生きているTATEMONO 松本竣介を読む 5
建築という死と、生
植田実
今回展で「後期:風景」としてまとめられているなかで、まず気になったのが、東京駅と国会議事堂を描いた作品である。どちらも国家的性格が東京、いや日本のなかで突出している。それをいきなり画題にしている。図録では議事堂を描いたことについて、前景の荷車を引く人影との対比によって「多かれ少なかれ体制批判の精神を読み取ることができる」と解説しているが、たしかにそれ以外にこの唐突な画題と画家とのつながりは見えにくいといってもいい。
別の視点はあるのだろうか。
東京駅は素描が2点(スケッチ帖にも1点)あり、その構図でそのまま油彩に仕上げられている。ただ素描のタイトル≪東京駅≫≪東京駅遠望≫が、油彩では≪丸内風景≫≪駅の裏≫に変えられている。このタイトルの変更は松本竣介の意識をそれとなく表しているかにみえる。つまり東京駅は画面から消えていきつつある。≪丸内風景≫で駅の姿が分かるのはただひとつのドームだけである。タイトルからして丸の内の広場側の駅の眺めなのだろう。もう少し先まで歩いていけば見えてくるはずの、あの長大な正面ファサードは手前の何ということもない建物に遮られてドームの左右に屋根の頂部がわずかに水平にのびている。一方、≪駅の裏≫ではドームがふたつ見えるが、その手前の駅構内で働く建物や鉄の組みものや線路のほうがずっと雄弁に描かれて、まさに「裏」の風景(八重洲口側?)になっている。
松本竣介
≪東京駅≫
1940-1942年頃
鉛筆・紙
36.5x45.6cm
東京都現代美術館
松本竣介
≪東京駅遠望≫
1942年頃
鉛筆・色鉛筆(緑)・ハトロン紙
50.1x60.6cm
東京都現代美術館
松本竣介
≪丸内風景≫
1942
油彩・画布
38.0x45.5cm
花巻市博物館
松本竣介
≪駅の裏≫
1942
油彩・画布
50.0x60.6cm
三重県立美術館
国会議事堂のほうは素描も油彩も同じタイトル≪議事堂のある風景≫であり、これにスケッチ帖にも描かれているのを加えた3点を比べてみると、当の議事堂はスケッチ帖のが画面を占める割合がいちばん大きく、次いで素描、そして油彩でさらに小さい。もう少し厳密に言うと中央のタワー部(現在も新聞やテレビでもおなじみの、段々のついた)が画面右上隅に追いこまれるように小さくなっていき、そのぶんタワー両わきのウィング棟の水平線が強く現れてくる。
松本竣介
≪M01-11-04≫
スケッチ帖「TATEMONO3」
松本竣介
≪議事堂のある風景≫
1941
鉛筆・木炭・墨・紙
28.0x34.8cm
岩手県立美術館
松本竣介
≪議事堂のある風景≫
1942
油彩・画布
60.8x91.3cm
岩手県立美術館
ここまで書いたところで、9月30日、松江に出掛けた。松本竣介展の巡回第4会場の島根県立美術館での松本莞さんの講演の日にあわせて、後期:風景の作品をもういちど子細に見たかったのである。それであらためて思ったのだが、実際の作品と印刷された作品のあいだには避けようのない乖離がある。たとえば≪駅の裏≫の下半分はほとんど黒く塗りつぶされている、とさえ言える。そのなかから辛うじて線路とか架構とかのイメージが感じられるという程度で、それらは未分明のままに観る者に届く。そしてそれこそが竣介の絵画なのだ。≪議事堂のある風景≫は画面全体に宇宙線のような白く細い線条が上部から降り注いでいるとも、たんなる亀裂とも見えるのだが、あまりにも繊細なのでその正体が確認できない。展示室の照明による錯視かとさえ思ってしまう。そのように絵画自体は存在している。印刷によってその複製をつくるとき、この未分明の表面から最低限絵柄を拾い出すことになる。そうしなければ不良の印刷と言われてしまう。技術が今後さらに精度をあげて実際の作品により肉薄できる可能性はあるだろう。しかし絵柄の摘出という方向性は変わらないはずだ。
別の言いかたをすれば、作品の一部分をクロースアップして絵具の盛りあがりや絵筆のタッチを際立せるような編集・印刷もあるが、やはり実際の作品とはほど遠い。ようするに作品を分解しているのだ。それはじつは印刷上の問題にとどまらない。作品に接する自分の眼がすでにそうした解体作業に加担している。で、いまのところはとりあえず絵柄について、絵柄から思うことについて書くほかない。
東京駅の設計は辰野葛西事務所による。この連載の初回に触れた旧・盛岡銀行も手がけた設計事務所である。その主宰である辰野金吾のよく知られた談話が「建築家として生まれた以上、東京に三つの建築を自分の手で実現させたい」。すなわち日本銀行、中央停車場(東京駅)、帝国議会議事堂(国会議事堂)である。日本銀行(1896・明治29)と東京駅(1914・大正3)については思いを遂げた。第3の国会議事堂は起議からおよそ50年、辰野に対立的な立場の建築家との激しい攻防が続いたが完成までの歳月は長く、そのあいだに両者とも世を去っている。その竣工(1936・昭和11)は2.26事件の年でもある。
