渋谷パルコでアンディ・ウォーホル全国展スタート
明日2月22日はアンディ・ウォーホルと栗山豊の命日です。
ともに仕事をした人たちの死を偲ぶのは辛い。まして二人とも私より若い死だった。
この連載も、2007年08月27日で中断したままでなおさら二人に対して肩身がせまい。
某月某日、見知らぬ人からメールが送られてきた。
<1983年6月に渋谷で開催された展覧会にて買ったウォーホルの「KIKU」を持っています。
インターネットでいろいろと検索をして、貴画廊にたどり着きました。ブログの「没後20年ウォーホルを偲んで」を読んで、1983年パルコ展の背景を知りました。>とあり、後日その実物まで持参して見せてくださり、ちょっと興奮しました。

アンディ・ウォーホル「KIKU1」

上記作品のサインと限定番号(E.P.1/5)
この作品のエディションと、発表の経緯については、私が編集刊行したカタログのあとがきにも詳しく書いている通り、ウォーホルの「KIKU」「LOVE」連作が人々の前に初めて公開されたのが1983年6月8日~22日にパルコPART3(東京・渋谷)を皮切りにスタートした「ウォーホル全国展」でした。
オープニングは前日の6月7日。まあ、凄い人波だった。
パルコオープニング
増田通二、五十嵐恵子、石岡瑛子
プラスチックスバンドの中西俊夫、佐藤チカ
安齊重男、榎本了壱、今野雄二
石田了一
宮井陸郎、荒木経惟
綿貫不二夫、都築響一、植田実
ウォーホルが不在なのにもかかわらず、オープニングというものが力を持ち、華やかで、その時代の旬の人たちが勢ぞろいする象徴のような事件だった。
いずれそのときの様子はご紹介するとして、このときに「KIKU」が初めて展示されたのですが、展示したのは、正確にいうと限定300部の番号入りではなく、展覧会に間に合わせるために急ぎ各5部だけ先に刷り上げ、刷り師の石田了一さんが手で持ってニューヨークに渡り、ウォーホルにサインしてもらってきた分でした。
上掲の作品の実物を見るまで、そのことを私はすっかり忘れていた。
人間の記憶なんていかにあてにならないか、まあこれは私がぼけてきた証拠ですが。
この各5部の「E.P.」(A.P.ではない)、計15部には他のエディションの紙の裏にあるウォーホルのマルCスタンプが捺されていません。石田了一さんが持参したとき、捺す余裕がなかったのか、それとも他の理由によるものかは今となっては不明です。
しかし、正真正銘、ウォーホルの真作であることは、先ずはパブリッシャーの私が保証しますし、こういう5部があったことは以下の通り、レゾネにもきちんと明記されています。
さすがウォーホルですね。
II.307-309: KIKU 1983
Portfolio of three screenprints on Rives BFK paper, 19 5/8x26"
(49.8x66cm). [Not shown to scale.]
Edition: 300, 30 AP, 3 PP, 5 EP, signed and numbered in pencil lower left, except II.309 signed in pencil lower right and numbered in pencil lower left. There are 18 HC for II.307 signed and numbered in pencil lower left;
15 HC for II.308 signed and numbered in pencil lower left; and 17 HC for
II.309 signed in pencil lower left and lower right and numbered lower left.
Printer: Rupert Jansen Smith, New York; Ryoichi Ishida, Tokyo, Japan
Publisher: Gendai Hanga Center, Tokyo, Japan
30年近い昔に私が額装したままの「KIKU」に再びめぐり会えたことを泉下の二人に報告しましょう。
栗山豊が遺した膨大なウォーホル資料はいま私の手許にあります。
2006年4月に開催したその資料展覧会「アンディ・ウォーホル展 FROM THE PERSONAL COLLECTION OF Yutaka KURIYAMA」のページに再録させていただいた秋山祐徳太子さんの文章をぜひお読みください。
あらためて、ウォーホルと栗山豊の冥福を祈る次第です。
この連載「KIKUシリーズの誕生」について詳細を報告するつもりが、途中寄り道ばかりで連載開始から13年経つのに一向に進まない。申し訳ありませんが、資料発掘までしばらくご猶予ください。
(続く)
●1983年6月渋谷・パルコ ウォーホル展ポスター

●1983年ウォーホル全国展ポスター1(デザイン・田名網敬一)

●1983年ウォーホル全国展ポスター2<KIKU>(デザイン・浪漫堂)

