ご紹介するのが遅くなってしまいましたが、8月3日まで町田市立国際版画美術館で「生誕百年 関野準一郎展」が開催されています。
学芸員さんから関野準一郎先生の生誕100年と聞いてちょっと意外な気がしました。
亭主が美術界に入ってから幾度もお会いして、親しく教えを受けたものですから、そんな100年前に生まれた方だなんて思いもしなかった・・・・・
先週コレクション展を開催していた難波田龍起先生もそうでしたが、関野先生も「コレクションをする作家」でした。
亭主が発行していた「版画センターニュース」の熱心な読者であり、誌上オークションなどを開催すると真っ先に電話をされてきて「ワタヌキさん、●番の作品はいくらくらいなら落ちるだろうか」ときかれるのでした。
アトリエに伺い、壁に展示されていた関野コレクション~長谷川潔や駒井哲郎などを拝見するのも楽しみでした。
『版画を築いた人々 自伝的日本近代版画史』(美術出版社)は戦前の創作版画から戦後の現代版画まで「版画一筋」に生きた関野先生ならではのいききとした筆致で、版画の世界を切り拓いた先輩、同僚たちの姿が描かれています。
名著といわれる小野忠重『近代日本の版画』(三彩社)がともすれば偏狭な小野史観に彩られているのに対し、その視線は公平かつ誠実そのものでした。
『わが版画師たちー近代日本版画家伝』(講談社)も日本の版画作家を知るための好著です。


「生誕百年 関野準一郎展」
会期:2014年6月21日[土]―8月3日[日]*月曜休館
会場:町田市立国際版画美術館
〒194-0013 東京都町田市原町田4-28-1 Tel. 042-724-5656
せっかくの生誕100年記念展ですが、予算の都合なのかカタログがない。
でも関野先生の業績は重要ですから、カタログがわりに同館のHPから概要を転載させていただきます。
*若干ですが招待券があります。ご希望の方は画廊にありますのでご利用ください。
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青森に生まれた関野凖一郎(せきの・じゅんいちろう、1914-88)は中学時代から版画誌を発行し、18歳で日本創作版画協会展に入選を果たしました。25歳で上京し、恩地孝四郎に師事、「一木会」主要メンバーとして活躍します。木版、エッチング、リトグラフなどの技法を駆使し、風景や人物など多様な主題で60年近くにわたり制作を続け、国際的にも活躍しました。戦後の多色刷り木版作品を中心に160点を展示いたします。
展示構成
I.青森
『蟲』
1933年
木版
個人蔵
関野凖一郎は1914(大正3)年、青森市に生まれました。実家は魚粕の肥料問屋です。旧制青森中学校に進み、級友たちの版画同人誌に加わり木版画制作を始めました。中学卒業後は家業を手伝いながら、油彩や版画の制作に励み、18歳で日本版画協会展に初入選をとげます。青森創作版画研究会「夢人社(むじんしゃ)」での活動も続け、創作版画誌を交換することで日本各地の同好の士との交流を深めていきました。
「河畔」
1935年
エッチング
個人蔵
また、画家・今純三のもとに通ってエッチングやリトグラフの技法を修得、西田武雄が主宰する日本エッチング研究所からエッチングプレスを購入、本格的な制作に取り組むようになります。エッチング作品「埠頭」で帝展洋画部に入選したのは1935(昭和10)年、21歳の時です。
II.東京
「黒布貝」
1942年
木版
個人蔵
相次ぐ不況と高まる軍靴の響き、そうした時代の中で関野家の家業は衰運の一途をたどります。ついに画家になることを許された関野は、1939(昭和14)年、25歳で上京、創作版画のリーダー的存在であった恩地孝四郎の門を叩き、やがて山口源とともに師である恩地を囲んでの版画研究会「一木会(いちもくかい)」を発足させます。戦後まで続いたこの会は創作版画から現代版画への橋渡しの役割を果たしたといえるでしょう。
III.戦後
「コレスロンの勝利」
1953年
エッチング、アクアチント
個人蔵
東京で終戦を迎えた関野は、戦時中も続けていた日本版画協会展と国画会展への出品を重ねていきます。進駐軍関係者による作品購入もあり、戦後の日本版画は急速な復興を遂げ、関野もその恩恵にあずかります。
1951(昭和26)年には自宅に銅版画研究会を開設、旧友の駒井哲郎とともに、浜田知明や小林ドンゲら若い世代に、技法はもちろんインクの製法やプレス機の設計など銅版画にかかわるあらゆる知識を伝えていきました。
「雪の摺上川」
1952年
アクアチント
個人蔵
本展では関野凖一郎銅版画頒布会の作品をはじめとする1950年代の貴重な銅版画作品を展示します。
「楽屋の文五郎」
1947年
木版
関野の重要な主題である「人物」に本格的に取り組み始めるのは戦後すぐのことです。
人物を描いた作品は大きくふたつに分けられます。
ひとつは堀口大學や中村吉右衛門といった著名な人物を写実的に描いた肖像画です。
そしてもうひとつは、家族をモデルにした、より実験的な作品です。関野は正月など時間のある時に油彩を描いていました。これらの油彩と版画には強いかかわりがみられます。
