井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第19回
『フリーク・オルランド』『パトリシア・ハイスミスに恋して』
ドイツの映画作家、ウルリケ・オッティンガーによる三作、『アル中女の肖像』(1979年)『フリーク・オルランド』(1981年)『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』(1984年)が全国で順次公開されている(※1)。
「ベルリン三部作」予告編
先日、そのうちの1作『フリーク・オルランド』(1981年)を渋谷のユーロスペースへ観に行った。ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』を翻案したのだという同作のあらすじは、主人公のオルランドが、時代ごとに姿や性を変えながら、さまざまな世界線を旅していくというもの。私は初め、そうした前情報をほとんど入れずに作品を観進めていたので、場面の中心にいるのがずっと同じオルランドという人だということにすら気づかないまま、ひたすらに映像を浴びていた。
それでも全く飽きずに画面に集中していられたのは、登場人物たちの身に纏う衣装や体の動かし方、音の鳴り方、建築物の切り取られ方……スクリーンに映る何もかもが、いちいち新鮮に感じられたからだ。大胆だけれど雑ではなく、ウェルメイド感はないけれど隅々までクールに決まっている、不真面目そうに見えて大真面目なような、絶妙なバランス感覚。作品パンフレットによれば、オッティンガーは映画以外にも銅版画の技術を習得したり、写真、絵画、パフォーマンスの作品を発表したりしてきた人なのだそうで、その泉のような想像力と、想像を現実へと変えるエネルギーには敬意を抱かずにはいられない。
『フリーク・オルランド』の劇中では、その世界ごとにある人々が「異端」として排除される様子が映し出されていて、群衆から袋叩きにされたり、手や足を括り付けられたり、痛ましい場面がいくつも挙げられる。私は中盤まで、それらをどこか遠い世界の出来事のように思っていたけれど、サーカスの「見世物一座」御一行がオリンピックのロゴマークを掲げたスタジアム(ベルリン・オリンピアシュタディオン)の前に到着したとき、数年前に観た小原真史さんの展示「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」のことが咄嗟に思い出されて、これは遠い世界の御伽話ではないのだと意識が覚醒し始めるような感触を覚えた。小原さんの展示で紹介されていたのは、権力を持つ人々が「他者」とみなした人間をまるでモノのように展示していた初期の万博の資料だったから、オリンピックや劇中の時代とダイレクトに結びつくものではない。けれど数年前の東京五輪と数年後の大阪万博の狭間に身を置きながら、神話の時代から現代へと旅するオルランドの姿を観ている過程でそんな記憶の引き金が引かれるのは、妙に自然なことのようにも思えた。ドイツのキュレーター・クリスティーナ・ヤスパースさんはパンフレットに掲載された文章の中で「歴史的に多層な仄めかしに満ちたパノラマ」という言葉を使っていたけれど、『フリーク・オルランド』は物語の筋道を立てることよりもむしろ、その「仄めかし」をどのくらい沢山散りばめられるかということに注力していたのかもしれない。現実世界で「他者」とされてきた存在で画面を埋め尽くすという意思だけは死守しながら。

「ベルリン三部作」公開にあわせて販売されていた必読のパンフレット
*
ところで最近また、思わぬ場所でオッティンガー監督の名前に出くわした。11月3日から公開される、小説家パトリシア・ハイスミスについてのドキュメンタリー映画をオンライン試写で観ていたら、『アル中女の肖像』主演のタベア・ブルーメンシャインが現れ、劇中でその名を口にしたのだ!(※2)
『パトリシア・ハイスミスに恋して』予告編
1978年の『ベルリン国際映画祭』で出会い(※3)、パーティーやバーへと繰り出したのち、「数年間の素晴らしい恋」をしたというハイスミスとブルーメンシャイン。劇中のブルーメンシャインは吸い込まれそうな翡翠の瞳の持ち主で、白いTシャツもスパンコールの上着も水色のファーも、真っピンクな口紅も何の変哲もないスニーカーも、全てを当たり前のように着こなすゴージャスな人だった。ブルーメンシャインは2020年に逝去したそうだが、2022年に完成された同作中での佇まいは、かつてハイスミスが「彼女と笑ってビールが飲めれば/今は他に何も要らない」と綴ったことに何の違和感も覚えないような、魅惑的なものだった。
