佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第69回
最近、私が住んでいる大玉村に立ち寄ってくれる人が増えた。大玉に引っ越したのが二年前のコロナ禍が本格化する直前であったので、ようやく人の移動に余白が生まれて、その余白に大玉訪問という時間がさしこまれたのだろうか。村に住んでいると言うと、何やらすごい遠い場所に居るように思われることも時々あるが、大玉村は実はそんなに最果ての土地ではない。幹線道路に近く、村内を東北道が縦断している。けれども大玉村では車庫証明が必要なかったりと、やはり低密度な居住圏であることは間違いない。
土地のゆとりは住み暮らす上でとても大事なことだろうと思う。今住んでいる家はすでにあった空き家を修理して使っているものだが、幾たびも増築が繰り返されている痕跡があり、まるで寝殿造のように雁行しながら、アメーバ状に家の平面形が広がっている。家主はどうやら農家の人ではなかったようで、いわゆる田の字型の農家住宅ではなくもっと細かな間取りがなされている。そのためすこし難儀する部分もあるが、けれども建坪で70坪くらいはあるのでやはり広いは広い。その家の中に、住居と、設計事務所、そして古本屋を入れ込んで、暮らしている。

(家の全景。手前のトラクターは近所の方のものである)
上の写真は、以前の個展の制作物撮影のために来村してもらった写真家のコムラマイさんに併せて撮ってもらったものである。夜に降った雪が溶け出した日和気味の午前中の景色だったと思う。
家は見ての通り、様々な年代の建屋が寄り集まってできている。山と川の間に当たるような土地であるので、どうも水捌けが悪く、空き家となっていた二年前のこの家は、床はほとんど抜け落ちて使えない状況だった。けれども半ば奇跡的に屋根の雨漏りも大してなく、外壁もとりあえずは大丈夫そうなので、外部にはほとんど手をつけずに内側の壁床天井をやり直す形で、手をいれている。

(住居部分の写真。モノは多いが部屋の広さで難を凌いでいる)
住居部分は、民家の既存の壁の内側にさらに壁を建てて、入れ子のようにして新たな部屋を作っている。新たな壁は110*200ほどのログ材を縦使いにして並べたものだ。写真にはアンパンマンやキティーちゃんやら、とりあえずガチャっと煙突を付けただけの薪ストーブや立てかけただけのストーブ裏の背板などがあるが、ひとまずはこんなモノに囲まれた中で生活している。
建築の設計をしていてよく考えるのは、特に住宅の設計などにおいては、「アンパンマンやピカチュウのぬいぐるみが居る部屋」をどのように作るか、ということだ。もちろん居て良いか悪いかの判断は人それぞれであるが、おそらく建築設計の人間の多くがミニマルで抽象的なモノのあり方を志向し、そうした強烈なキャラクターと同居することを好んでいない。それはつまるところ負け戦であることが決まっているからだ。ピカチュウには勝てない、とどこかで敗北を意識し、その世界線から逃れようとしているのだろう。たびたび設計屋のそうしたボヤキを聞くことがあり、それを聞くたびにインテリの偏狭さを痛感する。けれどもそのインテリのボヤキも理解はできる。なので自戒を込めて、そうしたアンパンマンとの協同の可能性を日々探っている。そんな難題が実はけっこう面白い。

(設計事務所の写真)
設計事務所の部屋も床壁天井を作り直している。材料は一番やすいパイン材の床板やベニヤを使っていて、それらに柿渋をドブドブ塗り込んでいる。2年経った今ではかなり黒く沈んで闇を生み出しつつある。なので、フッと思い立って、いくつかの壁天井の部分を銀色に塗ってみたこともあった。銀色はちょうど手元に銀色の耐熱塗料やローバル塗料があったからそれを塗っただけのことだが、ベニヤを大して下地処理も施さずに直塗りしてみて、なんとなく篠原一男さんや坂本一成さんといった東工大の建築を思い出した。私自身はなかなか彼らの建築と触れる機会の少ないのだが、少し縁遠い存在だからこそ、今とても気になる存在だ(並べるわけではないが、青木淳さんの建築も今とても興味がある)。篠原さんの何かの住宅の詳細図に、壁の仕上げで「ベニヤに銀塗装」があったのを記憶している。それを読み知ったとき、「ああ抽象を成り立たせるのは実はとても粗野なモノなのか」と妙になるほどと思ったのを覚えている。そんな新たな世界との遭遇の現場を、この部屋の壁を塗りながら思い起こしていた。

