連載「瑛九 - フォト・デッサンの射程」

第3回「You get these words wrong-第23回瑛九展」(その2)

梅津 元


ギャラリー・トーク「装置としての瑛九」(中編)
2013年5月31日 ときの忘れもの(青山)にて開催


本連載の第2回からの続き)

 瑛九の場合は型紙を使うという特殊性はありますが、まず、印画紙を使ったいわゆるフォトグラムに類するものと、撮影を施したガラスの乾板に加工を施し、その乾板を拡大して焼き付けるもの、その二種類があります。当時はフィルムではなくガラスですが、それを拡大して焼き付ける工程が存在するものを、フォトグラムと呼ぶことはできません。
 そのことに気がつけば、瑛九のフォト・デッサンが、型紙を用いたり、懐中電灯で光を描いたりする、特殊な表現形態のフォトグラム、フォトグラムの瑛九ヴァージョンとはいえないことがわかります。撮影したガラスの乾板に加工し、これを拡大焼き付けしたものがフォト・デッサンのひとつの系統だとすると、フォト・デッサンという概念の方がフォトグラムより広いことがわかります。

 フォトグラムのひとつの変形がフォト・デッサンなのではなくて、フォトグラムよりも広い射程を持つものとして、瑛九はフォト・デッサンを提示しています。フォト・デッサンという色々な可能性をもつ方法のひとつに、一般的なフォトグラムも含まれます。いわゆるフォトグラムは、誰がやっても似たようなものになり、偶然性に頼るので、瑛九は「光の遊戯に過ぎない」と厳しく退けているところがあります。
 瑛九は撮影を施したガラスの乾板に加工したりしていますが、そのことを大谷(省吾)さんも確か「異質さがある」と述べられていて、確かに異様な感じです。あまり見たことのない異質さがあり、ある種の暴力性や攻撃性が感じられるという点では、瑛九のコラージュにも少し共通するところがあり、表現者としての瑛九の特質が出ていると思います。ですが、このタイプがフォト・デッサンとして異質だということなのではなく、本来、この系統は、フォト・デッサンの片翼であった、というところに戻る必要があります。瑛九が提唱したフォト・デッサンという概念が、かなり広いものだというところに立ち返って、今日はマトリクスの提示を試みたいと思います。

 ちょっと補足です、埼玉近美の広報紙『ソカロ』の下段に非常に近い構図のものが3つ並んでいます。ガラスやセロファンなどの透明な素材をベースに、モチーフとなる素材を配置して感光させて像を得て、それを使い回していく方法で作られていると思われます。

作成1
fig.1(左):《作品》 1956年 宮崎県立美術館蔵
fig.2(中央):《作品(50)》 埼玉県立近代美術館蔵
fig.3(右):《作品(14)》 埼玉県立近代美術館蔵

 大谷さんが今回のカタログに寄稿されたテキストで書かれているような、近い構図のフォト・デッサンを複数作る方法として、瑛九はこのパターンを結構やっています。ただこれは厳密に同じではなくて、宮崎県立美術館の所蔵作品は、やや希薄な印象で、テストピース的な感じがします。あとの2点は、人と動物と太陽のような具象性も感じられる瑛九らしいフォト・デッサンになっています。一方は、背景に磨りガラスのような凹凸のある素材を加え、レイヤーとしてベースにもう一枚加えているのが分かります。
 これは、音楽で言うところのリミックス・ヴァージョンみたいな考え方でとらえることもできそうです。ある音源に対して、あるパートを差し替えて違うアレンジの楽曲を作る方法にも近く、表現における編集性が感じられます。瑛九は、ネガポジの反転という技法だけではなく、ここで見た方法に類することを手がけているので、フォトグラムを一回限りの偶然性だけに委ねない、という志向性が見てとれます。ここまでが補足になります。

マトリクスで考える

 「生誕100年記念 瑛九展」を開催した時、私は「装置としての瑛九」という文章を書きました。美術史的には、山田光春さんのように史実を克明に追いかけて行くとか、技術的な側面を忠実に探っていくとか、実証主義的な調査・研究はもちろん大事なものとしてあり、それがなければ何もものを考えられないことは確かです。ですが、瑛九は、短期間に錯綜した過程を経ていて、作風の幅も広く、誰もがそれを捕まえるのに苦労してきました。そこで、この展覧会では、ジャンル別とか年代順とかではなくて、トピックを8個設けて、それぞれのトピックで瑛九の特質を照らし出すことを試みました。

