「モダン・タイムス・イン・パリ 1925」展――その時、日本では。
山塙菜未(ポーラ美術館 学芸員)


はじめに―モダン・タイムス・イン・ジャパン
 ポーラ美術館で開催中の「モダン・タイムス・イン・パリ 1925―機械時代のアートとデザイン」展では、第一次世界大戦を経て「機械時代」を迎えた1920-1930年代のパリを中心に、美術やデザイン、そしてこの時代を生きた人間たちと機械との関係性を繙くことを試みた。
 第1章「機械と人間:近代性のユートピア」、第2章「装う機械:アール・デコと博覧会の夢」、第3章「役に立たない機械:ダダとシュルレアリスム」の主な舞台はヨーロッパだ。飛行機や自動車といった機械の発達に伴い、機械の質感やフォルムへと接近していく絵画や彫刻、そしてデザインを紹介するだけでなく、デザイン性を追求し「アート」へと近づいていく機械も展示している。さらには同時代を席捲したアール・デコ様式を「機械時代」という観点から捉え直し、加速する近代化に反発したダダやシュルレアリスムといった「反・機械主義」的な芸術運動までを取り上げた(詳しくは東海林洋「「モダン・タイムス・イン・パリ 1925」展をめぐって:機械時代から捉えなおすパリの1920年代」を参照)。
 しかし本展では、意外と日本人作家の比重も大きい。第4章は「モダン都市東京:アール・デコと機械美の受容と展開」と題し、主に1923年(大正12)の関東大震災後の日本に焦点を当てている。第一次大戦で戦場とはならなかったものの、震災で灰燼に帰した東京を中心とする関東一円の状況は、大戦後のヨーロッパと酷似していたと言えよう。1928年(昭和3)頃より東京や大阪を中心に急速な近代化が推し進められ、コンクリートの高層建築や鉄橋、地下鉄といった都市機能が次々と整えられていく。華やかなモダン都市・東京を象徴するデザイナーや、新しい時代の高揚感だけでなく、その後の不況や社会不安を暗示する個性豊かな作品をご覧頂きたい。

杉浦非水の「東京アール・デコ」
 この第4章は、会場パネルや図録には明記していないものの、第1部「杉浦非水の「東京アール・デコ」」と、第2部「前衛芸術家たちと「機械主義」」という2つのパートにざっくりと分けられる。大正から昭和初期にかけて、日本は大戦後の好景気に沸いたかと思えば疫病の流行や未曾有の大災害に見舞われ、震災後の急速な近代化・産業化でモダンな都市文化が形成されると同時に世界恐慌にも巻き込まれるなど、非常に混沌とした状況下にあった。モボ・モガが最先端の流行を享受する一方で、大衆社会の成立を背景に前衛芸術家が台頭し、景気の後退や軍国主義化とともにプロレタリア美術運動へと発展していく。もちろん大正から昭和初期の美術をこの2つのパートのみで語ることは到底不可能だが、1920-1930年代の日本がもつ明と暗の顔を端的に感じ取れるような会場構成を目指した(Fig.1)。

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Fig.1
「モダン・タイムス・イン・パリ 1925」展
第4章「モダン都市東京:アール・デコと機械美の受容と展開」会場風景
Photo by Ooki JINGU


