版の音律―内間安瑆の世界

水沢 勉(2001年執筆)

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 内間安瑆が最後に辿り着いた世界は、一度、それに抱かれると忘れることの出来ない性格のものだ。色彩の波動がたえまなく打ち寄せてくる。きわめて周到な技術的な水準に裏づけられていなければ、この秩序は、簡単に失われてしまうだろう。しかし、そこに理知の冷たさはない。神秘めかしたごまかしもいっさいない。僕たちが静かな海辺に佇み、あるいは、微風の通う森のなかを散策するときと同じような安心感がそこにはある。よほど版そのもののなかに宿っているはずの自然の要諦に通じていなければ、人為と自然の境界を無化してしまうような、この表現の高みには到達できない。
 たとえば、不幸にも早く訪れてしまった晩年の《Forest Byobu(Twilight Weave)A》(1981年)や《Forest Weave(Bathers-Two-Cobalt)》(1982年)といった作品を目の前にすると、僕は、そうつぶやかざるをえない。とくに、後者に関連する小さな水彩画を見たときの印象は忘れがたいものだった。キュビズムの対象を切り子状に分解する手法を、巧みにロベール・ドローネーのオルフィスムとブレンドし、そこに作者鍾愛の裸婦のモチーフを組み入れる。アウグスト・マッケもほぼ70年前に試みていたことを、内間は、より華やかな、しかし、決して軽薄にはならない色彩の祝祭のなかで、独自に改めて挑んでいた。この色彩の至福感は、いつでもどこか悲劇的な感情に彩られているマッケ、フランツ・マルク、パウル・クレーのドイツ的世界とは異質であり、やはり、ジョン・マリンの色彩の楽観性に通じるアメリカの風土が育む性格ものではないか、と僕はかつて書いたことがある。そして、その水彩で慎重に計量された、光としての効果を充分に取り入れた色彩の分配が、木版へと置換される。そのとき、画家は、水彩から失われるもの、そして、木版だからこそ、あたかも恩寵のようにあたえられるもの、という造形の贈与の機微を楽しげに(作業そのものは非常な困苦を伴うにしても)観察し、創作しているように思えたのだった。
 しかし、いま、もう一度、内間の作品にまとめて接してみると、その魅惑もまた翳りのなかにあることを知らされるのだ。もちろん、この画家のなまなかでないダンディズムは、直接的な個人の感情の吐露をかたくなに拒んでいる。良い意味でのスタイルがすべてにあたえられている。文学的修辞に過ぎるのを承知で書くならば、表向きにはけっしてひとに見せない背中の表情のようなものをこのひとは気にさせるのだ。それは、ひどく人前では陽気なひとが、家庭にとても深刻な問題を抱えていることがよくあるというような個別の事情ではない。より人間一般にどこか通じている普遍的な性格の影がそこには投げかけられている。その孤独を知ることが、逆説的なことに、知った人間の孤独を慰めてくれるという、ひとであれば拭うことのできない運命めいた影。その悲哀が、内間晩年作の色彩の祝祭にそっとまぎれこんでいる。そして、それこそが内間安瑆が特別に優れた表現者に成熟したことの証しでもあるのだ。
 「最後に、いかなる地理的な伝統によってではなく、人間としての真の個性と自身の時代を反映しつつ、自分自身にたいして真実であることによって、本物であると認められるようなものが残るだろう。時代は幾たびも変わってきた。しかし、いつも違っていた、という以上の違いがあっただろうか」とイサム・ノグチは、内間に触れつつ、問いかけている。時代は変わったように見えても、じつはそれほど変わってはいない。人間を隔てる地理的な境界も文化的な境界も確固として存在するように見えるが、本当にそうなのだろうか。「ウチマはこうした問題をまさに体現している。かれは、アメリカ人であるから、よりいっそう日本人なのだろうか。それとも、日本人であるから、よりいっそうアメリカ人なのだろうか。いや、日本人であるからより日本人であり、アメリカ人であるからよりアメリカ人なのだろうか。私は、日米というふたつの世界の狭間で捉えられたその人の内的な質をこそ称揚したい。相互性という難題にぶち当たり、その解決を追求するかれを私は高く評価するものである」。
 1955年。木版画に本格的に取り組むようになってからわずか数年後に、イサム・ノグチは、みずからと同じ日系アメリカ人アーティストとしての内間安瑆の姿勢を、まるで自分自身を語るかのように、鋭く見抜いてこのように書いた。しかし、これは、同時に大変に厳しい要請でもあったはずだ。折からの日本での木版画を中心とする版画ブーム、そして、アメリカでの抽象表現主義の猖獗。「ふたつの世界の狭間」にいる画家には、安易なジャポニズムと抽象表現の混淆も可能であったかもしれない。この木版画を主要な表現手段に選んでからアメリカにデモクラートの画家でもあった妻内間俊子と1959年に戻るまでの画家の歩みには、イサムと戦後日本との関係などと照らしながら、精密に分析するのに値する重要な問題が数多く含まれている。すでに1957年の時点で、小野忠重は、安易な日本的なモチーフと、無内容な抽象表現を徹底に批判する立場を鮮明にしたうえで、内間安瑆の木版画《カリグラフィ》に触れながら、「この二世作家は日本で版画を知ったというがかよわい「日本的」モチーフにとらわれる現代版画の疾患から完全に脱却することができて緊張した構造をつくりつつあるのを注意した」(「今日の版画」『三彩』4月号、第86号、1957年、25ページ)と書いて、デビューまもない版画家の位置を早くも正当に評価している。
 「ふたつの世界の狭間」に身を置くことは、ふたつをつなぐ架け橋になる、というような楽観を許さなかったに違いない。むしろ、「狭間」に引き裂かれ、自分の根拠をともすれば見失いかねない、持続的に危険な状態に画家はあったのではなかろうか。だからこそ、「内的な質」にどこまでもこだわらなければならなかったはずである。それは、アンセイの場合も、イサムの場合も、基本的に変わりない。さらに突き詰めるならば、表現者であれば、どのような条件下にあろうと、結局はその一点によってすべては決定されてしまうのではなかろうか。この酷薄な事実を直視しなければ、表現を試みる人間に自由はなく、いつまでもみずからにあたえられたネガティヴな条件のなかに跼蹐せざるをえない。
 《Forest Byobu(Twilight Weave)A》(1981年)の、画家のいう「色面織り」の前にもう一度佇んでみる。江戸以来の木版画の技法、とりわけ微妙なボカシの技法によって、穏やかな水彩絵具の色彩が、浅い空間のなかに浮遊するかのように揺らいでいる。薄く紗がかかっているような、森の水気の感覚が、深く息づく。視覚も、触覚も、まるで無駄な力を抜かれ、やさしく揉み解されたように、心底くつろいでしまう。自由、というものはこういうものかもしれない、とふと思う。しかし、この極上の版の音律も、おそらく誰にもまして厳しい条件下で執拗に追及された果てに、生まれ出たものであることも忘れてはならないだろう。そこに辿り着くまでの軌跡そのものもまた、この稀なる版画家が僕たちに残してくれたかけがえのない表現行為なのである。

