<今日の一冊 (274)
★倉俣史朗『カイエ 1-2』(2023.3.10. ワタヌキ/ときの忘れもの)
倉俣史朗はもはや伝説のデザイナーだ。いや、デザイナーという言葉は倉俣史朗にとってふさわしいのだろうか?「デザイナー」というのはあるオーダーに対して創作行為をおこなうクリエイターに対して与えられる役回りであろう。対して、「アーティスト」は自らの意思でクリエイティブを発揮するひとであろう。しかし、その境目は極めて曖昧だ。
あるいは、アーティストとデザイナーの分水嶺はその作物の使用目的が明らかか、そうでないかにあるのだろうか?私の父親は映画美術の仕事に従事した。父はよく言っていた。俺は芸術家やない、デザイナーや。父は日本画家を目指していた、しかし、限界を感じその道を捨てた。たまたま、映画会社の創設に出会い、背景描きの仕事を経て、やがて映画美術の道を歩んだ。しかし、晩年父はそれまで封じていた絵画を再開し、思うがままに絵を描いて、三流画家として画商のもとで絵をかき、売り絵を描いていた。趣味じゃなく、絵描きとして。
倉俣史朗のこの冊子は、倉俣が遺したノート、画帳から起こした作品をまとめたもので、本集にはまず、10X2作が収められ、今後全3冊が刊行される予定で、60作を見ることができるようになるらしい。作品というかデザインのメモ書きのようなものなのだが、まるで「詩」の如き趣なのだ。言葉じゃない落書きの詩。
こんなものがあったらいいだろうな、こんなのが可愛いな、これいいんじゃない、倉俣史朗の脳髄の感ずるままに描かれたカタチが饒舌に話しかけてくる未完成な姿が記録され、作品になっている。
私はアーティストとデザイナーの地位の上下があるとは思わない。しかし、この作品集に収められたメモはアーティストの証である。名作「ミス ブランチ」のデッサンも入っている。
🔳 倉俣 史朗(くらまた しろう、1934年11月29日 - 1991年2月1日)は、日本のインテリアデザイナーである。空間デザイン、家具デザインの分野で60年代初めから90年代にかけて世界的に傑出した仕事をしたデザイナー。欧米の追随に陥らず日本的な形態に頼るでもなく日本国固有の文化や美意識を感じる独自のデザインによってフランス文化省芸術文化勲章を受章するなど国際的に評価をうけていた。そのあまりの独創性ゆえ「クラマタ・ショック」という言葉まで生まれた。(Wikipediaより)
(20230420/近藤正司さんのfacebookより)>
倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』がおかげさまで好評です。
facebookで「今日の一冊」という大連載をしている近藤正司さんの投稿を、お許しを得て再録させていただきました。
2020年に刊行した版画集『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier』1集と2集の図版20点と、堀江敏幸のエッセイ、そして、後半は倉俣史朗が生前「NOTE BOOK」と「Sketch」に書き留めた「ことば」を収録させていただきました。この2つの冊子には、思い出すままに書き留めた断片的な言葉や、おそらく夢から醒めてすぐに書いたと思われる夢の覚え書きがあります。今回、それらを全てテキスト化し、編集側で補足したかたちで掲載しています。
この2冊には、たくさんの夢の絵やデザインのエスキースが描かれていますが、倉俣史朗の私的なノートということで、スケッチは一部のみ公開とさせていただきました。
監修・編集は植田実、アートディレクション&デザインは岡本一宣デザイン事務所による限定365部の貴重な一冊となりました。
限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2』
限定部数:365部(各冊番号入り)
発行:2023年3月
監修:倉俣美恵子、植田実
テキスト:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
翻訳:サム・ベット、勝見美生(ときの忘れもの)
編集:植田実、尾立麗子(ときの忘れもの)
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
印刷:図書印刷株式会社
体裁:図版20点、25.7×25.7cm、64頁、日本語・英語併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) ※配送をご希望の方は別途送料1,000円をご負担いただきます。
お申込みはこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
表紙




1960年代半ばから商業空間や家具、プロダクトなどデザインの分野で先駆的な作品を発表したデザイナー倉俣史朗(1934-1991)。アクリル、ガラス、アルミニウム、スチールメッシュ、FRPなど、当時インテリアや家具に使われることのなかった素材を積極的に取り入れ、“無重力”や“非存在”をテーマに創造の可能性を探求し続けました。その独創性と希有な存在から、没後30年以上経った今も多くの人を魅了し、同時代を知らない現代の若いクリエイターたちにも影響を与えています。