 私は6番目のトピック「転位するイメージ」を担当し、フォト・デッサンを中心にすえて、絵画や版画を含めて、「ヴィジュアル・イメージの創出」という言葉を使い、媒体の固有性を超えて共通する視覚的表現を追求していく瑛九の方法を探りました。人間主義的な調査や美術史的な調査だけでは追いつかないし、作品の分析を主とするフォーマリズムの方法でもどうしても追いつかず、非常に悩んでいたのですが、第三の発想として「装置」という言葉を考えました。
 なぜ「装置」なのかというと、カメラとか焼き付け機とか、写真という領域では、写真的なプロセスやシステムを、ある部分機械的な工程に委ねているからです。もちろん、構図を決めるとかシャッターを押すとか人間的な創造性は入ってくるのですが、機械的な工程に委ねられている部分も写真にはあり、「写真装置」という言葉もある訳です。瑛九は生身の人間ですが、自分自身を装置化するような方向を見いだすことで、上手く描けなかった絵画に最後に取り組むことができたのではないかという仮説を立てました。
 画家としてずっとやっていきたいという気持ちがありながら、油絵というメディウムと上手く馴染むことが出来ず、思ったような絵画が生み出せない、その中で短期的に写真に集中したり、生涯フォト・デッサンを作ったり、写真に関わったことが瑛九の表現のひとつの突破口になっています。写真との関わりは、一般的な写真にとどまるものではなく、先ほど見たような原板への加工とか、フォトグラム的なこととか、多岐に渡ります。ですから、瑛九が写真的なプロセス或いは写真的なシステムにどのように関わったかということを探り、それが瑛九の絵画とどのような関係にあるのかを考えてみたいのです。

umezu_20130531_QEi-3
当日配布したレジュメ(全4ページ)の3ページ目
(1ページ目と2ページ目は本連載の第2回に掲載)

瑛九のマトリクスB:写真

 手書きで大変恐縮です、こちらが「瑛九のマトリクスB:写真」になります(fig.4)。大きいものではないので、見にくいようでしたら、後ろの方は前に来ていただいて結構です。どういう方法が良いのか悩んだのですが……。これで一応、ひとつできました。

QEi_matrix_B_2013
fig.4:「瑛九のマトリクスB:写真」

 縦軸と横軸でマトリクスを作って考えてみましたが、仮説的なものです。縦軸と横軸の設定を変えてしまえばマトリクスも変わるように、このようなモデルには恣意性があるので、考えるためのテスト的なものととらえてください。定義付けをするとか、区分けをするとか、そうしたことがしたいのではなく、このようなモデルを考えると、そこから何がはみ出しているかが見えてくるので、そこが面白いと私は思っています。

 まず、上の方は「透過/転写」、要するに一般的な写真でいえばフィルムが介在して焼き付けを行う工程を意味します。瑛九の時代はフィルムではなくガラスの乾板ですが、間接的な媒体を介在させて像を得る工程があるものが上段です。「透過」や「転写」というプロセスによって、ガラスの像が印画紙に出現します。
 下の方は「インデックス」、要するにカメラを使わないで印画紙に直接光で痕跡を残す方法を意味します。インデックスは、物理的な痕跡を意味しますので、光によって物理的な痕跡を残す方法が、下段になります。
 右側は「パースペクティヴ」、カメラを使って外界を捉えるときの光学的なパースペクティヴが基準になります。
 左側は「レイヤー」、フラットに面が重層していくことをレイヤーと呼んでいます。遠近法的に空間をとらえるパースペクティヴとは異なる空間の奥行きです。

 では、このマトリクスで考えてみます。右上は、ガラス乾板を用いて、パースペクティヴを備えているので、カメラを使った一般的な写真がここに位置します。写真の分野では、「ストレート・フォト」と呼ばれる写真です。

5
fig.5:《作品(45)》 埼玉県立近代美術館蔵

 右下は、カメラを使わず印画紙に痕跡を残す方法なので、いわゆるフォトグラムがここに位置します。フォトグラムには遠近法的なパースペクティヴはないですが、物の物体性が顕著に残る場合は、何らかのパースは生まれます。例えば、瑛九のこの作品(fig.6)。

