8月27日のブログで熊倉浩靖著『井上房一郎・人と功績』を紹介しました。
引き続き同書の紹介と、井上さんのことを書きます。
井上房一郎・人と功績
熊倉浩靖『井上房一郎・人と功績』
2011年7月 みやま文庫刊
231頁
頒価:1,500円(送料200円)

高校時代、薔薇の会と音楽を通じて亭主は井上房一郎さんを知り、人生の節目節目に指導を仰ぎ、また多くの人たちとの接点をつくっていただきました。生涯の恩人です。
群馬の実業人であった井上さんは自由を愛する「文化のパトロン」でした。
太平洋戦争中は左翼の人はもちろん、リベラルな知識人までが特高につけまわされます。
悪名高い横浜事件では、『改造』や『中央公論』の編集者をはじめ、朝日新聞社、岩波書店、満鉄調査部などの約60人が次々に治安維持法違反容疑で検挙され、神奈川県警特別高等警察(特高)は激しい拷問をおこない、4人が獄死します。
軍部は少しでも反軍的な人たちを召集して満州に送ります。一種の殺人です。
井上さんはそういう人たちを自分の会社(井上工業は軍需産業でもあったから)に入れて庇護します。
木下順二さんが著書で書いていますし、私がお世話になった堺誠一郎さん(作家、戦争中の中央公論社出版部長、戦後は日本文芸家協会書記局長)からは直接その時代のことを伺いました。
もちろん亭主が井上さんに会った15歳のときにはそんなことは知る由もありませんでした。
後にそのことを聞くと「僕はアカ(共産主義者)は嫌いだが、若く才能のある人が思想でもって処罰されるのは反対だったから」とおっしゃっていました。

井上さんは少年たちに夢を語り続けました。
高崎に音楽、美術、そして哲学の場をつくりたい。
その場というのは、建物のことではなく、「精神の拠り所」という意味でした。
自由を愛するが故に味わった戦争中の苦い経験が、文化の高揚なくしては日本は再び間違いを起こすに違いないと思っていたからでしょう。

地方初のオーケストラとして群馬交響楽団をつくり、群馬音楽センターの設計をアントニン・レーモンドに依頼します。竣工した1961年に亭主は高崎高校に入り、井上さんにめぐり会いました、井上さんは63歳でした。
自らコレクションを寄贈した群馬県立近代美術館の設計は磯崎新を登用します。竣工は1974年、井上さんは76歳になっていました。

晩年精力を傾けた「高崎哲学堂設立準備会」を起こしたのは71歳のときでした。
建物の設計はレーモンドに依頼していましたが、生前には遂に完成しませんでした。しかし、中味は残した。
井上房一郎さんは1969年(71歳)から、95歳で亡くなる1993年7月27日まで実に261回の哲学堂講演会を自ら主宰して開催し続けます。費用は全て井上さんのポケットマネーでした。
この講演会は没後も2006年まで通算375回開催されました。
講演会といっても亭主の覚えている当初の頃は、銀行の会議室などを借りてのごく小規模のもので、参加者もそう多くはありませんでした。
井上さんの強靭な精神のありようの凄さは、決して理想の旗を降ろさないことでした。
「中身をつくるのが大事だ」というのは簡単です。
しかし、それを周囲の無理解や金持ちの道楽さという冷笑の中で継続するのはどんなにたいへんだったことか。
井上さんが開催した「高崎哲学堂講演会リスト」を読むと、いかに自分が不肖の後輩で、世話になるばかりで、何のお手伝いもできなかったことが悔やまれます。
その時代の最も優れた知性を高崎に招き、若い人たちに哲学することの喜びを伝える。
熊倉浩靖さんの著書から、せめて261回の講演会開催リストを転載して、井上さんの功績を偲びたいと思います。
井上さんの知のネットワークの巨大さに驚かれるのではないでしょうか。
膨大なリストなので本日は、150回分を転載します。

