていて、世界はわたしが
生きているあいだに変わるだろうと信じていました。過去の数世紀に起きた悲惨なできごと、戦争、そして人々の苦難について読みあさったりもしたものです。それでも、わたしは自分の目の黒いうちに、こうしたすべては変わるはずだと信じたのです。人間は進歩する、人間は善良であると信じて疑うことを知りませんでした。そうこうするうちに戦争が起こり、本で読んだことよりよほど信じがたい光景を実際に出会うことになりました。すべてを、この目で見たのです。子供たちの頭が銃剣で叩き潰されるのを目の当たりにしたこともあります。そして、そんなことをしているのは、わたしと同じ世代の人間たちだったのです。今日でも同じことが、ベェトナムで、わたしと同じ年頃の人々によって行なわれています。世界中で、わたしの世代の人間たちが、そういうことをし続けているのです。わたしが信じていたことはすべて、根底から揺らぎました。わたしの理想、そして人間の善良さ、進歩への確信、すべてが粉々に砕けてしまったのです。それでも、わたしはなんとか持ちこたえました。しかし、実際には、それまでのような無傷な心の持ち主ではなく、散々に傷ついた無数の破片がようやく一人の人間として形を保っている有り様だったのです。
 わたしの出発点はそこにあります。わたしはそこから、またそうした経験をもとにして、これまで生きてきました。すべて初めからやりなおさなくてはいけない、そう感じました。信じられるものは何ひとつなく、希望も残されてはいませんでした。少しずつ、ばらばらになった自分を取り戻してゆかなければならなかったのです。そしてニューヨークにやってきて、わたしとまったく同じ気持ちを抱く人々と出会いましたが、それが少しも意外とは感じられませんでした。詩人、映画作家、そして画家たちがいました。だれもが傷つき引き裂かれたまま、街を彷徨っていたのです。もう失うものはなにもない。だれもがそう感じていました。文明化された自分たちの社会から受け継いだものに、何ひとつと言っていいほど護るに値するものはなかったのです。まず自分たちの身から汚れを落とそうではないか。わたしたちはそのように感じました。わたしたちを引きずりおろそうとするすべてのもの、恐怖や嘘、そしてエゴなどを徹底して拭いさろうではないか。ビート・ジェネレーションは、こうした鬱々とした気分から生まれたものです。鬱屈を背景に霊的なものを求めようとしたのです。こうした禊のためなら、どのような代償でも大きすぎることはない、どんなにきまりの悪い思いにも耐えられる、そう思いました。笑いたければ笑えばいい、みすぼらしい恰好を笑えばいい。髭面に唾を吐きかけられてもかまわない。すべてをなくしたとしても――いまでもまだ、すべてを払いのけたあとに置くべきものを何ひとつもたない仲間もいます――そのままでいることはできない。現在を拭いさるだけではなく、麻薬体験や瞑想によって数世代をさかのぼり、エゴや不信感、疑心、競争心、利己心を根だやしにしなければならない。そうすることによって、もし美しいもの、汚れなきものがあるのなら、それらがわたしたちの内に清められた場所を見出し、育ってゆくだろう。苦痛に満ちた探求でしたし、今でもそれは変わりありません。手探りで前に進みはじめたばかりですし、その過程で傷つき倒れた人々も数しれません。わたしたちは今、キリスト教の時代の劇的な終幕に立会い、新しい時代――わたしたちはこれをアクエリアスの時代と呼ぼうとしています――の誕生を迎えようとしており、精神は激しく動揺しているのに、それを鎮める術さえないことも多いのです。とは言いながら、今日ではアメリカの各地に、世界各地に仲間がいるので、いくらか助けられてもいます。わたしたちは訪問しあい、互いによくわかりあっています。自分たちが新しい時代を旅する開拓者であることに、気づいているのです。わたしたちは過渡期の世代と呼べるでしょう。わたしたちの、そしてあなたたちの世代の特徴は、なにより旅をすることにあります。大陸のこちら側から向こう側へ、サンフランシスコとニューヨークのあいだを、そしてインドとメキシコのあいだを絶え間なく求めつつ、行き来してきました。またサイケデリックな体験やヨガの習練、そして菜食などを通じて内面的な旅も続けています。コロンブス以来、現在のアメリカに暮らすふたつの世代ほどに、多くの旅をしたものはいないはずです。
 これまでにもむろん旅をした世代はありました。しかし、かれらの旅はつねに征服者としてのものだったのです。他人を征服し、自分たちの生き方を教えるために旅をしたのです。親の世代は今でも、征服者としてヴェトナムを旅しています。そう、かれらだって旅はするけれども、その旅、そして征服は、今のわたしたちの目にはなんとも無益で、現実離れしたものにしか映りません。わたしたちは旅をしながら、一度は砕けた知識、愛、希望、そして古い時代を拾い集めているであって、わたしたちが求めているのは親の叡知ではなく、母の叡知でもなく、地球や星々、そして人類と同じように古い叡知なのですから。それは霊的で永遠の命をもつものであり、わたしたちはそうやって少しずつばらばらになった自分たちを取り戻そうとしているのです。わたしたちには、他人に与えるものは何もありません。ただ、愛と暖かい心と叡知の注がれたものを、それがどれほど些細なものであれ、受けとめるだけなのです。
 映画では、こうした探究はこれまでのあらゆる職業的、商業的な価値観、約束事、主題、技術、そして自惚れを捨てることに表れています。わたしたちはこう考えます。わたしたちは人間が何かを知らない。わたしたちは映画が何かも知らない。だから、なんでも受け入れようではないか。どんな方向でも試してみよう。何でも受け入れ、何にでも耳を傾け、ほんのわずかの合図でどの方向にでも進む準備をととのえておこう。たとえば疲労困憊して、神経が楽器の弦のようにはりつめた人のように、自分自身の力をほとんどなくしたかのように、新しく到来しようとする時代の神秘の風に吹かれ、玩ばれながら、ほんのわずかの動きや呼びかけ、そして合図を待って、わたしたちを引きずりおろそうとする網から逃れ、どんな方角にでも進んでみようではないか。母の叡知だって!既存の体制には決してからめとられることのないように。そんなものはいずれ滅びるだろうし、その時にはわたしたちも一緒にひきずって行こうとするにちがいない。太陽こそが、わたしたちの向かう方角だ。美こそがわたしたちのめざすものだ。金ではなく、成功でもなく、安逸でもなければ身の安全でもなく、自分たちの幸せでさえない。めざすものはわたしたち皆が一緒に幸せになることだ。