6
fig.6:《作品(46)》 埼玉県立近代美術館蔵

 遠近法的なパースペクティヴではないですが、ビンやコップなど物体の三次元的な存在感は、光と影に還元されて定着されています。

 左上は、先ほど見た「原板によるフォト・デッサン」が位置します。瑛九の面白さというのは、このような区分けをしても、必ずそれを突き破ってくるところにあります。その区分けを突き破るときに、人がやらないようなオリジナルな技法を生み出しています。ガラスの乾板に対して加工をするのはやや邪道な方法に見えなくもないですが。
 カメラで撮影したガラスの乾板を加工しないで焼き付けすれば、ストレート・フォトになります。一方、ガラスの乾板を全部崩してしまったら、カメラで撮影した画像は全く残らず、撮影の意味がなくなります。撮影した画像が部分的に残った状態で、原板に介入して加工した状態とあわさって焼き付けが行われた作品が、ここに位置します(fig.7、fig.8)。

qei_barikan
fig.7:《バリカン》(仮題) 1936年

8
fig.8:資料《写真原板(ガラス乾板)》

 そうすると、右上と左上の接続が、「原板加工」によって果たされていることがわかります。原板への加工の度合いが深まると、右側の「パースペクティヴ」が失われて、左側の「レイヤー」に寄っていくことになります。『みづゑ』(1936年3月号)に4点が掲載されたフォト・デッサンのひとつの系統は、「原板によるフォト・デッサン」なので、左上に位置します(本連載の第1回を参照)。

 左下ですが、ここは「感光材料によるフォト・デッサン」としてみました。下段は、カメラを使わない技法なのですが、フォトグラムとは異なり、ガラス板の透過性を活用した焼き付けという方法もあるのです。フォト・デッサンの中では、説明が難しいですが、仮に、その画面の感覚から、アンフォルメル調と呼ぶことができる系統があります。今そちらにありますね(fig.9)。

qei_118 (1)
fig.9:《作品》 1958年

 このタイプのフォト・デッサンはかなりの数あります。「光の化石」を開催したひとつの動機は、このタイプのフォト・デッサンを展示することでした。埼玉近美でも瑛九のフォト・デッサンとしては型紙を使ったタイプを代表作と位置付けていて、その系統ばかり展示する訳です。収蔵庫にはアンフォルメル調の不思議な作品が多数あるのに、ほとんど展示される機会がなかったのです。

綿貫(不二夫)氏 全くこれ売れないです。

 一体これはなんだろうという疑問があり、創作の過程を自分なりに推測して、原寸大のガラス板やセロファンなどに直接描画して、それをコンタクトで焼き付けているのだろうと思っていました。ところが、後に、私は考え方を改めることになりました。このタイプの作品の原板は、小さなガラス板で、確か17枚、宮崎県立美術館に収蔵されていることがわかったからです。その原板を使って作られたフォト・デッサンがあるかどうかを調べ、2点は特定できたので、「生誕100年記念 瑛九展」に出品することができました。
 いずれにしても、この小さいガラス板に直接描画したものを拡大焼き付けして、このようなサイズの印画紙の作品が出来ています。ガラスの原板とそれを使って作られたフォト・デッサンを特定できた2点のうち、1点は埼玉近美の所蔵(fig.10/ガラス原板はfig.11)で、もう1点は東京都写真美術館の所蔵(fig.12/ガラス原板はfig.13)です。

作成2
fig.10(左):《作品(61)》 1954年 埼玉県立近代美術館蔵
fig.11(右):資料《ガラス板》 宮崎県立美術館蔵

作成3
fig.12(左):《題名不詳》 東京都写真美術館蔵
fig.13(右):資料《ガラス板》 宮崎県立美術館蔵

 とにかく、拡大焼き付けが行われているというのは衝撃的なことで、これはフォトグラムという概念や技法から完全に逸脱しています。また、このガラス板はカラーで描かれているので、瑛九はカラーのフォト・デッサンに挑戦しようとしていたのではないかという議論もあり、宮崎県立美術館の学芸員の方が論文を書かれたりしています。実際にはモノクロの印画紙なので、ネガポジは反転しますが、カラーの絵の具を使っても色味自体はグレースケールに変換されています。今回展示されている作品(fig.9)も、おそらく同様の工程を経て作られていると思います。

