■香港訪問記2:M+とCHAT

東海林 洋(ポーラ美術館 学芸員)


アート・バーゼル香港を訪ねた翌日、香港島の対岸にある近現代美術館M+に向かった。

■M+
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地下鉄の駅を出てから延々とショッピングモール(香港はどこでもショッピングモールが存続する)の間を歩くとM +を含む西九龍文化地区という再開発エリアが広がり、その最も海沿いに巨大な黒いビルが待ち受ける。2021年に開館したこの巨大な美術館は、元MoMAのアソシエイト・キュレーターであったドリュン・チョンがキュレーターをつとめるアジア最大級の近現代美術館である。

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天井高は10メートルを超えるだろうか、展示面積は1万7000平米を誇る。乃木坂の国立新美術館の12ある展示室を全て足した面積(約14000平米)よりも広い。

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現在は「草間彌生:1945から現在」展が開催中…わざわざ異国で日本の作家の展覧会を見るのも…と思ったが、海外における日本の戦後美術という視点からは意義深い。
同時期にTateでも草間展が開催されていたにもかかわらず、内容は非常に充実していて、回顧的要素とテーマ性を交差させたストーリー構成だけでなく、ロビーに広い空間を利用したソフト・スカルプチュアの展示もあり、会場の規模に負けない強度を持った新鮮な印象を受ける。

草間展以外に、コレクション企画として
●「ビープル:ヒューマン・ワン」
●「M+ シッグ・コレクション:革命からグロバリゼーションへ:中国現代美術の4つの重要な時代」
●「個人、ネットワーク、エクスプレッション:1950年代から現代までのアートの物語の拡大」
●「もの、空間、インタラクション:アジア内外の建築とデザイン」
●「ミュージアムの夢:コレクションによる世界的星座を経験する」
●「香港:ここと向こう側」
という6つの展示が開催中であった。

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「M+ シッグ・コレクション」展

中国の近代美術については不勉強で初めて知るものが多かったが、革命期の中国から国際化していく流れを10年単位で辿る「M+ シッグ・コレクション:革命からグロバリゼーションへ」に見るように、M+作品の収集を通して中国近代美術の歴史を今ここで編纂しようとしているようだ。
M+も開館してまだ1年半ほどである。香港人の気質というのは、中国本土と比較してもせっかちであるという。実際に街を歩いていてもみな2倍速で歩き、話し、食べているようだ。そのようにヴァイタイリティの溢れる香港の空気の中で、コレクションの形成も急ピッチで大規模に進んでいる。

もちろん香港という土地は完全な中国ではなく自立した国際都市なので(アイ・ウェイウェイを大々的に展示するなど美術館の気概を感じた)、その歴史の対象は「アジア」であり、そこには当然日本も含まれる。草間展とのバランスを取るためか、コレクション展の絵画には日本の作家は大きな割合を占めてはいなかったが、建築とデザインは、半分以上が日本のものであった。特に新橋にあった寿司店をまるごと館内に再建した《寿司屋きよ友》(1988年)を中心とした倉俣史朗のセクションは、さまざまな時空間を漂うような「展示」であった。

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倉俣史朗《寿司屋きよ友》

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倉俣史朗《寿司屋きよ友》再現展示のアーカイヴ

おそらくニューヨーク近代美術館を範にしたためと思われるデザイン分野への注力は、日本の美術館にはあまり見られない。少しずつ日本へも日本のデザインへの評価が美術館に「逆輸入」されるかもしれない。


■タテの美術史、ヨコの美術史
1951年に鎌倉に開館した神奈川県立近代美術館は、収集と展示という活動を通してアカデミズムとは別の近代美術を歴史化し、その流れが他の美術館に受け継がれて日本の近現代美術という価値観が定着していった。規模も速度も大きく違うが、ここでは同じように新しい美術の歴史化が行われている。

神奈川県立近代美術館をはじめとして、日本では早くから近代美術の歴史化が進み、美術館も多く作られ、欧米でも既に多くの作家や団体、現象が紹介されてきた。しかしそれらの多くは欧米での動向との相似関係を結ぶことで評価を得ていくものでなかっただろうか。

ここでは日本の近代美術がアジアという地域の中に組み込まれていく。するとどうだろう、閉じた文脈のなかでオルタナティブが交替し続ける「タテの歴史」と並行して、韓国や南アジアでも似たような現象が見出される、いわば「ヨコの歴史」というものを見出すことができる。この広い文脈での比較を、我々は見逃していたのではないだろうか。

