井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」最終回

『Requiem』


3月。ジョナス・メカスの息子、セバスチャン・メカスさんにより公式Instagramが開設されたという知らせを受けてすぐ「@jonasmekasofficial」のボタンを押すと、宮殿の中を白鳥が泳いでいて身を乗り出した。

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キャプションによれば「ジョナスの最後の映画 『Requiem』」が5月までイタリアで上映されているのだという。到底現地を訪れられそうにないなあと落胆していた春、会期の延長がアナウンスされ、うじうじと直前まで悩み続けた後、7月11日、山のようなタスクを置いて、バカ高い航空券でイタリアへと発つことにした。10時間以上飛ぶ飛行機に乗ったのは2014年、NYへメカスを訪ねたときぶりだった。

調べたところによると『Requiem』はNYの文化施設「The Shed」の委託によって制作された作品で、メカスが亡くなった10か月後の2019年11月に同施設で初披露されたのだそうだ。劇中、小説家・詩人のアレッサンドロ・マンゾーニに作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが捧げたレクイエム(カトリックの葬儀ミサ曲のひとつでもある。学生時代を合唱に捧げていた私の母はこの曲を「ヴェルレク」と略して呼んでいた)が大々的に使用されていることから、初演時は100人のオーケストラと80人の合唱団の生演奏と共に映画が上映されたのだという。その後、5年の時を経て2024年2月からイタリアでのヨーロッパプレミア上映(今回訪れたもの)が始まり、4月には「ヴェネツィアビエンナーレ」で、スクリーンを2面使ったインスタレーション上映も行われた [1]。ヴェルディとマンゾーニが共にイタリアの出身であり、レクイエムの初演がミラノの教会であったことから、この地での上映の必然性が浮かび上がってくる。

今回会場となったクレモナ(『耳をすませば』で天沢聖司が修行に行ったバイオリンの街)には、メカスも生前訪れたことがあるのだそうで、1年間毎日映像作品を公開する「365 days project」(2007年)の6月11日分に、その記録が残っていたようだ。残念ながら今回、実際の映像を観返すことはできなかったけれど、息子のセバスチャンと娘のウーナも同行したというその旅では、「レクイエム」の作曲家ヴェルディが愛したワイナリーにも立ち寄ったそうである。[2]

イタリアはおろか、ヨーロッパにも今回初めて降り立った自分は、パリから飛行機でやってきてくれた友人・Iとその友人・Tに頼りきりで会場を訪れた。ベルガモの街からわざわざ車を走らせてくれた二人には感謝してもしきれない。さあさあ、みんなでワインを飲もう!というようなイタリアらしい陽気なBGMと共に真夏のクレモナに到着すると、黄緑、黄色、ピンクといったパステルカラーの可愛らしい建物がずらりと並んでいた。バカンス期間ということもあってか、石畳の路上にはほとんど人がいない。メカスが飼っていた2匹を思い出すような黒猫がうろつくテラスでサラミやワイン、ピスタチオのリゾットを食した後、元教会を活用しているという上映会場「San Carlo Cremona」へと歩いた。

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会場入り口

到着してまず驚いたのは、その天井の高さだ。いったい何メートルあったのだろう。見たことのない大きさの垂れ幕におなじみのメカスフォントで赤く「REQUIEM」と綴られている。

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入り口左手には受付があり、右手にはジョナス・メカスに関する資料が

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資料は映像の内容に沿ったものというよりは、初めてメカスを知る人が見てもその人物像や仕事の概要をイメージできるようなラインナップだったように思う(中には新宿のクロさんのバーや山形の農民詩人・木村迪夫さんに触れられた文章も)

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大きな垂れ幕の奥には、今回の上映のために組み立てられたのであろう立派なスクリーンが。そのまた奥にプロジェクターとスピーカーがあり、手前には観賞用の簡易的な椅子が並べられている。

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この会場では『Requiem』をループ上映しており、観客は何度でも、どのシーンからでも作品を観られるようになっている(入場は無料)。私たちは事前に上映時間を把握していたので、作品を冒頭から鑑賞することにした。



『リトアニアへの旅の追憶』(1972年)の終盤を彷彿とさせる、火事のニュース映像。飛行機の窓から撮られたであろう、雲の上の様子。「For you」と書かれた、手書きの青い文字。映画が幕を開け、デジタルで撮影された断片的な映像がいくつか続いた後、映画はひたすらに植物を映し始めた。

雨風に打たれる朝顔、風にのけぞる紫の花。光を浴びる若葉、どっしりと根を下ろす木。車窓から見えるひまわり畑のようなドラマチックな瞬間から、何気ない、本当に何気ない軒先のプランターにまで、カメラは次々に目を向けていく [3]。背景では終始音楽が鳴り響いており、そこに時折、風の音や鳥の声など、素材自体の音声がまじりあう。メカス自身は時々単語レベルの言葉をささやくだけで、ほとんど声を発さない。

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ときにピントがあわないくらいの超接写で対象に近づき、ときに皴のある手で優しく触れながら、植物に目線を合わせようとするメカス。花壇に植えられた何種類もの花を、カットを割らずに、手元をジャンプさせるような方法で撮影しているシーンもあった。デジタルに移行して間もないころのメカス作品には長回しが多用されていたけれど、同作での手つきはむしろ、フィルム時代のそれを彷彿とさせる。劇中、画角や画質が変化することから、これらの映像が何台ものカメラで撮られてきたことがわかった。

