〈発想〉について 第5回(全5回)
関根伸夫 (1976年執筆の再録)
かって見た光景が、作品構想の大きな根拠になる例はしばしば経験する事であるが、逆に、作ってしまった作品が、その後訪れた光景とよく合致してしまい、しかももっと壮大な世界へと導かれるのは不思議に快い体験であった。

関根伸夫
『三つの山』
1976年
一昨年の春、友人数名と東洋美術の源流を訪ねようという気分で韓国を旅行した。韓国の印象を一度の旅行で語るのは極めて困難だが、近代化されていなかった明治大正期、あるいは万葉の時代の日本もたぶんこうではなかったかと感じられて素晴らしかった。≪故郷≫の土の香りがかくも新鮮な驚きとしてあるのは感動的なことである。韓国をして≪東洋のギリシャ≫というそうだが、乾燥した大気と濃く荒くれた緑、赤い大地は地中海的風光を憶わせる。新聞の政治的情報における、奇妙にゆがめられたイメージと異なって、私の出合った風土や民衆は、明るい冗談に満ちたものであった。前衛美術家の集団による≪ソウル・アンデパンダン≫の展覧会やら、街の画廊を巡る数日を経た後、出品作家数名とわれわれは韓国や日本の美術の現実を語り合いつつ、代表的な遺跡を望む小旅行に向かった。近代的都市ソウルからバスで五時間、田園を走ると目的地、慶州がある。
近づくにしたがい、私は目前に繰り広げられる光景に目を見はらざるを得なかった。なぜというに、何と数ケ月前に完成した私の彫刻わずか数十センチの黒御影石の≪二つの山≫の土木的スケールで現実化された物が、山裾や平野のあちこちに無数にあるではないか。一行の一人朴先生は、「私はこれをお墓のハプニングと呼んでいるんですよ」と説明してくれたが、なるほど古代の古墓やら、現代人の墓が、山のふもとや平原にまるで大地が丸いウミをもたげたように突起し群生しているのである。慶州といえば新羅時代の主都であったと聞くが、当時奈良朝人がこの地方の風光に合わせて大和という地を選択したのかと合点できるように、あの耳成山や畝傍の山々に酷似した自然の成立ちである。そこに高麗芝におおわれた丸い半球状の古墓が起立し、背景のなだらかな山々と重なり合う。あるいは風化せられた古墓などは、自然の山と、どれが山でどれが人工かと見まごう風であった。おおげさな言い方なら、万葉の故郷とは、かくの如き自然と人間の行為が大きく感応しあう、喚びあう世界ではないだろうかと思える。夕日が沈むころになると、背後の山々は夕餉の支度を調える村々の煙と霞で青みを増してくる。午前の古墓の乳房はゆるやかな稜線を金色に輝かせ、背後の山々のシルエットと重なり合う。太古の、万葉の光景ともいうべき風光が、われわれにおおいなる平安を与えて夜に突入する。まったく二つの山からなる双子墓のシルエットには私も無口を保つしかなかった。
さて、私の彫刻作品≪二つの山≫を構想したのは偶然の重なりからである。デッサンでなぐり描きする過程で形状が瓢箪形や乳房や尻を思わすものが多くなって、石に彫刻することによって具体化されたまでのこと。すなわち、黒い磨き面とノミ切りの膚との二つの対比を強引に結びつけたものである。作品全体に大地性を与えるために接地面を水平にして吸いつくように気をつかった。
左に掲げた写真は、特に自然化した状態をつくり出すために野外にもち出して撮影したものである。多分にこういった発想は自己の小さな内部に止まりやすいが、これを拡大して土木的に、自然空間でのスケールに置きかえてみれば、慶州のこの古墓群の光景に、その具現の大きさを知らされた様に思われる。正確にいうなら、私が構想した作品はすでに太古より、もっと壮大で、もっと世界をともなった次元で具現されていたのである。やられたな、と思いつも、しかし、私自身は決して彫刻する行為を止められないと思う。なぜなら、私自身の行為をはるかに超えて存在する世界を体験することは、また遠く続く行為を確認することでもある。太古人のおおいなる夢の跡を確認することは、現代人たるわれわれの行為とも決して変わることのない世界を共有することである……と、そんな憶いをはせながらまた私は己れの行為を誇大妄想的にも正当づけている自分に気付きながらも、太古人の行為を尊敬してやまない態度を保持している。しかも相として、表情として顕在化させるべき世界を予感しているといったら笑われるだろうか。
