森本悟郎のエッセイ その後・第13回

植田正治(1913~2000) (1) 写真展のはじまり
Shoji UEDA -Beginning of a photo exhibition-


20年にわたってぼくが企画した展覧会は120を超え、ジャンルもさまざまだが、どうも傍から見ると写真展が目についたようだ。ほかのジャンルに比してとりわけその比率が高いわけではない。しかし「写真展が多いですね」とよくいわれたものだ。それだけC・スクエアウォッチャーの人たちには写真展の印象が強かったということなのだろう。
ぼくがギャラリーの企画と運営を任されたとき、当初から写真展を、それもできる限り質の高いものをラインナップに据えたいというプランを持っていた。なぜなら名古屋では美術館でも画廊でもまっとうな写真展を見ることが希有だったからだ。そんな不満もあって写真展は外すことのできないものだった。
ではどんな写真家でスタートするか、これは大きな課題だった。それに続く作家に、C・スクエアというギャラリーがどのような場であるのかが自ずと伝わるような人選をしたかったからだ。
数多いる写真家の中で植田正治さんに出展をお願いしたのは、写真界で知らない人がいない存在であること、モダンでおしゃれで、高齢でありながらみずみずしさを失わない表現者であること、故郷に名前を冠した美術館ができる年であること、そして何より写真展というものを初めて見ることになる可能性が高い、多くの学生たちにも共感しやすい世界であると考えたからである。
1995年3月6日、米子空港の到着ロビーに出て驚いた。植田正治さんがいたからだ。というのは、植田さんがプリントの水洗中に脳梗塞で倒れたことを知らされており、病院でお目に掛かるつもりで出掛けたのだから。ぼくの驚きを見てか、医師の許可を貰って外出してきた、と笑顔で話された。思ったより病状は軽かったようで、少し足取りは覚束なげではあったものの、ことばが明瞭で表情も豊かだったことから一安心したものだ。
会場設営には次男でデザイナーの充さん(「子狐登場」の子狐)の立ち会いを得て、〈Conception〉と題した植田正治写真展は同年5月8日から4週間の会期で始まった。出品作品は『童暦』から『砂丘モード』まで幾つかのシリーズから選んだものに、新作のメーキング・フォト作品を加えた構成を採った。

005-03「植田正治写真展〈Conception〉」
1995


005-04「植田正治写真展〈Conception〉」
1995


005-07「植田正治写真展〈Conception〉」
1995


005-09「植田正治写真展〈Conception〉」
1995


「体調をみて」ということだった作家自身の来場は長女の増谷和子さん(「カコと花」のカコ)同伴で5月20日に実現し、臼井薫さんはじめ植田さんを慕う名古屋の写真家たちも集まって、旧交を温める賑やかな会となった。
この日、夕食には好物だというフランス料理(植田さんは鮮魚の豊富な境港に住まいながら、生魚は口にしなかった)を用意した。そのコース料理を82歳の写真家は残すことなく食したのである。病から驚異的な恢復をみせていることを目のあたりにして、ぼくは心から嬉しく思った。
もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。

◆森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。

●今日のお勧め作品は、植田正治です。作家については、飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」第4回をご覧下さい。
20150428_739f1d7e植田正治
〈砂丘モード〉より「砂丘D」
1983年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:25.0x23.3cm
額装サイズ:55.7×43.5cm
サインあり


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