 フランスで流行したアール・デコは、ヨーロッパの他の国々やアメリカにも拡散しただけでなく、上海や香港といった東洋の都市にも伝わり独自のモダン・デザインを生み出していった。震災復興期の大都市東京を彩ったこのスタイルを仮に「東京アール・デコ」と名付けるなら、杉浦非水(1876-1965)はその象徴的な存在である。すでに三越のデザイナーとして一世を風靡していた非水だが、1923年(大正12)1月にパリに到着すると、関東大震災により早々の帰国を余儀なくされるまで、パリを拠点としてドイツやイタリアにも足を運んだ。ヨーロッパの同時代のポスターも積極的に収集し、約300種のポスターを集めたとされる(1)。特に鉄道ポスターは約150点に及び、フランスの主要な駅を巡って熱心に集めたというエピソードは興味深い。中には、本展出品作であるA. M. カッサンドル(1901-1968)の「エトワール・デュ・ノール(北極星号)」のポスターと同じデザインの時刻表も含まれており、帰国後の非水のデザインにおけるシンプルでインパクトのある構図、色数を抑えながらもコントラストによって際立つ色彩効果、鉄道の広告に車体以外のものをあえて主役として描く点(非水はポスター「東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通」(1927年)でホームに立ち並ぶ群衆を大きく捉えた)などに、アール・デコを代表するカッサンドルのデザインからの直接的な影響が伺える。本展では、非水の代表的なポスター4点(展示替え分を含めると計10点)や、『三越』『大阪の三越』といった雑誌の表紙、『非水創作図案集』などにより、非水の「東京アール・デコ」を本場西洋のアール・デコと比較しながら検討する。非水は機械モティーフを直接デザインに取り入れることはさほどなかったものの、1927年(昭和2)に開通したアジア初の地下鉄道や、鉄筋コンクリートの高層ビルを次々と竣工した三越百貨店など、機械の進歩により築き上げられた新たな都市文化を明るい色彩と大胆な構図で描き出したのであり、その点でまさに「機械時代」を代表するデザイナーであるとも言えよう(Fig.2)。
 また、同時代に活躍した山田伸吉(1901-1981)や山名文夫(1897-1980)のポスター、鏡台や化粧品など女性の身近な日用品にも見出せるアール・デコ様式の影響を概観することで、日本的アール・デコの広がりを見直したい。

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Fig.2
第4章「モダン都市東京:アール・デコと機械美の受容と展開」における杉浦非水コーナー
Photo by Ooki JINGU


前衛芸術家たちと機械主義
 第2部「前衛芸術家たちと機械主義」は、坂田一男(1889-1956)の油彩画から始まり、中原實(1893-1990)、河辺昌久(1901-1990)、岡本唐貴(1903-1986)、古賀春江(1895-1933)、瑛九(1911-1960)といった異色の前衛芸術家らの作品が並ぶ。1921年(大正10)から10年以上フランスに滞在し、機械的要素や構造を作品に取り込んだフェルナン・レジェ(1881-1955)の圧倒的な影響下で学んだ坂田は別として、多くの日本人作家は、特定の師や芸術様式の教えを純粋に継承するというよりは、むしろ未来派やダダ、シュルレアリスムなど西洋の様々な芸術運動に触発されつつ、独自の解釈や興味、そして当時の社会状況をない交ぜにしながら自分の表現を模索していった様子が伺える。
 本展の出品作についても、明確に「○○派」「△△主義」と定義付けるのは非常に難しい。しかし、どの作品にも「機械時代」による何らかの影響を読み取ることが出来る。分かりやすい例としては、坂田が≪コンポジション≫(1926年、福岡市美術館蔵)で描いた、機械部品を思わせるメタリックな形体が挙げられよう。着物姿と裸体の二人の女性が主役と思われる岡本の≪丘の上の二人の女≫(1926年、東京都現代美術館蔵)の背景にも、巨大なビルや鉄塔、コンクリートの橋といった機械時代の産物が、(おそらくは批判的な意味合いも込めて)生命感溢れる女性像に勝るとも劣らない表現で描き出されている。
 また、写真や映画、印刷物などの視覚メディアを「機械的視覚メディア」と定義することで(2)、より多くの作品を機械主義という文脈で読み解くことが可能となる。大量複製メディアである科学雑誌やグラフ雑誌の図版や絵葉書の図柄を集め、モンタージュ風の手法で絵画を作り上げた古賀も、「機械的視覚メディア」を駆使した画家だ。彼はまた、飛行船や工場、機械、ロボットを画面に頻繁に登場させるなど、モティーフそのものにも機械主義の影響が色濃く出ている。さらに本展では、2021年(令和3)の「生誕110年 瑛九」展(宮崎県立美術館)において初公開された10点組の≪フォト・コラージュ≫(1937年)(3)や、木村伊兵衛(1901-1974)の写真を利用した原弘(1903-1986)のポスターなども紹介している。昭和期に入り、美術史家の板垣鷹穂(1894-1966)が機械文明や機械主義と芸術の関係性について体系的に論じたことも大きく作用し、芸術家たちは機械をモティーフとして取り入れるだけでなく、機械的表現技法を用いて自己の表現を拡張するようになり、日本における機械主義の芸術はより一層多様で豊かなものになっていった(4)。

