石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」─16
『冊子・グラディヴァの頃』
展覧会 関西の80年代
兵庫県立美術館
2022年6月18日(土)~8月21日(日)

3階企画展示室への大階段。壁面に藤浩志『こいのぼりくんの一生』(1983/2022年) 作家蔵
今回は、安藤忠雄設計の兵庫県立美術館で開館20周年を記念し催された『関西の80年代』展を紹介したい。
阪急電鉄神戸線王子公園駅で下車しミュージアムロードに沿って海側へなだらかな坂を下る。JRと阪神を超えておよそ20分。椿昇のオブジェのお尻(?) から美術館屋上で待ち構えるホフマンの愛くるしいカエルを望む、暑い午後で参ります。

椿昇『PEASE CRACKER』(2014年)

屋上にフロレンティン・ホフマン『Kobe Frog(愛称: 美かえる)』(2011年)
西日本で最大規模と云う美術館のエントランスには「今、ふりかえる関西ニューウェーブ」と共に「80年代は、過去じゃない。」のサイン。「40年前の美術状況へ辿るのですか」同時代人として体験し、区切りなく今に続いている気分の小生は「過去じゃない。」と改められると、身構えますな、ほんと。

サインボックス
1. 「プロローグ(林檎と薔薇)」(江上)
大階段から繋がる迷路のような空間から入り、故・奥田善己の『’78-35』(1978年)と北辻良央の『WORK-RR2』(1982年)に対面する。前者の描く行為の根源を禁欲的に示した仕事が、北辻の物語性を帯びた表現へと開花していく様子は今展の導入部にふさわしく、懐かしい。

北辻良央『WORK-RR2』(1982年) 和歌山県立近代美術館蔵、左後方に朝比奈逸人、中谷昭雄
小生は画廊での発表よりも、写真集のような持ち運び可能で、街路で頁が捲られる媒体に興味を持ち、惹かれ、70年代前半を名古屋で過ごした。桜画廊などにも顔を出していたが、本格的に現代美術を知ったのは京都に移り、ギャラリー16へ通うようになってからである。コレクターとして同時代の美術家たちに紹介される中で、先鋭的な仕事の多くを知った。前述した二人の仕事も拝見、言葉をかけていただいた。
2. 冊子・グラディヴァ
気楽な観客である訳だが、シュルレアリスムに共感する者として「街路の思想」を具体化する表現を考えた。美術家としてではなく、出版人としてである(大げさ)。それで、冊子を準備した。幸い勤務先の関係で編集、写植、写真、レタッチ、印刷に精通する友人・知人に恵まれていたので、酒宴の力を借りて同意を取り付け、大判四つ折りアンカットのシートを作成した。狙いは同時代の作家紹介、批評家と作家のコラボ。ギャラリー16の井上道子の推薦で美術家を中谷昭雄、批評家を中島徳博としての創刊号となった。冊子の名前は『グラディヴァ』──ブルトンが30年代に短期間運営した画廊の名前を拝借し、シンボルにマルセル・デュシャンの扉デザインを用いた。

中谷昭雄『Passage』『Pass age』『Pas sage』(1982年) 作家蔵

同上
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冊子『グラディヴァ』創刊号(銀紙書房 1980年) 26×21cm 中谷昭雄特集、中島徳博「一枚の布」

