瀧口修造と作家たち ― 私のコレクションより ―

第6回「アントニ・タピエス」

清家克久


図版1. アントニ・タピエス エッチング「Deux 0」1984年作図版1.
アントニ・タピエス
エッチング
「Deux 0」
1984年作
限定番号サイン入り
14.5×22.5cm

 アントニ・タピエス(1923ー2012)は、ミロやダリと同じスペインでも独特の伝統や風土と言語を有するカタルーニャ地方の出身である。彼は若くして東洋思想に傾倒し、特に岡倉天心の「茶の本」(「The Book of Tea」1906年ニューヨーク刊、スペインでも翻訳された)から大きな影響を受けた。
彼の絵はしばしば壁に例えられるが、スペイン語でタピエスは壁を意味するというのも偶然だろうか。本作品も黄土色の壁に描かれた落書きのように見える二つの記号の絶妙な間合いが禅画か書を連想させるが、タイトルの「Deux 0」(二つの零)は東洋的な「無」と関連しているのかもしれない。2004年5月にネットオークションで5万円ほどで落札したと記憶するが、電子データが残っておらず確認できない。出品者はコンテンポラリーアートを扱っていた名古屋の画廊Ogura Graphicsで、別便で作品証明のシールと版画カタログ(ルロン画廊 1989年パリ刊)のコピーが送られて来た。(消印の日付で落札時の年代を確認できた。)

図版2. 版画カタログ(ルロン画廊1989年刊)より図版2.
版画カタログ(ルロン画廊1989年刊)より

 1975年に瀧口修造とアントニ・タピエスによる詩画集「物質のまなざし」がスペインのポリグラファ社刊から刊行され、佐谷画廊が1981年7月にその展示(後に「オマージュ瀧口修造展」と名付けた第1回目にあたる)をしていた。詩画集のエディションについては図版4を参照していただきたいが、私はこの125部本の一冊を1986年12月に佐谷から23万円で購入した。1989年7月に自主企画として松山の画廊を借りて「瀧口修造と画家たち展」を行ったときに展示したことがある。堅牢な箱に入った大きな本で、厚めのカタルーニャ産手漉包装紙に石版で刷られたタピエスの絵と瀧口が「しの竹を削って筆にして書いた」字による詩のコラボレーションである。

図版3. 「物質のまなざし」展カタログ(佐谷画廊1981年7月刊)より図版3.
「物質のまなざし」展カタログ
(佐谷画廊 1981年7月刊)

図版4. 「物質のまなざし」エディション図版4.
「物質のまなざし」エディション

図版5. 「瀧口修造と画家たち展」1989年7月松山・タカシ画廊図版5.
「瀧口修造と画家たち展」
(松山・タカシ画廊 1989年7月)
ガラスケース下部

 瀧口修造とアントニ・タピエスとの交流は1958年のヴェネツィア・ビエンナーレの審査でタピエスが新人賞を受けたことに始まるが、「スペインのタピエスはいわゆるアンフォルメルの系列に属した作家だが、ふしぎな造形感で感動をあたえた。」(読売新聞1958年6月23日「ヴェニス・ビエンナーレ展に出席して」『点』(みすず書房 1963年1月刊所収)と報告している。
 ヴェニス・ビエンナーレの用務を終えてパリに滞在していた瀧口は、前年に来日したアンフォルメル運動の提唱者で美術批評家のミシェル・タピエの誘いを受け、バルセロナのタピエスの家を訪ねることになった。その経緯は「ダリを訪ねて―スペインのちぎれた旅行記」(芸術新潮 1958年12月号発表「コレクション瀧口修造第1巻」みすず書房刊収録)に詳述されており、タピエスについて次のように紹介している。
「タピエスという作家は口数のすくない、誠実そのものといった人柄で、ビエンナーレでの受賞や評判にも面くらっているところがあった。私はついにマリョルカ島のパルマにいたミロに会うことができなかったが、そうした点で伝えきくミロの性格に親近性があるように思われたし、事実かれはミロを非常に尊敬している。また仕事も性格も非常にちがっているが、ダリを時々訪ねているらしく、ダリもタピエスのことを親愛の表情で語っていた。この新旧世代のカタロニア作家を対照してそこに共通の性格を見いだすとなると、私にはあの幻想や幻覚を裏づけている執拗なまでの綿密さと造形感覚がすぐ想いうかぶ。水と油のようなミロとダリの仕事にもそれがあるし、若いタピエスのまったく非象形の、物いわぬ壁のような画面からにじみ出す特異な造形感覚もその例外ではないようだ。そこにはまったくレンズの焦点を丹念に合わせようとする異常な感覚がかれらのヴィジョンを支配しているように思われるのである。」
 この紀行文の中で戦前に瀧口が「ダリ」(「西洋美術文庫」アトリヱ社 1939年1月刊)と「ミロ」(「同文庫」アトリヱ社 1940年3月刊)を出版していたことにも触れているが、「ミロ」は彼について書かれた世界で最初の本だったのである。

図版7. 西洋美術文庫「ダリ」(1939年1月)と「ミロ」(1940年3月)図版6.
西洋美術文庫「ダリ」(1939年1月)と
「ミロ」(アトリヱ社 1940年3月刊)


 タピエスの家に逗留しガウディの建築を見学した後、東野芳明夫妻と共にタクシーでダリが住むポルト・リガトに向かう。ダリに会った時のエピソードはまるで夢のような物語だが、翌朝帰り際にダリの家に来ていたマルセル・デュシャンと遭遇する。瀧口をして「偉大な冒険旅行」と言わしめたこれらの出来事が、後年の「マルセル・デュシャン語録」(東京ローズ・セラヴィ 1968年私家版)やタピエスとの詩画集「物質のまなざし」などの制作へと導いたのであろう。ミロとの詩画集「手づくり諺」(ポリグラファ社 1970年刊)など世界的巨匠との共作は瀧口の後半生において重要な意味を持つ仕事であると共に、若き日の夢の実現でもあっただろう。
 「物質のまなざし」が刊行された翌年に日本で初めての本格的な「タピエス展」(西武美術館 1976年8月)が開催され、そのカタログに瀧口は「アントニ タピエスと/に」と題する献詞を寄せている。
図版6. ダリの家(「遊」第5号1973年1月工作舎刊より)図版7.
ダリの家(「遊」第5号 工作舎 1973年1月刊より)


図版8. 「アントニ・タピエス展」カタログ表紙1976年8月西武美術館刊図版8.
「アントニ・タピエス展」カタログ表紙
西武美術館 1976年8月刊

図版9. 同上カタログより図版9.
同上カタログより

(せいけ かつひさ)

清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

・清家克久さんの連載エッセイ瀧口修造と作家たち―私のコレクションより―は毎月23日の更新です。

清家克久さんの「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか。
あわせてお読みください。
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●ただいまブログ連載中のエッセイ目次を5月31日「情報ごちゃごちゃ」でご紹介しています。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
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