(古本屋「ころがろう書店」の写真)
そして住居と設計事務所の間に挟まれたところに、古本屋「ころがろう書店」がある。書店は妻の小倉麻衣さんがやっていて、彼女の文学好みが詰まっている。日本近代文学の古書などの特に大事な本は、上の写真の画角から外れた、もうすこし奥の棚に置いてある。近代文学の古書はどうやら決して世の中で人気の出るようなものではない。どちらかというと、世界の片隅を好むような人々によって幾重にも編み込まれた偏狂の空間だ。けれどもそんな片隅が途絶えることなく在り続け、常にその周囲の茫洋な世界を注視していることにとても意味がある。おそらく哲学なり、建築の偏狂、偏狭さも同じような意味があるのだろうと思う。
とはいえ、ころがろう書店は実は、大玉村なり福島県内で開かれる地域のマルシェイベントなどから最近よく声がかかっている。マルシェと上記の近代文学とが果たして濃密な関係を持ち得るのかはよくわからないが、ともかく少なくとも隣の設計事務所よりも地域の認知度は高い。なので私は「ころがろう書店の隣にいる人」と言う感じで挨拶をするのが通例だ。
そんなことからも小売というものの世界の広さを改めて感じ入っている。じつは「コロガロウ」という名前はかなり昔から付けていた名前だったのだが、そんなに大した意味はない。仁王立ちでもなく、寝るでもなく、転がるくらいが良いのではないかという考えで付けた名前だ。ただそこに「ガロウ」=画廊という名前を忍ばせていて、つまるところ何か古い物を売ってみたいなの願望をボンヤリと抱いていたのだった。そんな願望がいつのまにか、自分の隣で始まっていて、それはとても面白く思っている。
(さとう けんご)
*ころがろう書店(https://korogarobook.stores.jp/)
*All photo by comuramai (https://www.comuramai.com/)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
*画廊亭主敬白
本日から「第31回瑛九展」を開催します。亭主が愛してやまない瑛九の版画(銅版画とリトグラフ)の名品を出品展示します。
瑛九の年少の友人でエスペラント語の教え子だった湯浅英夫という写真家がいました。宮崎から上京し、数か月浦和のアトリエに滞在したこともあり、そのとき湯浅さんが撮影した多くの写真が残されています。回顧展や評伝などにその写真がしばしば使われています。湯浅さんのご遺族のもとには瑛九夫妻から贈られた多くの作品も保存されていました。
今回ご紹介する作品には湯浅さん旧蔵のものも含まれています。10月4日ブログに画像とデータを掲載しました。いずれも数部しか刷られなかった作家自刷りの銅版画を入手するまたとない機会です。ぜひコレクションに加えてください。
◆第31回 瑛九展
会期=2022年10月7日(金)~10月22日(土)※日・月・祝日休廊
出品作品の詳細と展示風景は10月4日ブログをご覧ください。

最近、私が住んでいる大玉村に立ち寄ってくれる人が増えた。大玉に引っ越したのが二年前のコロナ禍が本格化する直前であったので、ようやく人の移動に余白が生まれて、その余白に大玉訪問という時間がさしこまれたのだろうか。村に住んでいると言うと、何やらすごい遠い場所に居るように思われることも時々あるが、大玉村は実はそんなに最果ての土地ではない。幹線道路に近く、村内を東北道が縦断している。けれども大玉村では車庫証明が必要なかったりと、やはり低密度な居住圏であることは間違いない。
土地のゆとりは住み暮らす上でとても大事なことだろうと思う。今住んでいる家はすでにあった空き家を修理して使っているものだが、幾たびも増築が繰り返されている痕跡があり、まるで寝殿造のように雁行しながら、アメーバ状に家の平面形が広がっている。家主はどうやら農家の人ではなかったようで、いわゆる田の字型の農家住宅ではなくもっと細かな間取りがなされている。そのためすこし難儀する部分もあるが、けれども建坪で70坪くらいはあるのでやはり広いは広い。その家の中に、住居と、設計事務所、そして古本屋を入れ込んで、暮らしている。

(家の全景。手前のトラクターは近所の方のものである)
上の写真は、以前の個展の制作物撮影のために来村してもらった写真家のコムラマイさんに併せて撮ってもらったものである。夜に降った雪が溶け出した日和気味の午前中の景色だったと思う。
家は見ての通り、様々な年代の建屋が寄り集まってできている。山と川の間に当たるような土地であるので、どうも水捌けが悪く、空き家となっていた二年前のこの家は、床はほとんど抜け落ちて使えない状況だった。けれども半ば奇跡的に屋根の雨漏りも大してなく、外壁もとりあえずは大丈夫そうなので、外部にはほとんど手をつけずに内側の壁床天井をやり直す形で、手をいれている。