『パトリシア・ハイスミスに恋して』という映画自体も、ハッピーエンドを描いた初めてのレズビアン小説を執筆するなど、ハイスミスのこれまでの仕事をしっかりと讃えながら、しかし下手に故人を神聖化せずに展開されていく心地よい温度のドキュメンタリーで、いくら成功しても年を重ねても、傷つきやすく惚れやすく、家族の呪縛に苦しむハイスミスのことを、放っておけなくなるような内容だった。そしてロンドン、パリ、モンクール、ベルリン、スイス……感情の動きに合わせてぐんぐん移動していくハイスミスの姿を観ているうちに、こちらまで旅へと出たくなってくる。最近久々に開いた本に「旅というエデュケーション」という言葉が出てきたけれど、移動によってしか体に落とし込めない感情も、移動によってしか生まれない感情も、確かに存在しているよなあと思う。感情と体験を重んじるハイスミスの姿に、大いに触発された。
—
※1 三作の配給を手掛けるのは、今年あたらしく発足した配給会社「プンクテ」。配給作品もさることながら、グッズやポスター、パンフレットのデザインや内容も最高に冴えていて格好良い。
※2 劇中では、オッティンガーとブルーメンシャインが共同脚本・共同監督を務めた『ラオコーンと息子たち』や『The Enchantment of the Blue Sailors』(1975)のほかに『FOTOSESSION VENLVANDLUNG』(1971)という資料のフッテージ(オッティンガーと思わしき人物が、ブルーメンシャインにカメラを向け、写真を撮影している映像と思われる)が「©オッティンガー」として使用されていた。
※3 ハイスミスが審査委員長を務めた年の『ベルリン国際映画祭』のフッテージ映像には、同年ジョン・カサヴェテスの『オープニング・ナイト』で女優賞を受賞したジーナ・ローランズの姿も!
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2023年11月22日掲載予定です。
●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
≪she said she wanted to touch the grass she said she wanted in this big City to touch earth with her bare feet she said≫
2005年
ラムダプリント
30.0x20.0cm
Ed.10
サインあり
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

『フリーク・オルランド』『パトリシア・ハイスミスに恋して』
ドイツの映画作家、ウルリケ・オッティンガーによる三作、『アル中女の肖像』(1979年)『フリーク・オルランド』(1981年)『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』(1984年)が全国で順次公開されている(※1)。
「ベルリン三部作」予告編
先日、そのうちの1作『フリーク・オルランド』(1981年)を渋谷のユーロスペースへ観に行った。ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』を翻案したのだという同作のあらすじは、主人公のオルランドが、時代ごとに姿や性を変えながら、さまざまな世界線を旅していくというもの。私は初め、そうした前情報をほとんど入れずに作品を観進めていたので、場面の中心にいるのがずっと同じオルランドという人だということにすら気づかないまま、ひたすらに映像を浴びていた。
それでも全く飽きずに画面に集中していられたのは、登場人物たちの身に纏う衣装や体の動かし方、音の鳴り方、建築物の切り取られ方……スクリーンに映る何もかもが、いちいち新鮮に感じられたからだ。大胆だけれど雑ではなく、ウェルメイド感はないけれど隅々までクールに決まっている、不真面目そうに見えて大真面目なような、絶妙なバランス感覚。作品パンフレットによれば、オッティンガーは映画以外にも銅版画の技術を習得したり、写真、絵画、パフォーマンスの作品を発表したりしてきた人なのだそうで、その泉のような想像力と、想像を現実へと変えるエネルギーには敬意を抱かずにはいられない。