辰野の言う「三つの建築」とは、さきにも触れたが、すなわち国家と東京との重なりの建築における形象化だった。日本の国家的モニュメントが東京の千代田区と中央区、明治大正昭和にわたって空間的にも時間的にも集結してつくられた。そのふたつをひとりの画家がある距離から眺めて(あるいはコラージュ的に)描いた。
東京駅はターミナル(終着駅)型ではない。ヨーロッパなどの典型的なターミナルは各線の出発・到着点が陸上競走のスタートラインのように整然と並び、その手前にアクセスとしてのコンコースがあり、その全体をシリンダー状の架構が覆う。駅のファサードはこの架構の幅と高さに対応して、いいかえれば線路の流れに直交して立ち上がっている。だから誰でもこのファサードを目印にコンコースに入れば自分の乗る列車の番線に容易に辿り着ける。都内では上野駅の基本構成が一応そうなっている。今はすっかり入り組んで分かりにくくなったけれど。
東京駅は通過交通型の線路に平行して、その端っこに、つまり丸の内・皇居側に付けられた装飾的なファサードである。全長300mを越え、しかもシンメトリカルという驚くべき建築だが、もっと短くても長くてもいいし、シンメトリカルじゃなくてもいい。南北ふたつのドーム空間は立派だが、ターミナル型駅のコンコースが持つアクセス機能は弱い。完結的な駅舎建築というより街並みに近いと言われるのも当然である(その眺めも私にとっては大好きなのだが)。
この東京駅の特性を、松本竣介は驚くほど的確に捉えている。いいかえれば「東京駅」を描こうとはしていない。それはこの駅が皇室専用の中央口を核とした、国家的モニュメントであるために、画家が否定的だったというのでもない。東京駅あるいはモニュメントを超えたもっと強い、何にも属さない建築の力を画面に移しかえようとしたのではないか。その絶対的な力とは、誰にも通底する都市体験の「死」ではなかったのか。
≪議事堂のある風景≫においてタイトルにあるごとく主役たるべき建物も、東京駅と同じように、その前面に建つ切妻屋根の細長い建物や大きく弧を描く並木道や家々の奥に引き込まれ、全体像を欠いている。なによりも新聞やテレビで強調される、正面中央に張り出した車寄せと玄関の列柱が隠されてしまっているし、肝心の段状タワーも、輪郭や開口部の形状はかなり正確に写されてはいるものの国家体制の表徴といった表立った強さは感じられず、むしろ霊廟のような風情である。微妙に優雅というか細目のプロポーションが空に伸びている。平板で、蜃気楼みたいでもある。この建物に本来的に潜んでいたもうひとつの顔を無意識のままに引き出したともいえる(段状タワーのデザインソースがじつはある墓によっているという説があったと思うが資料が手元にない。後日確認できたら報告したい)。ここで営まれているのが日本の政治の正体であるという内容からの印象ではなく、純粋に建築デザインの問題としてそうだと思えるのだ。実際、議事堂建設の起議から完成までの歳月が長かったのは、建築家同士の競合なんてことよりもっと上の次元で、国家の表徴たる建築様式はどうあるべきかのカンカンガクガクが終わりもなく続いたからだ。
湾曲する並木道が前景左寄りの小屋に突き当たり、役目を終えたかのように中断したところで、それは道というより画面中央を占める半円形の広場と四角い舞台あるいは演壇(?)を囲う舗石と立木の縁取りであることが分かってくる。説明のつかない取り合わせは夢の一場面みたいだ。行き場を失ったような荷車の男も含めて、全体がある対立を構成しているというよりは幻影の親和力のなかに生きている。そのようにも見える。(この項つづく)
(2012.10.11 うえだまこと)
*「生誕100年 松本竣介展」は全国5美術館で巡回開催されています。
岩手県立美術館(終了)
神奈川県立近代美術館 葉山(終了)
宮城県美術館(終了)
島根県立美術館2012年9月29日~11月11日(開催中)
世田谷美術館2012年11月23日~2013年1月14日
◆ときの忘れものでは2012年12月~2013年1月「松本竣介展」を開催します。
◆植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、毎月数回、更新は随時行います。
同じく植田実さんの新連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
建築という死と、生