(住居部分の写真。モノは多いが部屋の広さで難を凌いでいる)
住居部分は、民家の既存の壁の内側にさらに壁を建てて、入れ子のようにして新たな部屋を作っている。新たな壁は110*200ほどのログ材を縦使いにして並べたものだ。写真にはアンパンマンやキティーちゃんやら、とりあえずガチャっと煙突を付けただけの薪ストーブや立てかけただけのストーブ裏の背板などがあるが、ひとまずはこんなモノに囲まれた中で生活している。
建築の設計をしていてよく考えるのは、特に住宅の設計などにおいては、「アンパンマンやピカチュウのぬいぐるみが居る部屋」をどのように作るか、ということだ。もちろん居て良いか悪いかの判断は人それぞれであるが、おそらく建築設計の人間の多くがミニマルで抽象的なモノのあり方を志向し、そうした強烈なキャラクターと同居することを好んでいない。それはつまるところ負け戦であることが決まっているからだ。ピカチュウには勝てない、とどこかで敗北を意識し、その世界線から逃れようとしているのだろう。たびたび設計屋のそうしたボヤキを聞くことがあり、それを聞くたびにインテリの偏狭さを痛感する。けれどもそのインテリのボヤキも理解はできる。なので自戒を込めて、そうしたアンパンマンとの協同の可能性を日々探っている。そんな難題が実はけっこう面白い。

(設計事務所の写真)
設計事務所の部屋も床壁天井を作り直している。材料は一番やすいパイン材の床板やベニヤを使っていて、それらに柿渋をドブドブ塗り込んでいる。2年経った今ではかなり黒く沈んで闇を生み出しつつある。なので、フッと思い立って、いくつかの壁天井の部分を銀色に塗ってみたこともあった。銀色はちょうど手元に銀色の耐熱塗料やローバル塗料があったからそれを塗っただけのことだが、ベニヤを大して下地処理も施さずに直塗りしてみて、なんとなく篠原一男さんや坂本一成さんといった東工大の建築を思い出した。私自身はなかなか彼らの建築と触れる機会の少ないのだが、少し縁遠い存在だからこそ、今とても気になる存在だ(並べるわけではないが、青木淳さんの建築も今とても興味がある)。篠原さんの何かの住宅の詳細図に、壁の仕上げで「ベニヤに銀塗装」があったのを記憶している。それを読み知ったとき、「ああ抽象を成り立たせるのは実はとても粗野なモノなのか」と妙になるほどと思ったのを覚えている。そんな新たな世界との遭遇の現場を、この部屋の壁を塗りながら思い起こしていた。

(古本屋「ころがろう書店」の写真)
そして住居と設計事務所の間に挟まれたところに、古本屋「ころがろう書店」がある。書店は妻の小倉麻衣さんがやっていて、彼女の文学好みが詰まっている。日本近代文学の古書などの特に大事な本は、上の写真の画角から外れた、もうすこし奥の棚に置いてある。近代文学の古書はどうやら決して世の中で人気の出るようなものではない。どちらかというと、世界の片隅を好むような人々によって幾重にも編み込まれた偏狂の空間だ。けれどもそんな片隅が途絶えることなく在り続け、常にその周囲の茫洋な世界を注視していることにとても意味がある。おそらく哲学なり、建築の偏狂、偏狭さも同じような意味があるのだろうと思う。
とはいえ、ころがろう書店は実は、大玉村なり福島県内で開かれる地域のマルシェイベントなどから最近よく声がかかっている。マルシェと上記の近代文学とが果たして濃密な関係を持ち得るのかはよくわからないが、ともかく少なくとも隣の設計事務所よりも地域の認知度は高い。なので私は「ころがろう書店の隣にいる人」と言う感じで挨拶をするのが通例だ。
そんなことからも小売というものの世界の広さを改めて感じ入っている。じつは「コロガロウ」という名前はかなり昔から付けていた名前だったのだが、そんなに大した意味はない。仁王立ちでもなく、寝るでもなく、転がるくらいが良いのではないかという考えで付けた名前だ。ただそこに「ガロウ」=画廊という名前を忍ばせていて、つまるところ何か古い物を売ってみたいなの願望をボンヤリと抱いていたのだった。そんな願望がいつのまにか、自分の隣で始まっていて、それはとても面白く思っている。
(さとう けんご)
*ころがろう書店(https://korogarobook.stores.jp/)
*All photo by comuramai (https://www.comuramai.com/)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
*画廊亭主敬白
本日から「第31回瑛九展」を開催します。亭主が愛してやまない瑛九の版画(銅版画とリトグラフ)の名品を出品展示します。
瑛九の年少の友人でエスペラント語の教え子だった湯浅英夫という写真家がいました。宮崎から上京し、数か月浦和のアトリエに滞在したこともあり、そのとき湯浅さんが撮影した多くの写真が残されています。回顧展や評伝などにその写真がしばしば使われています。湯浅さんのご遺族のもとには瑛九夫妻から贈られた多くの作品も保存されていました。
今回ご紹介する作品には湯浅さん旧蔵のものも含まれています。10月4日ブログに画像とデータを掲載しました。いずれも数部しか刷られなかった作家自刷りの銅版画を入手するまたとない機会です。ぜひコレクションに加えてください。
◆第31回 瑛九展
会期=2022年10月7日(金)~10月22日(土)※日・月・祝日休廊
出品作品の詳細と展示風景は10月4日ブログをご覧ください。

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