『フリーク・オルランド』の劇中では、その世界ごとにある人々が「異端」として排除される様子が映し出されていて、群衆から袋叩きにされたり、手や足を括り付けられたり、痛ましい場面がいくつも挙げられる。私は中盤まで、それらをどこか遠い世界の出来事のように思っていたけれど、サーカスの「見世物一座」御一行がオリンピックのロゴマークを掲げたスタジアム(ベルリン・オリンピアシュタディオン)の前に到着したとき、数年前に観た小原真史さんの展示「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」のことが咄嗟に思い出されて、これは遠い世界の御伽話ではないのだと意識が覚醒し始めるような感触を覚えた。小原さんの展示で紹介されていたのは、権力を持つ人々が「他者」とみなした人間をまるでモノのように展示していた初期の万博の資料だったから、オリンピックや劇中の時代とダイレクトに結びつくものではない。けれど数年前の東京五輪と数年後の大阪万博の狭間に身を置きながら、神話の時代から現代へと旅するオルランドの姿を観ている過程でそんな記憶の引き金が引かれるのは、妙に自然なことのようにも思えた。ドイツのキュレーター・クリスティーナ・ヤスパースさんはパンフレットに掲載された文章の中で「歴史的に多層な仄めかしに満ちたパノラマ」という言葉を使っていたけれど、『フリーク・オルランド』は物語の筋道を立てることよりもむしろ、その「仄めかし」をどのくらい沢山散りばめられるかということに注力していたのかもしれない。現実世界で「他者」とされてきた存在で画面を埋め尽くすという意思だけは死守しながら。

「ベルリン三部作」公開にあわせて販売されていた必読のパンフレット
*
ところで最近また、思わぬ場所でオッティンガー監督の名前に出くわした。11月3日から公開される、小説家パトリシア・ハイスミスについてのドキュメンタリー映画をオンライン試写で観ていたら、『アル中女の肖像』主演のタベア・ブルーメンシャインが現れ、劇中でその名を口にしたのだ!(※2)
『パトリシア・ハイスミスに恋して』予告編
1978年の『ベルリン国際映画祭』で出会い(※3)、パーティーやバーへと繰り出したのち、「数年間の素晴らしい恋」をしたというハイスミスとブルーメンシャイン。劇中のブルーメンシャインは吸い込まれそうな翡翠の瞳の持ち主で、白いTシャツもスパンコールの上着も水色のファーも、真っピンクな口紅も何の変哲もないスニーカーも、全てを当たり前のように着こなすゴージャスな人だった。ブルーメンシャインは2020年に逝去したそうだが、2022年に完成された同作中での佇まいは、かつてハイスミスが「彼女と笑ってビールが飲めれば/今は他に何も要らない」と綴ったことに何の違和感も覚えないような、魅惑的なものだった。
『パトリシア・ハイスミスに恋して』という映画自体も、ハッピーエンドを描いた初めてのレズビアン小説を執筆するなど、ハイスミスのこれまでの仕事をしっかりと讃えながら、しかし下手に故人を神聖化せずに展開されていく心地よい温度のドキュメンタリーで、いくら成功しても年を重ねても、傷つきやすく惚れやすく、家族の呪縛に苦しむハイスミスのことを、放っておけなくなるような内容だった。そしてロンドン、パリ、モンクール、ベルリン、スイス……感情の動きに合わせてぐんぐん移動していくハイスミスの姿を観ているうちに、こちらまで旅へと出たくなってくる。最近久々に開いた本に「旅というエデュケーション」という言葉が出てきたけれど、移動によってしか体に落とし込めない感情も、移動によってしか生まれない感情も、確かに存在しているよなあと思う。感情と体験を重んじるハイスミスの姿に、大いに触発された。
—
※1 三作の配給を手掛けるのは、今年あたらしく発足した配給会社「プンクテ」。配給作品もさることながら、グッズやポスター、パンフレットのデザインや内容も最高に冴えていて格好良い。
※2 劇中では、オッティンガーとブルーメンシャインが共同脚本・共同監督を務めた『ラオコーンと息子たち』や『The Enchantment of the Blue Sailors』(1975)のほかに『FOTOSESSION VENLVANDLUNG』(1971)という資料のフッテージ(オッティンガーと思わしき人物が、ブルーメンシャインにカメラを向け、写真を撮影している映像と思われる)が「©オッティンガー」として使用されていた。
※3 ハイスミスが審査委員長を務めた年の『ベルリン国際映画祭』のフッテージ映像には、同年ジョン・カサヴェテスの『オープニング・ナイト』で女優賞を受賞したジーナ・ローランズの姿も!
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2023年11月22日掲載予定です。
●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
≪she said she wanted to touch the grass she said she wanted in this big City to touch earth with her bare feet she said≫2005年
ラムダプリント
30.0x20.0cm
Ed.10
サインあり
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

コメント