中谷昭雄テキスト『ruri no shijima / you may dream』(6-7頁)
その中谷の作品を久しぶりに会場で拝見する。冊子の刊行から2年を経た連作『Passage』『Pass age』『Pas sage』(各1982年)。小ぶりになったが平面の磁場から逃れた麻布折りは、空間を志向するかのようだ。回文へのこだわりが彼にはあると思うが、小生、色彩の感覚が好きですな。現実の「夢」を借りた叙情性ある彼のテキスでは「絵は徹底して表面的な戯れであったとしても、それを対立、関係図式ではなく、その物理面を凌駕する深さ、奥行きに於いて捉えるものでなければならない」と綴られる。中谷の長所に「誠実さ」を捉える中島は「平面の問題等に関する知的な問い直しがある」としつつ「表面がどれほど強く平坦にプレスされていても、それがつねにひとつの均質な面となることを拒絶している」(中島徳博「一枚の布」1980年)と、その後の展開を予言。会場の連作はそうした格闘から生まれたのだと思う。
『グラディヴァ』は、続けて発行する計画だったが、画廊で顔を合わせる人たちから、誰かを選ぶこと、作品を買い求めることに居心地の悪さを感じるようになり、挫折。直接美術家から仕事の感想を求められる、これ嫌なんです。80年代中頃からは遠い異国のマン・レイばかりになってしまった。
3. シンデレラボーイ
北山善夫と出会ったのは、休日の午後、大阪に向う阪急電車の車内だった。彼は美術手帖のデュシャンの頁を開いていたし、小生はシルクで刷り上がったばかりのデュシャン・Tシャツを持っていた。『グラディヴァ』を編集した友人とローズ・セラヴィの肖像を再現してもいたのである。そのおりの小生の振る舞いを、後日、言葉を交わすようになってから、北山は笑う。彼とは画廊や美術館だけでなく、いろいろな街路ですれ違う。初対面の引力がいつまでも続く不思議な人。現代美術家としてのスタートは遅かったと聞くが、ギャラリー16での個展は81年6月、「竹を使って、紙を使って…」空中にドローイングを描く仕事は、表情豊かで、それまでには観たことのないものだった。「制作に熱中して奥さんの革鞄を切り刻んだり、邪魔になるからと家の柱も切ってしまった」と言う、あふれるエネルギーと共に愛される表情を持つ人。直後の第40回ヴェネツィア・ビエンナーレ参加で世界的に注目され80年代をシンデレラボーイのように駆け抜けたのは、よく知られている。

北山善夫『言い尽くせない』(1982年、2022年修復) 一般財団法人草月会蔵

同上 作家をパチリ

同上 冗舌な作家、右に福島敬恭『ENTASIS』(1983年)部分
第1章の動線を支配するように置かれた『言い尽くせない』(1982年)は、ヴェネツィアまで渡った大作で、「スペースが必要なのに、これまで草月会が持ってくれていた」と北山は嬉しそうに教えてくれた。小生は勧められるまま作品の内側に回り込み、枝越しに会場の他の作品を見渡す。すると、あの頃の情景が浮かび上がり、その後のドローイングの仕事が重なってきた、黒い紙面に無数の人体 ── ギャラリー16での対談で「ヴェニスではかなりの反響を受けた反面、大きな挫折感もあるんです」( 『リレートーク 50 years of galerie 16 1962-2012』ギャラリー16 2014年 114頁 以後注1)と支援制度のない日本の状況を回想している。

第1章展示 ── 福島敬恭、栗岡孝於、飯田三代、川島慶樹など

飯田三代『SURVIVE』(1982年) 作家蔵
視線の先には、トロピカルムードあふれる飯田三代の垂れ幕仕立ての大作『SURVIVE』(1982年)が掛けられている。彼女とはある版画家のパーティで知り合った。開放的な作風に惹かれて『グラディヴァ』の仲間が版画作品を購入したと記憶する。市井の会社員が同世代の美術表現に「連帯の挨拶」を送った80年代前半の開放感は、バブル景気の予兆であったのだろう、小生も写真のグループ展を組織したが目的は酒宴、騒ぎ過ぎて画廊主に叱られました(ハハ)。
4. 「困難ないまをよりよく生きるヒント」(江上)
公的な美術館を会場とする今展では、前身の兵庫県立近代美術館が催していたシリーズ展「アート・ナウ」を起点に「関西ニューウェーブ」として総称されることになる空間からはみ出すほどのエネルギーを発散させた大型作品など、36作家(グループ制作も1作家とカウント)の51作品を紹介している。リストをみると京都で学んだ人や京都を拠点として活動した人が多く、故・奥田善己は別として、故・堀尾貞治、榎忠らの仕事が神戸に軸足を置くも先行世代であった関係からか、活動記録写真での紹介にとどまったのは残念。京都、大阪、神戸の微妙な駆け引き、土地柄がもたらす人間性の諸相に、「関西」と冠した展覧会に違和感を覚えてしまうのである。

