<今日は会社に出かけてきたので帰りに駒込を廻ってときの忘れものに立ち寄る。現在開催中なのはこちらで不定期開催している銀塩写真のコレクション展。
今年のテーマは20世紀の肖像ということで、表現者たち(ピカソ、アンドレ・ブルトン、A.ヘップバーン、A.ウォーホル、ブランクーシ、三島由紀夫、イサム・ノグチ、黒澤明、他)の写真を8人の写真家が撮影した作品が並んでいる。そういう趣向だけあり、銀塩写真のねっとりした質感、写真としての構図やピントなど写真としての完成度、そして被写体そのものの魅力という複数の魅力が絡み合ってとても興味深い。でもやっぱりボブ・ウィロビーのハリウッド女優の写真が一番目を惹くなぁ。
コンクリート打ちっぱなしのギャラリーの内装とも良くマッチして、最高に素敵な展示。写真が好きな人には絶対にお勧め。
(20210225/林光一郎さんのブログ「Luv Pop TYO (Pop U NYC跡地)」より)>
<『銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像』
@ときの忘れもの
8人の写真家たちが撮った20世紀を代表する優れた表現者たちのポートレイト展
元は個人の邸宅だったギャラリー
スタッフの方も素晴らしい拍手
会期は3月6日まで
(20210226/mari♛さんのtwitterより)>
<>RT
(このまえ、「ときの忘れもの」様がこの、後頭部☆写真を載せたはがきを送って下さった。ありがたく本のしおりにしている)
(20210217/6dtsさんのtwitterより)>
<こちらの堀江敏幸さんの文章のきらめきがすごかった。倉俣史朗の素晴らしさを自分なりに言語化するのは目標のひとつだなあ。
とりあえず倉俣作品はいいぞ(直球)。
(20210217/kuuさくらんぼさんのtwitterより)>
<そういや、ときの忘れもの、移転してから足が遠のいているんだよなぁ、、、
「堀江敏幸「かぎりなく喪失を所有する薔薇――倉俣史朗展」 : ギャラリーときの忘れもの
(20210217/糖類の上さんのtwitterより)>
<学生の頃から国語の偏差値ってやつが著しく低く、つまり読解力が乏しくて。
ココに解りきらない文章がところどころあるのだけど、自分が倉俣作品を見たとして、これだけの発想や感覚でもって言葉を紡げないことは少なくとも明白という点で、堀江氏恐ろしや。
(20210217/sht_trdさんのtwitterより)>
-----------------------------------------
『安齊重男とは、「控えめな表現者にして比類なきアーカイバル・アーティストで」である』
安齊重男は1939年神奈川県生まれ。
現代美術作家として出発し、1960年代後半頃より、半世紀にわたり世界中の現代美術作家、及び美術関係者のポートレートや形としては残らないパフォーマンス、ハプニング、インスタレーション等の作品を撮影した作品を発表し国内外で高い評価を受けています。
写真作品の芸術性が高いことはもちろん、安齊重男の大きな特色である資料的価値をもつ記録性の高さが評価の高さの一要因です。
安齊重男
「オマージュ・イサム・ノグチ(Homage to ISAMU NOGUCHI)」より
1988年11月17日撮影
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:29.5×20.0cm
シートサイズ:35.5×27.8cm
Ed.15
サインあり
特に彫刻家のイサム・ノグチを撮影したシリーズが有名で、写真集「The Isamu Noguchi Garden Museum」(1987年)、写真集「オマージュ・イサム・ノグチ」(1992年)などはご覧になった方も少なくないはずです。
イサム・ノグチ(Isamu Noguchi)は、1904年アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家であり画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家。父親が日本人で母親がアメリカ人の日系アメリカ人です。
1907年、ノグチが3歳の時に母と来日し、父親と同居します。
1923年に、ノグチはコロンビア大学医学部に入学し、日本から帰米してきた母と暮らすようになります。そこでノグチは医学部に在籍しつつ、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通い、入学してすぐに初の個展を開催しました。
1925年、ノグチはニューヨークで活躍していた日本人の舞踏家伊藤道郎のダンス・パフォーマンスに仮面を制作しました。これがノグチにとって初めての演劇関連のデザインでした。2年後にグッゲンハイム奨学金を獲得し、パリに留学します。このとき6ヶ月間、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに師事してアシスタントを務め、夜間の美術学校に通います。