DSCF0963
 わたしたちはあれこれに抗議し、プラカードを手にデモ行進をしたものです。今ではわたしたちも、世界を、つまり自分以外の人々をより良くしようとするのなら、まず自分たちが良くならなければならないということ、自分自身の美点を通じてのみ、自分以外の人々を美しくできるということを理解しています。わたしたちの仕事、わたしたちにとって一番大切な仕事は、ですからわたしたち自身ということになります。今ある暮しの秩序にたいする抗議、批判は、わたしたち自身の存在をより大きなものにすることによってしか実現しないのです。わたしたち自身がすべてを計る物差しにならなければなりません。わたしたちが創りだすものの美しさ、わたしたちのアートの美しさは、わたしたち自身の、そしてわたしたちの精神の美しさに比例するものでしょう。
 なぜわたしたちはいつまでたってもちっぽけなアンダーグラウンド映画を撮っているのか、なぜホーム・ムービーのことばかり話しているのか、あなたがたはときどき不思議に思うのではないでしょうか。そしてときには、近いうちに事情が変わればいい、と考えることもあるでしょう。そのうち連中も大作映画をつくるようになるだろうから、それまでちょっと待ってみよう、そんな気持ちではありませんか。でも、わたしたちはこう答えるでしょう。それは誤解ですよ、とね。わたしたちは、本物の映画をつくっているのです。わたしたちのしていることは、人間の魂の奥深いところにある欲求にしたがうものなのです。人間は自分の外で自分をいたずらに費やしてきました。人間は自己の投影のなかに、自分を見失ってしまったのです。わたしたちは人間を、その人の小さな部屋に、家庭に連れもどしたいのです。人間に、家庭というものがあることを思い出させたいのです。ときには独りきりにもなれるし、限られた数の愛しい身近な人々だけと時を過ごし、自分の魂と向きあえる家庭があることを。ホーム・ムービーの意味するところ、わたしたちのつくる映画の私的な視点が意味するのはそこなのです。この地球をわたしたちのホーム・ムービーでうめつくしたいのです。わたしたちの映画は、わたしたちの心から出たものです。ハリウッド映画のことではありませんよ。わたしたちがつくるちっぽけな映画のことです。それはわたしたちの脈搏、心臓の鼓動、目、そして指紋の延長です。その動き、光の使い方、イメージのどれをとっても、こよなく私的で、野心的なところはかけらほどもありません。わたしたちはこの地球を、わたしたちの映画のフレームで満たし、暖めてやりたいのです。そうすれば、いつか地球が動きだすときがくるでしょう。身の周りの草々を写し、汚れた都会の鏡となり、日々の暮らしの闇を写しつづけることもできるのです。でもその仕事ならすでにやり終えました。過去数10年の芸術は苦痛に満ちたものでした。いわゆるモダン・アートの時代は、終焉しようとする文明の、キリスト教の時代の痛み以外のなにものでもなかったのです。わたしたちは今、自分自身の心の、そして星回りの奥底に潜む深い悦びを見つめ、求めつつ、それを地上に引き下ろし、その悦びがわたしたちの都会を、貌つきを、身体の動きを、声を、そして魂を変えてくれるように願っています。わたしたちは輝かしい光の芸術を求めているのです。わたしたちの作品からは、これからますます豊かな輝かしい色彩が、そして天上の音楽が流れでることでしょう。筆痕はこれまでにないエネルギーに満ち、わたしたちのエゴを表現しようとしたり、自分を「アーティスト」として売り出そうなどとはせず(もうそんなことは過去のことになりました。すでに遠い、遠い過去のできごとです)、天上の囁きを地上に呼びおろし、霊妙なそよかぜの奏でる楽器として、その弦として響かせようとするのです。またわたしたち自身の個性などは無に等しいものになるでしょう。今、国中でこうしたことが起こりつつあります。謙虚な、無名のアーティストたちが、遠い地方から、各地から、修行の旅の途上にある僧侶のように、立ち寄った町で天上から持ちかえった光明の片鱗をしめしながら、集まりつつあります。今、わたしたちはルネサンスを、魂のルネサンスを体験しつつあるのです。そしてこの新しい時代は、アーティストを通じて時代の声、時代の想像力をわたしたちに伝えようとしています。アーティストの直観を通じて、永遠はわたしたちに語りかけ、新しい知識、新しい感覚をわたしたちに与えるのです。ですから、わたしたちの芸術にむかって心を開こうではありませんか。この新たな芸術、そしてアーティストとしてのわたしたちが手がけた仕事に心を開きましょう。今は自らを卑下したりする時ではありません。このうえなく美しい唄を歌うときなのです。
 さきほどわたしは戦争が終わったあとに感じた幻滅についてお話ししました。わたしは今にわかに、長い時を経たのち初めて、ばらばらだった自分がひとつのものにまとまりつつあると感じています。わたしは心を開き、感覚のすべてを動員し、目を凝らし、耳を澄まして聞いています。新しい人間が誕生しつつあるその音が聞こえ、その様が見えるのです。15年間の幻滅の末に、ゆっくりと、この何ヵ月かをかけて、ふたたび人間に対する信頼、信用をとりもどすことができました。この世代こそ、恐怖から光明に導く橋を架けるのだと、わたしにははっきりとわかります。あなたがたが、そしてわたし、わたしたちは、無数に砕けた苦しみの破片であり、今それが、美しい歌となってひとつに結ばれようとしています。それはまるでまったく新しい人類が地上に生まれ出ようとしているかのようでもあります。バーズというロックのグループが、手にした金で何をしているか、あなたがたは知っていますか。大きな看板をつくって、それをカリフォルニアの道路沿いに立てているのです。その看板には、ただ「愛」とだけ書いてあります。親たちはこう言うでしょう。そんなことは馬鹿げている。金があるのなら銀行に貯金しなさい。違いはそこにあるのです。わたしが言いたいのはそのことです。1966年の真夏の今日、わたしたちが立っているのはそうした地点なのです。
(1966年6月)