担当学芸員江上ゆか(記者説明会)、後方に森村泰昌『肖像(ファン・ゴッホ)』(1985年) 高松市美術館蔵
前身の美術館に1992年から勤めた担当学芸員の江上ゆかは「アート・ナウ」は体験しておらず、伝説として同僚から様子を聞いたという。今展では「企画者が観たかったものを展示」したようで、物理的に作品が残されていない場合は、再制作などを依頼したとも云う。江上によると「アート・ナウ」は「テーマ性のない荒っぽい企画だったが、時代をある種スピード感をもって駆け抜けた」。美術館のガラス窓を取り外した英断や、出品作家の様々な事柄を当時の学芸員であった山脇一夫や中島徳博から伺っていた小生には、「作品の姿を生き生きと伝えることを試みた」としても、40年の後には熱気のようなものは消え、インスタレーションといった表現の再制作に不毛を感じるのです。この点では思考の痕跡を資料で示した松井智恵に共感を持った。

石原友明『約束Ⅱ』(1984/2022年)部分 壁画部分再制作のうえ再構成 高松市美術館・作家蔵

杉山知子『the drift fish』(1984年) 作家蔵

松井智恵『80年代のインスタレーションに関する素材、記録』(1980年代)部分 作家蔵

同上
5.「『私』のリアリティ──イメージ、身体、物語」(江上)
ギャラリー16が広い空間に移転した年、衝撃的な作品と出会った。森村泰昌の『肖像(ファン・ゴッホ)』(1985年)である。マン・レイ作品以外は購入しないと決めていた小生も、心が揺れた。
また、番画廊での発表を見逃していた吉原英里の『M氏の部屋』(1986年)と出会えたのは爽やかな幸せとなった。帽子や傘やマフラーのリアリティ、机や椅子の再現感。版画でみせたラミネート技法が現実の空間を覆っている。インスタレーションと言えるが、空間への押し付けが無いのですな、「不在」を描いた故だろうか。会場で居合わせた彼女に思わずパチリをお願いした。

吉原英里『M氏の部屋』(1986年) 作家蔵 と作家
第3章の会場を巡りながら前述の二人以外では、北辻良央の『旅人と水守』と『無題』(どちらも1987年、前者は国立国際美術館で発表、後者はパチリ不可)に目をとめた。どうしてパチリがだめなのか、素人の疑問が膨らむ、お会いする機会があれば尋ねてみたい。
---
説明が遅れたが会場はプロローグ(林檎と薔薇)で始まり、続いての以下4章から構成されている。── 第1章(フレームを超えて)、 第2章(インスタレーション──ニューウェーブの冒険)、 第3章(「私」のリアリティ──イメージ、身体、物語)、 第4章(「私」の延長に) 。
しかし、こうした章立ては可能なのだろうか、作品が干渉し合う雑駁な印象は、担当学芸員の展示センスに影響されたとも、80年代の時代状況を抜きにして美術作品だけを見せた為に生じたとも、推測する。政治的な立ち位置を示す作品もあるが、通路のサインは装飾的だし、会場のコメントなどもぼんやりとした印象。40年の間に忘れられてしまった美術家も多い、いや、ほとんどが、そうだろう。わたしたちが観なければならない作品があるはずだ。この点では、参考資料として並べられた展覧会の案内状やチラシなどに救われた。一時資料、大切なんですよ。