さて、慶州の古墓と≪二つの山≫にちなみ一句。
双子山 ふれる谷間に 時のぬくもり
(せきね のぶお)
*「版画センターニュース」第17号より再録
現代版画センター機関誌・1976年8月1日発行
出品リストNo.12
関根伸夫
《空相ー銅鐸》 (レゾネNo.77)
1972
ブロンズ
W28.0×D10.0×H25.0cm
サインと年記あり
出品リストNo.14
関根伸夫
《空相ー二つの山》
1974
黒御影石
W70.0×D33.0×H35.0cm
底面にサインと年記あり
出品リストNo.16
関根伸夫
《空相―円》(レゾネ No.147)
1977
ブロンズ
W55.5×D20.0×H56.0cm
台座W35.0×D15.0×H10.2cm
サインあり
*画廊亭主敬白
ときの忘れものでは初めてとなる関根伸夫先生の個展は昨日大盛況のうちに終了いたしました。
川越高校、多摩美の同級生や後輩のみなさん、環境美術研究所のOBたち、梅津元先生はじめ関根研究に携わってきた研究者、埼玉や川越の美術館の学芸員、ご家族、ご親戚など多くの方に交じり、「位相ー大地」の写真で関根伸夫先生のことを初めて知った人、お父さんは知らないけれど関根光才さんのファンだから来たという人まで、関根先生を直接は知らない若い人たちの来廊が多いのには驚きました。
亭主は関根先生とは1974年以来の長い付き合いでした。ブログでもあれこれを紹介してきたのでご参照ください。
・現代版画センター全国同時展 「島州一・関根伸夫クロスカントリー7500km/MORIOKA第一画廊」(1975年11月1日)
・関根伸夫ヨーロッパ巡回展歓送会(1978年7月10日)
・堀 正「酒田大火復興のモニュメント・ふれあいの門」(1979年2月1日ブログ)
・'82関根伸夫全国展とオリジナル入りカタログ刊行(1982年11月5日)
・宇都宮大谷・巨大地下空間でのウォーホル展会場構成(1983年7月23日)
・虎ノ門パストラル(東京農林年金会館新館)落成(1984年3月9日)
・立松和平さんと関根伸夫さん(2010年3月11日ブログ)
・ロスのBlum & Poeで関根伸夫個展(2014年1月28日ブログ)
・関根伸夫先生 ロスより飛来(2015年3月7日ブログ)
・関根伸夫先生を囲んで(2016年9月7日ブログ)
・長編ドキュメンタリー映画『太陽の塔(仮)』監督に関根光才さん(2016年10月17日ブログ)
・もの派の関根伸夫がフルクサスの靉嘔86歳を寿ぐ(2017年3月8日ブログ)
・生前最後の個展「ロスから関根伸夫先生を迎えて、銀座・Gせいほうのオープニング」(2018年6月22日ブログ)
・駒込に関根ガーデンが誕生(2018年7月8日ブログ)
・関根伸夫の版画(2018年7月9日ブログ)
・ルイジアナ美術館の関根ガーデン(2018年7月12日ブログ)
・追悼 関根伸夫先生(2019年5月19日ブログ)
・関根伸夫 「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin のためのノート」
・関根伸夫73歳 「日本美術オーラル・ヒストリー」
・梅津元「関根伸夫資料をめぐって」
・鏑木あづさ 「関根伸夫資料をめぐって」
・土渕信彦 「梅津元の関根伸夫 追悼トーク(2019年6月1日開催)」
・濱田千里 「川越市立美術館 小特集:関根伸夫と現代の美術について」
今回は学生時代の初期作品を中心に展示しましたが、ときの忘れものは70年代の「絵空事」シリーズから最晩年の「位相絵画」「スキン」連作に至るまでの各時代の作品群を多数所蔵しています。