イサム・ノグチの言葉は、“ANSEI UCHIMA: PAINTINGS AND WORKS ON PAPER, Associated American Artists, 1997, New York”から引用し翻訳いたしました(筆者記)。
みずさわつとむ

版画掌誌『ときの忘れもの 第4号 北郷悟/内間安瑆』より再録

水沢勉
1952年横浜市生まれ。美術評論家・キュレーター、神奈川県立近代美術館館長。
慶應義塾大学美学美術史学科卒業。 1978年慶應義塾大学大学院修士課程修了後、神奈川県立近代美術館学芸員として勤務。 2008年横浜トリエンナーレ2008の総合ディレクター。 2011年神奈川近美館長。ドイツ語圏および日本の近現代美術に関心を抱き、その交流史についても論じる。著書に『この終わりのときにも 世紀末美術と現代』(思潮社、1989年)。

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*画廊亭主敬白
YouTube拝見しました。とても素敵でした。ナレーションもよかったです。ありそうでない雰囲気を感じました。室内のデザインが、セツモードセミナーと似てて懐かしかったです。いい番組を、ありがとうございました。(20210113/Tさんからのメールより)>

 2021年幕開けの企画として開催した「第2回エディション展/版画掌誌ときの忘れもの」は昨日終了しましたが、コロナウイルス感染の拡大で、ほぼ開店休業状態でした。WEB展をご覧になった方からのお問い合わせやご注文をいただき、スタッフ一同胸をなでおろしています。
映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也

『版画掌誌 ときの忘れもの』 は優れた同時代作家の紹介と、歴史の彼方に忘れ去られた作品の発掘を目指し創刊したオリジナル版画入り大型美術誌です。第1号~第5号の概要は1月6日ブログをご覧ください。
展覧会は終了しましたが、今月末までは引き続き全5号の紹介をしてまいります。