1935年に在米日本人芸術家の国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫らと共にニューヨークの「邦人美術展」に出品しました。
終戦後の1947年、ノグチはにジョージ・ネルソンの依頼で「ノグチ・テーブル」をデザイン・制作するなど、インテリア・デザインも始めます。
1950年に再来日し銀座三越で個展を開き、その時に日本では著名な建築家である丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知り合い、1年後にまた来日し、リーダーズダイジェスト東京支社の庭園の仕事の依頼を受けて、当時の岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり (Akari)」シリーズのデザインを開始します。
イサム・ノグチ「あかり125F」1971(飛騨・世界生活文化センター蔵)ほか
『中尾美穂のエッセイ~パナソニック 汐留ミュージアム「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」2020年1月11日(土) - 3月22日(日)より』
2mのあかり(1985、和紙、竹、木)
『イサム・ノグチと内間安瑆~東京オペラシティでイサム・ノグチ展』より
1961年からはアメリカに戻り、ニューヨーク州のロングアイランドシティにアトリエを構えます。
1968年にホイットニー美術館において大々的な回顧展が開催されます。またこの年、ユネスコ庭園への作品素材に香川県の庵治町(現・高松市)牟礼町で産出される花崗岩の庵治石を使ったことをきっかけに牟礼町にアトリエを構え、「あかり (Akari)」シリーズを発表します。ここを日本での制作本拠とし、アメリカでの本拠・ニューヨークとの往来をしながら作品制作を行うようになります。
「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」の出品作品はイサム・ノグチの誕生日である1988年11月17日に牟礼にある石工、和泉正敏氏宅で撮影されました。バースデーケーキを前に微笑むノグチ。この作品が最後のショットとなりこの一か月と数日後、12月30日に心不全によりニューヨーク大学病院で84歳の生涯を閉じます。
「AKARI」は和紙と竹で出来た提灯の様な照明ですが、あえて「提灯」ではなく「AKARI」という名を付けたのは、太陽の光や月の光といった自然光を部屋に取り込もうという意味から出来たと言われています。
イサム・ノグチが3歳のとき母と来日して初めて父の顔を見、親子3人での暮らしも長くは続かずアメリカに戻るなど幼少時から他の家庭とは異なる経験をし、さらにハーフであることに関しても当時、差別的扱いがなかったとは言えないと考えられます。このような環境下で作品を制作し続けたノグチを安齊はどうとらえ「アーカイブ」したのか。最後のショットに残る、「AKARI」が映し出すノグチのほほえみが壮絶な人生に取り込まれた柔らかな「あかり」に見えてきます。
1983年6月7日、渋谷パルコ「アンディ・ウォーホル展」全国展オープニングにて
左から、小野耕世、橋本ユキ、植田実、根本寿幸、安齊重男
撮影:酒井猛
(いたみ ちはる)
◆「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」を開催しています(予約制/WEB展)。
観覧ご希望の方は事前に電話またはメールでご予約ください。
会期=2021年2月12日(金)―3月6日(土)*日・月・祝日休廊

マン・レイ、ボブ・ウィロビー、ロベール・ドアノー、エドワード・スタイケン、金坂健二、細江英公、安齊重男、平嶋彰彦の8人の写真家たちが撮った20世紀を代表する優れた表現者た ち(ピカソ、アンドレ・ブルトン、A.ヘップバーン、A.ウォーホル、ブランクーシ、 三島由紀夫、イサム・ノグチ、黒澤明、他)のポートレートをご覧いただきます。
出品全作品の詳細は2月9日のブログをご覧ください。
気鋭の写真史家・打林 俊先生には「怒号にさざめく現像液-細江英公の〈薔薇刑〉をめぐって」をご寄稿いただきました。
●打林 俊先生によるギャラリートークもYouTubeにて公開しております。
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第4回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。2月28日には第4回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。
●東京・天王洲アイルの寺田倉庫 WHAT で「謳う建築」展が5月30日(日)まで開催され、佐藤研吾が出品しています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
