生きているTATEMONO 松本竣介を読む3

建物の設計


 松本竣介は東京生まれである。
 1912年、豊多摩郡渋谷町大字青山北町(現・渋谷区渋谷一丁目6番1号)が生誕地。今はこどもの城あたりから青山通りを渋谷駅方向に歩き、都児童会館への小路に右折してすぐのところだが、もう当時の面影はないだろう。しかもその後まもなく現・港区三田周辺に転居し、1914年には岩手県の現・花巻市に移っている。近くに住んでいた宮沢賢治が訪ねてくることもあったという時代である。さらに父の郷里盛岡市に移り住んだのは竣介の尋常高等小学校3年第3学期終了後である。この連載はこの盛岡の時期を辿ることから始めている。
 1929年、竣介は上京する。
 と、前回書いたが、正確には帰京である。1、2歳のときの青山や三田はもちろん記憶にないはずだが、おそらく親からきかされていたであろう、自分が東京生まれという自覚は、彼の意識に何か作用したのか、その頃の作品を見ながら思わずにはおれない。前回とりあげた≪丘の風景≫≪盛岡の冬≫≪山王の街≫は東京に住みはじめた時期の作品になるが、では記憶のなかで描いたのか、あるいは時折盛岡に帰る機会があったのか、手元の資料では確められない。
 もうひとつ、≪山王の街≫から数年後、すなわち35-6年に、画面いっぱいにひしめくビルや家々、あるいは建物ひとつをクロースアップした絵、あるいはスケッチの時代があり、これこそ見逃せないTATEMONOモチーフだが、いまは迂回して先に進むことにする。

 今回展で、前期第4部に「街と人:モンタージュ」というタイトルでくくられている作品について、ゲオルゲ・グロッスからの影響が指摘されていることを知って驚いた。朝日晃の『松本竣介』(日動出版部 1977)にくわしく語られている(朝日の表記はゲオルゲ・グロース)。また今回展図録でも有川幾夫によればジョージ・グロス(という表記になっている)と野田英夫の影響が見られるとは佐々木一成が指摘するところだとある。その資料を直接たしかめてはいないが、グロッスの影響は確定されているといっていいのだろう。朝日の著書には、グロッスの人物線描を「模したと思われる」竣介のスケッチが図示されていて、じつに丹念に写しているなと感心するのだが、グロッスが奪う側の人間を人間たる存在から引き剥がす、怒りで血が滲んでくるようなあの線描とは微妙に、そして決定的に違う。と、指摘を知ったうえでも尚更に思った。線で街と人々を描き出しモンタージュすることを、竣介は手法としてグロッスから冷静に抽出しているが、構図と内容はむしろ対極的だ。絵の中心にはひとりの若い女がいる。ほかの人物、とくに男たちはその周囲で影のように動いている。身体の一部が消えていたり粗描的だったりで、いわば背後に立つコーラス隊あるいは黒ずくめの群衆の役目を果たし、その前面でスポットライトを浴びた女が静止した全身あるいは上半身を見せている。哀感を帯びた顔だが画家の共感がそこに集中していることがすぐ分かる。
 やはりこの中心をとり巻く建物群にも共通しているのは、人物と同様に、都市の堕落を露わにしたような性悪の建物はひとつとして描かれていないことである。

 ここまで書いたところで、神奈川県立近代美術館葉山に出かけた。「松本竣介展」は盛岡からこの第2会場に巡回してきている(6月9日―7月22日)。会場に入ってよく分かったのは、盛岡でかなり丁寧に全作品を見たので葉山ではその半分ていどの時間があればいいと思ったのが、その倍は必要だったことだ。数ヶ月前にひと通り見知った作品の1点1点をもう少し時間をかけて見直すことに慣れてきたらしい。とくに「モンタージュ」の時代では画面のマチエールが一挙に複雑になり、構図の基本が通底している分だけ、各作品の性格を際立たせるような意識が感じられる。
 街1938 p30 600≪街≫
1938
油彩・板
131.0X163.0cm
(公財)大川美術館

 ≪街≫(1938)は全体が青味がかった色調のなかに沈み、島状に分かれた「街」が微妙に明かるい。この青味は一日の終わりに近い時間のようにも思える。光が失なわれつつある直前、逆に目の前に拡がる光景のすべてが鮮明に判別できる一瞬である。重なり合う建物群には混沌のわずかな翳りもなく、個々が精密に引き立てられながら街区ごとに凝結している。

黒い花 1940 p36 600≪黒い花≫
1940
油彩・板
92.0x65.0cm
個人展

 ≪黒い花≫(1940)も、やはり青味の色調に支配されているが、建物群はその結束を解かれてひとつひとつが船のように漂いはじめている。そのいくつかは画面の縦方向に点在しているものの、すべては見えない水面の水平のなかにあるように感じられる。一方、画面中心の横顔を見せている女は立像というよりは、やや不安定な姿勢や脚元が水のなかに立ち姿のまま沈んでいきつつあるとも思える。すなわち水深の垂直方向が水面の水平方向と交叉している。それを画家がどのように意識していたかは分からないが、画面右下には2匹の魚が水平・垂直の向きを暗示するかのように描かれている。
黒い花 1940 p37 600≪黒い花≫
1940
油彩・板
86.4x60.2cm
岩手県立美術館