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映画を観ながらとっていたメモ。劇中に入れこまれるテキストはミサを執り行うための典礼書から引用されているのだという。ただし、メカス自身が綴ったものだろうか、明らかに性質の違うテキストも混じっていた

会場のディレクター・フランチェシカさんによれば、『Requiem』はメカスが30年以上撮りためてきたフッテージを、本人と、アシスタントのエル・バーチルが共同で編集した作品なのだという。完成前にメカスがこの世を去ったことを受け、『Sleepless Nights Stories』(2011)にも編集者としてクレジットされていた長年のコラボレーターであるバーチルさんが、この作品を完成させた。

さて、ひたすらに植物たちを映し出したあと、映画は何を映したのか。それは地面に横たわり、亡くなっている子供や、骸骨の中にたたずむ人、弱り切った相手に容赦ない暴力をふるう人など、思わず目を覆いたくなるような光景だった。ピュリツァー賞を受賞したのち自殺した写真家ケビン・カーターによる、かの有名な「ハゲワシと少女」の写真が映し出されるなど、劇中ではさまざまなメディアを通して人類の負の歴史が暴かれ、かと思えば次の瞬間にはまた、メカスが撮影した美しい花々が現れる。鳥やトカゲ、ヤギや魚がのびのびと暮らしている様子も。

疑いの余地なく生命を謳歌する動植物たちと、残忍な人間たちの様子。その反復に振り落とされないよう、私はすがるような気持ちで画面を追っていた。そして作品が中盤に差し掛かった頃、思わず目を見張る。スクリーンに突如、3.11の映像が映し出されたのだ。

テレビに流れる陸前高田の津波の映像を、メカスがカメラで撮っている。まさかイタリアの地で、この映像を観るなんて。動揺で、体が熱くなるのがわかった。そしてその動揺を安易になだめたりしないまま、映画は反復を繰り返し、終盤へと向かっていく。最後に映された花は、おそらく桜だった。何も書かれていない、まっさらな白い画面で映画は幕を閉じる。メカス作品によくみられる手書きのエンドクレジットは確認できない。



84分の映画を観終えたあと、まるで真正面から問いただされているような気分だった。命ある時間を何に使うのか。今も続く悲劇をどう捉えているのか。この星には自分以外の命があることを認識できているのか。忙しさにかまけて見て見ぬふりをしてきたいくつもの問いが、ずっしりと胸に跡を残す。

ジョナス・メカスは10年前、突然自宅を訪ねてきた見知らぬ私に向けて「正しい選択をしなければならない。さもなければ、これまでに人類がしてきたすべての美しいことが台無しになってしまう」と言った。「君も未来を作っている一人なんだ」と。『Requiem』に託されていたのは、まさにそんな想いだったように思う。

この映画では人間のひどいありさまに焦点が当てられていることを書いてきたけれど、シーンの端々には、まだ人間の良心を完全に諦めたわけではないという姿勢も宿っていたように思う。例えばまるで『ウォールデン』の暮らしのように、猫や鳥と暮らす老人の姿をメカスは捉える。祭りで楽器を鳴らす人々、枯れ葉と戯れる子ども。背景に鳴るヴェルディのレクイエムだって、150年にわたって演奏され守られ続けてきた人類の美しい遺産だ。メカスはかつて『楽園のこちら側(this side of paradise)』(1999年)という作品を撮ったことがあったけれども、この「this side」の感覚ーー幾つもの悲劇に見舞われ、むごい現実が一方にあることをどうしようもなく認知しながらも、美しい側面を手繰りよせようとするーーが『Requiem』の根底にも流れていたように思う。会場を出ると、1匹の鳥が道端で死んでいた。そのすぐ上の壁には「falling in Love!」という落書きがある。

ところでメカスがクレモナを訪れた日の映像は、最後に「ロミオとジュリエット」のジュリエットの墓を映して終わるのだそうだ。そしてその墓の前には、こんな言葉が刻まれているのだという。

「墓?いいえ。灯火。というのもここにジュリエットは横たわり、
彼女の美しさによってこの地下納骨所は光に満ちた喜悦の場所に変貌したのだから。」


ジョナス・メカスが死者に捧げた鎮魂歌は、葉の上の水滴に反射して、今を生きる私たちの姿を照らし出す。翌朝、ドナルド・トランプが撃たれたニュースが流れているのを、私はミラノのホテルから撮った。

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[1] インスタレーション上映が行われたダンテ・アリギエーリ協会のホールは、イタリア国籍を求める移民に語学の卒業証書を発行することを許可された唯一の機関なのだそう。
https://www.ffur.eu/2024/04/02/jonas-mekas-requiem/
[2] 本記事の執筆にあたり、下記の記事を大いに参考にさせていただきました。執筆者の方に感謝します:Cremona e Verona:365Films by Jonas Mekas - 記憶の彼方へ
https://elmikamino.hatenablog.jp/entry/20070611/1181574477
[3] e-fluxの紹介文によれば、植物の中にはリトアニアの種も含まれていたのだという。
https://www.e-flux.com/announcements/601738/jonas-mekasrequiem/

いどぬま きみ

〇おまけ
1)ベルガモにて、ル・コルビュジエが「ヨーロッパで最も美しい広場」と称したというヴェッキア広場
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2)ミラノの映画館でふいに出会った倉俣史朗“Revolving Cabinet”
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井戸沼紀美
福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)、『肌蹴る光線』(2018年~)などの上映イベントを企画した。

井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は今回が最終回です。4年間ありがとうございました。

●本日のお勧め作品はジョナス・メカスです。
0909-05《モナ・リザ》
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
サインあり
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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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