ただいま開催中の「マン・レイと宮脇愛子展」に出品されているマン・レイ作品の中でも白眉ともいうべき一点をご紹介しましょう。

マン・レイ
「月夜の夜想曲Le nocturne de la nuit de lune」
サンドペーパー・ガラス玉
サインあり
●《月夜の夜想曲》
アンドレ・シェレール画廊での個展の準備のため、パリに住み、ただもうひたすら絵をかくという毎日を過ごしていたころのことです。或る日、マン・レイが、「この作品はどうだい」といって、私に見せて下さったのが、後々まで、私の手元から離さずに置くことのできたこの一点なのです。「月夜のノクターンさ」と、とても得意気な様子でしたが、それは十九×二十九センチというとても小さな作品で、黒灰色の普通のサンド・ペーパーでできていました。中にダイヤモンドの月がうめこまれているだけで、その前の一本の水平線から月影が海に光る如く尾をひいているのです。――これはかすかにエンピツで描かれています。私はほんとうに驚いてしまい、「これ、サンド・ペーパーでしょう」と思わず言ってしまいました。すると、マン・レイは、「きらいかい?」と、言うではありませんか。
当時、マン・レイは、しばらく、リキテックスという絵具を使ってそれを並列させたような絵を描いていました。私もそのころ、まったく異なる材料を使って、並列的なレリーフ状の油絵を描いていたのですが、マン・レイはリキテックスが、ピッピッとちび上ってすぐ乾くので、それが面白くて、子供みたいに楽しんでいたようです。ちょうど幼稚園の子供の絵みたいにいろいろな色がにぎやかな作品でした。それらの作品を私はあまり関心をもってみていなかったことを、マン・レイは知っていたようでした。一度、お前の作品と取りかえっこしようじゃないか、と言われて、私は、自分の作品は喜んで差し上げたにもかかわらず、マン・レイの作品はいらないなんて大それたことを言ってしまったからなのです。その理由は、病身で外国に暮らしているので、いつのたれ死にするかわからないからひとさまの大切な作品など持つことはできない。何しろ、ものは何も持ちたくない、などと、今思うと、若気の至りというか、大変失礼なことを平然と言ってしまったのです。
あとで思うと、私が差し上げた作品はかなりの大きさだったこともあって、マン・レイはやっぱり、何かそのことを気になさっていたのでした。
「お前がきっと気に入るだろうと思ってたんだけど。お気に召したら、どうぞお持ち帰りを――。軽いし、小さいし、邪魔にはなりませんよ」と、いつもの如く冗談めかしくおっしゃるではありませんか。「もちろん。喜んで、有難く」と、私は言ったものの、ほんとうにこの作品には一目惚れしていました。
ただのサンド・ペーパーに小さなガラスのダイヤモンドがぽつんと、埋め込まれただけのこの作品はマン・レイらしい諧謔に富んでいて、しかも、詩が画面一杯にあふれています。じっと見ていると、深い月夜の海にたたずんでいるような想像力をかきたててくれます。
それこそ、私はそのとき言葉にならないような言葉を発していた、という記憶だけが今あるのですが、この「月夜の夜想曲」は、私がいつも傍に大切に持っている作品です。その後、ニューヨーク、東京と移り住んで、二十何年もたった今、見ても見てもあきることがありません。そして、どうしてマン・レイは私が月夜の海がとくに好きだったことを知っていたのかしら、と不思議に思いながら、心の中では驚喜していました。
アンドレ・ブルトンは、マン・レイを、「他の多くの人びとから分かつものは、まばゆいばかりのきらめく好奇心であり、衰えを知らぬ大胆さである」と言っていますが、たしかに、あのマン・レイの好奇心と、すばらしく自由なこころは驚異的なものと言えます。
作品の下にはもう私へのサインも入っていました。私はマン・レイのサインの字がことのほか好きだったのですが、「a Aiko」と書かれてあるこのサインがとくに好きです。
「このダイヤがほんものかにせものかは、後世の鑑定家にまかせるんだね――」とこれもいかにもマン・レイらしい口ぶりで私におっしゃるではありませんか。
宮脇愛子『はじめもなく終りもない―ある彫刻家の軌跡』(1991年、岩波書店)より抜粋
◆ときの忘れものは、9月28日(火)~10月16日(土)「マン・レイと宮脇愛子展」を開催しています(会期中無休)。

10月16日(土)17時からの巌谷國士さんのギャラリー・トークは既に定員に達しました。
トーク終了後の18時から巌谷さん、宮脇愛子さんを囲みクロージングパーティを開催します。こちらは予約無しで参加できますので、18時過ぎにご来場ください。
本展を記念して宮脇愛子の新作エディション、シルクスクリーン入り小冊子『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(DVD付き)を刊行します。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから

