本日は祝日ですが、画廊は開けており、「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています。
また広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで開催中の「THE・JPADS・PHOTOGRAPHY SHOW Christmas Photo Fair」にも出展しています。
亭主は13時から16時までは広尾に、夕方は画廊におりますので、どうぞお出かけください。

磯崎新『栖十二』より第六信アイリーン・グレイ[ロクブリュヌE1027]

磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げた銅版画連作〈栖十二〉の全40点は1998年夏から翌1999年9月にかけての僅か1年間に制作されました。
予め予約購読者を募り、書簡形式の連刊画文集『栖 十二』―十二章のエッセイと十二点の銅版画―を十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送するという、住まいの図書館出版局の植田実編集長のたくみな企画(アイデア)が磯崎先生の制作へのモチベーションを高めたことは間違いありません。
このとき書き下ろした十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されました。
その経緯は先日のブログをお読みいただくとして、1998~1999年の制作と頒布の同時進行のドキュメントを、各作品と事務局からの毎月(号)の「お便り」を再録することで皆様にご紹介しています。
第六信はアイリーン・グレイ[ロクブリュヌE1027]です。
vol6磯崎新『栖十二』第六信パッケージ

第6信より挿画18_A磯崎新〈栖 十二〉第六信より《挿画18
アイリーン・グレイ[ロクブリュヌE1027] 1926-29年 カプ・マルタン

第6信より挿画19_A磯崎新〈栖 十二〉第六信より《挿画19
アイリーン・グレイ[ロクブリュヌE1027] 1926-29年 カプ・マルタン

第6信より挿画20_A磯崎新〈栖 十二〉第六信より《挿画20
アイリーン・グレイ[ロクブリュヌE1027] 1926-29年 カプ・マルタン

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第六信・事務局連絡

一九九八年一二月一六日東京・御茶の水郵便局より発送


 第六信をお届けいたします。

 今回のエッチングはがらりと趣を変えて、アイリーン・グレイの海岸の家『E一〇二七』に使われている床置きカーペットの図柄です。

 今夏、東京都現代美術館がロサンゼルス現代美術館と組んで巡回展を開始した、「建築の二〇世紀」展、そのカタログの巻頭でMOCAのディレクターとキューレターが磯崎夫妻に対して異例ともいえる特別の謝辞を述べていましたが、この会場で私ははじめてE一〇二七の堂々とした模型を見ることができました。ふしぎな仕掛けがたくさんある室内の様子はもちろん分からないけれど、その気配は外観にもそれとなくにじみ出ている。そして建物もですが周りの段状テラスのような庭のひろがりの贅沢さにも改めて驚かされました。いやその背後にしがみついているようなル・コルビュジェの休暇小屋の小ささを改めて思い浮かべ、驚いたといったほうがいいくらいです。
 
 アイリーン・グレイという一八七九年生れのデザイナー/建築家は、全体像が簡単に見えない、見る角度によって形も色もちがってしまうようなところがあります。今からちょうど三〇年前の一二月、「ドムス」誌における特集で、地元のヨーロッパですらやっと再評価されたらしい。あまりにもラディカルなモダンだから、というより、どこかに不可解な部分があったというか、ある一面しか見えないからのように思えます。私自身の彼女に対する興味は、この「ドムス」誌の写真と図面がきっかけだったと記憶しますが、それからのちにお会いした小池一子さんもやはりアイリーン・グレイに深く魅せられていた。しかし、それはまず漆のデザイナーとしての彼女に対してであったとききました。白く透明で、建具や家具の可動装置が本来あるべき位置からどんどんズレていってしまうような一種のとりとめなさと、黒い漆のパネルをアクロバティックに扱う大胆さ、どちらもこの女性建築家の謎めいた魅力でした。

 ル・コルビュジェのカプ・マルタンにおけるプロジェクト、つまり、ついに実現しなかったロクとロブ計画、自分の休暇小屋と仕事部屋、建設を中止したユニテ・ド・ヴァカンスとその代りにできたユニテ・ド・キャンピングをくわしく紹介する、ブルノ・カンブレトの「Le Corbusier Cap-Martin」も、最近翻訳されました(中村好文:監修、石川さなえ・青山マミ:共訳、TOTO出版)。
 この本のなかで、コルビュジェがセルトほか二〇人のスタッフとともに「ボゴタの都市計画」の設計作業のために「白い家」と呼ばれていたE一〇二七を使っていたことが書かれています。それ以上のことには触れていない。他人のヴィラを二〇人も仕事場に使うとは、コルはバドヴィッチとよほど親しかったのだろうと思うし、ルビュタトのバー・レストランの庇を借りてついに母屋を奪わんばかりの、この土地に対する執着は、なんにも知らないと、ますますバドヴィッチとの仲の良さを想像してしまう。しかし、E一〇二七の背後に並ぶ四つの建物を見ると、やはりどこか気味が悪い。