今年のテーマは20世紀の肖像ということで、表現者たち(ピカソ、アンドレ・ブルトン、A.ヘップバーン、A.ウォーホル、ブランクーシ、三島由紀夫、イサム・ノグチ、黒澤明、他)の写真を8人の写真家が撮影した作品が並んでいる。そういう趣向だけあり、銀塩写真のねっとりした質感、写真としての構図やピントなど写真としての完成度、そして被写体そのものの魅力という複数の魅力が絡み合ってとても興味深い。でもやっぱりボブ・ウィロビーのハリウッド女優の写真が一番目を惹くなぁ。
コンクリート打ちっぱなしのギャラリーの内装とも良くマッチして、最高に素敵な展示。写真が好きな人には絶対にお勧め。
(20210225/林光一郎さんのブログ「Luv Pop TYO (Pop U NYC跡地)」より)>
<『銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像』
@ときの忘れもの
8人の写真家たちが撮った20世紀を代表する優れた表現者たちのポートレイト展
元は個人の邸宅だったギャラリー
スタッフの方も素晴らしい拍手
会期は3月6日まで
(20210226/mari♛さんのtwitterより)>
<>RT
(このまえ、「ときの忘れもの」様がこの、後頭部☆写真を載せたはがきを送って下さった。ありがたく本のしおりにしている)
(20210217/6dtsさんのtwitterより)>
<こちらの堀江敏幸さんの文章のきらめきがすごかった。倉俣史朗の素晴らしさを自分なりに言語化するのは目標のひとつだなあ。
とりあえず倉俣作品はいいぞ(直球)。
(20210217/kuuさくらんぼさんのtwitterより)>
<そういや、ときの忘れもの、移転してから足が遠のいているんだよなぁ、、、
「堀江敏幸「かぎりなく喪失を所有する薔薇――倉俣史朗展」 : ギャラリーときの忘れもの
(20210217/糖類の上さんのtwitterより)>
<学生の頃から国語の偏差値ってやつが著しく低く、つまり読解力が乏しくて。
ココに解りきらない文章がところどころあるのだけど、自分が倉俣作品を見たとして、これだけの発想や感覚でもって言葉を紡げないことは少なくとも明白という点で、堀江氏恐ろしや。
(20210217/sht_trdさんのtwitterより)>
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『安齊重男とは、「控えめな表現者にして比類なきアーカイバル・アーティストで」である』
ー平井章一(『安斎重男の私・写・録 1970-2006』より)
安齊重男は1939年神奈川県生まれ。
現代美術作家として出発し、1960年代後半頃より、半世紀にわたり世界中の現代美術作家、及び美術関係者のポートレートや形としては残らないパフォーマンス、ハプニング、インスタレーション等の作品を撮影した作品を発表し国内外で高い評価を受けています。
写真作品の芸術性が高いことはもちろん、安齊重男の大きな特色である資料的価値をもつ記録性の高さが評価の高さの一要因です。
安齊重男「オマージュ・イサム・ノグチ(Homage to ISAMU NOGUCHI)」より
1988年11月17日撮影
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:29.5×20.0cm
シートサイズ:35.5×27.8cm
Ed.15
サインあり
特に彫刻家のイサム・ノグチを撮影したシリーズが有名で、写真集「The Isamu Noguchi Garden Museum」(1987年)、写真集「オマージュ・イサム・ノグチ」(1992年)などはご覧になった方も少なくないはずです。
イサム・ノグチ(Isamu Noguchi)は、1904年アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家であり画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家。父親が日本人で母親がアメリカ人の日系アメリカ人です。
1907年、ノグチが3歳の時に母と来日し、父親と同居します。
1923年に、ノグチはコロンビア大学医学部に入学し、日本から帰米してきた母と暮らすようになります。そこでノグチは医学部に在籍しつつ、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通い、入学してすぐに初の個展を開催しました。
1925年、ノグチはニューヨークで活躍していた日本人の舞踏家伊藤道郎のダンス・パフォーマンスに仮面を制作しました。これがノグチにとって初めての演劇関連のデザインでした。2年後にグッゲンハイム奨学金を獲得し、パリに留学します。このとき6ヶ月間、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに師事してアシスタントを務め、夜間の美術学校に通います。