 もう1点、同じタイトルの≪黒い花≫(1940)は一転、赤味が主調となり、中央の女は画面の天地いっぱいに立つ。その左右の人物たちも歩く姿が目立ち、左端に寄せられた建物群は手前から奥へのパースペクティブな距離をつくり出している。ここには堅固な地上がある。
N駅近く 1940 p35 600≪N駅近く≫
1940
油彩・画布
97.0x131.0cm
個人蔵

 ≪N駅近く≫(1940)は茶に灰褐色を混ぜたような色合いである。地形と地面が強く印象づけられる。画面のあちこちに配された車輪のような図形、あるいは断続する線路のイメージがもたらす作用なのだろう。建物も遠く高いところからすぐ目の前にまで幾重にもファサードを重ねながら迫ってくるが、ファサードといっても建物の細部まで克明な裏側だったり、なかの荷物か道具を見せている倉庫の入口側だったりする。地面を建物にまで反映させているのだ。

 このシリーズはとくに1938-40年のあいだに、互いが互いのヴァリアントでもあるかのように矢継ぎ早に生み出されている。それは画面全体を統一する色調を選び出し、その色を通して人と建物とが混然とある街あるいは都会を暗喩によって語ろうとする試みとも思える。そして、ほかの時期と比べてもっとも特徴的なのは、ここに描かれている建物は竣介の「設計」によることが歴然としている点である。線や面の抽象化・簡略化でそれを説明できる一面もあるが、多くは実際の建物のグラフィックなアレンジやコラージュでさえなく、あえて言うならば恣意的な設計であり、しかも大小個々の建物としてきちんと完結させているのである。
 たとえば、外壁の中央部分が階段室のように張り出している建物が見られる。それは屋根を突き抜ける時計塔だったりするのだが、こういう西洋風の建物はどこかにありそうで現実にはあまりない。あるいは建物の同じ中央部の手前に低く小さな建物が外屋みたいに一体化している。どちらも建物の目鼻立ちを整える作為のようにもみえる。
 あるいは、筒形の建物がある。画面垂直方向に左右どちらかにわずかに振ってパースペクティブな空間をつくり出している。フラットルーフで壁面と開口部がツライチのいわば近代建築であるが、その角度といいスタイルといい、絵画のなかでは普通はその据わりの悪さで敬遠されるようなモチーフを積極的に使っているのだ。≪序説≫(1939)では眼下を走る貨物列車が画面奥に向かい、その右手の線路ぎわに筒形の建物がある。左に向かって跨線橋が飛んでいるし、駅舎だと一応は説明がつく。しかし≪都会≫(1940)にいたっては画面中央やや右寄りを占めている透明の細長い台形平面の2棟の建物が、相互に貫入し合い、目鼻立ちのさらにはっきりした筒形のようにも、その分裂の始まりのようにもみせている。知的ゲームとしての設計図と抒情的な傾斜をもつ色彩とが重層している。そして前回に見た「こちらと向う」は、人と建物との連鎖によってこのシリーズにも受け継がれ、都会なるものを定義するかにみえる。街の男や女たちの視線は定まらず、足早に動いている。見る者に向かって物言いたげな建物や塔や橋がそこに残される。
序説1939 p33 600≪序説≫
1939
油彩・板
112.1x161.9cm
岩手県立美術館

都会 1940 p38 600≪都会≫
1940
油彩・板
121.0x154.5cm
大原美術館

 「モンタージュ」の時代は、今回展では1941年に制作された作品2点で締めくくられているが、その同じ年に≪盛岡風景≫(1941)が描かれている。手前の緑地はスポーツのグラウンドだろうか、スコアボードのようなものがあり、その先に測候所が見える。10年前の≪丘の風景≫と、構図も描法も重なるところがあるが、ずっと複雑かつ自然だ。「モンタージュ」を経てはじめてこの風景に純粋な絵画として到達した。そんな気がしてくる。
盛岡風景 1941 p28 600≪盛岡風景≫
1941
油彩・画布
53.2x72.8cm
岩手県立美術館

 「街と人:モンタージュ」の作品群は東京を描いていると思う。東京体験の「全体」を捉えようとした。そのために逆に、東京という場所をほのめかす建物はひとつも描かれていない。すべて竣介の「設計」による建物であり、それらを集めたアーバンデザインであり、それが東京である。この作業の次にまったく別のアングルから≪大崎陸橋≫や≪東京駅≫をはじめとする場所が描かれていくことになる。
(2012.7.11 うえだまこと

*作品図版は「生誕100年 松本竣介展」図録より転載させていただきました。
*植田実さんの新連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は、毎月15日に更新します。次回は8月15日に掲載します。
植田さんの「美術展のおこぼれ」は引き続き毎月数回、更新は随時行います。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。

*「生誕100年 松本竣介展」は全国5美術館で巡回開催されます。
20120414松本竣介展 表
岩手県立美術館(終了)
2012年4月14日~5月27日

20120609松本竣介展 表20120609松本竣介展 裏

神奈川県立近代美術館 葉山(ただいま開催中)
2012年6月9日~7月22日

宮城県美術館
2012年8月4日~9月17日

島根県立美術館
2012年9月29日~11月11日

世田谷美術館
2012年11月23日~2013年1月14日