小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第15回

歌う子ども

「ありのぉ~ ままのぉ~ じぶんにぃ~なぁるのよぉ~」
保育園の送り迎えの時、自転車を漕いでいる私の背後で、娘が『アナと雪の女王』の主題歌のサビの部分を歌うのが、最近の日課のようになっています。保育園の友達が歌っているのを聞いて覚えたらしく、でたらめな歌詞とメロディを自作してつけ加えながら延々と歌い続けています。私自身も自転車を漕ぎながら、周りの景色の移り変わりや風を感じながら、何かしら口ずさんだりすることもありますが、娘のように歌いたいという「ありのままの」気持ちを発散させることはありません。気分のおもむくままに張り上げている歌声は、実に気持ちよさそうで、聴いていて羨ましいな、とさえ感じます。
私も娘につきあって一緒に歌おうとすると、「うるちゃい、おかあさん、うたわないで~」と言われてしまいます。娘としては、自分の世界に気持ちよく浸って歌っているのを邪魔されたくないようです。自転車を漕いでいる私には、振り向いて娘が楽しそうに歌っている表情を見ることはできないのですが、娘からすれば、誰にも顔を見られていないからこそ、気分的にも解放されているのでしょう。

サンフランシスコを拠点に活動をする写真家の兼子裕代は、2010年からさまざまな人が歌っている様子をとらえたポートレートのシリーズ作品「Appearance」を制作しています。当初は、幼児から小学生ぐらいの子どもがモデルになっていましたが、最近は大人もモデルになり、サンフランシスコと東京で撮影が続けられています。いずれのポートレートも、それぞれのモデルが選んだ歌を歌っている、つまり口を開けて発声している状態で捉えられています。屋外の自然光で撮影され、背景に草木や空が写り込んでいるために、その場の空気や風、歌う人の息づかいが画面から伝わってくるように感じられます。
「Appearance」というタイトルが示すように、一連のポートレートは、写真に捉えられたモデルの「外見」に加えて、歌う時の表情や仕草を通してそれぞれの感情が「現れ出る」瞬間を表しています。それぞれのポートレートには、モデルの名前と歌のタイトルが示されており、写真を観る側は、それぞれの歌を知っていても知らなくても、モデルになった人が歌うことで立ち現れる歌の世界に想像を巡らせることができます。

01(図1)
Kokoro singing Thriller


02(図2)
Mikayla singing Little Bunny Foo Foo


子どもたちを捉えた写真の中でも、私の娘に近い年齢(3、4歳ぐらい)の女の子が歌っている写真(図1)を見ると、自転車の後部座席で声を張り上げて歌っている娘もこんな表情をしているのかもしれないと思いますし、(図2)のように眼を閉じて耳の方に手をあてて、自分の世界に浸り、歌うことに意識を集中している表情は真剣そのものに映ります。もう少し上の年齢(小学生ぐらい)になると、身振りや顔の表情、視線の向け方などから、歌詞に感情を込めて歌ったり、聴かせることより意識したりするようになっているようにも見えます(図3、4)。

03(図3)
Emily singing Funga Alafia


04 (図4)
Roxanne singing Replay


撮影が始められたサンフランシスコが、アメリカの中でもさまざまな人種の人たちが暮らす地域であることも、このプロジェクトの展開に深く関わっています。子どもたちの姿や、彼らが選ぶ歌、表情や身振りは、子どもたちそれぞれの独自な存在感を際立たせると同時に、歌うことで感情を発露させることは、人種や年齢に関係なく、普遍的な営みであることを浮き上がらせてもいます。
兼子裕代は、このプロジェクトに着手するきっかけは、彼女が2002年に日本からアメリカに移り住み、異なる文化、社会の中に入っていく過程で疎外感を味わった体験にあり、その疎外感とは、幼い子どもが、世界に足を踏み入れた時に抱くようなびくびくとした覚束ない気分、違和感に近いものだったと述べています。
歌を歌うという行為は、時としてそういった疎外感や、びくびくとした気分を振り払って気分を解放するための手段にも成り得ますし、周りの世界に対してつながりを感じられるような幸福感をもたらすものでもあります。子どもにとって、新しい歌を覚えて口ずさむことは、新たに足を踏み入れた世界の中に、自分の感情の置きどころをみつけて、自分自身を表現することで周囲の環境とのつながりを作り出す方法にもなっているのでしょう。「appearance」にとらえられた子どもたちの豊かな表情を見るにつけ、自転車を漕ぐ私の背後で歌う娘の表情を見られないのは、少しもったいないことなのかもしれない、と思ったりもするのです。
こばやしみか

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