「身体の切断」と「機械への接続」
 「機械時代」をキーワードとする本展の最も象徴的な作品として挙げられるのが、河辺昌久の≪メカニズム≫(1924年、板橋区立美術館蔵)(Fig.3)であろう。様々な機械部品と思しきモティーフが画面全体に描き込まれ、複雑な機械構造の中に、頚部を切り開かれた男性の頭部や、鉄パイプを掴む解剖図のような左手が接続されている。切断された身体が機械の中に取り込まれ、まるで機械の一部として今にも動き出すかのようなグロテスクで異彩を放つ作品である。

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Fig.3
河辺昌久≪メカニズム≫ 1924年(大正13)板橋区立美術館蔵


 河辺がこうした強烈なインパクトをもつ前衛的な作品を生み出し得たそもそもの背景には、中原實との偶然とも言える出会いがあったことは否定出来ない。河辺が通っていた日本歯科医学専門学校(現在の日本歯科大学)の創立者の息子で、エリート歯科医師であり画家でもあった中原がフランスから帰国したことが、元々は画家を志すも家庭の事情により断念していた河辺の野心に火を付けた。中原が自邸跡に建設した「画廊九段」の活動に深く関わり、中原が組織した日本初のアンデパンダン展である「首都美術展覧会」の委員にも名を連ねて、同展で自作を発表するに至る。
 本作品には、紙(一部は布)によるコラージュが多数施されている。ル・コルビュジエ(1887-1965)らが発行した雑誌『エスプリ・ヌーヴォー(L’ESPRIT NOUVEAU)』(1920-1925年)の表紙のタイトル文字や、1868年にベルリンで創業した香水メーカー「フランツ・シュヴァルツローゼ(Franz Schwarzlose)」社の、香水用アトマイザーボトルの広告の一部
(右上の「CHYPRE ODYSSEE」と記された丸いマーク)など、海外の雑誌や広告から様々なイメージを切り抜いていることが分かる。画面の至るところに確認出来るコラージュの数は、なんと30ヶ所以上。特に自らが描いた機械のパーツやパイプに、機械部品が印刷された画像を巧妙に貼り合わせ接続させることで、機械のリアルな構造や質感を表現している。
 河辺に影響を与えた中原が、第一次大戦敗戦後のベルリンの都市生活をモンタージュ風に描いたとされる≪ヴィナスの誕生≫(1924年、東京都現代美術館蔵)を、本展では河辺作品の隣に展示している。ベルリン滞在中に感化されたという風刺画家のジョージ・グロス(1893-1959)の影響が色濃い作品ではあるが、特に頭部や下半身のみの断片化された人物像、あるいは片足を失った傷痍軍人が折り重なるように描かれているのが印象的だ。第一次大戦中、フランスで軍医として負傷兵の治療に当たっていた中原のことを、関直子氏は「現実の断片化と再生、そして同時代の芸術表現における意味とかたちの切断と再構成というダダやシュルレアリスムの意義を、関連づけて理解していた稀有な存在であった」(5)と評する。医療従事者として大戦を経験した中原にとっては、戦車や飛行機といった近代兵器という機械による身体の切断と、医療行為を通した再生こそが、ヨーロッパで目にした現実であった。中原自身の経験に基づいた「断片化された身体」という絵画のモティーフは、歯科医の卵として同じく日々人体の構造について学び、生身の人間の体に触れながら技術を磨いていたであろう河辺へと引き継がれていく。切断された身体は、機械へと接続されることで再び息を引き返すのか、それとも機械に飲み込まれて人間らしさを失っていく運命なのか―河辺が本作品を通して伝えたかったことを、本展開催中に今一度考えてみたい。

