
瑛九「音楽」
銅版 23.6×18.4cm 限定50部 スタンプサイン
1954年原版制作・1969年後刷り(池田満寿夫刷り)
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瑛九の銅版画の代表作といってよいでしょう。
瑛九が原版を制作した1950年代はまだ版画の時代は到来しておらず、版元や版画を売る画廊も極端に少ないという状況でした。したがって瑛九が生前に自刷りしたものは多くても10数部、ほとんどは一桁(1部から数部)でした。
この「音楽」も瑛九自身が自刷りした正確な枚数は今のところどこにも記録がなく不明です。
町田市立国際版画美術館に自刷り作品が収蔵されていますが、限定部数は記入されていません。おそらく数部しか刷られなかったと思われます。
今回ご紹介するのは、没後に池田満寿夫によって後刷り(限定50部)されたものです。
瑛九が制作した銅版画は約350点、そのほとんどが没後に後刷りされています。
1951年から1958年までの僅か足掛け8年の間に約350点もの銅版を制作した瑛九の集中力も凄いものですが、そのほとんどが没後に後刷りされたということも、実は日本では空前絶後のことといえるでしょう(欧米ではたとえばゴヤなどの例があります)。
瑛九没後に後刷りが企てられたのは、もちろん瑛九の顕彰のためでしたが、逆に後刷りが大規模だったため、自刷り作品の価値が上がらないという皮肉な結果も生んでしまいました。
後刷りは、2度大規模に組織的になされました。
最初は没後まもなくの1969~70年に瑛九の最大の理解者であった久保貞次郎(版画友の会の創立者、後に町田市立国際版画美術館の初代館長)や未亡人らによって主として大判の代表作50点を選び、南天子画廊を版元として各限定50部が、池田満寿夫刷りで刊行されました。
以下の記す「林グラフィック版後刷り」が、ほとんど拭き残しをせず、真っ白な刷りなのに対し、この池田満寿夫刷りは、瑛九の自刷りの雰囲気をよく踏襲しています。
また、代表作50点のみの後刷りなので(いいものだけを選んだ)、「林グラフィック版後刷り」とはクオリティが違います。
つまり、瑛九のベスト50を池田満寿夫が後刷りしたわけです。
2回目は、1974~1983年にかけて、前述の50点以外にアトリエに残されていた原版 278点を、林グラフィックプレス(版画工房)が自ら版元となり後刷りしました。このときの限定はほとんどが各60部で、一部が10部、または45部の限定でした。
この経緯の詳細は、「瑛九について」で詳述しましたのでお読みください。
この作品は、明日15日(金)から30日(土)まで開催する「第17回 瑛九展」に出品展示します。
自刷り作品が極端に少なく、刷りを担当した池田満寿夫も今はなく、この後刷りは希少です。
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