「瀧口修造展 Ⅱ」は昨日終了いたしました。
ご来廊いただいた皆さん、作品をお買い上げいただいたお客様には厚く御礼を申し上げます。
いつもは2月3月の企画展は売り上げゼロが多いのですが、今年は珍しく売れており、貧乏画廊の切り盛りに四苦八苦してきた社長はとても機嫌がいい。
今日は久しぶりの休廊日でのんびりと過ごすはずだったのですが、大恩ある石山修武先生が27年間の大学教授としての任を終え、 新たな活動の節目として、建築家、建築史家、建築理論家たちを招き、「これから」を語る公開シンポジウムを開催するとあっては、何はともあれ駆けつけねばならぬ。
石山修武公開シンポジウム「これからのこと」
■日時:2014年3月30日(日)14:30-18:00
■会場:早稲田大学大隈講堂
登壇者:安藤忠雄、石山修武、磯崎新、ヨルク・グライター、中川武、難波和彦、李祖原
(*既に定員を大幅に超える予約者があるそうです)
大学教授の退任記念というと「最終講義」が一般的ですが、<引退なんかしねえぜ、オレはこれからだ>とばかりの豪華メンバーでの公開シンポジウム、いかにも石山親分らしい。
ただとてもさびしく悲しいのは、当初いただいた案内状にあった鈴木博之先生のお名前がないことです。
石山研のブログで難波和彦先生とともに石山先生と丁々発止とやりあっていた鈴木先生ですが、去る2月3日朝急逝されました。
亭主はまったく知らなかったのですが、既に数年前から癌と闘う日々、杜幾子夫人によれば「過去を悔やまず未来に期待せず、という理性的な病人だった」(3月22日朝日新聞夕刊 大西若人さんの追悼記事より)鈴木先生はそんなそぶりは微塵も見せませんでした。


写真は昨年12月7日の宮脇愛子展レセプションにいらした鈴木博之先生。
ときの忘れものの展覧会には磯崎新展や上掲の宮脇愛子展などのほか、フォーゲラー展のおりにも「立原道造関連で、フォーゲラーの作品と資料を見たいので」といらしてくださいました。懐かしい思い出です。

葬儀は3月24日、新宿区四谷の曹洞宗 萬亀山 東長寺で営まれました。

『東京の「地霊」』の著者にふさわしい伝統(木)と現代(コンクリート)の融和したお寺です。

参列者は水辺の回廊を巡り、お焼香へ。

祭壇正面には講演する鈴木先生のありし日の姿が。
さまざまの 事おもひ出す 桜かな
謹んでご冥福をお祈りします。
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●本日のウォーホル語録
<1980年代は、まるで60年代が特別だったさまに、ひどく似通っている。時間っていうのはおかしなもんだ。まったくわからないよ。今日、若い奴らは、ぼくが20年前にしたのと同じやり方で描いている。それがさも、彼らにとって新しいものか何かのように。60年代に、サルバドール・ダリがぼくらのところにやってきたとき、彼は、ぼくらがやっていることは全てやってしまったと思っていた。ぼくらはそれがまったく新しいことだと思っていたけれど、ダリがすでにやってしまったことをやっていたのだった。
―アンディ・ウォーホル>
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
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いつもは2月3月の企画展は売り上げゼロが多いのですが、今年は珍しく売れており、貧乏画廊の切り盛りに四苦八苦してきた社長はとても機嫌がいい。
今日は久しぶりの休廊日でのんびりと過ごすはずだったのですが、大恩ある石山修武先生が27年間の大学教授としての任を終え、 新たな活動の節目として、建築家、建築史家、建築理論家たちを招き、「これから」を語る公開シンポジウムを開催するとあっては、何はともあれ駆けつけねばならぬ。
石山修武公開シンポジウム「これからのこと」
■日時:2014年3月30日(日)14:30-18:00
■会場:早稲田大学大隈講堂
登壇者:安藤忠雄、石山修武、磯崎新、ヨルク・グライター、中川武、難波和彦、李祖原
(*既に定員を大幅に超える予約者があるそうです)
大学教授の退任記念というと「最終講義」が一般的ですが、<引退なんかしねえぜ、オレはこれからだ>とばかりの豪華メンバーでの公開シンポジウム、いかにも石山親分らしい。
ただとてもさびしく悲しいのは、当初いただいた案内状にあった鈴木博之先生のお名前がないことです。
石山研のブログで難波和彦先生とともに石山先生と丁々発止とやりあっていた鈴木先生ですが、去る2月3日朝急逝されました。
亭主はまったく知らなかったのですが、既に数年前から癌と闘う日々、杜幾子夫人によれば「過去を悔やまず未来に期待せず、という理性的な病人だった」(3月22日朝日新聞夕刊 大西若人さんの追悼記事より)鈴木先生はそんなそぶりは微塵も見せませんでした。


写真は昨年12月7日の宮脇愛子展レセプションにいらした鈴木博之先生。
ときの忘れものの展覧会には磯崎新展や上掲の宮脇愛子展などのほか、フォーゲラー展のおりにも「立原道造関連で、フォーゲラーの作品と資料を見たいので」といらしてくださいました。懐かしい思い出です。

葬儀は3月24日、新宿区四谷の曹洞宗 萬亀山 東長寺で営まれました。

『東京の「地霊」』の著者にふさわしい伝統(木)と現代(コンクリート)の融和したお寺です。

参列者は水辺の回廊を巡り、お焼香へ。

祭壇正面には講演する鈴木先生のありし日の姿が。
さまざまの 事おもひ出す 桜かな
謹んでご冥福をお祈りします。
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●本日のウォーホル語録
<1980年代は、まるで60年代が特別だったさまに、ひどく似通っている。時間っていうのはおかしなもんだ。まったくわからないよ。今日、若い奴らは、ぼくが20年前にしたのと同じやり方で描いている。それがさも、彼らにとって新しいものか何かのように。60年代に、サルバドール・ダリがぼくらのところにやってきたとき、彼は、ぼくらがやっていることは全てやってしまったと思っていた。ぼくらはそれがまったく新しいことだと思っていたけれど、ダリがすでにやってしまったことをやっていたのだった。
―アンディ・ウォーホル>
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
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