今年3月末日、ぼくの中京大学アートギャラリーC・スクエアでの仕事が終わった。企画運営に携わった1994年から2014年までの20年間に、企画展は120回を超え、出展作家は延べ300人を超える。そのなかから展覧会を通じて親交をもった作家たちとその表現について思いをめぐらせてみたい。
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森本悟郎のエッセイ その後・第1回
木村恒久(1928〜2008) ⑴ 逸脱するグラフィックデザイナー
「木村恒久『キムラカメラ』デジタル版」展は1997年、第19回目の企画展だった。
当時木村さんは『Quark』誌などに最新のグラフィックコンピュータを使った作品を発表しており、1979年に刊行されたフォト・モンタージュ作品集『キムラカメラ』のデジタル版で展覧会ができないかとぼくは考えた。『季刊ビックリハウスSUPER』や渋谷PARCOの原画展以来、ずっと敬愛する作家だったから。そこで、木村さんと同じ都営マンション住まいの美術家・秋山祐徳太子さんを介して打診すると、すぐに応諾してくださった。ただ問題は、アナログなら原画があるのに、デジタルは0と1の二進法データでしかない。出力しなければ展示できないわけで、この経費を捻出するのには苦労した。苦労はしたが、それは十分報われた。
当時C・スクエアには展示場が二つあり、第1会場でデジタル作品、第2会場でアナログ作品の原画を展示した。両会場を何度も往き来していると、制作方法による作品の違いが見えてくる。アナログ作品も手仕事とは信じられないほどに精緻な出来だが、デジタル作品はそれを遙かに超える。木村さんには利用するイメージの拡大縮小や配置が自在で、やり直しも容易なデジタルに出会ったことは僥倖だったろう。結果、イメージは概してより複雑化し、それによって内容も抽象の度合いを高めた。また一度は完成したはずの作品をあとで新しいバージョンに差し替えるということも起きた。むろんこれは良し悪しの話ではない。
木村作品はいかようにも解釈できるという多重性を有することでグラフィックデザインから逸脱していたが、デジタル作品はそれをさらに押し進めた。奔放なイマジネーションを画像に定着させるための際限ない推敲と、定形にとらわれない自在な画面フォーマットがそれである。
印刷されたものを最終段階とするという意味では、木村さんはグラフィックデザイナーであろう。しかしそれは広義のグラフィックデザイナーというべきである。なぜなら、受注なき制作をする人でもあったからだ。
「都市はさわやかな朝を迎える」という木村作品がある。マンハッタンのビル群の間に大瀑布を出現させた壮大な傑作だ。これを見た某メーカーが同じイメージのポスターを依頼したところ、それを断り、あまつさえ制作方法まで教えた、というエピソードを南伸坊さんが書いている(木村恒久『what?』白夜書房、1999)。本人がデザイナーを自認しようが、制作方法がイメージの編集作業であろうが、木村恒久はパトロンやクライアントに依存しない、近代的な意味での自立したアーティストだった。
(もりもとごろう)
会場
会場

木村恒久
「都市はさわやかな朝を迎える」
■森本悟郎
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
*画廊亭主敬白
4月は新年度の切り替え時期。このブログでも次々と新たな執筆者の登場です。
芳賀言太郎さん、石原輝雄さんに続き、今日から長期連載を開始してくださるのが名古屋の森本悟郎さんです。ときの忘れものが開廊して間もない頃からのお客様です。
次回企画「葉栗剛展」の作家を紹介してくださったのが森本さんでした。5月17日(土)には17時より葉栗剛さんと森本悟郎さんのギャラリートークも開催します。
※要予約(会費1,000円)
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
トーク終了後の18時より開催するレセプションにはどなたでも参加できますので、お誘いあわせのうえお出かけください。
◆ときの忘れものは2014年4月19日[土]―5月6日[火 祝日]「わが友ウォーホル~X氏コレクションより」を開催しています(*会期中無休)。