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参考:「アジアにめざめたら:アートが変わる、世界が変わる 1960-1990年代」2018年 (東京国立近代美術館)

この体験は2018年に東京国立近代美術館で開催された「アジアにめざめたら」展で提示された視点であったことを、香港から帰ってから思い出した。同じ2018年に、台湾国立美術館で開催された「共時的星叢」展では、日本経由で台湾に近代美術が展開した流れを示し、日本が西洋から受容するだけではなく、より広い圏域の文化的ハブであったことを明らかにしている。

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参考:「共時的星叢:『風車詩社』界域をこえる芸術とその時代」展 2018年 (国立台湾美術館)

昨年、ロンドンのTateとニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された「境界を超えるシュルレアリスム」展では、これまで研究されてきた欧米でのシュルレアリスムだけではなく、東アジアや南アジア、中東やラテンアメリカをも含めた広がりを扱うものだった。これまで日本では、欧米からの輸入と誤読の中で「超現実主義」という独自の動向が生まれていったと考えてきた。しかし同時代のタイと比較してみると、同様の誤読が発生していたことがわる。こうした日本近代美術を具体的なレヴェルで国際的な視点化から相対化しようとする動きは、少なくとも展覧会のような活動としてはまだ表面化しておらず、近代美術史の大きな課題だろう。

■CHAT
大きな美術館、急速に成長するエネルギー、2倍速の人々に少々あてられて少し疲れを感じながら、郊外にあるCHAT(Center for Heritage of Arts & Textile)へ向かった。

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CHAT(Center for Heritage of Arts & Textile)

「雲、権力そして装飾:流浪する中央アジア」展が開催中。カザフスタンなど旧ソ連領を含む中央アジアのローカリティ(伝統)と産業化、現代性を当内容。直接的ではないが、繊維産業を軸に中央アジアへと支配を及ぼす中国政府への批判を含んでいるようだ。

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「雲、権力そして装飾:流浪する中央アジア」展より、グルナラ・カスマリエヴァ、ムラトベック・ジュマリエヴ《別れの歌》2001年

もともと香港は綿工業の一大中心地であったとのことで、その元綿布工場をリノベーションしたCHATは、再開発地区のショッピングモールとは違って、多様な民族が織りなしてきた地に足のついた手工芸とアートという人の営みを感じる。
香港のダイナミズムに疲れたら、ぜひここでゆったりとした時間を過ごしてほしい。特に1階奥の珈琲店をオススメしたい。

■香港:多様性の都市
いっときは「冬の時代」と呼ばれた日本の美術館も、最近は冬なりに実りの多い成果を生み出しているが、少なくとも規模の面ではアジアの中心は、急速に成長する香港に移ってしまったようだ。しかし、あくまで香港は懐の広く深い多様性の都市であり、その中でも日本の存在感は揺るぎないものとして存在している。今後はアジアとの視点を取り入れながら、日本の近現代美術史を再編することで、欧米との新しい関係性を見出すことができるように思う。
初めての海外フェアに合わせた短い香港訪問だったが、マーケットだけではなく美術史における大きな課題を見出すことになった。閉塞を打開する鍵は意外と近くにあるのかもしれない。

しょうじ よう

■東海林 洋(しょうじ よう)
ポーラ美術館学芸員。1983年生まれ。2011年よりポーラ美術館に勤務。主な担当展覧会に「ルドン ひらかれた夢―幻想の世紀末から現代へ」、「シュルレアリスムと絵画:ダリ、エルンストと日本の『シュール』」など。ひろしま美術館と共同で企画した「ピカソ:青の時代を超えて」展が2023年5月28日(日)まで、ひろしま美術館(広島)で開催中。

「ピカソ 青の時代を超えて」
会期:2023年2月4日(土)~5月28日(日)
会場:ひろしま美術館
https://www.hiroshima-museum.jp/special/detail/202302_Picasso.html

勤務するポーラ美術館では
「部屋のみる夢:ボナールからティルマンス、現代の作家まで」展が開催中です。
会期:2023年1月28日(土)~7月2日(日)
会場:ポーラ美術館
https://www.polamuseum.or.jp/sp/interiorvisions/

●軽井沢で倉俣史朗展 カイエが始まりました。
300軽井沢現代美術館倉俣史朗展会場:軽井沢現代美術館
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2052-2
会期:2023年4月27日(木)~11月23日(木・祝日)
休館日:火曜、水曜 (GW及び、夏期は無休開館

倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。


限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから

ジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売しています。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー
各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格等については、3月4日ブログをご参照ください。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