展覧会案内状: CITY/GALLERY、ギャラリー白、gallery coco、信濃橋画廊エプロンなど
京都市立芸術大学の山部泰司は、参考資料の重要性に早くから気付いていた人。「フジヤマゲイシャ」や「イエスアート」などの重要な自主企画展が彼のネットワークも含め継続して催されていた。特に後者の展覧会ではカタログが発行されており、山部はギャラリー16のシンポジウムで「作品写真とコメント、経歴だけではなく、評論家の先生方にもこちらからテキストを依頼して書いて頂きました。評論家に選ばれて我々が出品するのではなくて、自分達がメンバーを集めて評論家に執筆を依頼するというスタイルが重要なのだと思っていました」(注1 、126頁)と発言。また、別の機会では「構造として突出した力のある作品が追求され、『強度』がひとつの評価基準になっていた」(「シリーズ80年代考」ギャラリー16 2008年 38頁 以後注2)と回想している。彼の資料によって歴史の地盤が強化されたと、感謝したい。

第3章展示──小西裕司、松井紫朗、中西圭子、中西學、池垣タダヒコなど

左: 河合(田中)美和『5月の陽気』(1985年) 作家蔵 右: 松尾直樹『Heavy Corpus』(1985/86年)
わずかに年長な小生は、ギャラリー白の会場などで作家たちの会話に参加しないまま作品を観ていた。「色彩の復権、非日常的なスケール、イメージの氾濫、さまざまなインスタレーションなど」(注2 38頁)にみられる「関西ニューウェーブ」的な表現が理解できなかったのが正直な感想。本稿の歯切れが悪いのはこの為である。
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山部泰司『咲く力Ⅰ 1987-7』(1987年) 京都市美術館蔵 と作家

田嶋悦子『Hip Island』(1987年)再構成 岐阜県現代陶芸美術館蔵

中原浩大『ビリジアンアダプター+コウダイノモルファⅡ』(1989年)豊田市美術館・作家蔵
江上は80年代を「人間の諸問題にアナログの造形芸術で泥臭く取り組んだ、最後の時代であったのかもしれない」と総括。それにしても、会場で見渡すと教育者となった人ばかり、次世代に経験が引き継がれるとしても、小生には、戸惑いがつきまとう(くどいけど)。

海のデッキ側への通路
6. 「青りんごの精神」(安藤)
兵庫県立美術館は延床面積・約28,000㎡。堂々とした要塞のような、神殿のような建物で、初めて訪ねた時には、迷路にたじろぎ(今回もだが)、足が痙った。今日は海のテラス側に出てマグリットを連想させる安藤忠雄のオブジェに近づき、氏のメッセージを読む。「目指すは甘く実った赤リンゴではない、未熟で酸っぱくとも明日への希望に満ち溢れた青りんごの精神です」と──。

円形テラス

安藤忠雄『青りんご』2018年、設置: 海のデッキ
建物は阪神・淡路大震災からの復興のシンボルとして2002年に開館。海へ迫り出した大庇が外観上の特徴で、展示空間への様々な配慮、塩害対策の徹底を含め建築家協会賞特別賞を、隣接するなぎさ公園と共に2005年に獲得している。

大階段、ヤノベ作品の先には元永定正『きいろとぶるう』2011年

ヤノベケンジ『Sun Sister』(愛称: なぎさ)』2015年
先程まで観ていた作品の多くは展示空間の「強度」と拮抗できなかったように思う。凡夫の小生はヤノベケンジのなぎさちゃんを見上げるのですな、本日の歩数は13,439。
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尚、展覧会は8月21日(日)閉幕。小生は6月17日(金)の記者説明会で拝見し「美術館でブラパチ」第15回での報告を予定したが、諸般の事情で『プロレタリアの手』と差し替えさせてもらった。楽しみにされていた方々には迷惑をかけたと思う、記してお詫び申し上げたい。
(いしはら てるお)
・石原輝雄さんのエッセイ「美術館でブラパチ」は隔月・奇数月の18日に更新します。次回は11月18日です。どうぞお楽しみに。
●中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会

9月11日ブログで「中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会」を開催しています。
今月はブルーも鮮やかなサイトウ良の作品を特集しています。申込み締め切りは9月20日19時です。皆様のご支援をお願いします。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
『冊子・グラディヴァの頃』
展覧会 関西の80年代
兵庫県立美術館
2022年6月18日(土)~8月21日(日)