おわりに
 第4章の最後を締めくくるのは、アマチュアの映画監督として活躍した荻野茂二(1899-1991)による映画「百年後の或る日」(1933年、国立映画アーカイブ蔵)である。主人公は監督自身の名を冠した荻野茂二という人物。彼は作中で、再び訪れた世界大戦に従軍し、この映画の製作から約10年後となる1942年に爆撃によって死亡するが、科学の力によって生き返り、2032年の世界へと召喚されるというストーリーである。
 この映画は、「時間旅行」や「未来都市」、「宇宙旅行」といった要素に満ちた、日本における最初期のSF映画とされる(6)。制作されたのは1932年(昭和7)で、科学や機械が著しく発展する一方、前年には満州事変が勃発し、軍国主義への道を歩み始めた時代でもあった。荻野は数年後の二度目の世界大戦を予見するだけでなく、100年後の幻想的な未来を夢想し、幾何学的な影絵の織り成す効果とユーモアのあるストーリー展開によって、行き過ぎた機械主義や科学の進歩に対して警鐘を鳴らしている。荻野が「遠い未来」として設定した2032年まで、あと8年。人間が再び機械や科学の力に飲み込まれないように、本展の作品は様々なことを雄弁に語りかけてくれている。

(1)ヨーロッパ滞在時の非水のポスター収集時期、方法、数や種類、帰国後の非水のデザインに対する影響関係などについては、以下の論考を参照。前村文博「杉浦非水のポスターデザイン―1920年代を中心に―」『鹿島美術研究(年報第24号別冊)』鹿島美術財団、2007年、42-54頁。同「杉浦非水とヨーロッパのポスター」『生誕140年 杉浦非水:開花するモダンデザイン』(展覧会図録)愛媛県美術館、2017年、116-118頁。
(2)谷口英理氏は写真、映画、印刷物などの視覚メディアについて、「像を取り込む撮影や製版、像を投影する映写・印画・転写等において機械的、科学的な行程を必ず経る、どれもが基本的に大量複製と不可分なメディアである」と定義した。谷口英理「前衛絵画と機械的視覚メディア―古賀春江から瑛九へ―」『近代画説』第15号、2006年、78-99頁。
(3)本作品については、大谷省吾氏の以下の論考で詳細に分析されている。大谷省吾「新発見の瑛九のフォト・コラージュについて」ときの忘れものブログ、2022年。
(4)板垣鷹穂と日本における機械主義の関係については、白政晶子氏が本展図録のエッセイにおいて詳しく論じている。白政晶子「日本における「機械」と絵画、写真―板垣鷹穂、古賀春江を中心に―」『モダン・タイムス・イン・パリ 1925―機械時代のアートとデザイン』(展覧会図録)ポーラ美術館、2023年、168-171頁。
(5)関直子「キマイラの笑いと憂鬱」『百年の編み手たち:流動する日本の近現代美術』(展覧会図録)東京都現代美術館、2019年、8-15頁。
(6)高槻真樹『戦前日本SF映画創世記:ゴジラは何でできているか』河出書房新社、2014年、92-102頁。

■山塙 菜未(やまばな なみ)
ポーラ美術館学芸員。2015年よりポーラ美術館に勤務。主な担当展覧会に「モダン美人誕生―岡田三郎助と近代のよそおい」展(2018-2019年)、「Connections―海を越える憧れ、日本とフランスの150年」展(2020-2021年)など。

◆関連イベント
3月8日(金)に神田・東京堂書店で「モダン・タイムス・イン・パリ」展と「シュルレアリスムと日本」展(板橋区立美術館、4月27日(土)より三重県立美術館に巡回)の開催を記念したトークが開催されます。当ブログ執筆者である山塙菜未先生のほか、ポーラ美術館の東海林洋先生、板橋区立美術館の弘中智子先生、三重県立美術館の速水豊先生が登壇されるとのこと。貴重な機会になること間違いなしです。

日時:2024年3月8日(金)19時00分~(開場18時30分)
場所:東京堂書店 神田神保町店6階 東京堂ホール
参加費:一人1,500円(要予約)
詳細はこちら

■展覧会概要
モダン・タイムス・イン・パリ 1925-機械時代のアートとデザイン
Modern Times in Paris 1925― Art and Design in the Machine-age

主催:公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館
後援:フランス大使館/アンスティチュ・フランセ
会期:2023年12月16日(土)―2024年5月19日(日)
※会期中無休
会場:ポーラ美術館
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山 1285
時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
料金:一般1,800円 大学・高校生1,300円 中学生以下無料

●「モダン・タイムス・イン・パリ」展の図録を販売中です。
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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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