1935年に在米日本人芸術家の国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫らと共にニューヨークの「邦人美術展」に出品しました。
終戦後の1947年、ノグチはにジョージ・ネルソンの依頼で「ノグチ・テーブル」をデザイン・制作するなど、インテリア・デザインも始めます。
1950年に再来日し銀座三越で個展を開き、その時に日本では著名な建築家である丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知り合い、1年後にまた来日し、リーダーズダイジェスト東京支社の庭園の仕事の依頼を受けて、当時の岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり (Akari)」シリーズのデザインを開始します。
イサム・ノグチ「あかり125F」1971(飛騨・世界生活文化センター蔵)ほか『中尾美穂のエッセイ~パナソニック 汐留ミュージアム「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」2020年1月11日(土) - 3月22日(日)より』
2mのあかり(1985、和紙、竹、木)『イサム・ノグチと内間安瑆~東京オペラシティでイサム・ノグチ展』より
1961年からはアメリカに戻り、ニューヨーク州のロングアイランドシティにアトリエを構えます。
1968年にホイットニー美術館において大々的な回顧展が開催されます。またこの年、ユネスコ庭園への作品素材に香川県の庵治町(現・高松市)牟礼町で産出される花崗岩の庵治石を使ったことをきっかけに牟礼町にアトリエを構え、「あかり (Akari)」シリーズを発表します。ここを日本での制作本拠とし、アメリカでの本拠・ニューヨークとの往来をしながら作品制作を行うようになります。
「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」の出品作品はイサム・ノグチの誕生日である1988年11月17日に牟礼にある石工、和泉正敏氏宅で撮影されました。バースデーケーキを前に微笑むノグチ。この作品が最後のショットとなりこの一か月と数日後、12月30日に心不全によりニューヨーク大学病院で84歳の生涯を閉じます。
「AKARI」は和紙と竹で出来た提灯の様な照明ですが、あえて「提灯」ではなく「AKARI」という名を付けたのは、太陽の光や月の光といった自然光を部屋に取り込もうという意味から出来たと言われています。
イサム・ノグチが3歳のとき母と来日して初めて父の顔を見、親子3人での暮らしも長くは続かずアメリカに戻るなど幼少時から他の家庭とは異なる経験をし、さらにハーフであることに関しても当時、差別的扱いがなかったとは言えないと考えられます。このような環境下で作品を制作し続けたノグチを安齊はどうとらえ「アーカイブ」したのか。最後のショットに残る、「AKARI」が映し出すノグチのほほえみが壮絶な人生に取り込まれた柔らかな「あかり」に見えてきます。
1983年6月7日、渋谷パルコ「アンディ・ウォーホル展」全国展オープニングにて左から、小野耕世、橋本ユキ、植田実、根本寿幸、安齊重男
撮影:酒井猛
(いたみ ちはる)
◆「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」を開催しています(予約制/WEB展)。
観覧ご希望の方は事前に電話またはメールでご予約ください。
会期=2021年2月12日(金)―3月6日(土)*日・月・祝日休廊

マン・レイ、ボブ・ウィロビー、ロベール・ドアノー、エドワード・スタイケン、金坂健二、細江英公、安齊重男、平嶋彰彦の8人の写真家たちが撮った20世紀を代表する優れた表現者た ち(ピカソ、アンドレ・ブルトン、A.ヘップバーン、A.ウォーホル、ブランクーシ、 三島由紀夫、イサム・ノグチ、黒澤明、他)のポートレートをご覧いただきます。出品全作品の詳細は2月9日のブログをご覧ください。
気鋭の写真史家・打林 俊先生には「怒号にさざめく現像液-細江英公の〈薔薇刑〉をめぐって」をご寄稿いただきました。
●打林 俊先生によるギャラリートークもYouTubeにて公開しております。
映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第4回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。2月28日には第4回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。●東京・天王洲アイルの寺田倉庫 WHAT で「謳う建築」展が5月30日(日)まで開催され、佐藤研吾が出品しています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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