マン・レイのこと ―――― Aiko Miyawaki

 「マン・レイ」「マン・レイ?」今はあまりにも有名なこの名前も、はじめてきいた人はだれでも、それがたとえヨーロッパ人であっても、何て不思議なおかしな名前だと思うことでしょう。
「ときどき『ミスター・レイ』などといわれて困る、マン・レイと続けてよんでくれなければ」と、よくマン・レイはいっていましたが、この名前は、マン・レイ自身がユダヤ人であることを表現したくてつけた名前だったようです。それにしても何と機智にとんだ名前ではありませんか。マン・レイその人も、その名の如く、ほんとうにウィットに富んだ愉快な人でした。そして、画家・写真家のマン・レイと同時に、ユダヤ人としての、人間としてのマン・レイから、私はさまざまなことを学んだのでした。
 マン・レイは友だちをとても大切にする人でした。そして、いったん友だちときめた人は絶対に信用して変わることがありません。ですから、古くからの友だちであるハンス・リヒターが紹介してくれた私のことも家族の一員のように温かく迎えてくれたのです。
 ダダイストであり、シュルレアリストであるマン・レイは、画家としても写真家としても数えきれないほどの実験的な新しい仕事を残しています。その後、どんなに多くの芸術家がマン・レイの影響を受けたことかはかりしれないものがあると思いますが、マン・レイ自身は、ウィットに富んだ少年が、ただ大きくなったといった感じで、どこまでも偉大な芸術家風ではありませんでした。日常的な何でもない毎日の生活が、すべて創造であるような、そんな毎日を送っていた人でした。
「創造なんて空のかなたにあるものじゃないんだよ」といっては、身のまわりの何でもないもののなかから何かを探し出してきて、楽しんでものをつくっている、そんな人でした。
 もとガレージであった天井はものすごく高く、その中間に白いテントの張ってあるアトリエは、実に独特の雰囲気をかもし出していました。建築出身であるマン・レイは自分でいろいろな家具も考え出してつくっています。机と椅子はその傾斜が微妙にしつらえてあって長く坐っていても疲れないマン・レイ自慢のものでしたし、友達の家の庭に捨ててあったものを拾ってきたという卵型のテーブルに灰皿がつくりつけになっている肘かけ椅子、墨絵のような色彩を使ってマン・レイが描いた四十の長方形の模様からなる屏風のような仕切り、その裏には、紐を引っ張ると右からはデッサン台が、左側からは下着の入った小棚が出てくるといった仕掛けのある寝室、みんなマン・レイの工夫によるものばかりなのです。

 たしか一九六二年だったと思うのですが、パリの「ビブリオテーク・ナシオナル」でひらかれたマン・レイの写真展はかなり大規模なすばらしい展覧会でした。そのとき、はじめて私は、マン・レイの写真作品のほとんどを見ることができたのですが、その美しさに感動すると同時に、マン・レイは一九二〇年から三〇年にかけて、もうすでに、あらゆる実験的な試みをしているのに、あらためて驚かされました。そして、日本でよく、瀧口修造氏や阿部展也氏がマン・レイの新しさについて語っておられたことを思い起していました。
 そのころのことです。「しばらく写真はとっていないが……」といいながら、或る日、何を思ったか急に、マン・レイが私のポートレートをとるといい出しました。そういえば、それまで私はカメラを持っているマン・レイを見たことがありませんでした。すっかり戸惑ってしまっている私にはかまわず、マン・レイは中二階にある小アトリエに置かれてあった古い箱型のカメラをごそごそといじりはじめました。ライトを動かしてつまずいたりしているマン・レイに、私ははらはらさせられたりしました。昔、子供のころよく行かされた写真館で見たことのあるような黒い布をかぶって、マン・レイが私にポーズをとらせたのですが、その日、私が黒いフランネルの洋服につけていたブローチが気に入っていたらしく、あちらこちらにつけかえさせたりするのです。それに手の組み方もいろいろとやかましくいわれ、油絵具のしみこんだあまり美しくない手をとられるのがいやで、私はぶつぶつ文句をいい続けていました。あとで考えてみると、ダ・ヴィンチのモナリザのポーズを真似させてとっていたのでした。ダ・ヴィンチとはおよそ似ても似つかないモナリザのポートレートではあるもののその写真が、おそらくマン・レイのとった最後のポートレートになってしまいました。

La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』36頁所収
初出:『世界』一九八〇年五月号
マンレイ_001
マン・レイ
《宮脇愛子ポートレート》(正面)
1962
ゼラチンシルバープリント
23.9x17.0cm
サインあり

マンレイ_002マン・レイ
《宮脇愛子ポートレート》(横向き)
1962
ゼラチンシルバープリント
23.8x17.0cm
サインあり

600マン・レイ
《Les grands trans-parents》
スクリーンプリント、鏡
64.2x49.1cm
Ed.3/100
サインあり
*ニューヨークのCastelli Graphicsが版元となって1975年に出した「The Mirrors of the Mind」と云うポートフォリオ(11点組み)の一枚。

名称未設定 1マン・レイ
《月夜の夜想曲 Le nocturne de la nuit de lune》
サンドペーパー、ガラス玉
17.2x27.8cm
サインあり

ジュリエットポートレートマン・レイ
《ジュリエット》
1946(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
28.8x22.8cm
スタンプあり

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*画廊亭主敬白
昨日、宮脇先生がときの忘れものにいらっしゃいました。
宮脇先生20120630
野田哲也先生(左端)や建築家の大野幸さん(前列左)はじめ旧知の方や、初めてのお客様に囲まれて。

DSCF3192木田、宮脇マン・レイはじめご自分のコレクションをじっと見つめる宮脇先生。右は軽井沢・ルヴァン美術館副館長の木田三保さん。

今回の宮脇愛子展では銀座のギャラリーせいほうで平面と立体の大作を、青山のときの忘れものでは比較的小品と、親交の深かったマン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオポンティ、阿部展也、ERRO、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシスなどの作品を展示しています。
それら作家たちとの交友・影響については、今回刊行した『La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』(限定200部)にご自身が語られていますが、中でも別格的存在がマン・レイでした。

軽井沢高原文庫さんのブログや、林光一郎さんのブログにもご紹介いただきました。ありがとうございます。

日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
宮脇愛子インタヴュー
もお読みいただければ幸いです。
La Rencontre, c´est merveilleuse 宮脇愛子、私が出逢った作家たち』を刊行
2012年6月25日発行:ときの忘れもの
限定200部 宮脇愛子オリジナルシルクスクリーンとDVD付
カタログDVD作品合成_m
宮脇愛子、マン・レイ、瀧口修造、斎藤義重、ジオ・ポンティ、阿部展也、エロ、辻邦生、南桂子、オノサト・トシノブ、菅野圭介、ジャスパー・ジョーンズ、堀内正和、サム・フランシス、他
価格:12,600円
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