倉俣は、〈変型の家具〉(1970年)シリーズで世に広く認知され、金属とガラスの接着剤「フォトボンド」の出会いから生まれた《ガラスチェア》(1976年)や、アクリルに薔薇が浮遊する椅子《Miss Blanche》(1988年)など次々と革新的な作品を生みだし、国際的にも高い評価を受けました。
時代を問わず、常に新しく美しい倉俣史朗の世界を作品集を通して感じてください。
ときの忘れもののある本駒込は倉俣史朗の生誕の地であり、彼が卒業した昭和小学校はときの忘れものの直ぐ近くです。
◆連休明けの5月11日~13日の三日間、「倉俣史朗の本とポスター展」を開催しますので、ぜひお出かけください。

倉俣史朗 略歴
1934年 11月29日、東京・本郷(現・文京区本駒込)の理化学研究所社宅に生まれる。
1941年 昭和国民小学校入学。第二次世界大戦が始まる。
1943年 沼津の知人宅に縁故疎開。東京の家が空襲により焼失。
1945年 8月15日終戦。戦後の住まいは文京区駒込。
1950年 文京区立第九中学校卒業、都立工芸高等学校入学(1953年卒業)。
1955年 桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学(1956年卒業)。
1957年 三愛宣伝課入社(1964年まで)。
1965年 松屋インテリアデザイン室嘱託を経て、クラマタデザイン事務所設立。
1972年 第18 回毎日産業デザイン賞受賞。
1981年 エットレ・ソットサスの誘いで「メンフィス」に参加。第2 回日本文化デザイン賞受賞。
1990年 フランス文化省芸術文化勲章受章。
1991年 急性心不全のため2月1 日逝去(享年56)。
●軽井沢で「倉俣史朗展 カイエ」が始まりました。
会場:軽井沢現代美術館
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2052-2
会期:2023年4月27日(木)~11月23日(木・祝日)
休館日:火曜、水曜 (GW及び、夏期は無休開館
●ときの忘れもの/ゴールデンウイーク期間中の営業日のご案内
5月2日(火)、5月6日(土)は通常通り開廊しています。
4月29日(土)~5月1日(月)、5月3日(水)~5月5日(金)、5月7日(日)~5月8日(月)は休廊いたします。
メールや発送の対応が遅くなりご迷惑をお掛けしますが、ご理解いただけますようお願い申し上げます。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
★倉俣史朗『カイエ 1-2』(2023.3.10. ワタヌキ/ときの忘れもの)
倉俣史朗はもはや伝説のデザイナーだ。いや、デザイナーという言葉は倉俣史朗にとってふさわしいのだろうか?「デザイナー」というのはあるオーダーに対して創作行為をおこなうクリエイターに対して与えられる役回りであろう。対して、「アーティスト」は自らの意思でクリエイティブを発揮するひとであろう。しかし、その境目は極めて曖昧だ。
あるいは、アーティストとデザイナーの分水嶺はその作物の使用目的が明らかか、そうでないかにあるのだろうか?私の父親は映画美術の仕事に従事した。父はよく言っていた。俺は芸術家やない、デザイナーや。父は日本画家を目指していた、しかし、限界を感じその道を捨てた。たまたま、映画会社の創設に出会い、背景描きの仕事を経て、やがて映画美術の道を歩んだ。しかし、晩年父はそれまで封じていた絵画を再開し、思うがままに絵を描いて、三流画家として画商のもとで絵をかき、売り絵を描いていた。趣味じゃなく、絵描きとして。
倉俣史朗のこの冊子は、倉俣が遺したノート、画帳から起こした作品をまとめたもので、本集にはまず、10X2作が収められ、今後全3冊が刊行される予定で、60作を見ることができるようになるらしい。作品というかデザインのメモ書きのようなものなのだが、まるで「詩」の如き趣なのだ。言葉じゃない落書きの詩。
こんなものがあったらいいだろうな、こんなのが可愛いな、これいいんじゃない、倉俣史朗の脳髄の感ずるままに描かれたカタチが饒舌に話しかけてくる未完成な姿が記録され、作品になっている。
私はアーティストとデザイナーの地位の上下があるとは思わない。しかし、この作品集に収められたメモはアーティストの証である。名作「ミス ブランチ」のデッサンも入っている。
🔳 倉俣 史朗(くらまた しろう、1934年11月29日 - 1991年2月1日)は、日本のインテリアデザイナーである。空間デザイン、家具デザインの分野で60年代初めから90年代にかけて世界的に傑出した仕事をしたデザイナー。欧米の追随に陥らず日本的な形態に頼るでもなく日本国固有の文化や美意識を感じる独自のデザインによってフランス文化省芸術文化勲章を受章するなど国際的に評価をうけていた。そのあまりの独創性ゆえ「クラマタ・ショック」という言葉まで生まれた。(Wikipediaより)
(20230420/近藤正司さんのfacebookより)>
倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』がおかげさまで好評です。
facebookで「今日の一冊」という大連載をしている近藤正司さんの投稿を、お許しを得て再録させていただきました。
