ポンピドゥー・センター 「シュルレアリスム展」レポート その1
中原千里
パリのポンピドゥー・センターでアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」刊行100年を記念して展覧会が9月4日から来年1月13日まで開催されている。
この展覧会のためギャラリーときの忘れものが瀧口修造のデカルコマニーを貸し出すことになった。そのお礼としてポンピドゥがプレビューに招待したところ、綿貫ご夫妻の都合がつかず、パリ在住の筆者が出席とブログレポートを代行することになった。覚束ない文章で恐縮だがご海容いただき、暫く付き合っていただければ幸甚である。
ポンピドゥー・センター(正式名称:ジョルジュ・ポンピドゥ国立芸術文化センター)といえば世界でも屈指のモダン、コンテンポラリーアートの美術館としてよく知られるようになって久しいが、ここで改めて簡単に変遷を紹介する。
古い建物の多いフランスでは歴史建造物を改装して美術館とすることが多い。その伝統に反してポンピドゥー・センターは1969-1974年まで大統領を務めたジョルジュ・ポンピドゥの発案によってシャトレ界隈の一画を更地にして新しく作られた建物である。国際設計競技が行われ(日本では黒川紀章が応募)、イタリアのレンゾ・ピアノが指名された。
美術館、図書館、音楽堂を併設する国の規模では当時画期的な発想で、1977年竣工した建物は端的に「前衛」そのもの。議論好きのフランス人は賛否両論で熱くなった。センターに自らの名を託した大統領自身はその姿を見ることなく1974年癌で没している。一階ホールにはヴァザレリの3Dによるポートレートが飾られているが、気づく人は少ない。
何度か内装工事が行われるも、今回全面改装工事により来春から閉館する。工事期間は5年とも7年とも言われ、「シュルレアリスム展」は閉館前の最後を飾る大企画展となるだろう。
ポンピドゥの企画展スペースはその都度展示に合わせて設計する。今回は「迷宮」というテーマのためか、会場スペースの真ん中へまず観客を運び、そこから螺旋状—-アンモナイトの化石のように—-に展示室が連なるよう仕立てられた。
会場のエントランスは説明パネルに当てられた照明を除けばほぼ真っ暗闇で(注1)、ブルトン自宅近くのクリシー大通りに面した「キャバレ・ランフェール (Cabaret L’Enfer)」の怪物の口を模した入り口を通らなければならない(怪物に呑み込まれる覚悟をするのだ)。

次いで人がやっと通れるほどの長い廊下は両側に自動証明写真機 (Photomaton、注2)で撮影されたシュルレアリスト達のセルフポートレートがずらりと並ぶ。

半透明パネルにプリントした画像を裏から照明を当てるだけで、ここもかなり薄暗い。
ようやく辿り着く部屋は小ぶりの円形をなし、半円にカーブした壁に様々な写真、資料をレイアウトした映像が投射され、昔のニュースアナウンサーのような畳み掛ける口調のナレーションをバックに上下左右バタバタと入れ替わるので、観客は目が回るような感覚を受ける—-今様の「没入型」の展示である—-。

部屋を眼に例えれば瞳孔に当たる円形の低いウィンドウがこれも薄暗い照明を装填して浮き上がっている。これが文字通り展覧会の目玉、「シュルレアリスム宣言」の直筆原稿と関連資料の展示だ。
これらは仏国立図書館の秘蔵で、特に直筆原稿が2017年には『国宝』に指定され、2021年に国立図書館での展示以降お披露目の予定はないはずだったのを今回担当学芸員の交渉で特例貸出と相成ったようだ。メディアにも大きく取り上げられている。(注3)

観客はこの部屋でしばらくぼおおっとしているが、そのうち思い出したように次の部屋、≪ 第1章:媒体への入り口 ≫ に進む。先に申し上げたように順路が螺旋状なので巻貝の奥から出た格好の部屋は妙に幅が狭いのだが、入って正面奥に伝説のデ・キリコが2点展示されているのが目に飛び込んで来る。こうなると部屋の幅など念頭から消える。
一点はブルトンが肌身離さず持っていた ≪ 子供の脳 (Le cerveau de l’enfant, 1914、画像右) ≫、もう一点は ≪ アポリネールの肖像 (Portrait de Guillaume Apollinaire, 1914、画像左)≫だ。