*画廊亭主敬白
暴風と豪雨の台風10号、宮崎などの被害の拡大が心配です。被災された皆様には心よりお見舞いもうしあげます。

コロナウイルス禍に加え、連日の暑さで訪れる人もないのではと思って蓋を開けた「ジョナス・メカス展」ですが、予約のお電話、メールがたえません。先週末の土曜などは30分刻みの予約調整となりました。久しぶりに飯村隆彦先生、昭子先生がご夫婦でいらしてくださったのも嬉しいことでした。
会期も今週末までの残り5日となりました。観覧ご希望の方はお早めにご予約ください。
本日掲載したメカスさんの「わたしたちはどこにいるのか」は、2005年10月の4回目の来日時に刊行した『版画掌誌ときの忘れもの 第5号 』に寄稿していただいたもので、単行本未収録だった1966年の講演録です。
メカスさんの写真作品はほとんどが数部しかプリントされませんでしたが、版画掌誌第5号に挿入した二点のみは、限定15部と20部プリントしたので、今となっては破格のお値段で購入できる作品です。残り少なくなってきましたので、お早めにご注文ください。内容の詳細は、9月6日ブログをご参照ください
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 
A版ーB : 限定20部
B版 : 限定35部
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから


『ジョナス・メカス―ノート、対話、映画』表紙ジョナス・メカス ノート、対話、映画
著者:ジョナス・メカス
訳:木下哲夫
編:森國次郎
2012年  せりか書房 発行
21.0x15.0cm  333P
1949年、肌寒いニューヨーク港に難民として降り立ったジョナス・メカス。入手したボレックスでニューヨークを、友人たちを、自らを撮り続けてきたメカスが語る、リトアニアへの想い、日記映画とニューヨークのアヴァンギャルド、フィルム・アーカイヴスの誕生…「ここに集められた文章は、どれも思い出であり、わたしの人生の一部である」。
主要作品のメカス自身による解説とコメンタリーを収録。
ときの忘れもので扱っています(メカスさんの自筆カード付は完売しました)。
価格:5,170円(税込み) 送料:520円



●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
07ジョナス・メカス「セルフポートレート、1967」
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから


「ジョナス・メカス展」を開催中です(予約制/WEB展)。
会期=2020年8月28日[金]―9月12日[土]*日・月・祝日休廊

メカス展DM
昨2019年1月23日に96歳で亡くなったジョナス・メカスさんが1980年代から精力的に取り組んだ<フローズン・フィルム・フレームズ=静止した映画>シリーズに焦点をあて写真、版画など25点を展観します。出品作品の詳細は8月27日ブログに掲載しました
※予約制にてご来廊いただける日時は、火曜~土曜の平日12:00~18:00となります。
※観覧をご希望の方は前日までにメール、電話にてご予約ください。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。