いまから90年前の今日、ときの忘れものから歩いて数分のところにあった理研の社宅で倉俣史朗先生が生まれました(1934年11月29日 - 1991年2月1日)。
ご健在ならばちょうど90歳を迎えられます。
ときの忘れものは、来月「生誕90年 倉俣史朗展 Cahier」を開催いたします。
会期:2024年12月13日(金)~12月28日(土)
のちほど詳しくご案内いたしますので、どうぞご期待ください。

さて、ご紹介が遅れてしまいましたが、今年は夢二の没後90年、生誕140年にあたります。
9月1日が竹久夢二の命日でした。
1884年〈明治17年〉9月16日生まれ - 1934年〈昭和9年〉9月1日没
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夢二の記念展が今年から来年にかけて各地で開催されています。
2024年6月1日(土)~8月25日(日) 東京都庭園美術館(終了)
2024年9月7日(土)~12月8日(日) 岡山・ 夢二郷土美術館・
                  夢二生家記念館・少年山荘
2025年1月18日(土)~3月16日(日) 大阪・あべのハルカス美術館
*その後2025年夏まで全5館で開催予定

恩地孝四郎にしろ瑛九にしろ、日本の抽象画のパイオニアが揃って夢二に大きな影響を受けたことは記憶されていいことです。

このブログでもしばしば取り上げてきた夢二ですが、『婦人グラフ』表紙について再び紹介します。

竹久夢二化粧の秋

竹久夢二 Yumeji TAKEHISA
「化粧の秋/『婦人グラフ』10月号表紙」
 1924年  木版  17.4x19.0cm

竹久夢二雪の風
竹久夢二 Yumeji TAKEHISA
「雪の風/『婦人グラフ』12月号表紙」
 1924年 木版  16.0x20.9cm


大正から昭和初期にかけて刊行された所謂社交雑誌の一つ「婦人グラフ」には、夢二はじめ当時の人気作家が表紙や挿絵を描いています。
ご紹介したのはその1924年(大正13)10月号と12月号の表紙です。後の複製ではなく、夢二によるオリジナルです。

日本の浮世絵版画が世界的な評価を獲得した裏には、木版の摺りの素晴らしさがあることは皆さんご存知の通りですが、それが「ばれん」という<世界最小の印刷機>によって摺られていることも、私たちの子供時代の年賀状を思い返せばわかりますね。
意外と知られていないのが、この「ばれん」、日本特産だという事実です。
西洋にも木版画はあります。でもバロットンでも、ウィリアム・ニコルソンも、私の好きなジャン=エミール・ラブルールでも、紙を裏返してみればわかりますが、「ばれん」の跡がありません。
つまり、西洋の木版画は「ばれん」を使わず、リトグラフや銅版と同じようにプレス機による機械刷りなのですね。だからくっきりした白黒の世界を描く分にはいいのですが、微妙なぼかしや、繊細な色遣いは難しい。

近代日本の創作版画運動では自画自刻自刷(じかじこくじずり)というスローガンがかかげられました。
複製ではない自我の表出たるオリジナルな絵(版の絵)を、自ら画き、自ら彫り、自ら刷る、それが合言葉でした。そのための道具が「ばれん」でした。
このスローガンが形骸化し、理念が矮小化された結果、やたらとテクニックに走る傾向が増幅され、版画がつまらなくなってしまった。
ほんとうは、テクニックではない生命力の宿った作品こそが創作なのであり、自刻や自刷でなくても優れた作品はできる。「ばれん」のない西洋にも<創作版画>はあるのですから・・・

前置きが長くなりました。
「ばれん」のことを書いたのは、今回ご紹介する竹久夢二の木版画が実は「ばれん」を使わず、機械刷りだったからです。
私は、竹久夢二と恩地孝四郎が近代日本の創作版画の双璧だと思っていますが(個人的には戸張孤雁が好きですが)、機械刷りでもこんなに瑞々しい木版画が生まれるのです。

夢二は生前没後を通じて大人気作家でしたから、加藤版画など複製の木版画がごまんと作られています。
この『婦人グラフ』の表紙も、後に複製の木版画がつくられていますが、それらは職人たちが「ばれん」で刷っています。オリジナルが機械刷りで、複製が手刷りという珍しい例です。
その「ばれん」刷りより、この夢二オリジナルの「機械刷り」の方が断然いい。
不思議ですね。手刷りだろうと、機械刷りだろうといいものはいい。夢二と恩地の師弟だけが自画自刻自刷のスローガンから自由でいられた、と思う所以です。

日本における木版の機械刷りに関しては、小野忠重の名著「近代日本の版画」(1971年、三彩社)に、例によって小野さんらしい文学的な記述があります。
夢二の木版機械刷りに関してあまり触れている文献がないので、ここで引用させていただきましょう。
「・・・・・
京都の麻田らの出現に、通称日本画畑の版画家の活動がはじめて印象づけられた。なぜ従来洋画系に創作版画家が目立って、かりに日本画家に版画の関心ある人が出ても他刻他刷で「複製的」に自作を表出するのかは、習画行程に往々のこる封建遺制的なものと無縁でないと、版画に関心をもつだれにもひびく。そのかわり、早く「月映」に木版を寄せる彫刻家・堀進二は、この頃石版やエッチングを、同じく彫刻家・大内青圃は、木版乾拓刷を手がけ、河野通勢は春陽会初期に異国情趣の石版・エッチングをのこす。デザイナー・奥山儀八が工場印刷を知る人らしく、ジョニイ・オカダの水性木版機刷(注4)をみごとに活用して、他に例なく、創作版画の新たな生命をよびかけるのも忘れられない。」(同書75頁より引用)

これじゃあ何のことかよくわかりませんが、「注」に詳しく水性木版機刷のことが書かれています。再び同書から引用しましょう。

「注4 ジョニイ・オカダとその事業については、必ずしも明かでない。古老の話によると、彼はフランス人の製茶技師と日本人の母の間に生れ、静岡の茶輸出商の勤務をやめて、一九二一年頃越前の紙屋の協力で東京田端に木版印刷工房を開いた。四六半裁平台の活版機を改造して刷毛ルーラーをとりつけ、水飴やのりを媒剤にした水性絵具で木版の機械刷をはじめる。当然に最初は輸出茶の箱貼などが主なしごとだったが、のちに浮世絵版画複製の一枚物や雑誌表紙などを手がける。一九二三年日本画粋社刊の複製「画粋」二四、五年連刊「婦人グラフ」竹久夢二表紙は知られている。機械刷だけに、版木は当時の名手、前田鎌太郎や勝村某が深彫りにし、製品は好評で、三九年パリ万博に出品している。太平洋戦にはいる頃万世橋付近に移って、ポスターなど刷っていたが、その後の消息は失われる。奥山儀八の雑誌表紙絵やポスターは、この直前だが、他に類例のない木版・水性・機械刷の苦労多い事業の一ときは貴い。」(同書76頁より引用)

●本日のお勧め作品は竹久夢二佐藤研吾です。
竹久夢二婦人グラフ挿絵竹久夢二「女人伴天連第7話 南蛮寺
(婦人グラフ挿絵)
大正13年(1924年)
木版
24.5×11.2cm

sato7佐藤研吾「湖2
画用紙に鉛筆、水彩
18.0×20.8cm
サインあり

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12月7日(土)は臨時休廊いたします。

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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