●本日のお勧め作品は『版画掌誌ときの忘れもの 第4号 北郷悟/内間安瑆です。
テラコッタによる人物表現で現代の具象彫刻を先導する北郷悟(b.1953)と、伝統木版にモダンな色彩感覚を吹き込み、アメリカ美術界に確固たる地位を築いた内間安瑆(1921-2000)を特集。
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2001年刊行、B4型変形(32×26cm)、綴じ無し、表紙/箔押・シルクスクリーン刷り、本文/24頁、限定135部
執筆=三上豊(和光大学)、水沢勉(神奈川県立近代美術館)
A版 (限定35部)
北郷悟の銅版《予感》《時代―遠い山》《くり返される呼吸-日常》3点+内間安瑆の木版《Forest Byobu with Bouquet》と銅版《Rose One(B)》計5点。 
B版(限定100部)
北郷悟の銅版《くり返される呼吸-日常》+内間安瑆の銅版銅版《Rose One(B)》計2点。
●挿入作品
Forest Byobu with Bouquet内間安瑆 UCHIMA Ansei
"Forest Byobu with Bouquet"

原版制作1979年(2001年後刷り)
木版
イメージサイズ:19.7×26.5cm
シートサイズ:24.0×31.4cm
Ed.35(初版の作家自刷りはEd.30)
作家印を捺し、限定版号を記入
※『版画掌誌ときの忘れもの』第4号A版に挿入

Rose One (B)内間安瑆 UCHIMA Ansei
"Rose One (B)"

原版制作1982年(2001年後刷り)
エッチング
11.7×9.0cm
Ed.135(初版の作家自刷りはEd.10)
作家印を捺し、限定版号を記入
※『版画掌誌ときの忘れもの』第4号A・B版に挿入
モランディの銅版画を思わせるハッチング技法による作品を内間先生は制作されていました。「細かい平行線を引く」ことによって作品に奥行きと重厚感を与えることができる技法として知られています。

予感北郷悟 KITAGO Satoru
《予感》

2001年
ソフトグランドエッチング
20.0×15.0cm
Ed.35
サインあり
※『版画掌誌ときの忘れもの』第4号A版に挿入

時代-遠い山北郷悟 KITAGO Satoru
《時代-遠い山》

2001年
リフトグランドエッチング
14.0×18.0cm
Ed.35
サインあり
※『版画掌誌ときの忘れもの』第4号A版に挿入

くりかえされる呼吸-日常北郷悟 KITAGO Satoru
《くりかえされる呼吸-日常》

2001年
ディープエッチング
20.0×15.0cm
Ed.135
サインあり
※『版画掌誌ときの忘れもの』第4号A・B版に挿入

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「一日限定! 破格の掘り出し物」開催のお知らせ
新型コロナウイルスの感染の勢いが止まりません。
お客様とスタッフの安全を考えれば画廊での対面での営業が難しいのは致し方ありません。
当分予約制を続行し、スタッフは在宅勤務と交代で出勤しており、メールや電話でのお問合せには通常通り、対応いたしますが少々お時間をいただく場合があります。どうぞご理解ください。
昨春3月に臨時休廊に追い込まれたとき、初の試みとして(苦肉の策でしたが)ブログを通じて珍しい作品を出品し「一日限定! 破格の掘り出し物」を開催しました。
幸い好評で、スタッフたちは常連のお客様や新たなお客様との対話を通じて、美術とは何かを考える時間をつくることができました。
まさか昨年より深刻な事態になるとは予想していませんでしたが、今回は前回にも増して画廊コレクションから「選りすぐりの佳品」を「破格の値段」にてご案内します。
1月27日から15日間、ブログで「一日限定! 破格の掘り出し物」を開催します。
出品は、靉嘔、畦地梅太郎、磯辺行久、植松奎二、宇佐美圭司、内間安瑆、瑛九、榎倉康二、岡崎和郎、オノサト・トシノブ、恩地孝四郎、川上澄生、斎藤義重、笹島喜平、白髪一雄、菅木志雄、鈴木信太郎、関根伸夫、田名網敬一、難波田龍起、松本竣介、南桂子、山村耕花、横尾忠則、アンディ・ウォーホル、ヨーゼフ・ボイス、ジョアン・ミロ、クリスト、サム・フランシス、キース・ヘリングなどを予定しています。一日限りの破格の掘り出し物です、どうぞお見逃しなく。

塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第2回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
AAA_0693塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。12月28日には第2回目の特別頒布会も開催しています。お気軽にお問い合わせください。

●多事多難だった昨年ですが(2020年の回顧はコチラをご覧ください)、今年も画廊空間とネット空間を往還しながら様々な企画を発信していきます。ブログは今年も年中無休です(昨年の執筆者50人をご紹介しました)。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。
もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
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