3月7日雪の降るなか(亭主の栖は東京と埼玉の境でして都心より数度は寒い)寝ぼけ眼で古巣の新聞社のある竹橋に向かい、東京国立近代美術館で始まった「生誕100年 岡本太郎展」(~5月8日)のオープニングに師匠・植田実さんと出席してきました。


元『みづゑ』編集長の生尾慶太郎さん82歳
元『都市住宅』編集長の植田実さん70ン歳、合わせて150ン歳。
お二人とも元気です!!


川崎市岡本太郎美術館館長の村田慶之輔さん
特別ゲストの女優・常盤貴子さん


近美のオープニングでこんなに人が集まったのは珍しいのではなかろうか。
とにかくたくさんの人でごったがえしていました。


岡本太郎展については、植田実さんが近々連載を開始するエッセイ「カンケンキカクテン」で紹介してくださるでしょうから、詳細はそちらに譲ります。
岡本太郎先生、養女の岡本敏子さんは、ご近所だったので展覧会にはよくいらしていただきました。
本日3月9日(水)はサンキュウアートの日です。
2001年から始まった『Thank you @RTの日』(通称:39ART)記念日運動は、2011年で11回目を迎えましたが、より多くの方々にアートに親しんでいただけるよう、全国、世界各地で、美術館やギャラリーなど参加施設がそれぞれイベントやサービスを行ないます。
本日ときの忘れものに来廊されたらスタッフに「ヤッホー」と声を掛けてください。
先着20名様に、例えば下記のような1,000円相当のカタログをプレゼントします。
公式サイト:http://www.39art.com/

『第20回瑛九展ー奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』展図録

「磯崎新版画展 宮脇愛子展」図録
版画集「安藤忠雄 Prints 1998」
そして明日3月10日は瑛九の命日です。
1960年(昭和35)2月23日~28日、瑛九は58~59年にかけて心血を注ぎ制作した点描大作9点を銀座兜屋画廊で発表します。しかし既に入院していた瑛九はその個展会場に遂に姿をあらわすことはできませんでした。山城隆一デザインの案内状には「只今病臥中」と印刷されています。会場に行けない瑛九にかわって盟友のオノサト・トシノブが展示をしました。
1960年2月22日付の朝日新聞埼玉版は次のように伝えています(<>内が引用)。
<開場が近づくと瑛九氏は『当日は自動車で行きたい』といっていたが、それも病状からできなくなった。北浦和中央病院で療養の日を送る同氏は『自分が行けないのは残念だが、友人の力ぞえで個展が開くことができてほんとうにありがたい』といい、付ききりで看病している都夫人も『何から何までやっていただき、瑛九も喜んでいます。早くなおって皆さまのご好意にむくいたいと思っています』といっていた。>
しかしその願いも空しく、個展二日目の2月24日神田淡路町の同和病院に転院した瑛九は、3月10日朝8時半、48歳の生涯を閉じました。
先日も書きましたが、岡本太郎、堀内正和、瑛九、香月泰男、坂本善三はともに1911年生まれ、今年が生誕100年です。
規模の大小はあるでしょうが、それぞれ縁のところで記念の展覧会が開かれるでしょう。
上述の近美の岡本太郎展に行かれたら、ぜひ2~4階の常設展示をご覧になってください。
さすが近美と思わせる近現代の名作が展示されています。

亭主は、瑛九の「青の中の丸」(1958年 油彩)に再会でき満足でした。
この作品は、亭主がちょうど30年前の1981年3月1日、渋谷区松涛に開いたギャラリー方寸の開廊記念展「瑛九 その夢の方へ」展に出品展示した作品でした。
当時は誰も買ってくれず、おかげでそれから20年経ってナショナル・ミュージアムに収蔵されたというわけです。
今年7月から宮崎、埼玉、うらわの各美術館で瑛九の生誕100年展が開催されますが、ときの忘れものでも5月に「第21回瑛九展」を開催しますので、どうぞご期待ください。


元『みづゑ』編集長の生尾慶太郎さん82歳
元『都市住宅』編集長の植田実さん70ン歳、合わせて150ン歳。
お二人とも元気です!!


川崎市岡本太郎美術館館長の村田慶之輔さん
特別ゲストの女優・常盤貴子さん


近美のオープニングでこんなに人が集まったのは珍しいのではなかろうか。
とにかくたくさんの人でごったがえしていました。


岡本太郎展については、植田実さんが近々連載を開始するエッセイ「カンケンキカクテン」で紹介してくださるでしょうから、詳細はそちらに譲ります。
岡本太郎先生、養女の岡本敏子さんは、ご近所だったので展覧会にはよくいらしていただきました。
本日3月9日(水)はサンキュウアートの日です。
2001年から始まった『Thank you @RTの日』(通称:39ART)記念日運動は、2011年で11回目を迎えましたが、より多くの方々にアートに親しんでいただけるよう、全国、世界各地で、美術館やギャラリーなど参加施設がそれぞれイベントやサービスを行ないます。
本日ときの忘れものに来廊されたらスタッフに「ヤッホー」と声を掛けてください。
先着20名様に、例えば下記のような1,000円相当のカタログをプレゼントします。
公式サイト:http://www.39art.com/

『第20回瑛九展ー奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』展図録

「磯崎新版画展 宮脇愛子展」図録
版画集「安藤忠雄 Prints 1998」
そして明日3月10日は瑛九の命日です。
1960年(昭和35)2月23日~28日、瑛九は58~59年にかけて心血を注ぎ制作した点描大作9点を銀座兜屋画廊で発表します。しかし既に入院していた瑛九はその個展会場に遂に姿をあらわすことはできませんでした。山城隆一デザインの案内状には「只今病臥中」と印刷されています。会場に行けない瑛九にかわって盟友のオノサト・トシノブが展示をしました。
1960年2月22日付の朝日新聞埼玉版は次のように伝えています(<>内が引用)。
<開場が近づくと瑛九氏は『当日は自動車で行きたい』といっていたが、それも病状からできなくなった。北浦和中央病院で療養の日を送る同氏は『自分が行けないのは残念だが、友人の力ぞえで個展が開くことができてほんとうにありがたい』といい、付ききりで看病している都夫人も『何から何までやっていただき、瑛九も喜んでいます。早くなおって皆さまのご好意にむくいたいと思っています』といっていた。>
しかしその願いも空しく、個展二日目の2月24日神田淡路町の同和病院に転院した瑛九は、3月10日朝8時半、48歳の生涯を閉じました。
先日も書きましたが、岡本太郎、堀内正和、瑛九、香月泰男、坂本善三はともに1911年生まれ、今年が生誕100年です。
規模の大小はあるでしょうが、それぞれ縁のところで記念の展覧会が開かれるでしょう。
上述の近美の岡本太郎展に行かれたら、ぜひ2~4階の常設展示をご覧になってください。
さすが近美と思わせる近現代の名作が展示されています。

亭主は、瑛九の「青の中の丸」(1958年 油彩)に再会でき満足でした。
この作品は、亭主がちょうど30年前の1981年3月1日、渋谷区松涛に開いたギャラリー方寸の開廊記念展「瑛九 その夢の方へ」展に出品展示した作品でした。
当時は誰も買ってくれず、おかげでそれから20年経ってナショナル・ミュージアムに収蔵されたというわけです。
今年7月から宮崎、埼玉、うらわの各美術館で瑛九の生誕100年展が開催されますが、ときの忘れものでも5月に「第21回瑛九展」を開催しますので、どうぞご期待ください。
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