高崎哲学堂講演会
1. 1969年 増谷文雄 大正大学教授 「仏教思想と現代」
2. 1969年 梅原猛 立命館大学教授 「日本の文化的課題」
3. 1969年 梅原猛 立命館大学教授 「仏教と現代」
4. 1969年 源了圓 日本女子大学教授 「西洋的ヒューマニズムと日本的ヒューマニズム」
5. 1969年 梅原猛 立命館大学教授 「内にゆらぐ燈火」
6. 1969年 福永光司 京都大学人文科学研究所教授 「荘子と現代」
7. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「自分の仏教」
8. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「新しい時代における仏教の意味」
9. 1970年 上山春平 京都大学人文科学研究所教授 「日本文化の課題」
10. 1970年 安部公房 作家 「現代の発見」
11. 1970年 湯川秀樹 京都大学名誉教授 「学問と生きがい」
12. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「創造の心」
13. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「文明の将来」
14. 1970年 日比野和幸 朝日新聞論説委員 「人間の未来について」
15. 1970年 石坂浩二 俳優 「演劇への希望」
16. 1970年 宮脇昭 横浜国立大学教授 「公害と自然破壊」
17. 1970年 伊藤善市 東京女子大学教授 「七〇年代の課題」
18. 1971年 梅原猛 立命館大学教授 「三島由紀夫の死について」
19. 1971年 森昭 大阪大学教授 「人間形成」
20. 1971年 梅原猛 立命館大学教授 「現代人の精神生活」
21. 1971年 宇尾光治 京都大学教授 「人間とエネルギー」
22. 1971年 庄司薫 作家 「若さと夢」
23. 1971年 中埜肇 関西大学教授 「内面への道」
24. 1971年 梅原猛 立命館大学教授 「高橋和巳・文学とその死」
25. 1971年 ドナルド・キーン コロンビア大学教授 「日本人の西洋発見」
26. 1971年 谷川徹三 元法政大学総長・哲学者 「人間であること」
27. 1971年 福永光司 京都大学人文科学研究所教授 「中国の芸術哲学」
28. 1972年 梅原猛 立命館大学教授 「法隆寺の謎」
29. 1972年 下村寅太郎 学習院大学教授 「日本の哲学」
30. 1972年 磯崎新 建築家 「群馬の森県立近代美術館の設計について」
31. 1972年 真継伸彦 作家 「最近思っていること」
32. 1972年 梶山雄一 京都大学助教授 「釈迦とヒッピー」
33. 1972年 香西茂 平和運動家 「国際連合の将来」
34. 1972年 日高一輝 平和運動家 「新しい時代へ」
35. 1972年 橋本峰雄 仏教学者 「近代日本における西洋哲学」
36. 1973年 磯崎新 建築家 「西洋の庭」
37. 1973年 鍵谷幸雄 慶応大学教授 「現代の詩とジャズ」
38. 1973年 梅原猛 京都大学教授 「万葉集について」
39. 1973年 谷川徹三 哲学者 「親鸞の自然法爾について」
40. 1973年 湯川秀樹・湯川スミ 世界連邦名誉会長 「この地球に生まれ合わせて」
41. 1973年 鈴木俊子 作家 「ソ連という国は」
42. 1973年 芳賀徹 東京大学助教授 「日本人と『変革』の思想」
43. 1973年 中川融 国際連合特命全権大使 「世界平和と日本」
44. 1973年 木村重信 京都市立芸術大学教授 「アフリカの人・自然・美術」
45. 1974年 グロータース 神父 「ロボットはいやだ」
46. 1974年 梅原猛 京都大学教授 「仮説と真理」
47. 1974年 谷川徹三 世界連邦顧問 「国家主権と人類主権」
48. 1974年 山本七平 作家 「各民族の生活の基本的な宗教の感じ方の相違」
49. 1974年 吉本隆明 作家 「夭折論」
50. 1974年 矢内原伊作 美学者 「現代と芸術」
51. 1975年 佐藤雅彦 京都市立芸術大学助教授 「日本美術の特性」
52. 1975年 生松敬三 中央大学教授 「人間と哲学」
53. 1975年 貝塚茂樹 京都大学名誉教授 「中国の古代思想と現代」
54. 1975年 安積得也 社会評論家 「われら地球市民の心」
55. 1975年 三木成夫 東京芸術大学教授 「『こころ』と『あたま』―人類の生物史的考察」
56. 1975年 伊東俊太郎 東京大学助教授 「地球的人類史に向かって」