 このような作品があるわけなので、左上と左下を接続するのは「手の運動」ではないかと考えられます。写真の場合、カメラで撮影して印画紙に焼き付けをすれば、普通は、手の痕跡は残らないはずですが、瑛九の場合は、ガラス板に直接描画をするとか、懐中電灯の光を細くして印画紙に直接光で描くなどの技法によって、写真的なプロセスとは相容れないはずの身体的な描画行為に近い制作が行われているのです。

 右上と右下を接続する機能を果たしている技法を考えてみると、おそらく「多重露光」あたりが来ると思います。具体的な作例を見た方が分かりやすいと思います(fig.14)。暗くて見えにくいかもしれないですが、葉脈が手前に見え、奥には人形が見えます。人形を撮影した写真は、普通の写真として、ストレート・フォトとして撮影されています。そこに葉っぱを光で透過した像を重ねることで、ストレート・フォトから逸脱して、フォトグラム的な方向に寄っていくことになります。

14
fig.14:《作品(7)》 1937年 埼玉県立近代美術館蔵

 左下と右下を接続する機能を果たしている技法を考えてみると、「型紙」になるのではないかと考えられます。マン・レイやモホリ=ナジなども含めた一般的なフォトグラムに対して、瑛九はドローイングをベースに紙を切り抜いた型紙を用いています。そうすると描画性が強くなり、絵画的な傾向を示すので、一般的なフォトグラムと瑛九のフォト・デッサンを分け隔てるのは「型紙」ということになります。
 型紙の形の物理的な痕跡が残るのでインデックスと言えますが、描画した線に沿って切り抜いていているので、絵画性が強く、その意味では、型紙に「手の運動」を見ることもできます。人とか、動物とか、具象性があったとしても、切り絵のようなフラットな層が重なり合うので、空間的なパースペクティヴは形成されず、レイヤーの方に寄っていくことになります。

 ということで、このようなマトリクスがひとつ、出来上がりました。以上が、「瑛九のマトリクスB:写真」を用いた説明です。

瑛九のマトリクスA:絵画

 もうひとつ似たようなものが出てきます、「瑛九のマトリクスA:絵画」です。こちらは写真のマトリクスに比べると、やや分かりにくいのですが、その分かりにくさの原因は、やはり絵画を想定しているから、ということになります。

QEi_matrix_A_2013
fig.15:「瑛九のマトリクスA:絵画」

 写真の場合、フィルムの有無とか、カメラを使うか使わないかとか、科学的な客観性が装置の中に含まれているので、マトリクスの項目を立てるときに、割と弁別しやすいです。その中で、腑分けされるべきものに対して、瑛九が必ずそこに風穴を開けるように独自の技法を編み出して、異なる領域を通底させていく、領域横断性が見て取れるのです。
 一方、絵画の場合、紙、カンヴァス、板などの支持体に対して、筆などで絵の具を塗ったり重ねたりする、非常にシンプルな技法なので、そこで括ってしまうと差異化が難しいわけです。しかも、描き方で差異化して弁別してしまうと、その作家の個性とか癖のようなものが基準になってしまい、写真のような客観性を持たせるのが難しいのです。そこで、瑛九の絵画に対する取り組みを考えるうえでは、写真的なモデルを借りて、それに助けてもらって考えてみたわけです。

 まず上段と下段です。上段は、写真におけるパースペクティヴと同じで、遠近法的な写実主義的な空間の作り方です。下段は、抽象的な表現が主ですが、絵画の平面性、再現的な奥行きを持たない絵画自体の形式に基づいた空間と考えればいいと思います。平易な言葉で言えば、上段は具象、下段は抽象、というとらえ方でもいいと思います。
 ただ、瑛九の場合、具象と抽象が入り乱れているので、上段は「対象指示性」としました。画面を見て、これは人の顔であるとか、これは木であるとか、視覚的に確認し得るもの、言語的に明示し得るものがある、ということを意味しています。下段は、そのような対象指示性が希薄な傾向を、「自己指示性」としました。色、形、テクスチャーなど、絵画自体の造形性や形式性に依拠しているものという意味です。
 次に右側と左側です。右側は「再現的空間」、左側は「自律的空間」としていますので、この縦軸と横軸をふまえて、順次マトリクスをみていきます。

