アートフェア転戦記その一 KUNST 09 ZÜRICH
11月10日からの長いロードを終えて、12月1日、韓国から帰国しました。長かったけれど、実に充実した20日間でした。
11月10日の午後、チューリッヒの空港に降り立ったのはもうずい分前のことのようです。出かける前の天気予報では雪のマークがついていて、その寒さを予想して行ったのですが、実際はそれ程でもなく、東京に戻ってきた時の寒さに驚いたものです。そうは言っても、すでに木々は紅葉して、路面には落ち葉がたくさん落ちていました。ホテルにチェックインしたあと、少し遅れて到着したGALLERY TERASHITAの寺下さんと早速会場を下見に出かけました。
初めて会場に入り、30㎡のブースを見たとき、予想より広く見えたのは多分壁の高さにもよると思います。4mありましたから。そして、そこにどのように作品を配置するか思いをめぐらせました。その翌日、イタリアから小野隆生先生が新作を運んで来られて、それらを壁にかけたときにはもうそれだけで満足してしまいました。
会場のロケーションはチューリッヒ中央駅から電車で10分もかからないオルリコンという駅からすぐのところで、そう悪いとは思われませんでしたが、そんなに人が来るとも思えないような雰囲気でした。ところが、12日16時からのプレビューが開場されると同時に多くの入場者がどっと押し寄せたのには驚かされました。我らが鑑定人尾立麗子によると、来場者の着ている服やバッグなどかなり高額のブランド品だったらしく、お金持ちの方々がいらしていたようです。小野先生の作品はじめ、我々のブースの作品には皆さん足を止めて見入っていました。特に五味彬先生のYELLOWSのディジタルプリントを貼り重ねて作った屏風は人気があり、二人以上で来た方は、たいてい作品の前でしばらく何かについて話をしていました。
翌13日のヴェルニサージュ(一般客の内覧会)で、上品そうな老夫婦が菅井汲のマルチプル作品2点をお買い上げくださいました。最初の売上です!どんなに嬉しかったことか。菅井汲の名前は誰も知りませんでしたが、そのスマートで洗練された小品に目を留めた方は少なくなく、何度もどういう作家なのか尋ねられました。実際、翌日になって、あの作品はないのかという方がいらして、日本から送ることにしてご購入いただきました。
14日からは一般公開で、少し落ち着いたものの、それでも次にアンドレ・ケルテスの写真作品が売れました。やはり、写真に対する興味はたいへん高く、他にもジョナス・メカス作品をお買い上げいただきました。写真作品を買ってくださったお二人は、対照的な感じで、片や普通のサラリーマン、片や会社の社長で世界のアートフェアを渡り歩くような方でした。アートを支持する層の厚さはやはり歴史が違いますから当然ですが、それを目の当たりにした思いです。
最終日、片づけを始めてから小野先生の作品が売れたのは本当に嬉しい出来事でした。明日現金を持ってくるとおっしゃって立ち去ったのですが、しばらくするとお金を用意したと引き返していらっしゃいました。小野先生の作品は、広い会場の中でも際立っていましたし、それを皆さん認めていらっしゃいましたが、購入までに至らず、口惜しい思いをしていたところでした。まさに溜飲を下げた想いです。
初めての海外出展となったこのアートフェアでは、発送の仕方、手続きから、実際の事務処理など多くのことを学びました。作品の入った木箱を日本に送り返すことひとつにしても、さまざまな出来事が起こって、その難しさに未だに振り回されています。
兎にも角にも最初の海外出展で小野先生の作品と写真作品が売れたことは自信にもつながりました。あとは、それをさらにどう広めていくか、です。
スタッフの方々には、一方ならずお世話になりました。面倒なことをいつもにこやかにやってくれるオーガナイザーのカーラーさんはじめ、本当に親切にしていただきました。別れるときに「I'll be back.」と言ってきました。(つづく)


綿貫、尾立、三浦の老青壮の3人組