来年以降も順次展覧会を企画し、関根先生の顕彰と紹介に努めたいと思っています。
■関根伸夫(せきね のぶお) (1942~2019)
1942年9月12日埼玉県生まれ。1962年多摩美術大学油画入学、1966年多摩美術大学大学院油画研究科入学、斎藤義重、高松次郎に師事(1968年修了)。1968年に第8回現代日本美術展《位相No.6》、神戸須磨離宮公園現代彫刻展《位相―大地》、第5回長岡現代美術館賞展《位相―スポンジ》などで次々と受賞。日本発の現代美術ムーブメント[もの派]を代表する作家として活躍する。1970年第35回ヴェネチア・ビエンナーレではステンレスの柱の上に自然石を置いた《空相》を発表し、高い評価を得る。これを機に渡欧(1971年帰国)。ヨーロッパの建築空間に触発され、1973年環境美術研究所を設立。1972年埼玉県志木市庁舎モニュメント《空相》を制作、以後各地で多くのパブリック・アートを展開した(2010年閉所)。1977年デンマーク・ルイジアナ美術館にセキネ・コーナーが完成。2010年上海へ移住。2012年ロサンゼルス南部のパロスバーデス半島に移住し制作活動を行なう。2019年 5月13日ロサンゼルス郊外のトーランス市の病院にて永逝(享年76)。
●本日(日曜)と明日(月曜)は休廊日です。
◆「関根伸夫展―旅する人」は終了しました

●関根伸夫展カタログのご案内
『関根伸夫展―旅する人』カタログ
発行日:2023年1月20日
発行:ときの忘れもの
図版:22点
執筆:関根伸夫「<発想>について」(1976年執筆)
編集:尾立麗子
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.6×17.1cm、32頁、
日本語・英語併記
価格:880円(税込)+送料250円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

関根伸夫 (1976年執筆の再録)
かって見た光景が、作品構想の大きな根拠になる例はしばしば経験する事であるが、逆に、作ってしまった作品が、その後訪れた光景とよく合致してしまい、しかももっと壮大な世界へと導かれるのは不思議に快い体験であった。

関根伸夫
『三つの山』
1976年
一昨年の春、友人数名と東洋美術の源流を訪ねようという気分で韓国を旅行した。韓国の印象を一度の旅行で語るのは極めて困難だが、近代化されていなかった明治大正期、あるいは万葉の時代の日本もたぶんこうではなかったかと感じられて素晴らしかった。≪故郷≫の土の香りがかくも新鮮な驚きとしてあるのは感動的なことである。韓国をして≪東洋のギリシャ≫というそうだが、乾燥した大気と濃く荒くれた緑、赤い大地は地中海的風光を憶わせる。新聞の政治的情報における、奇妙にゆがめられたイメージと異なって、私の出合った風土や民衆は、明るい冗談に満ちたものであった。前衛美術家の集団による≪ソウル・アンデパンダン≫の展覧会やら、街の画廊を巡る数日を経た後、出品作家数名とわれわれは韓国や日本の美術の現実を語り合いつつ、代表的な遺跡を望む小旅行に向かった。近代的都市ソウルからバスで五時間、田園を走ると目的地、慶州がある。
近づくにしたがい、私は目前に繰り広げられる光景に目を見はらざるを得なかった。なぜというに、何と数ケ月前に完成した私の彫刻わずか数十センチの黒御影石の≪二つの山≫の土木的スケールで現実化された物が、山裾や平野のあちこちに無数にあるではないか。一行の一人朴先生は、「私はこれをお墓のハプニングと呼んでいるんですよ」と説明してくれたが、なるほど古代の古墓やら、現代人の墓が、山のふもとや平原にまるで大地が丸いウミをもたげたように突起し群生しているのである。慶州といえば新羅時代の主都であったと聞くが、当時奈良朝人がこの地方の風光に合わせて大和という地を選択したのかと合点できるように、あの耳成山や畝傍の山々に酷似した自然の成立ちである。