井戸沼紀美「生誕100年ジョナス・メカス情報/『恵比寿映像祭「ジョナス・メカス―3章のフィルム・プログラム」』レポート」
ジョナス・メカスの生誕100年を記念するイベントは、日本でも複数実施されている。昨年11月には、一之瀬ちひろさんが企画された『ジョナス・メカス 生誕100年 上映会』が東京大学駒場キャンパスで実施され、12月には渋谷のイメージフォーラムで『リトアニアへの旅の追憶』が上映された。
年が明けてもその勢いはとまらず、2月には『恵比寿映像祭2023』で「ジョナス・メカス―3章のフィルム・プログラム」と題された上映プログラムが組まれ、京都でも『メカスとウォーホル』という上映+トークが開催された。今回のブログでは、上記2つのイベントに参加したリトアニア出身のキュレーター、イネサ・ブラシスケさん、ルーカス・ブラシスキスさんとの会話内容も交えながら、特に『恵比寿映像祭』のプログラム内容についてレポートしたいと思う。
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『恵比寿映像祭』の上映プログラムは「歴史を記述すること、歴史へ記述されること:ニューヨーク前衛の記録とポートレイト」「カメラを持った遊歩者(フラヌール)」「時間とまなざしの動き:マリー・メンケン監督作品特集上映」という3章によって構成されていた。
第1章「歴史を記述すること、歴史へ記述されること:ニューヨーク前衛の記録とポートレイト」では、ジョナス・メカスの周囲の状況や交友関係に目が向けられている。始めに上映された『アンディ・ウォーホルの授賞式』(1964年、12分)では、メカスと弟のアドルファスによって創刊された『フィルムカルチャー』誌でアンディ・ウォーホルが「Independent Film award」を受賞し、記念の品らしきフルーツバスケットを受け取る様子が楽しげに映し出される。続く『ゼフィーロ・トルナー、あるいはジョージ・マチューナス(フルクサス)の生活風景』(1992年、35分)は、リトアニア出身の美術家、ジョージ・マチューナスについての物悲しげで美しいポートレイト。「内側にも地図の上にも居場所をなくし、意志の力のみで」立っていたという、「あとは野となれ山となれの生き方」のマチューナスの死を追悼するような1本だ。ストーム・デ・ハーシュが撮影した『Newsreel: Jonas in the Brig』(1964年、5分)は、その名の通りメカスの作品『営倉』(1964年、68分)の撮影現場を映したシンプルな内容。ギデオン・バックマンによるドキュメンタリー『Jonas』(1968年、32分)は、NYの公園でフィルム撮影を行うメカスと、実際に完成した映画を見比べられたのが面白かった。
第2章「カメラを持った遊歩者(フラヌール)」では、戦争による強制移住というトラウマ的な体験も含めたメカスの「移動性」に焦点が当てられる。『カシス』(1966年、4分)や、韓国・光州の展示でも上映されていた『旅の歌(Travel Songs)』(1967-1981年、25分)は、メカスが訪れた世界各地の土地の様子が断片的で詩的な映像と共に映し出される美しい作品群だ。日本で撮影された『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』(1996年、24分)は、何度観ても激しいパーカッションの音が記憶に残る。さらに、この章で最も新鮮だったのは、『Williamsburg, Brooklyn』(2003年、15分)と『Song of Avignon』(1998年、8分)の2作である。2つの作品に共通しているのは、メカスの言葉からとめどなく溢れ出す悲しさだ。『Williamsburg, Brooklyn』でメカスは「ブルックリンを一人で歩いて 孤独で泣いていた」と話す。ウィリアムズバーグ(ブルックリン区の近隣住区の一つ)は、当時リトアニア人が多く移り住んだ場所だったのだそうだ。『Song of Avignon』では「20才で死なない人間は40才で死ぬ」などといったメカスの悲観的なテキストが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの最初のドラマーとして知られ、41才で亡くなったアンガス・マクリーズの声で朗読される。
『Song of Avignon』で読まれるテキストは1966年の旅のものということで、直接的に結びつけて良いかは分からないけれど、メカスが1990年代後半から2000年代序盤に発表した作品に隠しきれない悲しさが滲むのには、元妻ホリスとの離婚が影響しているというのが私の持論だ。50才を過ぎて結婚したメカスは2000年代初頭にホリスと別れ、2004年の作品『グリーン・ポイントからの手紙』でも、どこか投げやりで、寂しげな様子をうかがわせていた。だからこそ『Song of Avignon』の最後で「君はいつも私を見ていた」というテキストの前後に映し出されるホリスさんの姿や、メカスさんの悲しげな表情が、胸にこびりついて離れない。ちなみに同作の制作年数は多くのウェブサイトで「1998年」と記載されているけれど、映画の最後には「Jonas c︎2000」と表記されている(詳しい理由は分からない)。