「私の家族」
1954年
左)油彩、右)木版
個人蔵
IV.外遊
「墓とニューヨーク」
1960年
木版
1950年代後半、関野の活躍の場は海外へと広がっていきます。海外の版画展への出品、そして1958(昭和33)年にはジャパン・ソサエティの招待で半年のあいだアメリカ各地に滞在、日本の木版画について講義や制作実演を行いました。さらにヨーロッパ各国を訪ね、その国の風景と人物を描きました。また海外の版画工房でコラグラフなどの技法に挑み、さらに表現の領域を広げていきました。
V.日本を見つめなおす
『東海道五十三次』より「岡部」
1973年
木版
個人蔵
海外への旅は、日本の風景を見直す契機ともなりました。帰国後とりかかった『東海道五十三次』のシリーズは15年をかけ完成、その後も『奥の細道版画柵』をはじめとする数々の街道シリーズの作品を制作し続けました。国内外での取材旅行をかさね、「旅」は関野の重要な主題となっていきました。
「夕化粧」
1986年
木版
舞妓や大相撲、古い町並みなど、日本の伝統文化のよさを見直す作品を、華やかな色彩と若々しい感覚で描き出しました。
『古事記絵巻』
1949年
合羽版
個人蔵
青森時代から本の蒐集を始め、文学にも造詣の深かった関野の生涯にわたる趣味が挿絵本制作です。本展では初期から晩年までの代表的な作品を展示します。木版や銅版はもちろん、合羽版や手描きのものまでお楽しみいただけます。
明るく華やかな色彩、多彩な主題と表現方法――みずみずしい好奇心を持ち、真摯かつ溌剌と版画に取り組んだ関野。生涯に制作した作品は1,000点以上に及ぶとも言われます。この展覧会では、戦後の多色刷り木版の作品を中心とする160点の作品により、関野凖一郎の足跡をご紹介します。
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ときの忘れもののコレクションより関野準一郎作品をご紹介します。
関野準一郎
〈東海道五十三次〉より「草津」
木版
Image size: 31.5x45.5cm
Sheet size: 41.5x55.0cm
サインあり
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◆夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは8月10日(日)~8月18日(月)まで休廊いたします。
学芸員さんから関野準一郎先生の生誕100年と聞いてちょっと意外な気がしました。
亭主が美術界に入ってから幾度もお会いして、親しく教えを受けたものですから、そんな100年前に生まれた方だなんて思いもしなかった・・・・・
先週コレクション展を開催していた難波田龍起先生もそうでしたが、関野先生も「コレクションをする作家」でした。
亭主が発行していた「版画センターニュース」の熱心な読者であり、誌上オークションなどを開催すると真っ先に電話をされてきて「ワタヌキさん、●番の作品はいくらくらいなら落ちるだろうか」ときかれるのでした。
アトリエに伺い、壁に展示されていた関野コレクション~長谷川潔や駒井哲郎などを拝見するのも楽しみでした。
『版画を築いた人々 自伝的日本近代版画史』(美術出版社)は戦前の創作版画から戦後の現代版画まで「版画一筋」に生きた関野先生ならではのいききとした筆致で、版画の世界を切り拓いた先輩、同僚たちの姿が描かれています。
名著といわれる小野忠重『近代日本の版画』(三彩社)がともすれば偏狭な小野史観に彩られているのに対し、その視線は公平かつ誠実そのものでした。
『わが版画師たちー近代日本版画家伝』(講談社)も日本の版画作家を知るための好著です。


「生誕百年 関野準一郎展」
会期:2014年6月21日[土]―8月3日[日]*月曜休館
会場:町田市立国際版画美術館
〒194-0013 東京都町田市原町田4-28-1 Tel. 042-724-5656
せっかくの生誕100年記念展ですが、予算の都合なのかカタログがない。
でも関野先生の業績は重要ですから、カタログがわりに同館のHPから概要を転載させていただきます。
*若干ですが招待券があります。ご希望の方は画廊にありますのでご利用ください。
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青森に生まれた関野凖一郎(せきの・じゅんいちろう、1914-88)は中学時代から版画誌を発行し、18歳で日本創作版画協会展に入選を果たしました。25歳で上京し、恩地孝四郎に師事、「一木会」主要メンバーとして活躍します。木版、エッチング、リトグラフなどの技法を駆使し、風景や人物など多様な主題で60年近くにわたり制作を続け、国際的にも活躍しました。戦後の多色刷り木版作品を中心に160点を展示いたします。
展示構成
I.青森
『蟲』1933年
木版
個人蔵
