北陸出張~新澤悠

読者の皆様、ご無沙汰しております。
ときの忘れもの出張レポート担当の新澤でございます。

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今回は先週半ばに福井県勝山に出張した帰路に時間が空いたために立ち寄った、福井市美術館の「山下清展」について書かせていただきます。

予定では数日かかると思われた作業が、その実初日で全て片付いてしまい、社長夫妻はまだ用事はあれど、自分がそれに付き合う必要はなし。帰りの飛行機は午後の7時発、さてそれまでどうしたものかと首をひねったところで、「じゃ、県立美術館行ってレポート書いて」と綿貫さんからのお達しが。

一両編成で、行きも帰りも同じ線路を行く電車で勝山から福井へ。目的地が違うので、途中で社長夫妻は降りられたのですが、何とも締まらないことに自分はのどかな風景に気分もよく爆睡中。二駅ほど進んだところで目が覚めて、対面に座っていた二人がいないことに気付いて「あれぇ!?」と慌てることに。毎度のこととはいえ、何かしらやらかさないと済まないこれは、芸人体質とでも呼ぶべきなのでしょうか。一度くらいは「何もなかったので書くことがありません」と書いてみたいものです。

ともあれ福井駅に到着。周辺については全く知らないので、素直に観光案内所に向かって県立美術館への道を訊いたのですが、返答は「明日まで閉館してます」という無常なもの。とはいえ、このままでは帰れないと他になにかありませんかと訊くと、福井市美術館[アートラボふくい]なるものがあり、無料バスが駅前から出ているとのこと。無料とはありがたいと割引券付のチラシを貰って炎天下で待つことしばし。定刻通りに来たバスに乗り込んで美術館に向かったのですが、地図だと駅からそう離れていないように見えて、実際にはかなりの距離がある上に、周りに何もありません。なるほど、こりゃ無料バスが出るワケだ、と納得。バス停から表示に従って歩いて行くと、全面ガラスでできた円柱形の建物が。後から知りましたが、ときの忘れものの近くにある、青山ベルコモンズと同じく、建築家の黒川紀章先生の作品だとか。

茹だるような暑さから逃げるように館内に入り、螺旋状の通路を歩いて二階へ。展示室に足を踏み入れると、よくもまぁここまで、と感心せずにはおれない量の貼り絵とペン画、そして少量の油彩画に迎えられました。

山下清といえば、「長岡の花火」等に代表される貼り絵が有名ですが、自分としてはペン画の方により興味を惹かれました。何せ使われているのは普通のマジックペン。幼少期の昆虫などはまだしも、後期の富士山や東海道各所を描いた作品は他作家の絵画に劣らぬ描き込みがされているというのに、山下は一発描きで、しかも見て記憶しただけの風景を後から描き出しているというのだから驚きです。また、貼り絵は千切った紙片による点、ペン画は同サイズの点描、油彩は筆を滑らせずにキャンバスに絵の具を置いていくというように、使用メディアに関係なく、表現方式が線と多数の点によって構成されていることが、非常に興味深かったです。

ちなみに油彩画は、近くに寄って見てみると、筆をキャンバスから放す際に、筆先を絵の具が追ったせいで一つ一つの点が山のようになっており、絵画作品でありながら立体作品のようにもなっていました。

また、作品と同じくらい存在感があったのが、作品の横に掲示されていた山下の文章です。
知能障害を患い、またマイペースでもあった山下の文章はとても個性的で、そうであるからこそ、普段は明確に意識しない、けれど大事なことについて考えさせられました。中でも個人的に気に入ったのは富士山を見た山下の感想。

初めて見た富士山は思ったより綺麗じゃなかった。
見続けても綺麗に見えなくなるので見るのをやめた。
どんなに綺麗なものでも、それだけを見続けていると、心がそれを綺麗だと思わなくなってしまう。

感じ入るばかりでメモも取らなかったので正確な文章ではありませんが、山下は富士山を眺めた時の気持ちを概ね上記のように記していました。一説にはサヴァン症候群であったと言われる優れた映像記憶を持っていた山下にしてみれば、一度でも見た風景はいつでも正確に脳裏に描ける故に、見飽きやすいものだったのかもしれません。

過ぎたるは及ばざるが如し。やはり人間、バランスが大事です。

明日の記事は本日に引き続き新澤が担当させていただきます。
お題は来月、と言いますか、明々後日に迫った「ART NAGOYA 2012」についてです。よろしければどうぞご覧ください。
(しんざわ ゆう)