57. 1975年 生松敬三 中央大学教授 「人間への問いと現代―一九二〇年代ドイツ思想史に学ぶ」
58. 1975年 福永光司 東京大学教授 「中国哲学における欲望論」
59. 1976年 針生一郎 和光大学教授 「一九三〇年代の芸術と思想」
60. 1976年 梅原猛 京都市立芸術大学教授 「哲学的思惟と万葉集―『水底の歌』以後の柿本人麻呂論」
61. 1976年 菊地昌典 東京大学助教授 「中ソ対立の現状と問題点」
62. 1976年 今西錦司 京都大学名誉教授 「私の進化論」
63. 1976年 木村尚三郎 東京大学教授 「現代ヨーロッパの変貌と日本の将来」
64. 1976年 武者小路公秀 国連大学副学長 「南北関係と日本の立場」
65. 1976年 木田元 中央大学教授 「自然の権限とは―自然の形而上学」
66. 1976年 安永寿延 和光大学教授 「安藤昌益の世界」
67. 1976年 市井三郎 哲学者 「江戸期における伝統的革新思想」
68. 1976年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「湖の伝説」
69. 1977年 福永光司 東京大学文学部教授 「天皇と真人」
70. 1977年 上田正昭 京都大学教養学部教授 「古代信仰と道教」
71. 1977年 上山春平 京都大学人文科学研究所教授 「天皇制の論理」
72. 1977年 木村重信 大阪大学文学部教授 「芸術の起源」
73. 1977年 玉野井芳郎 東京大学教養学部教授 「地域分権の思想」
74. 1977年 武者小路公秀 国連大学副学長 「新しい国際秩序と国連大学」
75. 1977年 岩田慶治 東京工業大学教授 「コスモスとしての世界」
76. 1977年 磯崎新 建築家 「日本の空間」
77. 1977年 増谷文雄 大正大学名誉教授 「釈迦に帰れ」
78. 1977年 好村富士彦 京都大学教養学部助教授 「希望の哲学者エルンスト・ブロッホについて」
79. 1977年 江上波夫 東京大学名誉教授 「私のアジア学―文明の二つの道」
80. 1977年 菊地昌典 東京大学教養学部教授 「ユーゴスラヴィアの試み」
81. 1978年 高木仁三郎 プルトニウム研究会 「我々は原子力と共存できるか」
82. 1978年 渡辺一民 立教大学教授 「六八年以後のヨーロッパと日本」
83. 1978年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「現代文明と哲学」
84. 1978年 三木成夫 東京芸術大学教授 「生命記憶と回想」
85. 1978年 福永光司 東京大学文学部教授 「中国哲学における『中』の思想」
86. 1978年 広川洋一 東海大学教授 「プラトンのアカデメイア」
87. 1978年 野田暉行 作曲家・東京芸術大学教授 「音楽から私へ―演奏を聴きながら」
88. 1978年 鶴見和子 上智大学教授 「地球社会学への発想―南方熊楠に学ぶ」
89. 1978年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「聖徳太子」
90. 1978年 田島節夫 東京都立大学教授 「言語の哲学」
91. 1978年 西川潤 早稲田大学教授 「新世界秩序と日本人」
92. 1978年 水田徹 東京学芸大学助教授 「青銅器時代ギリシヤ美術の技法と思想」
93. 1979年 渡辺一民 立教大学教授 「『戦後』を考える」
94. 1979年 木村尚三郎 東京大学教授 「ヨーロッパの都市・日本の都市」
95. 1979年 前田愛 立教大学教授 「広場とコミュニケーションの哲学―江戸から明治へ」
96. 1979年 小川国夫 小説家 「旅と言葉」
97. 1979年 西村関一 国際アムネスティ日本支部名誉理事長 「今、アジアで起こりつつあること」
98. 1979年 村井康彦 京都女子大学教授 「生活文化と場と文化史」
99. 1979年 山崎庸佑 九州大学助教授 「世に『住む』意味を問う」
100. 1979年 福永光司 京都大学人文科学研究所所長 「中国哲学における個と衆」
101. 1979年 木田元 中央大学教授 「合理主義と非合理主義のはざまで」
102. 1979年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「私の日本学」
103. 1979年 増谷文雄 大正大学名誉教授 「仏教の哲学―釈尊を継ぐ人々」
104. 1979年 今西錦司 京都大学名誉教授 「進化論散策」