そこに高麗芝におおわれた丸い半球状の古墓が起立し、背景のなだらかな山々と重なり合う。あるいは風化せられた古墓などは、自然の山と、どれが山でどれが人工かと見まごう風であった。おおげさな言い方なら、万葉の故郷とは、かくの如き自然と人間の行為が大きく感応しあう、喚びあう世界ではないだろうかと思える。夕日が沈むころになると、背後の山々は夕餉の支度を調える村々の煙と霞で青みを増してくる。午前の古墓の乳房はゆるやかな稜線を金色に輝かせ、背後の山々のシルエットと重なり合う。太古の、万葉の光景ともいうべき風光が、われわれにおおいなる平安を与えて夜に突入する。まったく二つの山からなる双子墓のシルエットには私も無口を保つしかなかった。
さて、私の彫刻作品≪二つの山≫を構想したのは偶然の重なりからである。デッサンでなぐり描きする過程で形状が瓢箪形や乳房や尻を思わすものが多くなって、石に彫刻することによって具体化されたまでのこと。すなわち、黒い磨き面とノミ切りの膚との二つの対比を強引に結びつけたものである。作品全体に大地性を与えるために接地面を水平にして吸いつくように気をつかった。
左に掲げた写真は、特に自然化した状態をつくり出すために野外にもち出して撮影したものである。多分にこういった発想は自己の小さな内部に止まりやすいが、これを拡大して土木的に、自然空間でのスケールに置きかえてみれば、慶州のこの古墓群の光景に、その具現の大きさを知らされた様に思われる。正確にいうなら、私が構想した作品はすでに太古より、もっと壮大で、もっと世界をともなった次元で具現されていたのである。やられたな、と思いつも、しかし、私自身は決して彫刻する行為を止められないと思う。なぜなら、私自身の行為をはるかに超えて存在する世界を体験することは、また遠く続く行為を確認することでもある。太古人のおおいなる夢の跡を確認することは、現代人たるわれわれの行為とも決して変わることのない世界を共有することである……と、そんな憶いをはせながらまた私は己れの行為を誇大妄想的にも正当づけている自分に気付きながらも、太古人の行為を尊敬してやまない態度を保持している。しかも相として、表情として顕在化させるべき世界を予感しているといったら笑われるだろうか。さて、慶州の古墓と≪二つの山≫にちなみ一句。
双子山 ふれる谷間に 時のぬくもり
(せきね のぶお)
*「版画センターニュース」第17号より再録
現代版画センター機関誌・1976年8月1日発行
出品リストNo.12 関根伸夫
《空相ー銅鐸》 (レゾネNo.77)
1972
ブロンズ
W28.0×D10.0×H25.0cm
サインと年記あり
出品リストNo.14 関根伸夫
《空相ー二つの山》
1974
黒御影石
W70.0×D33.0×H35.0cm
底面にサインと年記あり
出品リストNo.16 関根伸夫
《空相―円》(レゾネ No.147)
1977
ブロンズ
W55.5×D20.0×H56.0cm
台座W35.0×D15.0×H10.2cm
サインあり
*画廊亭主敬白
ときの忘れものでは初めてとなる関根伸夫先生の個展は昨日大盛況のうちに終了いたしました。
川越高校、多摩美の同級生や後輩のみなさん、環境美術研究所のOBたち、梅津元先生はじめ関根研究に携わってきた研究者、埼玉や川越の美術館の学芸員、ご家族、ご親戚など多くの方に交じり、「位相ー大地」の写真で関根伸夫先生のことを初めて知った人、お父さんは知らないけれど関根光才さんのファンだから来たという人まで、関根先生を直接は知らない若い人たちの来廊が多いのには驚きました。
亭主は関根先生とは1974年以来の長い付き合いでした。ブログでもあれこれを紹介してきたのでご参照ください。
・現代版画センター全国同時展 「島州一・関根伸夫クロスカントリー7500km/MORIOKA第一画廊」(1975年11月1日)
・関根伸夫ヨーロッパ巡回展歓送会(1978年7月10日)
・堀 正「酒田大火復興のモニュメント・ふれあいの門」(1979年2月1日ブログ)