ジョナス・メカス《カシス》
1966年/4分30秒/デジタル(オリジナル:16ミリフィルム)/サウンド/配給:The Film-Makers’ Cooperative

ジョナス・メカス《旅の歌》
1967-1981年/25分/デジタル(オリジナル:16ミリフィルム)/英語[日本語字幕付]|配給:The Film-Makers’ Cooperative
第3章「時間とまなざしの動き:マリー・メンケン監督作品特集上映」では、メカスと交流のあった映像作家マリー・メンケンの5作とジョナス・メカスの『サーカス・ノート』(1966年、12分)が紹介された。このプログラムを見たとき、真っ先に脳裏に浮かんだのは2012年の『恵比寿映像祭』でも上映された『Sleepless Nights Stories』(2011年、114分)のことだ。この映画の劇中、メカスは約10分にわたってメンケンに語りかけていた。「映画作家であり、美しい人」「とても慎ましい人(so humble)」「自宅に誰でも迎え入れてくれた、ケネス・アンガーも4か月その家にいて、影響を受けたと認めている」などとメンケンを紹介したのち「マリー・メンケンがどれだけ映画に貢献したかを、我々はようやく今理解し始めた」「抒情的で私的な映画の形を生み出した」と賞賛したメカス。シーンの最後では、リトアニアの母を持つメンケンに、故郷の歌と赤ワインのグラスを捧げていた。そんなメンケンの作品が日本でもまとめて上映されたことは本当に喜ばしい出来事であるし、植物や道路の傷、街の人々に向けられたメンケンのピュアで洞察力のある眼差しには、たちまち魅了されてしまった。
第3章の説明文に「戦後のニューヨークの前衛映画界は、ほとんどが男性優位の環境だった」と記されていたことについても触れておきたい。トッド・ヘインズが監督し、メカスも出演している2021年の映画『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』でも、映画批評家が当時の状況について「女性の魅力はこうあるべきという共通認識があり、ファクトリーは女性にとって居やすい場所ではなかった」と語っていたけれど、確かに『アンディ・ウォーホルの授賞式』に登場していた女性たちも皆、ブロンドヘアでスタイル抜群の美女ばかりだった。同時代に活躍した非男性の作家は、日本においてもほとんど知られていない。そうした観点から考えても、今回マリー・メンケンの作品が上映されたことの意義は大きいように思う。

マリー・メンケン《Glimpses of the Garden》1957年/4分/デジタル(オリジナル:16ミリフィルム)/サウンド 配給:The Film-Makers’ Cooperative
また、第3章の最後でメカスの『サーカス・ノート』(1966年、12分)が上映されるという構成も素晴らしかった。メンケンのストレートで飾り気のない作品群の後にメカスの作品を観ると、彼の編集の個性や優れたリズム感、感情を揺さぶる作風がより際立つのだ。キュレーターのイネサさん、ルーカスさんもメカスの映画には「記憶の再構成」といった意味合いが含まれると話していたけれど、今回のプログラムによって、メカスの作品にとって「再構成=編集」の過程がいかに大きな役割を果たしていたかということを、身をもって思い知らされた。
上映プログラムを組んだイネサさんとルーカスさんは、共にリトアニア・ビリニュスで『Jonas Mekas and the NY Avant-Garde』という展覧会を担当したキュレーターだ。イネサさんは『Jonas Mekas: The Camera Was Always Running』という書籍を編集していたり、ルーカスさんはNYを拠点に大学で教鞭を取っていたりと、それぞれに活躍されている。後日、ときの忘れもので二人にメカスさんとの出会いについて聞いてみると、イネサさんからは「一度だけメカスさんとバスケの試合を観たことがあるんです」との楽しげな回答が。ルーカスさんは2011年~2012年ごろにまず息子のセバスチャンさんに会い、その後メカスさんのイベントに頻繁に参加することで、打ち上げなどを通して交流を深めていったそうだ。