11月10日からの長いロードを終えて、12月1日、韓国から帰国しました。長かったけれど、実に充実した20日間でした。
11月10日の午後、チューリッヒの空港に降り立ったのはもうずい分前のことのようです。出かける前の天気予報では雪のマークがついていて、その寒さを予想して行ったのですが、実際はそれ程でもなく、東京に戻ってきた時の寒さに驚いたものです。そうは言っても、すでに木々は紅葉して、路面には落ち葉がたくさん落ちていました。ホテルにチェックインしたあと、少し遅れて到着したGALLERY TERASHITAの寺下さんと早速会場を下見に出かけました。
初めて会場に入り、30㎡のブースを見たとき、予想より広く見えたのは多分壁の高さにもよると思います。4mありましたから。そして、そこにどのように作品を配置するか思いをめぐらせました。その翌日、イタリアから小野隆生先生が新作を運んで来られて、それらを壁にかけたときにはもうそれだけで満足してしまいました。
会場のロケーションはチューリッヒ中央駅から電車で10分もかからないオルリコンという駅からすぐのところで、そう悪いとは思われませんでしたが、そんなに人が来るとも思えないような雰囲気でした。ところが、12日16時からのプレビューが開場されると同時に多くの入場者がどっと押し寄せたのには驚かされました。我らが鑑定人尾立麗子によると、来場者の着ている服やバッグなどかなり高額のブランド品だったらしく、お金持ちの方々がいらしていたようです。小野先生の作品はじめ、我々のブースの作品には皆さん足を止めて見入っていました。特に五味彬先生のYELLOWSのディジタルプリントを貼り重ねて作った屏風は人気があり、二人以上で来た方は、たいてい作品の前でしばらく何かについて話をしていました。
翌13日のヴェルニサージュ(一般客の内覧会)で、上品そうな老夫婦が菅井汲のマルチプル作品2点をお買い上げくださいました。最初の売上です!どんなに嬉しかったことか。菅井汲の名前は誰も知りませんでしたが、そのスマートで洗練された小品に目を留めた方は少なくなく、何度もどういう作家なのか尋ねられました。実際、翌日になって、あの作品はないのかという方がいらして、日本から送ることにしてご購入いただきました。
14日からは一般公開で、少し落ち着いたものの、それでも次にアンドレ・ケルテスの写真作品が売れました。やはり、写真に対する興味はたいへん高く、他にもジョナス・メカス作品をお買い上げいただきました。写真作品を買ってくださったお二人は、対照的な感じで、片や普通のサラリーマン、片や会社の社長で世界のアートフェアを渡り歩くような方でした。アートを支持する層の厚さはやはり歴史が違いますから当然ですが、それを目の当たりにした思いです。
最終日、片づけを始めてから小野先生の作品が売れたのは本当に嬉しい出来事でした。明日現金を持ってくるとおっしゃって立ち去ったのですが、しばらくするとお金を用意したと引き返していらっしゃいました。小野先生の作品は、広い会場の中でも際立っていましたし、それを皆さん認めていらっしゃいましたが、購入までに至らず、口惜しい思いをしていたところでした。まさに溜飲を下げた想いです。
初めての海外出展となったこのアートフェアでは、発送の仕方、手続きから、実際の事務処理など多くのことを学びました。作品の入った木箱を日本に送り返すことひとつにしても、さまざまな出来事が起こって、その難しさに未だに振り回されています。
兎にも角にも最初の海外出展で小野先生の作品と写真作品が売れたことは自信にもつながりました。あとは、それをさらにどう広めていくか、です。
スタッフの方々には、一方ならずお世話になりました。面倒なことをいつもにこやかにやってくれるオーガナイザーのカーラーさんはじめ、本当に親切にしていただきました。別れるときに「I'll be back.」と言ってきました。(つづく)
綿貫、尾立、三浦の老青壮の3人組
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