王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第21回

町田市立国際版画美術館
「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」を訪れて


 町田市立国際版画美術館で「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」(2022年4月23日~7月3日)が開催されています。
 この展覧会は、2019年春に同館で開催されたミニ企画展「彫刻刀で刻む社会と暮らし-戦後版画運動の広がり」の続編として、学芸員の町村悠香さんが中心となり研究成果を纏められたものです。所蔵作品や所蔵資料が多く活用され、積年の研究と館の誇りを感じる内容に敬意を感じずにはいられません。2018-2019年に福岡アジア美術館とアーツ前橋で共催された展覧会「闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s-2010s」への応答の思いも込められているそうで、研究者同士のリスペクトと交流もまぶしく思いました。

 展覧会の企図のひとつに、既存の「美術史」の「主流」と「私たち」との距離への違和感が投じられています。これまでの「美術史」の「周縁」として扱われることのなかった、多くの「私たち」にとって、実感とリアリティを伴う、日常の延長にある美術表現活動に着目することが起点に設定されています。
 展覧会構成は、戦前戦後の中国木刻運動の広がり(1章)を受けて、日本で始まった「戦後版画運動」(1947-1950年代後半)(2章・4章)と、「教育版画運動」(1951-1990年代後半)(3章・6章)を振り返り、それらが「生活」(生きること)と蜜月にあったこと、後に社会背景によって2つの版画運動が「生活」から離れていった流れ(5章・6章)で展開されていました。

 昨今、国内では、リベラルアーツやSTEAM教育が着目され、あらためて美術教育が見直されたり、フランス発祥のフレネ教育を取り入れるオルタナティブ学校が生まれている背景があり、今回は、展覧会の中の教育版画運動について触れたいと思います。


1,教育版画運動のはじまり
 1950年代はじめ、戦前の教育への反省と、戦後に急激にアメリカ化するインプット重視の教育カリキュラムへの反動から、「生活綴方」(*1)が見直される機運がありました。そこで、文章を添えたり、文集として綴じることと親和性の高かった版画は、「人づくり」に力を入れる教員の指導で制作された作文と版画を載せた文集の実践が民間の雑誌で紹介され、子どもの「生活」や「現実」が表現された「生活版画」として広まります。
 3章の展示資料から見えてくるのは、新聞の一面のようなある日ある時間のある出来事のハイライトではなく、当時の子どもたちが、居住と生業が近かった環境下で家族や地域社会の中からそれらを見つめた視点であり、子守や仕事風景、風土の厳しさといった、継続的にある「日常」(現実)を微分したような版画でした。

*1:生活綴方運動、戦前は1918(大正7)年~1940年頃が盛んだった。作文することでありのままの現実を認識することを鍛える民間教育。戦後は1950年に発足した「日本綴り方の会」(翌年「日本作文の会」)が中心となって進められた。


2,教育版画運動の主題の広がり
 「生活版画」として始まった「教育版画運動」は俄かに義務教育課程の国語、社会科や郷土学習とも共鳴し、版画作品の主題が、「生活」から、物語の読解、郷土の生業、民話、平和学習、公害や原子力問題に広がったことが、6章の展示資料から読み取れます。
 背景には、制度や道具の開発があったことも事実ですが、低学年でも身近な素材を用いて取り組める「実物版」や「紙版画」(*2)の版画技法が広まったことも挙げられます。
会期の前期で上映された映像『たのしい版画』、『紙でつくる版画』を観て、落ち葉や厚紙でできる版画に対し、手軽さと言いますか、「私たち」と近さを感じました。

*2:教育版画運動の中心的な人物であった大田耕士は、恩地孝四郎の紙版、実物版画作品から着想を得て、「紙版画」を普及させた。


3,共同制作の中にみる学童のまなざし
 更に、「教育版画」は大型の共同制作へと発展してゆきます。6章の展示室の壁面には、90cm×180cm(おおよそ畳サイズ)の大型作品が壁面に二段で配置されています。それらの1960年代から1990年代に義務教育の中で共同制作された版画作品群からは、「教育版画」が、取材的なもの、対話や創作によって生まれるものへと移行していったことが確認できます。
 川崎市立日本民家園を主題にした《民家園》(*3)、菊竹清訓設計の川崎市市民ミュージアムを描いた《等々力緑地ミュージアム完成》(*4)では、建築家の仕事が、紙の図面や模型だけではなく、学童の眼差しによって描かれ記録されていくことも考えさせられました。
 加えて、第17回「建築家・坂倉準三と高島屋の戦後復興」展で紹介した坂倉準三設計の新宿西口広場をモチーフにした作品も展示されていました。

画像1_IMG-1247東京都府中市立府中第八小学校6年生20名(指導:前島茂雄)《新宿西口駅前》、1970年

 フライヤーのメインビジュアルにも使われている青森県八戸市湊中学校の養護学級の生徒による《天馬と牛と鳥が夜空をかけていく》は、映画『魔女の宅急便』(宮崎駿監督、スタジオジブリ)で、森に住む画家のウルスラが描いている未完の絵画のモデルになった作品で、『虹の上をとぶ船・総集編(2)』の4点1組のうちの1点です。一般的に大型作品の共同制作は、生徒が各々絵を持ち寄り、その絵について話し合い、それらを一枚に構成し、統一感ある彫り方を目指して互いに学び(まねび)彫ってゆく方法のようですが、版画の連作を指導した坂本小九郎氏(*5)は、特に養護学級生と協同する場において、個々の学童の表現(手跡)が排除されることなくそのまま受け入れられ、かつ全体としてまとまった世界を表したいと考えたそうです。独立した個々の表現の集大成であるという考えが「総集編」とつけられたタイトルにも表れているように思います。そして、シリーズの創作の中で描かれたさまざまな船、海辺の生き物たち、星がいっぱいの夜空、窓の明かり、核家族、鉄塔支持型の煙突、骸骨(海難事故で命を落とした人たちか)からは、当時の子どもたちが、そのような風景を見ていたことが刻まれています。