左から:イネサさん、ルーカスさん
二人の話によれば、メカスさんの印象は国によって異なり、リトアニアでは詩人としての側面が、ニューヨークではAnthology Film Archivesのボスというイメージが広く知られているそうだ。また「亡くなる数週間前まで、数時間人と話しこみ、バーに繰り出す生活を送っていた」「例え夕食中だとしてもすぐにメールを返していた」「若い人に協力的だった」「1日に2回、30分、目的を持たずに歩き回っていた」などという、もはや逸話めいたメカスさんのエピソードも聞くことができた。二人がキュレーションしたビリニュスの展覧会でメカスさんの一日のスケジュール表を紹介した際には、いくつもの仕事を横断してこなす現代的な働き方に、主に若い世代の観客が興味を示していたのだという。
3~4年をかけてメカス展の準備を行っていたというイネサさん、ルーカスさんに対して、ときの忘れもののスタッフさんが紹介していた『アメリカ現代版画と写真展ージョナス・メカスと26人の仲間たちー』展のカタログにも興奮した。1983年に東京・原美術館で開催された同展は、メカスさんにとって世界で初めての美術館展だったのだという。クレジットには、谷川俊太郎さん、磯崎新さん、松本俊夫さんなど、レジェンダリーな日本の協力者たちの名前も記載されていた。

ときの忘れものオーナーの綿貫さんは「メカスさんは人と人とを繋ぐ人」だとよく仰っているけれど、今年は100周年という節目があることにより、いつにも増してその実感が強まっている。さまざまな時代、さまざまな場所で、さまざまな理由によってメカスさんと出会い、その存在や作品に惹かれてきた個人たち。一人ひとりの思いや知性に触れることで、ジョナス・メカスという作家への理解が深まるだけでなく、マリー・メンケンのような才能に出会い直すことが出来るのは、なんて幸せなことなのだろう。『恵比寿映像祭』がもたらしてくれた機会に赤ワインで乾杯しながら、これからの出会いにも夢を膨らませたい。
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日更新ですが、今月は恵比寿映像祭の特別レポートを掲載します。次回は2023年5月22日に掲載します。
●ジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売しています。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー
各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格等については、3月4日ブログをご参照ください。
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
ジョナス・メカスの生誕100年を記念するイベントは、日本でも複数実施されている。昨年11月には、一之瀬ちひろさんが企画された『ジョナス・メカス 生誕100年 上映会』が東京大学駒場キャンパスで実施され、12月には渋谷のイメージフォーラムで『リトアニアへの旅の追憶』が上映された。
年が明けてもその勢いはとまらず、2月には『恵比寿映像祭2023』で「ジョナス・メカス―3章のフィルム・プログラム」と題された上映プログラムが組まれ、京都でも『メカスとウォーホル』という上映+トークが開催された。今回のブログでは、上記2つのイベントに参加したリトアニア出身のキュレーター、イネサ・ブラシスケさん、ルーカス・ブラシスキスさんとの会話内容も交えながら、特に『恵比寿映像祭』のプログラム内容についてレポートしたいと思う。
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『恵比寿映像祭』の上映プログラムは「歴史を記述すること、歴史へ記述されること:ニューヨーク前衛の記録とポートレイト」「カメラを持った遊歩者(フラヌール)」「時間とまなざしの動き:マリー・メンケン監督作品特集上映」という3章によって構成されていた。
第1章「歴史を記述すること、歴史へ記述されること:ニューヨーク前衛の記録とポートレイト」では、ジョナス・メカスの周囲の状況や交友関係に目が向けられている。始めに上映された『アンディ・ウォーホルの授賞式』(1964年、12分)では、メカスと弟のアドルファスによって創刊された『フィルムカルチャー』誌でアンディ・ウォーホルが「Independent Film award」を受賞し、記念の品らしきフルーツバスケットを受け取る様子が楽しげに映し出される。続く『ゼフィーロ・トルナー、あるいはジョージ・マチューナス(フルクサス)の生活風景』(1992年、35分)は、リトアニア出身の美術家、ジョージ・マチューナスについての物悲しげで美しいポートレイト。「内側にも地図の上にも居場所をなくし、意志の力のみで」立っていたという、「あとは野となれ山となれの生き方」のマチューナスの死を追悼するような1本だ。ストーム・デ・ハーシュが撮影した『Newsreel: Jonas in the Brig』(1964年、5分)は、その名の通りメカスの作品『営倉』(1964年、68分)の撮影現場を映したシンプルな内容。ギデオン・バックマンによるドキュメンタリー『Jonas』(1968年、32分)は、NYの公園でフィルム撮影を行うメカスと、実際に完成した映画を見比べられたのが面白かった。
第2章「カメラを持った遊歩者(フラヌール)」では、戦争による強制移住というトラウマ的な体験も含めたメカスの「移動性」に焦点が当てられる。『カシス』(1966年、4分)や、韓国・光州の展示でも上映されていた『旅の歌(Travel Songs)』(1967-1981年、25分)は、メカスが訪れた世界各地の土地の様子が断片的で詩的な映像と共に映し出される美しい作品群だ。日本で撮影された『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』(1996年、24分)は、何度観ても激しいパーカッションの音が記憶に残る。さらに、この章で最も新鮮だったのは、『Williamsburg, Brooklyn』(2003年、15分)と『Song of Avignon』(1998年、8分)の2作である。2つの作品に共通しているのは、メカスの言葉からとめどなく溢れ出す悲しさだ。『Williamsburg, Brooklyn』でメカスは「ブルックリンを一人で歩いて 孤独で泣いていた」と話す。ウィリアムズバーグ(ブルックリン区の近隣住区の一つ)は、当時リトアニア人が多く移り住んだ場所だったのだそうだ。『Song of Avignon』では「20才で死なない人間は40才で死ぬ」などといったメカスの悲観的なテキストが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの最初のドラマーとして知られ、41才で亡くなったアンガス・マクリーズの声で朗読される。
『Song of Avignon』で読まれるテキストは1966年の旅のものということで、直接的に結びつけて良いかは分からないけれど、メカスが1990年代後半から2000年代序盤に発表した作品に隠しきれない悲しさが滲むのには、元妻ホリスとの離婚が影響しているというのが私の持論だ。50才を過ぎて結婚したメカスは2000年代初頭にホリスと別れ、2004年の作品『グリーン・ポイントからの手紙』でも、どこか投げやりで、寂しげな様子をうかがわせていた。だからこそ『Song of Avignon』の最後で「君はいつも私を見ていた」というテキストの前後に映し出されるホリスさんの姿や、メカスさんの悲しげな表情が、胸にこびりついて離れない。ちなみに同作の制作年数は多くのウェブサイトで「1998年」と記載されているけれど、映画の最後には「Jonas c︎2000」と表記されている(詳しい理由は分からない)。