2020年に刊行した版画集『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier』1集と2集の図版20点と、堀江敏幸のエッセイ、そして、後半は倉俣史朗が生前「NOTE BOOK」と「Sketch」に書き留めた「ことば」を収録させていただきました。この2つの冊子には、思い出すままに書き留めた断片的な言葉や、おそらく夢から醒めてすぐに書いたと思われる夢の覚え書きがあります。今回、それらを全てテキスト化し、編集側で補足したかたちで掲載しています。
この2冊には、たくさんの夢の絵やデザインのエスキースが描かれていますが、倉俣史朗の私的なノートということで、スケッチは一部のみ公開とさせていただきました。
監修・編集は植田実、アートディレクション&デザインは岡本一宣デザイン事務所による限定365部の貴重な一冊となりました。
限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2』
限定部数:365部(各冊番号入り)
発行:2023年3月
監修:倉俣美恵子、植田実
テキスト:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
翻訳:サム・ベット、勝見美生(ときの忘れもの)
編集:植田実、尾立麗子(ときの忘れもの)
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
印刷:図書印刷株式会社
体裁:図版20点、25.7×25.7cm、64頁、日本語・英語併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) ※配送をご希望の方は別途送料1,000円をご負担いただきます。
お申込みはこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
表紙



1960年代半ばから商業空間や家具、プロダクトなどデザインの分野で先駆的な作品を発表したデザイナー倉俣史朗(1934-1991)。アクリル、ガラス、アルミニウム、スチールメッシュ、FRPなど、当時インテリアや家具に使われることのなかった素材を積極的に取り入れ、“無重力”や“非存在”をテーマに創造の可能性を探求し続けました。その独創性と希有な存在から、没後30年以上経った今も多くの人を魅了し、同時代を知らない現代の若いクリエイターたちにも影響を与えています。
倉俣は、〈変型の家具〉(1970年)シリーズで世に広く認知され、金属とガラスの接着剤「フォトボンド」の出会いから生まれた《ガラスチェア》(1976年)や、アクリルに薔薇が浮遊する椅子《Miss Blanche》(1988年)など次々と革新的な作品を生みだし、国際的にも高い評価を受けました。
時代を問わず、常に新しく美しい倉俣史朗の世界を作品集を通して感じてください。
ときの忘れもののある本駒込は倉俣史朗の生誕の地であり、彼が卒業した昭和小学校はときの忘れものの直ぐ近くです。
◆連休明けの5月11日~13日の三日間、「倉俣史朗の本とポスター展」を開催しますので、ぜひお出かけください。

倉俣史朗 略歴
1934年 11月29日、東京・本郷(現・文京区本駒込)の理化学研究所社宅に生まれる。
1941年 昭和国民小学校入学。第二次世界大戦が始まる。
1943年 沼津の知人宅に縁故疎開。東京の家が空襲により焼失。
1945年 8月15日終戦。戦後の住まいは文京区駒込。
1950年 文京区立第九中学校卒業、都立工芸高等学校入学(1953年卒業)。
1955年 桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学(1956年卒業)。
1957年 三愛宣伝課入社(1964年まで)。
1965年 松屋インテリアデザイン室嘱託を経て、クラマタデザイン事務所設立。
1972年 第18 回毎日産業デザイン賞受賞。
1981年 エットレ・ソットサスの誘いで「メンフィス」に参加。第2 回日本文化デザイン賞受賞。
1990年 フランス文化省芸術文化勲章受章。
1991年 急性心不全のため2月1 日逝去(享年56)。
●軽井沢で「倉俣史朗展 カイエ」が始まりました。
会場:軽井沢現代美術館長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2052-2
会期:2023年4月27日(木)~11月23日(木・祝日)
休館日:火曜、水曜 (GW及び、夏期は無休開館
●ときの忘れもの/ゴールデンウイーク期間中の営業日のご案内
5月2日(火)、5月6日(土)は通常通り開廊しています。
4月29日(土)~5月1日(月)、5月3日(水)~5月5日(金)、5月7日(日)~5月8日(月)は休廊いたします。
メールや発送の対応が遅くなりご迷惑をお掛けしますが、ご理解いただけますようお願い申し上げます。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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