都市への視線DM


 ギャラリーの扉を開くと迎えてくれるのが、つい先日(といっても調べたら2002年10月19日だった)100歳で死去したブラヴォ の「腰を下ろす人々」。ポール・ストランドに「メキシコのアジェ」と評されたその視線はあくまでも穏やかで優しい。その隣にはハリー・キャラハン「シカゴ」と「デトロイト」が上下2段に掛けられている。こちらから受けるのはピリリピリリといった緊張感のある視線。お次はラリー・クラークの出世作にして代表作にして問題作にして繰り返し各国で再版され続けている傑作写真集「タルサ」から2枚。この2枚が特別なのかもしれないが、神経質そうで不安定でしかしそれでも決して暴力的でも投げやりでもないむしろ暖かな視線が感じられるのが不思議。
 振り向けばソーデックとユルズマンが2枚づつ。こちらは都市への視線というよりは、邪眼とでもいうべき作者の眼差しによって変容させられた(というよりもその本質がむき出しにされたというべきか)異形の小世界。いずれも小サイズながら二人の特異な作風が実に良く出ている作品。デジタル全盛の今ではそれほど驚かないかもしれないが、これがどちらも手彩色と暗室作業というアナログで創り出されているといったら驚く人が多いのではないか。これから写真がデジタル化されればされるほどますますその希少性と価値が増して行くに違いない作品群である。ソーデックは技法からして一点物だし、ユルズマンも大量のプリントが作れるような手法ではないはず(調べたわけではないから違うかもしれないけど)。少なくても写真を知っている人の間なら、ソーデックやユルズマンを持っているといわれれば「ううむ、おぬし出来るな」となるはずである(わたしなら「へへえ」と平服してしまうであろう)。プライスからしたら今回一番のお買い得かもしれない。
 隣にはウィージーユージン・スミスアンドレ・ケルテスと大御所がそろい踏み。いずれもその代表作だが、暖かなシニシズム、甘苦いユーモア、端正なウィットとでも言うような(うーん、苦しい)三者三様の眼差しが面白い。特に印象的だったのがウィージー。もっと荒々しいプリントをイメージしていたので、プリントが繊細で美しいのにびっくり。こればかりは実際に近くで見てみないと分からない。プリントの名手として知られ、自称「今日本で一番きれいな暗室を持っている男」、写真家の渡部さとるさんも「ウィージーの『コニーアイランド』が凄かった」とご自身のHPでコメントしておられた。名作「上流社会の人々(批評家)」も見られたし満足満足である。
 その奥のユーサフ・カーシュの「ジョージア・オキーフ」はうっとりとしてしまうような仕上がりだし(光が実に美しい)、イオネスコの「カイロ」シリーズも面白い。カーシュからは「リスペクト視線」(?)とでもいうべき被写体への尊敬の念が伝わってくるし、イオネスコは太陽の光の中でまっすぐに被写体に向けられた率直な視線がむしろ新鮮。
 対面にはケルテスの10点組のポートフォリオから5点が展示されているが、今から30年も前のケルテスのポートフォリオがこの値段で出ることはあってはならないことだ。1点21万円にしかならないわけだから、これは日本の現存の写真家のモダンプリントの価格でしかない。巨匠に失礼ではないかとさえ思うが、この価格を示されながら買い手が付かない方がもっと失礼であろう。日本の恥をすすぐために誰か立ち上がって欲しいものである。
 隣にはエルンスト・ハースから3点。カラー写真がまだ「芸術」として認められていなかった時代にカラー写真を芸術として認めさせた「色彩の魔術師」の代表作。「アルバカーキ、ニューメキシコ 1969」は、エルンスト・ハース・エステートの HP に使われているほど。世界を形ではなく色によってとらえようとしたその視線が、当時どれほどの驚異をもって迎えられたかは今からでは想像できないであろう(私も想像できない)。エステートプリントは現在でもエステートから直接購入可能だが、16x20:$5,000、20x30:$6,000、30x40:$20,000(サイズはいずれもインチ、別サイズは応相談)とのことである。展示作品は12×17インチということになるが、それにしても315,000円(税込)という価格が破格であることはよく分かる。