ジョナス・メカス《カシス》
1966年/4分30秒/デジタル(オリジナル:16ミリフィルム)/サウンド/配給:The Film-Makers’ Cooperative

ジョナス・メカス《旅の歌》
1967-1981年/25分/デジタル(オリジナル:16ミリフィルム)/英語[日本語字幕付]|配給:The Film-Makers’ Cooperative
第3章「時間とまなざしの動き:マリー・メンケン監督作品特集上映」では、メカスと交流のあった映像作家マリー・メンケンの5作とジョナス・メカスの『サーカス・ノート』(1966年、12分)が紹介された。このプログラムを見たとき、真っ先に脳裏に浮かんだのは2012年の『恵比寿映像祭』でも上映された『Sleepless Nights Stories』(2011年、114分)のことだ。この映画の劇中、メカスは約10分にわたってメンケンに語りかけていた。「映画作家であり、美しい人」「とても慎ましい人(so humble)」「自宅に誰でも迎え入れてくれた、ケネス・アンガーも4か月その家にいて、影響を受けたと認めている」などとメンケンを紹介したのち「マリー・メンケンがどれだけ映画に貢献したかを、我々はようやく今理解し始めた」「抒情的で私的な映画の形を生み出した」と賞賛したメカス。シーンの最後では、リトアニアの母を持つメンケンに、故郷の歌と赤ワインのグラスを捧げていた。そんなメンケンの作品が日本でもまとめて上映されたことは本当に喜ばしい出来事であるし、植物や道路の傷、街の人々に向けられたメンケンのピュアで洞察力のある眼差しには、たちまち魅了されてしまった。
第3章の説明文に「戦後のニューヨークの前衛映画界は、ほとんどが男性優位の環境だった」と記されていたことについても触れておきたい。トッド・ヘインズが監督し、メカスも出演している2021年の映画『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』でも、映画批評家が当時の状況について「女性の魅力はこうあるべきという共通認識があり、ファクトリーは女性にとって居やすい場所ではなかった」と語っていたけれど、確かに『アンディ・ウォーホルの授賞式』に登場していた女性たちも皆、ブロンドヘアでスタイル抜群の美女ばかりだった。同時代に活躍した非男性の作家は、日本においてもほとんど知られていない。そうした観点から考えても、今回マリー・メンケンの作品が上映されたことの意義は大きいように思う。