3階企画展示室への大階段。壁面に藤浩志『こいのぼりくんの一生』(1983/2022年) 作家蔵
今回は、安藤忠雄設計の兵庫県立美術館で開館20周年を記念し催された『関西の80年代』展を紹介したい。
阪急電鉄神戸線王子公園駅で下車しミュージアムロードに沿って海側へなだらかな坂を下る。JRと阪神を超えておよそ20分。椿昇のオブジェのお尻(?) から美術館屋上で待ち構えるホフマンの愛くるしいカエルを望む、暑い午後で参ります。

椿昇『PEASE CRACKER』(2014年)

屋上にフロレンティン・ホフマン『Kobe Frog(愛称: 美かえる)』(2011年)
西日本で最大規模と云う美術館のエントランスには「今、ふりかえる関西ニューウェーブ」と共に「80年代は、過去じゃない。」のサイン。「40年前の美術状況へ辿るのですか」同時代人として体験し、区切りなく今に続いている気分の小生は「過去じゃない。」と改められると、身構えますな、ほんと。

サインボックス
1. 「プロローグ(林檎と薔薇)」(江上)
大階段から繋がる迷路のような空間から入り、故・奥田善己の『’78-35』(1978年)と北辻良央の『WORK-RR2』(1982年)に対面する。前者の描く行為の根源を禁欲的に示した仕事が、北辻の物語性を帯びた表現へと開花していく様子は今展の導入部にふさわしく、懐かしい。

北辻良央『WORK-RR2』(1982年) 和歌山県立近代美術館蔵、左後方に朝比奈逸人、中谷昭雄
小生は画廊での発表よりも、写真集のような持ち運び可能で、街路で頁が捲られる媒体に興味を持ち、惹かれ、70年代前半を名古屋で過ごした。桜画廊などにも顔を出していたが、本格的に現代美術を知ったのは京都に移り、ギャラリー16へ通うようになってからである。コレクターとして同時代の美術家たちに紹介される中で、先鋭的な仕事の多くを知った。前述した二人の仕事も拝見、言葉をかけていただいた。
2. 冊子・グラディヴァ
気楽な観客である訳だが、シュルレアリスムに共感する者として「街路の思想」を具体化する表現を考えた。美術家としてではなく、出版人としてである(大げさ)。それで、冊子を準備した。幸い勤務先の関係で編集、写植、写真、レタッチ、印刷に精通する友人・知人に恵まれていたので、酒宴の力を借りて同意を取り付け、大判四つ折りアンカットのシートを作成した。狙いは同時代の作家紹介、批評家と作家のコラボ。ギャラリー16の井上道子の推薦で美術家を中谷昭雄、批評家を中島徳博としての創刊号となった。冊子の名前は『グラディヴァ』──ブルトンが30年代に短期間運営した画廊の名前を拝借し、シンボルにマルセル・デュシャンの扉デザインを用いた。

中谷昭雄『Passage』『Pass age』『Pas sage』(1982年) 作家蔵

同上
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冊子『グラディヴァ』創刊号(銀紙書房 1980年) 26×21cm 中谷昭雄特集、中島徳博「一枚の布」