 少し陰になっているところにジョナス・メカスの作品が3点。決して美しくも清らかでもないはずの世界と人とをなお愛し慈しむかのようなその視線は、それでもなお世界は美しくにもかかわずなお人生は生きるに値することを教えてくれる。「映像を志す人にとって神様のような人」の限定わずか10部オリジナル・プリントがこの価格で購入できるのは世界広しといっても「ときの忘れもの」だけ。別にこれはゴマすりでもコマーシャルトークでもなく事実。メカスさんを扱うニューヨークの画廊ではこれに倍する価格がついているはずである。メカスさんの作品をプロデュースし版元としてエディションしてきたプライマリ・ギャラリー(市場に流通している作品を右から左に流して利ザヤを取るセカンダリ・ギャラリーとは異なり、自分で作家を発掘し作家と共に作品を世に送り出していく芸術の担い手としての本来の意味でのギャラリーのこと。海外ではどんなに売り上げが大きくてもプライマリでないと尊敬されない)であればこその価格である。一セットあれば30年後といわず十数年後には一財産になっているはずである。
 会場を一回りして戻ってきたのがメインディッシュとも言うべきドアノー「市庁舎前のキス」と「バレ氏のメリーゴーランド」の前。視線が作品よりも先にプライスへと注がれてしまうのが貧乏人のさもしい根性ではあるが、昨日の夜 Sotheby's から Auction Results Now Online - Photographs (Sale L06431) が届いてしまったのだから仕方がないではありませんか。11月14日にロンドンのボンド・ストリートで開かれたサザビーズの写真オークションでは、ロットナンバー41に「市庁舎前のキス」、46に「バレ氏のメリーゴーランド」が出品され、それぞれ12,600ポンドと、5,040ポンドで落札されている。日本円だと280万円と112万円というところか。
 もちろんコンディションや履歴、オークションの流れによって価格は大きく上下するけれども、ROT41の「'LE BAISER DE L'HOTEL DE VILLE', 1950, PRINTED 1980S、6,000—8,000 GBP、Lot Sold. Hammer Price with Buyer's Premium:12,600 GBP、MEASUREMENTS:299 by 400mm (11 by 15 in.),DESCRIPTION:Silver Print, signed in ink in the margin, initialled, titled and dated in ink on the reverse,LITERATURE AND REFERENCES:Doisneau, R. 1980, pl. 33. Gautrand, J.-C. 2003, p. 122.」と「市庁舎前のキス,パリ、1950, Printed later、Gelatin Silver Print、24×30cm、Signed、1,417,500円(税込)」。そして、「バレ氏のメリーゴーランド、制作年:1955年、プリント年:1980年代、落札予想価格:2,000—3,000ポンド、落札価格:5,040ポンド、作品サイズ:404mm×298mm (15 7/8インチ×11インチ)、注記:ゼラチンシルバープリント、余白部分にインクでサイン、裏面にイニシャルとタイトルおよび日付がインクで記載、出典及び参考文献:R.ドアノー、1980年、図版139;J.-C.Gautrand、2003年、140頁」と「バレ氏のメリーゴーランド、1955年, モダンプリント、ゼラチンシルバープリント、30.5×25cm、サイン有、472,500円(税込)」を比べてみるなら、サイズの違いが大きいにしても、「ときの忘れもの」がいかに大バーゲンをしているかがはっきりする。
 全部でいくらですか、と尋ねたお客さんがいたとかいないとかであるが、冗談抜きでまとめて購入してその足で飛行機に飛び乗ってニューヨークでもロンドンでも商売のできる価格(つまりは仕入れ価格ですね)なのだと思う。聞けばバブル華やかなりし頃、美術館への貸し出しなどをしていたコレクションが某所に眠っていたのを発掘したとのことである。
 いずれにしても美術館に収まっていなければならない写真の数々なので、こちらとしては、「眼福、眼福」とにこにこしていればいいだけなのであるが、これがどこにも収められないでついには海外流出(というか還流)というのはいくらなんでも情けないのではないだろうか。負けるな日本の美術館! がんばれ日本のコレクター! である。ワタシですか? わたしはスタンドで「ガンバレ! ニッポン!」「ガンバレ、ギャラリー!」と旗を振る私設応援団ということでご勘弁を。だって141万7千500円のプライスに目がくらんで、ドアノーの視線のことなど上の空になってしまう草野球のライトの8番がメジャーリーグのバッターボックスに立つわけにはいかないじゃないですか。
     2006年11月17日  (はらしげる)

「都市への視線」展 2006年11月10日~18日