 右上は、「対象指示性」、いわゆる具象的なもので、「再現的空間」となるので、いわゆる「リアリズム」の写実主義的な傾向の作品が位置します。瑛九も一生懸命リアリズムの絵を描いています。
 右下は、少し難しくなりますが、「自己指示性」、いわゆる抽象的なものですが、「再現的空間」の要素も含むので、「形象性・記号性」を示す傾向の作品が位置します。何らかの形やイメージを喚起する系列の絵画や、幾何学的な抽象など、瑛九の絵画制作において、点描に至る前の過渡期とみなされている時期の作品などが位置すると思います。

 左上は、「対象指示性」はあるけれど、再現的な空間ではなく、「自律的空間」、つまり、絵画形式上の空間を形成する傾向の作品が位置するので、「レイヤー」、多層性という特徴が指摘できる系統が位置すると考えられます。
 左下は、「自己指示性」と「自律的空間」という傾向を示すので、純粋抽象に近いもの、「オールオーヴァー」といえるような形式性の強い抽象絵画に類する作品が位置します。まさに、対角線上に位置している「リアリズム」の対極にある傾向です。

 このような絵画のマトリクスを考えてみて、瑛九の技法を具体的に見ていきたいと思います。写真のマトリクスのように明快に示すことができない面もありますが、まず、右上と右下を接続するところには、「型押し、痕跡」を考えてみました。『眠りの理由』を発表した1936年に、瑛九の絵画は、突然、抽象化します。例えば、《マッチの軌跡》(fig.16)は、マッチ箱に絵の具を付けてスタンプのようにして押して、抽象的なイメージの形成を図っています。同様に、手形が痕跡として定着されている作品もあります。

16
fig.16:《マッチの軌跡》 1936年 宮崎県立美術館蔵

 描写をするだけではなくて、痕跡を残す技法は、フォトグラムに近いです。いわゆる再現的な描写だけではない型押しの技法など、写真で言うところのインデックスに近い痕跡を絵画表現に導入する技法として、型押しや痕跡を考えてみました。

 右上と左上を接続するところには、「ガラス絵」を考えてみました。瑛九のガラス絵はあまり注目されていませんが、重要な意味を持つと思います。「よいどれ心理」と呼ばれるガラス絵の三部作を手がけた経験は、油彩画に反映されているように感じられます。
 ガラスに描画を重ね、そのガラスの反対側から見ることでガラス絵は成立しています。制作の時と、作品を見せる時の絵の具の層が、通常の絵画とは逆になっているわけです。ここで、「リアリズム的な写実性」から「レイヤーの多層性」へという展開には、瑛九が「ガラス絵」という技法に取り組んでいた経験が反映されているのではないかと考え、ここにガラス絵をあてはめてみました。

綿貫氏 
 先生、事前にこういう情報があったら用意していたのですけどね。瑛九のガラス絵はね、今うちにはありません。ありませんが、何点か扱っていまして、実際瑛九は私たちに非常に影響を与えていて、これは、誰だと思います?ガラス絵です。ある時期ほとんど瑛九と同じ絵を描いていた人がいます。これ磯辺行久です。磯辺さんの。

梅津 57年…。

綿貫氏
 うん。1957年。ですからこの時代ですね。この時代に、河原温だとか磯辺さんだとか靉嘔だとかみんな出入りしていて、磯辺さんはもうほとんどサインが無ければ瑛九と全く同じような絵を描いていましたけど。これはだから、ちょうど瑛九も、ガラス絵やったって。ちょっと事前に先生、言ってくれれば用意しておいたのに。すいません、これは瑛九じゃありませんけど、瑛九のお弟子さんと言うか、仲間の磯辺行久の当時のガラス絵です。

梅津
 というわけで、磯辺さんのガラス絵を見せていただきました。瑛九の評伝を書いた山田光春もかなりガラス絵をやっていて、瑛九と親密な関係にありました。どちらがどう影響を与えているかは分からないですが、写真のガラス乾板に直接描画するということと、ガラス絵はおそらく何らかの関係を持っているだろうと思います。こちらは油彩ですが、東京国立近代美術館の収蔵作品ですよね。

大谷氏 はい、そうです。

17
fig.17:《赤の中の小さな白》 1937年頃 東京国立近代美術館蔵

梅津
 瑛九の名作と言われている《赤の中の小さな白》(fig.17)という非常に質の高い作品ですが、ガラス絵で鍛えた感覚が油彩に転化された例と思います。

 右下の「形象性、記号性」と左下の「オールオーヴァー」を接続しているのは、間違いなく「吹き付け」です。瑛九は、フォト・デッサンで使っている型紙を油彩にも応用しています(fig.18, fig.19)。