中谷昭雄テキスト『ruri no shijima / you may dream』(6-7頁)
その中谷の作品を久しぶりに会場で拝見する。冊子の刊行から2年を経た連作『Passage』『Pass age』『Pas sage』(各1982年)。小ぶりになったが平面の磁場から逃れた麻布折りは、空間を志向するかのようだ。回文へのこだわりが彼にはあると思うが、小生、色彩の感覚が好きですな。現実の「夢」を借りた叙情性ある彼のテキスでは「絵は徹底して表面的な戯れであったとしても、それを対立、関係図式ではなく、その物理面を凌駕する深さ、奥行きに於いて捉えるものでなければならない」と綴られる。中谷の長所に「誠実さ」を捉える中島は「平面の問題等に関する知的な問い直しがある」としつつ「表面がどれほど強く平坦にプレスされていても、それがつねにひとつの均質な面となることを拒絶している」(中島徳博「一枚の布」1980年)と、その後の展開を予言。会場の連作はそうした格闘から生まれたのだと思う。
『グラディヴァ』は、続けて発行する計画だったが、画廊で顔を合わせる人たちから、誰かを選ぶこと、作品を買い求めることに居心地の悪さを感じるようになり、挫折。直接美術家から仕事の感想を求められる、これ嫌なんです。80年代中頃からは遠い異国のマン・レイばかりになってしまった。
3. シンデレラボーイ
北山善夫と出会ったのは、休日の午後、大阪に向う阪急電車の車内だった。彼は美術手帖のデュシャンの頁を開いていたし、小生はシルクで刷り上がったばかりのデュシャン・Tシャツを持っていた。『グラディヴァ』を編集した友人とローズ・セラヴィの肖像を再現してもいたのである。そのおりの小生の振る舞いを、後日、言葉を交わすようになってから、北山は笑う。彼とは画廊や美術館だけでなく、いろいろな街路ですれ違う。初対面の引力がいつまでも続く不思議な人。現代美術家としてのスタートは遅かったと聞くが、ギャラリー16での個展は81年6月、「竹を使って、紙を使って…」空中にドローイングを描く仕事は、表情豊かで、それまでには観たことのないものだった。「制作に熱中して奥さんの革鞄を切り刻んだり、邪魔になるからと家の柱も切ってしまった」と言う、あふれるエネルギーと共に愛される表情を持つ人。直後の第40回ヴェネツィア・ビエンナーレ参加で世界的に注目され80年代をシンデレラボーイのように駆け抜けたのは、よく知られている。

北山善夫『言い尽くせない』(1982年、2022年修復) 一般財団法人草月会蔵

同上 作家をパチリ

同上 冗舌な作家、右に福島敬恭『ENTASIS』(1983年)部分
第1章の動線を支配するように置かれた『言い尽くせない』(1982年)は、ヴェネツィアまで渡った大作で、「スペースが必要なのに、これまで草月会が持ってくれていた」と北山は嬉しそうに教えてくれた。小生は勧められるまま作品の内側に回り込み、枝越しに会場の他の作品を見渡す。すると、あの頃の情景が浮かび上がり、その後のドローイングの仕事が重なってきた、黒い紙面に無数の人体 ── ギャラリー16での対談で「ヴェニスではかなりの反響を受けた反面、大きな挫折感もあるんです」( 『リレートーク 50 years of galerie 16 1962-2012』ギャラリー16 2014年 114頁 以後注1)と支援制度のない日本の状況を回想している。

第1章展示 ── 福島敬恭、栗岡孝於、飯田三代、川島慶樹など

飯田三代『SURVIVE』(1982年) 作家蔵
視線の先には、トロピカルムードあふれる飯田三代の垂れ幕仕立ての大作『SURVIVE』(1982年)が掛けられている。彼女とはある版画家のパーティで知り合った。開放的な作風に惹かれて『グラディヴァ』の仲間が版画作品を購入したと記憶する。市井の会社員が同世代の美術表現に「連帯の挨拶」を送った80年代前半の開放感は、バブル景気の予兆であったのだろう、小生も写真のグループ展を組織したが目的は酒宴、騒ぎ過ぎて画廊主に叱られました(ハハ)。
4. 「困難ないまをよりよく生きるヒント」(江上)
公的な美術館を会場とする今展では、前身の兵庫県立近代美術館が催していたシリーズ展「アート・ナウ」を起点に「関西ニューウェーブ」として総称されることになる空間からはみ出すほどのエネルギーを発散させた大型作品など、36作家(グループ制作も1作家とカウント)の51作品を紹介している。リストをみると京都で学んだ人や京都を拠点として活動した人が多く、故・奥田善己は別として、故・堀尾貞治、榎忠らの仕事が神戸に軸足を置くも先行世代であった関係からか、活動記録写真での紹介にとどまったのは残念。京都、大阪、神戸の微妙な駆け引き、土地柄がもたらす人間性の諸相に、「関西」と冠した展覧会に違和感を覚えてしまうのである。