画像2_IMG-1250
青森県八戸市湊中学校養護学級(指導:坂本小九郎)『虹の上をとぶ船・総集編(1)』、1975年(写真奥)、『虹の上をとぶ船・総集編(2)』、1976年(写真手前)、五所川原市教育委員会蔵

*3:神奈川県川崎市東大島小学校版画クラブ5年生6名(指導:石田彰一)《民家園》、1974年
*4:神奈川県川崎市久本小学校6年生18名(指導:橋本文恵)《等々力緑地ミュージアム完成》、1988年


*5:坂本小九郎 1956年から25年間、八戸市立の中学校の教員を務め、版画の連作による共同制作を実践した。1957年から1976年に指導した生徒たちによる作品群は、八戸市美術館に所蔵されている。


4,身体性を伴うアートを暮らしに取り戻す
 「わたしたち」にとって実感とリアリティのある現代史として「教育版画運動」を辿ってきましたが、音読や交換が可能な文集にしても、大きな版木を彫ってプレスする大型の協同制作にしても、あらためて版画は(版画に限らず美術は)とても身体的な行為だと感じました。そして、町田市が計画している「芹ヶ谷公園“芸術の杜”パークミュージアム整備計画」は、身体性を伴ったアートを暮らしに取り戻すことと交差するのではないかと考えています。

 もともと、町田市立国際版画美術館は、1階に版画工房・アトリエを有し、制作活動のスペースが市民に開かれています。同館が位置する芹ヶ谷公園では、イーゼルを立てて絵画する人、水路で水遊びをする子どもたちなど、重層した世代の多様な活動が見られます。そういったポテンシャルが活かし、(仮称)国際工芸美術館(*6)、国際版画美術館と芹ヶ谷公園が一体的に整備され、現在未利用地になっている国際版画美術館の向かいの地に版画工房・アトリエが移転する計画により、ますます屋外で身体を動かしたり、五感を働かせる芸術文化活動や、環境と融合したアートが繰り広げられるかもしれません。

 設計を担当しているオンデザインによる幅が5mもある縮尺S=1:100の巨大な模型は、歩くことで全体を把握し、添景を加えたり動かしてもいい触れられる模型になっています。そして、建物が「主」でランドスケイプが「従」という建築模型の一般的な概念が、公園を「図」、2つの美術館と(仮称)公園案内棟/喫茶/工房・アート体験棟を「地」として、入れ替わっているようなところも魅力です。

画像3_IMG-1361
参考:オンデザイン《町田芹ヶ谷公園“芸術の杜”プロジェクト パークミュージアム》

 最後に、町村さんに、なぜ美術教育の中でとりわけ版画が熱心に取り組まれたのか、お伺いしたところ、文集との相性や、かつては複数の授業コマに亘り続きが可能だったことのほかに、版画は手順があることから、先生が都度生徒に関われることを挙げてくださいました。教育版画活動に携わられた教師の方々が、生徒一人一人の話を聴き、対話し、その時々の生徒の切実さに向き合い、寄り添っていたのだと思い、胸が熱くなりました。

*6:町田市立博物館のコレクションであるガラス作品と陶磁器を引き継ぐ美術館として計画されている。なお、町田市立博物館(旧・町田市郷土資料館)は、山口文象設計、1973年完成。道路に面した細長い敷地で、外観は花崗岩野面積みのファサードを大屋根が覆う。展示室は連続した2室で、いずれも3面壁面展示ケース造付、主展示室はアーチ天井だった。2019年に惜しまれつつも施設は閉館した。

(おう せいび)

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。

王 聖美 Seibi OH
WHAT MUSEUM 学芸員(建築)。1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody -“超移動社会”がもたらす新たな変容-」(2018)、「UNBUILT : Lost or Suspended」(2018)など。

「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」チラシ(二度クリックすると拡大します)
hangaundo-A4-omote-outhangaundo-A4-ura-out

出品リスト(クリックすると拡大します)
512-list-1512-list-2
512-list-3512-list-4
512-list-5512-list-6
512-list-7512-list-8

----------------------
●『ITO KOSHO 伊藤公象作品集』予約受付中
表1_600ITO KOSHO 伊藤公象作品集
刊行:2022年6月
著者:伊藤公象
監修:小泉晋弥
監修助手:田中美菜希(ARTS ISOZAKI)
企画:ARTS ISOZAKI(代表・磯崎寛也)
執筆:小泉晋弥、伊藤公象、磯崎寛也
デザイン:林 頌介
写真:内田芳孝、堀江ゆうこ、他
体裁:サイズ30.6cm×24.6cm×1.6cm、164頁
日本語・英語併記
発行・編集:ときの忘れもの
価格: 3,300円(税込)+梱包送料250円

陶オブジェ付の特別頒布(限定50個): 25,300円(税込)+桐箱代3,000円+梱包送料1,600円

*桐箱不要の方はダンボールの箱にお入れします(無料)。
伊藤公象作品集オブジェ_MG_7740

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