小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」第5回

瑛九の輪郭4 杉田秀夫時代(~1935)の活動について2


瑛九(当時は本名の杉田秀夫での活動であるが、便宜上瑛九と表記)が宮崎において、若い友人たちと美術グループとして「ふるさと社」※1を結成したのは1935年である。前年の5月に東京から宮崎に戻ってきた瑛九は、10月には宮崎美術協会の創立に参加しており、当時美術教師として宮崎に赴任していた山田光春と出会っている。また、写真家であった北尾淳一郎や多くの画家たちと交友を持っていた。

※1 ふるさと社について
創立メンバーは杉田秀夫、藤田穎男(ふじたひでお)、岡峯龍也(おかみねたつや)、富松昇(とみまつのぼる)、杉田杉(すぎたすぎ・瑛九の実妹)、山田光春(やまだこうしゅん)の6名。「ふるさと」は瑛九の好きな言葉であり、瑛九が名付け親であったと岡峯が自伝に書いている。


-「アマチュア画家」岡峯龍也との交流
 岡峯龍也は日向市美々津生まれの歯科医師である。歯科医師である岡峯が絵を描くようになったきっかけは、中学の先輩でもある画家の鱸利彦(すずきとしひこ)との出会いであった。後に鱸から絵具等の道具を送ってもらったのが日曜画家としての始まりであったと岡峯は語っている。瑛九の実家である杉田家とは、親の代からの付き合いがあり、瑛九が誕生した際には、瑛九の父から岡峯の父にその喜びが伝えられたという。お互いを行き来する、家族ぐるみの付き合いであった。瑛九自身と交流を始めたのは、1935年の6月、宮崎美術協会のアンデパンダン展が県の公会堂で開かれたときである。(自分は)瑛九よりも15歳ほど年上であったが、瑛九はすべてにおいて教師であったと述べている。また、アマチュアで生涯を閉じようとしている自分を理解し、励ましてくれたただ一人だとして瑛九を紹介している。
 岡峯の没後、遺族が作成した遺稿集には、瑛九や杉田家の事も書かれている。歯科医である岡峯の診察室に、瑛九の小品『海景』(作品の特定できず)が展示してあるということや、県美術展が開催された際に招待され、出品した自分の作品の横に、瑛九の『オランドオランドバー』の水彩を並べて展示されたことが書かれている。しかしながら、その県美術展が開催された年が、自分の初期作『私の治療室』を描いた1936年の秋としているが、県主催の県美術展が始まったのは1975年であり、瑛九が創立に関わったという県展(後の宮日総合美術展)は1949年の開催が第1回目であるため、いずれも該当せず、この水彩について確認できるものがない。
 新聞の記事で「藝術と生活について」と題し、ふるさと社十一月展を評した瑛九は、岡峯について「素朴純情の強さ」があるとし、「繪畫をはるかに低く下げてその上を何事もなかつたやうに歩いてゆく」、生活に偽りをもたない無敵の態度だと感嘆している。

「宮崎郊外」1943年「宮崎郊外」1943年

-批評について
 前述の展覧会批評では、前段において批評の行為そのものについても書いている。
 「批評は自己批評である、他人を批評することによつて批評家は自己をほりさげて行くのだ、そこに於てはじめて一つの作品評による一つの自己が創造される」
 日本における批評の堕落が、すべて自己批判をもたない所から来ているとしており、自分は画家だからと前置きをしつつ、果たして批評せずにはいられない面があるかという点において明白に落第であると述べている。しかし、「私は畫の展覧會が地方に於て開かれることに對して地方文化の爲に全身的の熱情を持つ」という瑛九は、その点だけで批評せずにいられないのかと疑問をもちながらも、ふるさと社の同人たちの批評を行い、厳しく激励をしている。


 瑛九は人との関わりにおいても、画業との向き合い方においても、確実に自己の批判的精神の立場に立っていたのであろう。それ故か、年齢に関係なく、瑛九に影響を受け、師と思う人々が彼の周囲には必ずいたのである。

生誕110年記念瑛九展第3章展示風景生誕110年記念瑛九展第3章展示風景

こばやし みき

■小林美紀(こばやし みき)
 1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。

・小林美紀のエッセイ「宮崎の瑛九」は2022年2月までの全6回、毎月17日の更新です。

・小林美紀先生が担当された宮崎県立美術館「生誕110年記念 瑛九展-Q Ei 表現のつばさ-」(2021年10月23日~12月5日)については、下記のスタッフレポートもご参照ください。
32bcab83-s尾立麗子の内覧会レポート/2021年11月6日ブログ
スタッフMのレポート/2021年12月19日ブログ
スタッフIのレポート/2021年12月21日ブログ
スタッフSのレポート/2021年12月26日ブログ。

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