マリー・メンケン《Glimpses of the Garden》1957年/4分/デジタル(オリジナル:16ミリフィルム)/サウンド 配給:The Film-Makers’ Cooperative
また、第3章の最後でメカスの『サーカス・ノート』(1966年、12分)が上映されるという構成も素晴らしかった。メンケンのストレートで飾り気のない作品群の後にメカスの作品を観ると、彼の編集の個性や優れたリズム感、感情を揺さぶる作風がより際立つのだ。キュレーターのイネサさん、ルーカスさんもメカスの映画には「記憶の再構成」といった意味合いが含まれると話していたけれど、今回のプログラムによって、メカスの作品にとって「再構成=編集」の過程がいかに大きな役割を果たしていたかということを、身をもって思い知らされた。
上映プログラムを組んだイネサさんとルーカスさんは、共にリトアニア・ビリニュスで『Jonas Mekas and the NY Avant-Garde』という展覧会を担当したキュレーターだ。イネサさんは『Jonas Mekas: The Camera Was Always Running』という書籍を編集していたり、ルーカスさんはNYを拠点に大学で教鞭を取っていたりと、それぞれに活躍されている。後日、ときの忘れもので二人にメカスさんとの出会いについて聞いてみると、イネサさんからは「一度だけメカスさんとバスケの試合を観たことがあるんです」との楽しげな回答が。ルーカスさんは2011年~2012年ごろにまず息子のセバスチャンさんに会い、その後メカスさんのイベントに頻繁に参加することで、打ち上げなどを通して交流を深めていったそうだ。

左から:イネサさん、ルーカスさん
二人の話によれば、メカスさんの印象は国によって異なり、リトアニアでは詩人としての側面が、ニューヨークではAnthology Film Archivesのボスというイメージが広く知られているそうだ。また「亡くなる数週間前まで、数時間人と話しこみ、バーに繰り出す生活を送っていた」「例え夕食中だとしてもすぐにメールを返していた」「若い人に協力的だった」「1日に2回、30分、目的を持たずに歩き回っていた」などという、もはや逸話めいたメカスさんのエピソードも聞くことができた。二人がキュレーションしたビリニュスの展覧会でメカスさんの一日のスケジュール表を紹介した際には、いくつもの仕事を横断してこなす現代的な働き方に、主に若い世代の観客が興味を示していたのだという。
3~4年をかけてメカス展の準備を行っていたというイネサさん、ルーカスさんに対して、ときの忘れもののスタッフさんが紹介していた『アメリカ現代版画と写真展ージョナス・メカスと26人の仲間たちー』展のカタログにも興奮した。1983年に東京・原美術館で開催された同展は、メカスさんにとって世界で初めての美術館展だったのだという。クレジットには、谷川俊太郎さん、磯崎新さん、松本俊夫さんなど、レジェンダリーな日本の協力者たちの名前も記載されていた。

ときの忘れものオーナーの綿貫さんは「メカスさんは人と人とを繋ぐ人」だとよく仰っているけれど、今年は100周年という節目があることにより、いつにも増してその実感が強まっている。さまざまな時代、さまざまな場所で、さまざまな理由によってメカスさんと出会い、その存在や作品に惹かれてきた個人たち。一人ひとりの思いや知性に触れることで、ジョナス・メカスという作家への理解が深まるだけでなく、マリー・メンケンのような才能に出会い直すことが出来るのは、なんて幸せなことなのだろう。『恵比寿映像祭』がもたらしてくれた機会に赤ワインで乾杯しながら、これからの出会いにも夢を膨らませたい。
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日更新ですが、今月は恵比寿映像祭の特別レポートを掲載します。次回は2023年5月22日に掲載します。
●ジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売しています。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格等については、3月4日ブログをご参照ください。
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
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JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
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