<第一回ジョナス・メカスfilm上映会について>
バルーン・シネマ 西村大佑
20140824ジョナス・メカス上映会

2014年8月24日に開催される『第一回ジョナス・メカスfilm上映会」の概要と抱負


私たちが上映会を行うに至った経緯についてお話させて頂きます。
この十年で、ミニシアターと呼ばれる小さな映画館は圧倒的にその数を減らしました。
当然ながらDVDレンタル店においても単館系の作品は取り扱いが激減し、大きな映画、大きな作品が棚の大多数を占めております。
我が横須賀市も例外では無く、人口を40万人も抱えていながら映画館は大手のシネマコンプレックスが一ヵ所という有様です。小さな映画、非商業的な映画はどこへ追いやられてしまったのでしょうか。
今回上映するジョナス・メカス氏の作品もドラマチックでは無く非商業的で小さなものです。
しかしその作品はハリウッドの商業映画界では見つけることのできない本質的な美しさに満ちています。
また、メカス氏は商業的でない為に、金銭的利益に束縛されていないが為に打ち捨てられてきた映像や実験映画、映像作家を何十年にも渡り擁護し保存してきた人物でもあります。
この美しい映像、ジョナス・メカスというタネをもう一度蒔くことは単に一つの作品を観て終わるのではなく、その隣にあるもの、日常に目立たず咲いているもの、注意しなければ見落としてしまいがちな日々の些細な喜びの価値に気付かせてくれるものです。
一見取るに足らないささやかで小さな映像がハリウッドの大作よりも自分を拡げてくれた。
月に数千から数万の金額をインターネットや携帯電話や多チャンネルテレビに支払い、圧倒的な情報を手にしたにもかかわらず、波に浮かんでいるだけでは出会えないものがあった。
私はもっと早くこのことを知りたかった。
私はもっと早くこの映像に出会いたかった。
そこで、私は友人と協力し合ってこの上映会を行うことに決めました。
若い世代や、未だ触れる機会の訪れなかった人達に届けようと。
今回の上映会を準備する中で、100年以上前のリトアニアに生きた一人の作曲家チョルリョーニスに出会いました。メカス氏の「リトアニア――」で使用されていたピアノ曲の作者です。
私たちは上映と併せて小さなピアノLiveも行うことに決めました。
メカス氏いわく「どこかで一匹の蝶が羽ばたけば、それだけで、世界は決して同じままではいられない。」
たった一つの小さな映像が、100年前に生み出された音色を異国の地に再現させる。
その現場に立ち会えることは、私たちにとっても大きな喜びであります。
(2014.7.29 バルーン・シネマ 西村大佑)
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上掲の西村大佑さんのメッセージにあるとおり、横須賀で、8月24日(日)にジョナス・メカスさんの映画作品が上映されます。
メカスファンの方、どうぞ横須賀へ!

第一回 ジョナス・メカス film 上映会 and チュルリョーニス Piano live
会場:神奈川県横須賀市立 文化会館 中ホール
   横須賀市深田台50番地
主催:バルーン・シネマ / ヨコスカ・シネクラブ共催
日時:2014年8月24日(日)
会費:1,000円 ※予約不要
バルーン・シネマ / ヨコスカ・シネクラブ共催
後援:リトアニア共和国大使館
協力:メカス日本日記の会
ときの忘れもの
ナジャ

15:30開場
16:00~ リトアニアへの旅の追憶 (film 87分)
(休憩 15分)
18:00~ チュルリョーニス piano live (20分)
     ピアノ演奏:夏苅 由希
19:00~ ライフ オブ ウォーホル (film35分)
20:00~ 一杯飲みながらメカス氏を語ろう
(会場にて懇親会)

●作品概要
「リトアニアへの旅の追憶」1972

戦争により国を追われた詩人メカスが27年振りに、家族のもとへ、母を、故郷を訪ねる 16ミリカメラBolexを手に。
メカス氏を知る上で重要な映像作品。

「ライフ オブ ウォーホル」1990
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのノイズを効かせたニューヨーク初演LIVEシーンをバックに、ウォーホルやギンズバーグ、ファクトリーメンバーの素顔の断片を散りばめて構成した1965~82年のNYタペストリー的ドキュメント。

Mikalojus Konstantinas Čiurlionis 1875-1911
35歳で逝去し、日本で紹介されることの少なかったリトアニア人作曲家 チュルリョーニス。
今回は「リトアニアへの旅の追憶」で一部使用されたピアノ曲を、横須賀在住ピアニストが演奏する。
ピアノ:夏苅 由希 (音楽教室 三本の木 代表)
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*画廊亭主敬白
第8信より挿画27_A磯崎新〈栖 十二〉第八信より《挿画27
ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン[ストンボロウ邸]
1928 ウィーン

大西さんからメカスさんの上映会をやりたいというメールをいただき、たいへん嬉しく思いました。
ときの忘れものでも、年に一度はメカスさんの作品を展示し、ささやかな上映会も企画してきました。
亭主がメカスさんを初めて日本にお招きしてからもう30年経ちますが(亭主はよれよれなのに)、メカスさんは91歳になる今もお元気で、映像表現の先端にたって活躍している。マイナーな映画なのにそれを見たいという若い世代が続々と出てくる。これはすごいことですね。

唐突ですが、上掲の磯崎新先生の銅版画、描かれているのはルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン設計の[ストンボロウ邸]の裸電球です。
詳しくは、コチラhttp://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/52907098.htmlを読んでいただきたいのですが、磯崎新連刊画文集〈栖 十二〉の企画者である植田実さんの言葉をそのまま引用しましょう。
<(前略)映画作家ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の記憶』です。アメリカに亡命したメカスが三〇年ぶりに帰った故郷の土地と人々を満喫したその帰途に、付け足しみたいに寄ったウィーンで、突然ストンボロウ邸を訊れる。旅人の気まぐれのようにも深い意味があるようにも思えるふしぎなショットですが、一六ミリカメラにとらえられた電球やドア・ノブ、そしてテラスのドアが開かれる一瞬、また壁と開口部の異様なプロポーションそのものの描写に、空間がえぐり出されるような感触がありました。

ついでに言えば、メカスさんの歴史的名著『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源1959―1971』の装丁をしたのが植田実さんで、それについては植田実のエッセイをお読みください。

今回の横須賀の上映会では、夏苅由希さんがリトアニア人作曲家 チュルリョーニスのピアノ曲を演奏されますが、映画「リトアニアへの旅の追憶」の中でそれを演奏しているのが、後に(1990年)リトアニア国民を率いてソ連からの独立回復を達成しリトアニア初代大統領になったランズベルギスさんです。
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若き日のジョナス・メカスさん(ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画オリジナル版画入りカタログより)
jonas mekas image3jonas mekas image2

2005年10月サインするメカス
2005年10月ときの忘れものにて。
ジョナス・メカスさん

●ジョナス・メカスの写真作品からご紹介します。
0909-04ジョナス・メカス
「ジョナス・メカス」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり

0909-07ジョナス・メカス
「ピクニック」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり

0909-08ジョナス・メカス
「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり

0909-15ジョナス・メカス
「エルズビエータ・メカス、わたしの母、リトアニア、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり

0909-17ジョナス・メカス
「ひまわり」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり

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