植田実
今回展で「後期:風景」としてまとめられているなかで、まず気になったのが、東京駅と国会議事堂を描いた作品である。どちらも国家的性格が東京、いや日本のなかで突出している。それをいきなり画題にしている。図録では議事堂を描いたことについて、前景の荷車を引く人影との対比によって「多かれ少なかれ体制批判の精神を読み取ることができる」と解説しているが、たしかにそれ以外にこの唐突な画題と画家とのつながりは見えにくいといってもいい。
別の視点はあるのだろうか。
東京駅は素描が2点(スケッチ帖にも1点)あり、その構図でそのまま油彩に仕上げられている。ただ素描のタイトル≪東京駅≫≪東京駅遠望≫が、油彩では≪丸内風景≫≪駅の裏≫に変えられている。このタイトルの変更は松本竣介の意識をそれとなく表しているかにみえる。つまり東京駅は画面から消えていきつつある。≪丸内風景≫で駅の姿が分かるのはただひとつのドームだけである。タイトルからして丸の内の広場側の駅の眺めなのだろう。もう少し先まで歩いていけば見えてくるはずの、あの長大な正面ファサードは手前の何ということもない建物に遮られてドームの左右に屋根の頂部がわずかに水平にのびている。一方、≪駅の裏≫ではドームがふたつ見えるが、その手前の駅構内で働く建物や鉄の組みものや線路のほうがずっと雄弁に描かれて、まさに「裏」の風景(八重洲口側?)になっている。
松本竣介≪東京駅≫
1940-1942年頃
鉛筆・紙
36.5x45.6cm
東京都現代美術館
松本竣介≪東京駅遠望≫
1942年頃
鉛筆・色鉛筆(緑)・ハトロン紙
50.1x60.6cm
東京都現代美術館
松本竣介≪丸内風景≫
1942
油彩・画布
38.0x45.5cm
花巻市博物館
松本竣介≪駅の裏≫
1942
油彩・画布
50.0x60.6cm
三重県立美術館
国会議事堂のほうは素描も油彩も同じタイトル≪議事堂のある風景≫であり、これにスケッチ帖にも描かれているのを加えた3点を比べてみると、当の議事堂はスケッチ帖のが画面を占める割合がいちばん大きく、次いで素描、そして油彩でさらに小さい。もう少し厳密に言うと中央のタワー部(現在も新聞やテレビでもおなじみの、段々のついた)が画面右上隅に追いこまれるように小さくなっていき、そのぶんタワー両わきのウィング棟の水平線が強く現れてくる。
松本竣介≪M01-11-04≫
スケッチ帖「TATEMONO3」
松本竣介≪議事堂のある風景≫
1941
鉛筆・木炭・墨・紙
28.0x34.8cm
岩手県立美術館
松本竣介≪議事堂のある風景≫
1942
油彩・画布
60.8x91.3cm
岩手県立美術館
ここまで書いたところで、9月30日、松江に出掛けた。松本竣介展の巡回第4会場の島根県立美術館での松本莞さんの講演の日にあわせて、後期:風景の作品をもういちど子細に見たかったのである。それであらためて思ったのだが、実際の作品と印刷された作品のあいだには避けようのない乖離がある。たとえば≪駅の裏≫の下半分はほとんど黒く塗りつぶされている、とさえ言える。そのなかから辛うじて線路とか架構とかのイメージが感じられるという程度で、それらは未分明のままに観る者に届く。そしてそれこそが竣介の絵画なのだ。≪議事堂のある風景≫は画面全体に宇宙線のような白く細い線条が上部から降り注いでいるとも、たんなる亀裂とも見えるのだが、あまりにも繊細なのでその正体が確認できない。展示室の照明による錯視かとさえ思ってしまう。そのように絵画自体は存在している。印刷によってその複製をつくるとき、この未分明の表面から最低限絵柄を拾い出すことになる。そうしなければ不良の印刷と言われてしまう。技術が今後さらに精度をあげて実際の作品により肉薄できる可能性はあるだろう。しかし絵柄の摘出という方向性は変わらないはずだ。
別の言いかたをすれば、作品の一部分をクロースアップして絵具の盛りあがりや絵筆のタッチを際立せるような編集・印刷もあるが、やはり実際の作品とはほど遠い。ようするに作品を分解しているのだ。それはじつは印刷上の問題にとどまらない。作品に接する自分の眼がすでにそうした解体作業に加担している。で、いまのところはとりあえず絵柄について、絵柄から思うことについて書くほかない。
東京駅の設計は辰野葛西事務所による。この連載の初回に触れた旧・盛岡銀行も手がけた設計事務所である。その主宰である辰野金吾のよく知られた談話が「建築家として生まれた以上、東京に三つの建築を自分の手で実現させたい」。すなわち日本銀行、中央停車場(東京駅)、帝国議会議事堂(国会議事堂)である。日本銀行(1896・明治29)と東京駅(1914・大正3)については思いを遂げた。第3の国会議事堂は起議からおよそ50年、辰野に対立的な立場の建築家との激しい攻防が続いたが完成までの歳月は長く、そのあいだに両者とも世を去っている。その竣工(1936・昭和11)は2.26事件の年でもある。