●ウォーホルを偲んで~KIKUシリーズの誕生
その1 現代版画センターと宮井陸郎
その2 全員反対を押し切って
その3 日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る
その4 「LOVE」のスポンサー
その5 本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
その6 「恋するマドリ」でKIKUは刷られた
その7 渋谷パルコ店で全国展スタート
*画廊亭主敬白
昨日20日(土)までは「大きな絵」の常設展示をしていました。
とはいえ、前回の植田実写真展でお買い上げいただいた41点の額装、梱包作業で画廊は足の踏み場もない有様。そんなごちゃごちゃしたところへ、土曜日とあって遠くからお客様が何人かいらっしゃってくださいました。うちお二人は偶然ですが、お支払いに来てくださった! 月末を控えて(今月は魔のニッパチだ)社長の顔がほころび、亭主もちょっと一安心。でもまだまだ月を越すにはン●●エン必要であります。
19時、撤収作業に入り、2tトラックに大きな絵を積んで亭主は倉庫に。
残った社長とスタッフは来週23日(火)から始まる「ハインリッヒ・フォーゲラー展」の展示作業。
帰宅したのは深夜でした。
明日2月22日はアンディ・ウォーホルと栗山豊の命日です。
ともに仕事をした人たちの死を偲ぶのは辛い。まして二人とも私より若い死だった。
この連載も、2007年08月27日で中断したままでなおさら二人に対して肩身がせまい。
某月某日、見知らぬ人からメールが送られてきた。
<1983年6月に渋谷で開催された展覧会にて買ったウォーホルの「KIKU」を持っています。
インターネットでいろいろと検索をして、貴画廊にたどり着きました。ブログの「没後20年ウォーホルを偲んで」を読んで、1983年パルコ展の背景を知りました。>とあり、後日その実物まで持参して見せてくださり、ちょっと興奮しました。
アンディ・ウォーホル「KIKU1」
上記作品のサインと限定番号(E.P.1/5)
この作品のエディションと、発表の経緯については、私が編集刊行したカタログのあとがきにも詳しく書いている通り、ウォーホルの「KIKU」「LOVE」連作が人々の前に初めて公開されたのが1983年6月8日~22日にパルコPART3(東京・渋谷)を皮切りにスタートした「ウォーホル全国展」でした。
オープニングは前日の6月7日。まあ、凄い人波だった。
パルコオープニング
増田通二、五十嵐恵子、石岡瑛子
プラスチックスバンドの中西俊夫、佐藤チカ
安齊重男、榎本了壱、今野雄二
石田了一
宮井陸郎、荒木経惟
綿貫不二夫、都築響一、植田実ウォーホルが不在なのにもかかわらず、オープニングというものが力を持ち、華やかで、その時代の旬の人たちが勢ぞろいする象徴のような事件だった。
いずれそのときの様子はご紹介するとして、このときに「KIKU」が初めて展示されたのですが、展示したのは、正確にいうと限定300部の番号入りではなく、展覧会に間に合わせるために急ぎ各5部だけ先に刷り上げ、刷り師の石田了一さんが手で持ってニューヨークに渡り、ウォーホルにサインしてもらってきた分でした。
上掲の作品の実物を見るまで、そのことを私はすっかり忘れていた。
人間の記憶なんていかにあてにならないか、まあこれは私がぼけてきた証拠ですが。
この各5部の「E.P.」(A.P.ではない)、計15部には他のエディションの紙の裏にあるウォーホルのマルCスタンプが捺されていません。石田了一さんが持参したとき、捺す余裕がなかったのか、それとも他の理由によるものかは今となっては不明です。
しかし、正真正銘、ウォーホルの真作であることは、先ずはパブリッシャーの私が保証しますし、こういう5部があったことは以下の通り、レゾネにもきちんと明記されています。
さすがウォーホルですね。
II.307-309: KIKU 1983
Portfolio of three screenprints on Rives BFK paper, 19 5/8x26"
(49.8x66cm). [Not shown to scale.]
Edition: 300, 30 AP, 3 PP, 5 EP, signed and numbered in pencil lower left, except II.309 signed in pencil lower right and numbered in pencil lower left. There are 18 HC for II.307 signed and numbered in pencil lower left;
15 HC for II.308 signed and numbered in pencil lower left; and 17 HC for
II.309 signed in pencil lower left and lower right and numbered lower left.
Printer: Rupert Jansen Smith, New York; Ryoichi Ishida, Tokyo, Japan
Publisher: Gendai Hanga Center, Tokyo, Japan
30年近い昔に私が額装したままの「KIKU」に再びめぐり会えたことを泉下の二人に報告しましょう。
栗山豊が遺した膨大なウォーホル資料はいま私の手許にあります。
2006年4月に開催したその資料展覧会「アンディ・ウォーホル展 FROM THE PERSONAL COLLECTION OF Yutaka KURIYAMA」のページに再録させていただいた秋山祐徳太子さんの文章をぜひお読みください。
あらためて、ウォーホルと栗山豊の冥福を祈る次第です。
この連載「KIKUシリーズの誕生」について詳細を報告するつもりが、途中寄り道ばかりで連載開始から13年経つのに一向に進まない。申し訳ありませんが、資料発掘までしばらくご猶予ください。
(続く)
●1983年6月渋谷・パルコ ウォーホル展ポスター

●1983年ウォーホル全国展ポスター1(デザイン・田名網敬一)

●1983年ウォーホル全国展ポスター2<KIKU>(デザイン・浪漫堂)

●ウォーホルを偲んで~KIKUシリーズの誕生
その1 現代版画センターと宮井陸郎
その2 全員反対を押し切って
その3 日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る
その4 「LOVE」のスポンサー
その5 本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
その6 「恋するマドリ」でKIKUは刷られた
その7 渋谷パルコ店で全国展スタート
*画廊亭主敬白
昨日20日(土)までは「大きな絵」の常設展示をしていました。
とはいえ、前回の植田実写真展でお買い上げいただいた41点の額装、梱包作業で画廊は足の踏み場もない有様。そんなごちゃごちゃしたところへ、土曜日とあって遠くからお客様が何人かいらっしゃってくださいました。うちお二人は偶然ですが、お支払いに来てくださった! 月末を控えて(今月は魔のニッパチだ)社長の顔がほころび、亭主もちょっと一安心。でもまだまだ月を越すにはン●●エン必要であります。
19時、撤収作業に入り、2tトラックに大きな絵を積んで亭主は倉庫に。
残った社長とスタッフは来週23日(火)から始まる「ハインリッヒ・フォーゲラー展」の展示作業。
帰宅したのは深夜でした。
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