関野凖一郎は1914(大正3)年、青森市に生まれました。実家は魚粕の肥料問屋です。旧制青森中学校に進み、級友たちの版画同人誌に加わり木版画制作を始めました。中学卒業後は家業を手伝いながら、油彩や版画の制作に励み、18歳で日本版画協会展に初入選をとげます。青森創作版画研究会「夢人社(むじんしゃ)」での活動も続け、創作版画誌を交換することで日本各地の同好の士との交流を深めていきました。
「河畔」1935年
エッチング
個人蔵
また、画家・今純三のもとに通ってエッチングやリトグラフの技法を修得、西田武雄が主宰する日本エッチング研究所からエッチングプレスを購入、本格的な制作に取り組むようになります。エッチング作品「埠頭」で帝展洋画部に入選したのは1935(昭和10)年、21歳の時です。
II.東京
「黒布貝」1942年
木版
個人蔵
相次ぐ不況と高まる軍靴の響き、そうした時代の中で関野家の家業は衰運の一途をたどります。ついに画家になることを許された関野は、1939(昭和14)年、25歳で上京、創作版画のリーダー的存在であった恩地孝四郎の門を叩き、やがて山口源とともに師である恩地を囲んでの版画研究会「一木会(いちもくかい)」を発足させます。戦後まで続いたこの会は創作版画から現代版画への橋渡しの役割を果たしたといえるでしょう。
III.戦後
「コレスロンの勝利」1953年
エッチング、アクアチント
個人蔵
東京で終戦を迎えた関野は、戦時中も続けていた日本版画協会展と国画会展への出品を重ねていきます。進駐軍関係者による作品購入もあり、戦後の日本版画は急速な復興を遂げ、関野もその恩恵にあずかります。
1951(昭和26)年には自宅に銅版画研究会を開設、旧友の駒井哲郎とともに、浜田知明や小林ドンゲら若い世代に、技法はもちろんインクの製法やプレス機の設計など銅版画にかかわるあらゆる知識を伝えていきました。
「雪の摺上川」1952年
アクアチント
個人蔵
本展では関野凖一郎銅版画頒布会の作品をはじめとする1950年代の貴重な銅版画作品を展示します。
「楽屋の文五郎」1947年
木版
関野の重要な主題である「人物」に本格的に取り組み始めるのは戦後すぐのことです。
人物を描いた作品は大きくふたつに分けられます。
ひとつは堀口大學や中村吉右衛門といった著名な人物を写実的に描いた肖像画です。
そしてもうひとつは、家族をモデルにした、より実験的な作品です。関野は正月など時間のある時に油彩を描いていました。これらの油彩と版画には強いかかわりがみられます。
「私の家族」1954年
左)油彩、右)木版
個人蔵
IV.外遊
「墓とニューヨーク」1960年
木版
1950年代後半、関野の活躍の場は海外へと広がっていきます。海外の版画展への出品、そして1958(昭和33)年にはジャパン・ソサエティの招待で半年のあいだアメリカ各地に滞在、日本の木版画について講義や制作実演を行いました。さらにヨーロッパ各国を訪ね、その国の風景と人物を描きました。また海外の版画工房でコラグラフなどの技法に挑み、さらに表現の領域を広げていきました。
V.日本を見つめなおす
『東海道五十三次』より「岡部」1973年
木版
個人蔵
海外への旅は、日本の風景を見直す契機ともなりました。帰国後とりかかった『東海道五十三次』のシリーズは15年をかけ完成、その後も『奥の細道版画柵』をはじめとする数々の街道シリーズの作品を制作し続けました。国内外での取材旅行をかさね、「旅」は関野の重要な主題となっていきました。
「夕化粧」1986年
木版
舞妓や大相撲、古い町並みなど、日本の伝統文化のよさを見直す作品を、華やかな色彩と若々しい感覚で描き出しました。
『古事記絵巻』1949年
合羽版
個人蔵
青森時代から本の蒐集を始め、文学にも造詣の深かった関野の生涯にわたる趣味が挿絵本制作です。本展では初期から晩年までの代表的な作品を展示します。木版や銅版はもちろん、合羽版や手描きのものまでお楽しみいただけます。
明るく華やかな色彩、多彩な主題と表現方法――みずみずしい好奇心を持ち、真摯かつ溌剌と版画に取り組んだ関野。生涯に制作した作品は1,000点以上に及ぶとも言われます。この展覧会では、戦後の多色刷り木版の作品を中心とする160点の作品により、関野凖一郎の足跡をご紹介します。
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ときの忘れもののコレクションより関野準一郎作品をご紹介します。
関野準一郎〈東海道五十三次〉より「草津」
木版
Image size: 31.5x45.5cm
Sheet size: 41.5x55.0cm
サインあり
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◆夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは8月10日(日)~8月18日(月)まで休廊いたします。
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