日本で初めて大規模なウォーホル展が開催されたのは1974年(東京と神戸の大丸)でした。その前年の新宿マット・グロッソでの個展を含め、ウォーホル将来に尽力された大功労者がXさんでした。
アンディ・ウォーホルはじめX氏が交友した多くの作家たち、ロバート・ラウシェンバーグ、フランク・ステラ、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク、萩原朔美、荒川修作、草間彌生らのコレクションを出品します。
●本日のウォーホル語録
<もし芸術で金を稼げないとしたら、これは芸術なんだから、と言わなきゃならない。もし稼げるとしたら、何か違うものだと言わなきゃならない。
―アンディ・ウォーホル>
4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催していますが、亭主が企画し1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介します。
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森本悟郎のエッセイ その後・第1回
木村恒久(1928〜2008) ⑴ 逸脱するグラフィックデザイナー
「木村恒久『キムラカメラ』デジタル版」展は1997年、第19回目の企画展だった。
当時木村さんは『Quark』誌などに最新のグラフィックコンピュータを使った作品を発表しており、1979年に刊行されたフォト・モンタージュ作品集『キムラカメラ』のデジタル版で展覧会ができないかとぼくは考えた。『季刊ビックリハウスSUPER』や渋谷PARCOの原画展以来、ずっと敬愛する作家だったから。そこで、木村さんと同じ都営マンション住まいの美術家・秋山祐徳太子さんを介して打診すると、すぐに応諾してくださった。ただ問題は、アナログなら原画があるのに、デジタルは0と1の二進法データでしかない。出力しなければ展示できないわけで、この経費を捻出するのには苦労した。苦労はしたが、それは十分報われた。
当時C・スクエアには展示場が二つあり、第1会場でデジタル作品、第2会場でアナログ作品の原画を展示した。両会場を何度も往き来していると、制作方法による作品の違いが見えてくる。アナログ作品も手仕事とは信じられないほどに精緻な出来だが、デジタル作品はそれを遙かに超える。木村さんには利用するイメージの拡大縮小や配置が自在で、やり直しも容易なデジタルに出会ったことは僥倖だったろう。結果、イメージは概してより複雑化し、それによって内容も抽象の度合いを高めた。また一度は完成したはずの作品をあとで新しいバージョンに差し替えるということも起きた。むろんこれは良し悪しの話ではない。
木村作品はいかようにも解釈できるという多重性を有することでグラフィックデザインから逸脱していたが、デジタル作品はそれをさらに押し進めた。奔放なイマジネーションを画像に定着させるための際限ない推敲と、定形にとらわれない自在な画面フォーマットがそれである。
印刷されたものを最終段階とするという意味では、木村さんはグラフィックデザイナーであろう。しかしそれは広義のグラフィックデザイナーというべきである。なぜなら、受注なき制作をする人でもあったからだ。
「都市はさわやかな朝を迎える」という木村作品がある。マンハッタンのビル群の間に大瀑布を出現させた壮大な傑作だ。これを見た某メーカーが同じイメージのポスターを依頼したところ、それを断り、あまつさえ制作方法まで教えた、というエピソードを南伸坊さんが書いている(木村恒久『what?』白夜書房、1999)。本人がデザイナーを自認しようが、制作方法がイメージの編集作業であろうが、木村恒久はパトロンやクライアントに依存しない、近代的な意味での自立したアーティストだった。
(もりもとごろう)
会場
会場
木村恒久
「都市はさわやかな朝を迎える」
■森本悟郎
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
*画廊亭主敬白
4月は新年度の切り替え時期。このブログでも次々と新たな執筆者の登場です。
芳賀言太郎さん、石原輝雄さんに続き、今日から長期連載を開始してくださるのが名古屋の森本悟郎さんです。ときの忘れものが開廊して間もない頃からのお客様です。
次回企画「葉栗剛展」の作家を紹介してくださったのが森本さんでした。5月17日(土)には17時より葉栗剛さんと森本悟郎さんのギャラリートークも開催します。
※要予約(会費1,000円)
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
トーク終了後の18時より開催するレセプションにはどなたでも参加できますので、お誘いあわせのうえお出かけください。
◆ときの忘れものは2014年4月19日[土]―5月6日[火 祝日]「わが友ウォーホル~X氏コレクションより」を開催しています(*会期中無休)。

日本で初めて大規模なウォーホル展が開催されたのは1974年(東京と神戸の大丸)でした。その前年の新宿マット・グロッソでの個展を含め、ウォーホル将来に尽力された大功労者がXさんでした。
アンディ・ウォーホルはじめX氏が交友した多くの作家たち、ロバート・ラウシェンバーグ、フランク・ステラ、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク、萩原朔美、荒川修作、草間彌生らのコレクションを出品します。
●本日のウォーホル語録
<もし芸術で金を稼げないとしたら、これは芸術なんだから、と言わなきゃならない。もし稼げるとしたら、何か違うものだと言わなきゃならない。
―アンディ・ウォーホル>
4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催していますが、亭主が企画し1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介します。
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