 今回の磯崎さんのエッセイにも、アイリーン・グレイはなぜか私たちの前に登場しない。風聞のなかの女性デザイナーといった感じで、一九二〇年代の有名なポートレートがあるのですがその容姿すら語られていない。ところが直接に関わりのないル・コルビュジェは、容姿どころか肉体がじつに生まなましく描写されている。彼の声まで聞こえてきそうです。いわばコルは図でグレイは地のように表されているにもかかわらず、ここでたしかに見えてくるのは、地のアイリーン・グレイです。ここで紹介されているエピソードからコルもやはり人間なんだとかいった感想は浮かびあがってこない。あくまでアイリーン・グレイのことを書いた文章だからでしょう。
 つまりこういう状態になっているんだよ、と、今度わざわざ礒崎さんが描いてくれた、E一〇二七とその背後に並ぶストーカー的建物の絵を見てください。これも図と地の関係が錯綜していることをうまく表しているようです。
 突然、彼女のデザインしたベッドサイドテーブルのことが紹介されています。磯崎さんも身近かに使っているというそれは、彼女の遺したものそのものといった感じが妙に即物的に伝わってくる。そのことと、「インターナル・スケープ」としてあえてカーペットの図案をそのままエッチングにした意図とはどこかでつながっている。そんな気がしてなりません。半ば隠されているために、その存在がより強烈に感じられる。だから、バドヴィッチとの協働設計ともいわれるE一〇二七がここではアイリーン・グレイの単独設計として表示されているのも当然です。『栖』というタイトルを、ここに登場する人たちに重ねてみて、いろいろ考えてしまいました。

 パッケージ中面の青図・荒井邸は、むしろ「レスポンシブ・ハウス」の名でよく知られています。住み手の動きにロボットのように対応していく装置だけで構成されていて、外殻は一辺七・二mの立方体(居室、その他)と直径四・八mの球体(寝室)の組み合わせに還元されたスタビール・ハウス。これに好きな場所に動いていくキャンピング・ワゴンがつなげられています。磯崎さんによれば、「観念的には雄と雌の関係を維持している」。
 設計のプロセスを、磯崎さんからコンセプトの説明を受けながら見守り、手の込んだ模型(ロボットをそれらしく作らなければならないし、壁は半透明な皮膜を使う必要があったし)が出来上がっていくのに立ち会っていた記憶があります。それだけアトリエを訪ねる回数が多かったころで、計画に終わったとはいえ私とっては六〇年代末期の感触をもっとも直截にとどめている住宅です。

 この先が折り返し点です。

 今年は、磯崎さんにも書簡受取人の皆さんにもすっかりお世話になりました。もう一回、年末の御挨拶ができる機会があるとよいのですが、それは第七信の仕上がり次第。(文責・植田)

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040栖十二第六信青焼き第六信の青焼きは、実現しなかった「荒井邸」。
現在六本木の森美術館で開催されている「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」に模型が展示されているのでご覧になった方も多いでしょう。

041栖十二第六信第六信35通。
社長の背後にのぞいているのは、当時私たちが編集して日本経済新聞社から刊行された「瑛九作品集」特装版です。

042栖十二第六信本郷初期の磯崎新アトリエがあった本郷にて。
アトリエがあったのは「鴟喃荘」(しなんそう 1933年)、佐藤武夫が設計した瀟洒な住宅だった。
アトリエが移った後は磯崎先生がしばらくお住まいでしたが、今は取り壊されて高層ビルになってしまった。亭主も当時はそれと知らず何度か伺いました。

043栖十二第六信御茶ノ水〒
第六信をお茶の水郵便局から発送。

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◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。
磯崎新展
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示しています。
住まい学大系第100巻『栖すみか十二』も頒布しています(2,600円)。