担当学芸員江上ゆか(記者説明会)、後方に森村泰昌『肖像(ファン・ゴッホ)』(1985年) 高松市美術館蔵
前身の美術館に1992年から勤めた担当学芸員の江上ゆかは「アート・ナウ」は体験しておらず、伝説として同僚から様子を聞いたという。今展では「企画者が観たかったものを展示」したようで、物理的に作品が残されていない場合は、再制作などを依頼したとも云う。江上によると「アート・ナウ」は「テーマ性のない荒っぽい企画だったが、時代をある種スピード感をもって駆け抜けた」。美術館のガラス窓を取り外した英断や、出品作家の様々な事柄を当時の学芸員であった山脇一夫や中島徳博から伺っていた小生には、「作品の姿を生き生きと伝えることを試みた」としても、40年の後には熱気のようなものは消え、インスタレーションといった表現の再制作に不毛を感じるのです。この点では思考の痕跡を資料で示した松井智恵に共感を持った。

石原友明『約束Ⅱ』(1984/2022年)部分 壁画部分再制作のうえ再構成 高松市美術館・作家蔵

杉山知子『the drift fish』(1984年) 作家蔵

松井智恵『80年代のインスタレーションに関する素材、記録』(1980年代)部分 作家蔵

同上
5.「『私』のリアリティ──イメージ、身体、物語」(江上)
ギャラリー16が広い空間に移転した年、衝撃的な作品と出会った。森村泰昌の『肖像(ファン・ゴッホ)』(1985年)である。マン・レイ作品以外は購入しないと決めていた小生も、心が揺れた。
また、番画廊での発表を見逃していた吉原英里の『M氏の部屋』(1986年)と出会えたのは爽やかな幸せとなった。帽子や傘やマフラーのリアリティ、机や椅子の再現感。版画でみせたラミネート技法が現実の空間を覆っている。インスタレーションと言えるが、空間への押し付けが無いのですな、「不在」を描いた故だろうか。会場で居合わせた彼女に思わずパチリをお願いした。

吉原英里『M氏の部屋』(1986年) 作家蔵 と作家
第3章の会場を巡りながら前述の二人以外では、北辻良央の『旅人と水守』と『無題』(どちらも1987年、前者は国立国際美術館で発表、後者はパチリ不可)に目をとめた。どうしてパチリがだめなのか、素人の疑問が膨らむ、お会いする機会があれば尋ねてみたい。
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説明が遅れたが会場はプロローグ(林檎と薔薇)で始まり、続いての以下4章から構成されている。── 第1章(フレームを超えて)、 第2章(インスタレーション──ニューウェーブの冒険)、 第3章(「私」のリアリティ──イメージ、身体、物語)、 第4章(「私」の延長に) 。
しかし、こうした章立ては可能なのだろうか、作品が干渉し合う雑駁な印象は、担当学芸員の展示センスに影響されたとも、80年代の時代状況を抜きにして美術作品だけを見せた為に生じたとも、推測する。政治的な立ち位置を示す作品もあるが、通路のサインは装飾的だし、会場のコメントなどもぼんやりとした印象。40年の間に忘れられてしまった美術家も多い、いや、ほとんどが、そうだろう。わたしたちが観なければならない作品があるはずだ。この点では、参考資料として並べられた展覧会の案内状やチラシなどに救われた。一時資料、大切なんですよ。