・'82関根伸夫全国展とオリジナル入りカタログ刊行(1982年11月5日)
・宇都宮大谷・巨大地下空間でのウォーホル展会場構成(1983年7月23日)
・虎ノ門パストラル(東京農林年金会館新館)落成(1984年3月9日)
・立松和平さんと関根伸夫さん(2010年3月11日ブログ)
・ロスのBlum & Poeで関根伸夫個展(2014年1月28日ブログ)
・関根伸夫先生 ロスより飛来(2015年3月7日ブログ)
・関根伸夫先生を囲んで(2016年9月7日ブログ)
・長編ドキュメンタリー映画『太陽の塔(仮)』監督に関根光才さん(2016年10月17日ブログ)
・もの派の関根伸夫がフルクサスの靉嘔86歳を寿ぐ(2017年3月8日ブログ)
・生前最後の個展「ロスから関根伸夫先生を迎えて、銀座・Gせいほうのオープニング」(2018年6月22日ブログ)
・駒込に関根ガーデンが誕生(2018年7月8日ブログ)
・関根伸夫の版画(2018年7月9日ブログ)
・ルイジアナ美術館の関根ガーデン(2018年7月12日ブログ)
・追悼 関根伸夫先生(2019年5月19日ブログ)
・関根伸夫 「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin のためのノート」
・関根伸夫73歳 「日本美術オーラル・ヒストリー」
・梅津元「関根伸夫資料をめぐって」
・鏑木あづさ 「関根伸夫資料をめぐって」
・土渕信彦 「梅津元の関根伸夫 追悼トーク(2019年6月1日開催)」
・濱田千里 「川越市立美術館 小特集:関根伸夫と現代の美術について」
今回は学生時代の初期作品を中心に展示しましたが、ときの忘れものは70年代の「絵空事」シリーズから最晩年の「位相絵画」「スキン」連作に至るまでの各時代の作品群を多数所蔵しています。
来年以降も順次展覧会を企画し、関根先生の顕彰と紹介に努めたいと思っています。
■関根伸夫(せきね のぶお) (1942~2019)
1942年9月12日埼玉県生まれ。1962年多摩美術大学油画入学、1966年多摩美術大学大学院油画研究科入学、斎藤義重、高松次郎に師事(1968年修了)。1968年に第8回現代日本美術展《位相No.6》、神戸須磨離宮公園現代彫刻展《位相―大地》、第5回長岡現代美術館賞展《位相―スポンジ》などで次々と受賞。日本発の現代美術ムーブメント[もの派]を代表する作家として活躍する。1970年第35回ヴェネチア・ビエンナーレではステンレスの柱の上に自然石を置いた《空相》を発表し、高い評価を得る。これを機に渡欧(1971年帰国)。ヨーロッパの建築空間に触発され、1973年環境美術研究所を設立。1972年埼玉県志木市庁舎モニュメント《空相》を制作、以後各地で多くのパブリック・アートを展開した(2010年閉所)。1977年デンマーク・ルイジアナ美術館にセキネ・コーナーが完成。2010年上海へ移住。2012年ロサンゼルス南部のパロスバーデス半島に移住し制作活動を行なう。2019年 5月13日ロサンゼルス郊外のトーランス市の病院にて永逝(享年76)。
●本日(日曜)と明日(月曜)は休廊日です。
◆「関根伸夫展―旅する人」は終了しました

●関根伸夫展カタログのご案内
『関根伸夫展―旅する人』カタログ発行日:2023年1月20日
発行:ときの忘れもの
図版:22点
執筆:関根伸夫「<発想>について」(1976年執筆)
編集:尾立麗子
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.6×17.1cm、32頁、
日本語・英語併記
価格:880円(税込)+送料250円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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