18
fig.18:《仲間》 1952年 宮崎県立美術館蔵

19
fig.19:《シルク》 1957年 個人蔵

 フォト・デッサンの場合は光による転写が可能ですが、絵画の場合は機械的な転写はできないので、絵筆ではなくて、スパッタリングの技法やエアブラシを使うことで、粒子状の絵の具を吹き付けます。そうすると、メディウムとしては絵画ですが、表現の手法として間接性という特徴が指摘できます。その間接性は、版画の技法やフォト・デッサンの技法に近い感覚だと思います。もちろん、色彩という別な問題はありますが。
 吹き付けをやっていくと粒子状に微細な絵の具の点が定着されます。型紙を使って吹き付けをする場合、型紙の具象性に注目すれば、右下の「形象性や記号性」が指摘できます。ところが、型紙の形以外の部分に注目すると、そこには微細な色の粒子の粗密だけしかなく、左下の「オールオーヴァーな均質性」に接近してくるのです。
 例えば、真岡の久保貞次郎さんの蔵を飾っていた《カオス》(fig.20)。巨大な作品で、形といっても雲みたいな茫洋とした形なので、形象性や記号性は希薄になり、均質空間、つまりオールオーヴァーに近づいていくわけです。

20
fig.20:《カオス》 1957年 東京都現代美術館蔵

 左下と左上を接続するところには、おそらく「点描」が来るはずです。あるいは、「オールオーヴァー」を介して、「吹き付け」と「点描」が接続される、という言い方もできるかもしれません。展覧会をやってみて感じたことですが、瑛九の点描はオールオーヴァーを目指していたとは思えないのです。
 具象性、形象性、イメージ性がほとんど感じられないない、限りなく均質な点描の作品も制作されていますが、それらが、瑛九が本当に目指していた作品であるとは思えないのです。最晩年の《田園》(fig.21)には、いわゆる再現的な風景ではないけれど、風景的な表現が復活していて、瑛九が純粋抽象を求めていたわけではないことが伝わってきます。
 その意味では少しポロックにも近いところがあり、完全な均質性を作家が望んでいたわけではないのに、周囲の評価が覆いかぶさってしまうという問題があります。具象という言葉は使えないですが、イメージ的なもの、何か画面の核になるもの、そういったものが、瑛九の中で探求されていたのではないかなという気がしています。

21
fig.21:《田園》 1959年 加藤南枝氏蔵

 ここまでどうにか来まして、もうひとつのマトリクスが出来上がりました。以上が、「瑛九のマトリクスA:絵画」を用いた説明です。そして、最後に、このふたつのマトリクスを重ねてみる、ということになります。ようやく解読可能な状態に近づきました。

綿貫氏
 これ事前に…プロジェクターもありますのでね、ここに大きな暗幕もこの間買ったばかりなのでね、何でも用意していますって言ったのですけれどね、「いや、何も要らない」ってね。こういうことだったのですね。

図版出典

fig.1, fig.2, fig.3, fig.5, fig.8, fig.11, fig.12, fig.13, fig.14, fig.16, fig.17, fig.18, fig.19, fig.20, fig.21:『生誕100年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011年

fig.6, fig.10:『光の化石-瑛九とフォトグラムの世界』埼玉県立近代美術館、1997年

(うめづ げん)

■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。

・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」。次回更新は2023年12月24日を予定しています。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は、瑛九です。
qei-195
《題不詳》
フォト・デッサン
45.2×55.7cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


*画廊亭主敬白
梅津先生のハードな瑛九議論の展開中ではありますが、画廊は昨日から始まった「倉俣史朗展」に予想通りというか、予想外というか朝からたくさんのお客様が来られて、スタッフたちはてんてこ舞い。
亭主は我関せずで、久しぶりのお客さまと昔話やら、老後の始末のあれこれで長話になりました。
その方は長年首都圏の温泉町に別荘として持っていたマンションをさきごろ売られたらしいのですが(2DK)、その価格が200万円と聴いてのけぞりました。
瑛九のフォトデッサン1点の価格であります。
日本中、空き家だらけだという話を実感しました。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
photo (2)