マン・レイ
「月夜の夜想曲Le nocturne de la nuit de lune」
サンドペーパー・ガラス玉
サインあり
●《月夜の夜想曲》
アンドレ・シェレール画廊での個展の準備のため、パリに住み、ただもうひたすら絵をかくという毎日を過ごしていたころのことです。或る日、マン・レイが、「この作品はどうだい」といって、私に見せて下さったのが、後々まで、私の手元から離さずに置くことのできたこの一点なのです。「月夜のノクターンさ」と、とても得意気な様子でしたが、それは十九×二十九センチというとても小さな作品で、黒灰色の普通のサンド・ペーパーでできていました。中にダイヤモンドの月がうめこまれているだけで、その前の一本の水平線から月影が海に光る如く尾をひいているのです。――これはかすかにエンピツで描かれています。私はほんとうに驚いてしまい、「これ、サンド・ペーパーでしょう」と思わず言ってしまいました。すると、マン・レイは、「きらいかい?」と、言うではありませんか。
当時、マン・レイは、しばらく、リキテックスという絵具を使ってそれを並列させたような絵を描いていました。私もそのころ、まったく異なる材料を使って、並列的なレリーフ状の油絵を描いていたのですが、マン・レイはリキテックスが、ピッピッとちび上ってすぐ乾くので、それが面白くて、子供みたいに楽しんでいたようです。ちょうど幼稚園の子供の絵みたいにいろいろな色がにぎやかな作品でした。それらの作品を私はあまり関心をもってみていなかったことを、マン・レイは知っていたようでした。一度、お前の作品と取りかえっこしようじゃないか、と言われて、私は、自分の作品は喜んで差し上げたにもかかわらず、マン・レイの作品はいらないなんて大それたことを言ってしまったからなのです。その理由は、病身で外国に暮らしているので、いつのたれ死にするかわからないからひとさまの大切な作品など持つことはできない。何しろ、ものは何も持ちたくない、などと、今思うと、若気の至りというか、大変失礼なことを平然と言ってしまったのです。
あとで思うと、私が差し上げた作品はかなりの大きさだったこともあって、マン・レイはやっぱり、何かそのことを気になさっていたのでした。
「お前がきっと気に入るだろうと思ってたんだけど。お気に召したら、どうぞお持ち帰りを――。軽いし、小さいし、邪魔にはなりませんよ」と、いつもの如く冗談めかしくおっしゃるではありませんか。「もちろん。喜んで、有難く」と、私は言ったものの、ほんとうにこの作品には一目惚れしていました。
ただのサンド・ペーパーに小さなガラスのダイヤモンドがぽつんと、埋め込まれただけのこの作品はマン・レイらしい諧謔に富んでいて、しかも、詩が画面一杯にあふれています。じっと見ていると、深い月夜の海にたたずんでいるような想像力をかきたててくれます。
それこそ、私はそのとき言葉にならないような言葉を発していた、という記憶だけが今あるのですが、この「月夜の夜想曲」は、私がいつも傍に大切に持っている作品です。その後、ニューヨーク、東京と移り住んで、二十何年もたった今、見ても見てもあきることがありません。そして、どうしてマン・レイは私が月夜の海がとくに好きだったことを知っていたのかしら、と不思議に思いながら、心の中では驚喜していました。
アンドレ・ブルトンは、マン・レイを、「他の多くの人びとから分かつものは、まばゆいばかりのきらめく好奇心であり、衰えを知らぬ大胆さである」と言っていますが、たしかに、あのマン・レイの好奇心と、すばらしく自由なこころは驚異的なものと言えます。
作品の下にはもう私へのサインも入っていました。私はマン・レイのサインの字がことのほか好きだったのですが、「a Aiko」と書かれてあるこのサインがとくに好きです。
「このダイヤがほんものかにせものかは、後世の鑑定家にまかせるんだね――」とこれもいかにもマン・レイらしい口ぶりで私におっしゃるではありませんか。
宮脇愛子『はじめもなく終りもない―ある彫刻家の軌跡』(1991年、岩波書店)より抜粋
◆ときの忘れものは、9月28日(火)~10月16日(土)「マン・レイと宮脇愛子展」を開催しています(会期中無休)。

10月16日(土)17時からの巌谷國士さんのギャラリー・トークは既に定員に達しました。
トーク終了後の18時から巌谷さん、宮脇愛子さんを囲みクロージングパーティを開催します。こちらは予約無しで参加できますので、18時過ぎにご来場ください。
本展を記念して宮脇愛子の新作エディション、シルクスクリーン入り小冊子『Hommage a Man Ray マン・レイへのオマージュ』(DVD付き)を刊行します。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
コメント