展覧会案内状: CITY/GALLERY、ギャラリー白、gallery coco、信濃橋画廊エプロンなど
京都市立芸術大学の山部泰司は、参考資料の重要性に早くから気付いていた人。「フジヤマゲイシャ」や「イエスアート」などの重要な自主企画展が彼のネットワークも含め継続して催されていた。特に後者の展覧会ではカタログが発行されており、山部はギャラリー16のシンポジウムで「作品写真とコメント、経歴だけではなく、評論家の先生方にもこちらからテキストを依頼して書いて頂きました。評論家に選ばれて我々が出品するのではなくて、自分達がメンバーを集めて評論家に執筆を依頼するというスタイルが重要なのだと思っていました」(注1 、126頁)と発言。また、別の機会では「構造として突出した力のある作品が追求され、『強度』がひとつの評価基準になっていた」(「シリーズ80年代考」ギャラリー16 2008年 38頁 以後注2)と回想している。彼の資料によって歴史の地盤が強化されたと、感謝したい。

第3章展示──小西裕司、松井紫朗、中西圭子、中西學、池垣タダヒコなど

左: 河合(田中)美和『5月の陽気』(1985年) 作家蔵 右: 松尾直樹『Heavy Corpus』(1985/86年)
わずかに年長な小生は、ギャラリー白の会場などで作家たちの会話に参加しないまま作品を観ていた。「色彩の復権、非日常的なスケール、イメージの氾濫、さまざまなインスタレーションなど」(注2 38頁)にみられる「関西ニューウェーブ」的な表現が理解できなかったのが正直な感想。本稿の歯切れが悪いのはこの為である。
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山部泰司『咲く力Ⅰ 1987-7』(1987年) 京都市美術館蔵 と作家

田嶋悦子『Hip Island』(1987年)再構成 岐阜県現代陶芸美術館蔵

中原浩大『ビリジアンアダプター+コウダイノモルファⅡ』(1989年)豊田市美術館・作家蔵
江上は80年代を「人間の諸問題にアナログの造形芸術で泥臭く取り組んだ、最後の時代であったのかもしれない」と総括。それにしても、会場で見渡すと教育者となった人ばかり、次世代に経験が引き継がれるとしても、小生には、戸惑いがつきまとう(くどいけど)。

海のデッキ側への通路
6. 「青りんごの精神」(安藤)
兵庫県立美術館は延床面積・約28,000㎡。堂々とした要塞のような、神殿のような建物で、初めて訪ねた時には、迷路にたじろぎ(今回もだが)、足が痙った。今日は海のテラス側に出てマグリットを連想させる安藤忠雄のオブジェに近づき、氏のメッセージを読む。「目指すは甘く実った赤リンゴではない、未熟で酸っぱくとも明日への希望に満ち溢れた青りんごの精神です」と──。

円形テラス

安藤忠雄『青りんご』2018年、設置: 海のデッキ
建物は阪神・淡路大震災からの復興のシンボルとして2002年に開館。海へ迫り出した大庇が外観上の特徴で、展示空間への様々な配慮、塩害対策の徹底を含め建築家協会賞特別賞を、隣接するなぎさ公園と共に2005年に獲得している。

大階段、ヤノベ作品の先には元永定正『きいろとぶるう』2011年

ヤノベケンジ『Sun Sister』(愛称: なぎさ)』2015年
先程まで観ていた作品の多くは展示空間の「強度」と拮抗できなかったように思う。凡夫の小生はヤノベケンジのなぎさちゃんを見上げるのですな、本日の歩数は13,439。
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尚、展覧会は8月21日(日)閉幕。小生は6月17日(金)の記者説明会で拝見し「美術館でブラパチ」第15回での報告を予定したが、諸般の事情で『プロレタリアの手』と差し替えさせてもらった。楽しみにされていた方々には迷惑をかけたと思う、記してお詫び申し上げたい。
(いしはら てるお)
・石原輝雄さんのエッセイ「美術館でブラパチ」は隔月・奇数月の18日に更新します。次回は11月18日です。どうぞお楽しみに。
●中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会

9月11日ブログで「中村哲医師とペシャワール会を支援する9月頒布会」を開催しています。
今月はブルーも鮮やかなサイトウ良の作品を特集しています。申込み締め切りは9月20日19時です。皆様のご支援をお願いします。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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