辰野の言う「三つの建築」とは、さきにも触れたが、すなわち国家と東京との重なりの建築における形象化だった。日本の国家的モニュメントが東京の千代田区と中央区、明治大正昭和にわたって空間的にも時間的にも集結してつくられた。そのふたつをひとりの画家がある距離から眺めて(あるいはコラージュ的に)描いた。
東京駅はターミナル(終着駅)型ではない。ヨーロッパなどの典型的なターミナルは各線の出発・到着点が陸上競走のスタートラインのように整然と並び、その手前にアクセスとしてのコンコースがあり、その全体をシリンダー状の架構が覆う。駅のファサードはこの架構の幅と高さに対応して、いいかえれば線路の流れに直交して立ち上がっている。だから誰でもこのファサードを目印にコンコースに入れば自分の乗る列車の番線に容易に辿り着ける。都内では上野駅の基本構成が一応そうなっている。今はすっかり入り組んで分かりにくくなったけれど。
東京駅は通過交通型の線路に平行して、その端っこに、つまり丸の内・皇居側に付けられた装飾的なファサードである。全長300mを越え、しかもシンメトリカルという驚くべき建築だが、もっと短くても長くてもいいし、シンメトリカルじゃなくてもいい。南北ふたつのドーム空間は立派だが、ターミナル型駅のコンコースが持つアクセス機能は弱い。完結的な駅舎建築というより街並みに近いと言われるのも当然である(その眺めも私にとっては大好きなのだが)。
この東京駅の特性を、松本竣介は驚くほど的確に捉えている。いいかえれば「東京駅」を描こうとはしていない。それはこの駅が皇室専用の中央口を核とした、国家的モニュメントであるために、画家が否定的だったというのでもない。東京駅あるいはモニュメントを超えたもっと強い、何にも属さない建築の力を画面に移しかえようとしたのではないか。その絶対的な力とは、誰にも通底する都市体験の「死」ではなかったのか。
≪議事堂のある風景≫においてタイトルにあるごとく主役たるべき建物も、東京駅と同じように、その前面に建つ切妻屋根の細長い建物や大きく弧を描く並木道や家々の奥に引き込まれ、全体像を欠いている。なによりも新聞やテレビで強調される、正面中央に張り出した車寄せと玄関の列柱が隠されてしまっているし、肝心の段状タワーも、輪郭や開口部の形状はかなり正確に写されてはいるものの国家体制の表徴といった表立った強さは感じられず、むしろ霊廟のような風情である。微妙に優雅というか細目のプロポーションが空に伸びている。平板で、蜃気楼みたいでもある。この建物に本来的に潜んでいたもうひとつの顔を無意識のままに引き出したともいえる(段状タワーのデザインソースがじつはある墓によっているという説があったと思うが資料が手元にない。後日確認できたら報告したい)。ここで営まれているのが日本の政治の正体であるという内容からの印象ではなく、純粋に建築デザインの問題としてそうだと思えるのだ。実際、議事堂建設の起議から完成までの歳月が長かったのは、建築家同士の競合なんてことよりもっと上の次元で、国家の表徴たる建築様式はどうあるべきかのカンカンガクガクが終わりもなく続いたからだ。
湾曲する並木道が前景左寄りの小屋に突き当たり、役目を終えたかのように中断したところで、それは道というより画面中央を占める半円形の広場と四角い舞台あるいは演壇(?)を囲う舗石と立木の縁取りであることが分かってくる。説明のつかない取り合わせは夢の一場面みたいだ。行き場を失ったような荷車の男も含めて、全体がある対立を構成しているというよりは幻影の親和力のなかに生きている。そのようにも見える。(この項つづく)
(2012.10.11 うえだまこと)
*「生誕100年 松本竣介展」は全国5美術館で巡回開催されています。
岩手県立美術館(終了)
神奈川県立近代美術館 葉山(終了)
宮城県美術館(終了)
島根県立美術館2012年9月29日~11月11日(開催中)
世田谷美術館2012年11月23日~2013年1月14日
◆ときの忘れものでは2012年12月~2013年1月「松本竣介展」を開催します。
◆植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、毎月数回、更新は随時行います。
同じく植田実さんの新連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
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