105. 1979年 蠟山道雄 上智大学教授 「八〇年代の国際環境と日本人」
106. 1979年 生松敬三 中央大学教授 「フランクフルト学派」
107. 1980年 松下圭一 法政大学教授 「市民自治と哲学」
108. 1980年 高島善哉 一橋大学名誉教授 「市民主義とは何か」
109. 1980年 樺山紘一 東京大学助教授 「自治と文化」
110. 1980年 木田元 中央大学教授 「ハイデガー問題」
111. 1980年 米山俊直 京都大学助教授 「アフリカから考える」
112. 1980年 松下圭一 法政大学教授 「市民自治の思想」
113. 1980年 久野収 哲学者 「全体的人間学への途」
114. 1980年 和田春樹 東京大学助教授 「現代ソ連の知識人と民衆」
115. 1980年 西川潤 早稲田大学教授 「世界秩序の将来」
116. 1980年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「文学としての『古事記』」
117. 1980年 海老坂武 一橋大学教授 「サルトルの思想と私たち」
118. 1980年 松本健一 歴史家・近代日本思想史 「ナショナリズムを越えて」
119. 1980年 市川浩 明治大学教授 「身(み)―精神としての身体をめぐって」
120. 1980年 竹内敏晴 宮城教育大学教授 「人間であることと人間になること」
121. 1981年 木戸翁 神戸大学教授 「揺れ動く東ヨーロッパ」
122. 1981年 福永光司 京都大学人文科学研究所所長 「中国哲学における安楽の思想」
123. 1981年 磯崎新 建築家 「『間』の思想を世界に問うて」
124. 1981年 加藤周一 評論家 「戦後日本再考」
125. 1981年 市川浩 明治大学教授 「都市のコスモロジー」
126. 1981年 河合雅雄 京大霊長類研究所長 「サルからヒトが見えてくる」
127. 1981年 司馬遼太郎 作家 「歴史と人間」
128. 1981年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「萬葉の美学と哲学―『萬葉集』長歌考」
129. 1981年 村田全 立教大学教授 「日本の数学思想―関孝和と建部賢弘」
130. 1981年 上山春平 京都大学名誉教授 「最澄と空海」
131. 1981年 土肥昭夫 同志社大学教授 「内村鑑三―彼の思想と上州の関わりを中心として」
132. 1981年 日高一輝 平和運動家 「湯川博士の平和思想」
133. 1982年 木村尚三郎 東京大学教養学部長 「八〇年代―日本の条件」
134. 1982年 畑敏雄 前群馬大学学長 「科学・哲学・人間」
135. 1982年 竹内尚次 東京国立博物館主任研究官 「風外さん―絵と詩と心」
136. 1982年 宮本陽吉 東京工業大学教授 「現代アメリカ文学」
137. 1982年 源了圓 東北大学教授 「心・技・体―剣法書と能楽論を中心として」
138. 1982年 芳賀徹 東京大学教授 「平賀源内とその時代―「徳川の平和」再考」
139. 1982年 今西錦司 京都大学名誉教授 「自然を見る眼」
140. 1982年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「ヤマトタケル」
141. 1982年 笠原一男 東京大学名誉教授 「中世人の心―蓮如の場合」
142. 1982年 三木正之 神戸大学教授 「ゲーテとダンテ 古典性の新しい意味」
143. 1982年 菊地昌典 東京大学教授 「中国・ソ連とつきあう道」
144. 1982年 有馬朗人 東京大学大型計算センター長 「文化の両論―独創性と連衆」
145. 1983年 小田切瑞穂 近畿大学名誉教授 「東洋的叡智の復権」
146. 1983年 藤村久和 北海道開拓記念館 「アイヌ文化概説」
147. 1983年 佐和隆光 京都大学教授 「現代経済学の内省」
148. 1983年 宮田光雄 東北大学教授 「解放としての笑い―キリスト教とユーモア」
149. 1983年 木戸蓊 神戸大学教授 「社会主義のディレンマ―効率と平等」
150. 1983年 安永寿延 和光大学教授 「安藤昌益と中江兆民」

既に1978年に高木仁三郎さんを招き「我々は原子力と共存できるか」を論じていたのを今回初めて知りました。井上さんがお元気なら3月11日の福島原発の事故をどう思われたでしょうか。

151回以降は9月2日に掲載します。
熊倉浩靖著『井上房一郎・人と功績』の紹介を3回にわけて紹介します。
その1その2その3)。