そこから右手の壁を伝っていくと6メートルほどの壁に小品が並ぶ。マン・レイの「レイヨグラム (Rayogramme, 1926年頃)」に始まり左にマルセル・ジャン (Marcel Jean)、オスカー・ドミンゲス (Oscar Dominguez)、次に瀧口修造のデカルコマニー、最後にヴィクトール・ユーゴー (Victor Hugo)で壁が切れるという、なかなかコアな壁面構成だ。


筆者としてはやはり感慨深いものがある。ここ数年でこそ Shuzo Takiguchi の名前は人々に馴染んできたが、2000年くらいから機会あるごとに念仏の如くその名を挙げていた頃、一部の欧米機関学芸員と数人のコレクターを除けば ≪ Shuzo Takiguchi ≫ に反応する人はほぼいなかったからだ。
瀧口修造の精がここに来たら何と思うだろう?
初めはこんな場所にいることに緊張して肩をすぼませるかも知れない。でも夜の帳が降り、館内も静まった頃、ゆっくりと部屋を一周して馴染み深い名前を読み、「子供の脳」の前ではブルトン訪問の折、その書斎で邂逅したありし日に思いを馳せるだろうか。

とは言え、お隣にヴィクトール・ユーゴーを添えられる待遇には少々戸惑うに違いない。
展覧会レポートを仕上げるはずだったのが、第1部のみのブログアップとなった。続きを仕上げるべく努力を約束して読者の了解を得たい。(敬称略)
注1:iPhoneの内蔵カメラで撮影。手ブレ防止と長時間露光によって“かなり”暗いところを“かなり”明るく写すので書いていることと画像がかけ離れて見える。
注2:自動証明写真機 =Photomatonはアメリカのニューヨークでアナトール・ジョゼフが1925年に特許を獲得し、1928年にイギリスの投資家がヨーロッパで市場展開するために権利を買い取った。フランスでは同年末パリに輸入されている。最新機器として街頭に登場した自動証明写真機にシュルレアリストたちが飛びついたと推測できる。
注3:ル・モンド紙の記事がふるっているので少し長いが引用しておく:
≪ 秘宝の中の秘宝。仏国立図書館には、「特設保管庫」に、「サント・シャペル福音書」や「アンヌ・ド・ブルターニュ大紀行」といった中世の傑作や、東洋の作品、ステファン・マラルメのカリグラフの原画など、稀少な写本が保管されている。そして最も新しいものは、1924年に発表されたアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」で、視覚芸術、映画、文学に革命をもたらした前衛芸術運動の創始テキストだ。
ポンピドゥー・センターで開催する“シュルレアリスム展”では、この「シュルレアリスム宣言」直筆原稿を含む特別セレクションが公開される。というのも、シュルレアリストたちが自分たちの掟の書とみなしたこの手稿は、2002年のポンピドゥー・センターと2021年の仏国立図書館の2回しか公開されていないところを、展覧会の共同キュレーターであるマリー・サレによれば、「原本を公開することが絶対不可欠」として、「保管庫」から取り出された ≫。
(なかはら ちさと)
●自己紹介
1960年生まれ(東京)
1974年:現代詩手帖で瀧口修造とシュルレアリスムを知る。
1976年:サド公爵・澁澤龍彦訳「悪徳の栄え」を読みこれを哲学書と解釈しフランス語を学ぶことにする。
1983-84年
多摩美大学在学中研究生として渡仏、ソルボンヌの「大学コース」とヘイターの版画工房アトリエ・17に通う。アンドレ・フランソワ・プチギャラリーの店主とサドの話をしたところ後日エリザ・ブルトン、アニー・ル・ブラン、ラドヴァン・イヴジックを招待したディナーに添加される。あまりのことに緊張してほぼ何も覚えていない。
1984年渋谷パルコにて「ベルメール写真展」企画参加。
2023年ジャン・フランソワ・ボリー、ジャック・ドンギー共著「北園克衛評伝」執筆協力。
戦前・戦後のシュルレアリスム研究がライフワークである。
●本日のお勧め作品は瀧口修造です。
「Ⅴ-07」1976.11
水彩、墨、紙
イメージサイズ: 34.4x19.7cm
シートサイズ: 34.7x19.7cm
画面右下墨:瀧口修造 Nov 1976
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●パリのポンピドゥー・センターで始まったシュルレアリスム展にはときの忘れものも協力し瀧口修造のデカルコマニーを出展しています。カタログ『SURREALISME』(仏語版)を特別頒布します。
サイズ:32.8×22.8×3.5cm、344頁 22,000円(税込み)+送料1,500円

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
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