ベルギー回想、再び読書の話
栃折久美子氏が主宰する「ルリユール工房」での数年間の勉強ののち、ベルギーへ旅立ったのが1995年9月、今から20年前のことになる。歳を重ねると、時間は加速度を増して早く過ぎ去る。
実は帰国直後、知人の誘いで「留学記」を書いていた(http://www.mars.dti.ne.jp/~4-kama/taira/01.html)。あと一歩のところで未完のままに終わってしまった(当時の読者がいらしたら、ごめんなさい)が、ルリユール修業についてはそちらに書いたので、今回は一層つれづれなるままに。
勉学のために住み着く前、旅行で二度ブリュッセルに行っている。だからという訳ではないが、通うことになる学校を事前に見学に行くこともなく、「無謀だね」と言う人もいた。しかし栃折氏の「モロッコ革の本」を繰り返し読んでいたし、美大出身でもない自分が三十代後半で外国に美術修業に行くことの不安を別にすれば、よく見知った場所に来たという印象だった。
栃折久美子著「モロッコ革の本」
ちくま文庫
ルリユールの勉強は、好きなことをしているのだから、苦労はあっても構わない。それより問題は一連の教養科目だった。試験で一定の成績を収めないと、それぞれが所属するアトリエの審査を受けることが出来ないシステムだから、それはもう勉強した。この熱心さで、若い時にもっと勉強しておけば良かったと思うくらいに。
その講義の中で印象に残っているものの一つに「意味論」がある。 担当講師については、学生の間でも評価が分かれていた。「奴はラシストだ」と批難する者も少なからずいた。私自身は直接そのような言動に接したことはないが、言葉の端々、雰囲気に何となく西洋(人)至上主義のようなものは感じていた。それはともかく、この先生の授業がなんと三年間あり、最初の二年は意味論とそれを敷衍した授業、三年次はなぜか「文学」である。
どこがどう意味論と関係があるのか、私にはついぞ理解出来なかったが、内容は面白かった。テーマは「幻想文学」で、具体的な題材はE.T.A.ホフマンの「砂男」。名前だけは知っていた、このドイツ・ロマン主義の作家の作品に触れ、魅了された。ちなみにチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」も、ホフマンの原作である。小学六年生の時に、ナレーションが入った「くるみ割り人形」のLPを、伯父がクリスマスプレゼントとして買ってくれた。当時は原作者の名までは知らなかったのだが、長じて知ってみれば、一年に一度、クリスマスの夜にプレゼントを持って訪れるおじさんという設定が怪しく、それだけでもうホフマンである。かくして、ベルギーの美術学校で「文学」を教わるうちに私は、幻想小説というものが好きなのだということに気づいていった。
そのホフマンの「牡猫ムルの人生観」(岩波文庫)を、ここでご紹介しておきたい。ペダンチックだが俗物の猫、ムルが人間の言葉の読み書きを覚え、自伝を執筆。その際に、飼い主が書いた「楽長クライスラーの宮廷生活」についての書物を引きちぎっては下敷きや吸い取り紙にしていたら、誤ってそれらが一つの書物として出版されてしまったという、ざっとそれだけでも奇想小説といえる。しかも、これに着想を得て、シューマンは美しいピアノ曲「クライスレリアーナ」を作曲、というオマケがついている。
「狂えるクライスラー」
「牡猫ムルの人生観」E.T.A.ホフマンによる挿画
話がそれてしまったが、私に幻想小説を発見させてくれて、卒業後もこれだけの豊かな生活を与えてくれたのだから、あの教師に感謝すべきなのかもしれないと、二十年後の今では思う。
美術愛好家の皆様が楽しみにされるこのブログで、文学と音楽の話に終始してしまい、お詫び申し上げます。次回は市田文子がお届けします。
(文:平まどか)

●作品紹介~平まどか制作


”LES CHANTS DE MALDOROR”
COMTE DE LAUTREAMONT (ISIDORE DUCASSE)
Illustrations de René MAGRITTE
EDITIONS APOLLO ファクシミリ版 1984年
1984年刊/思潮社
・1999年制作
・パッセカルトン山羊総革装
・手染め装飾紙
・手染め見返し
・夫婦函
・タイトル箔押し:平まどか
・240x180x31mm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ルリユール用語集
ルリユールには、なじみのない用語が数々あります。そこで、frgmの作品をご覧いただく際の手がかりとして、用語集を作成しました。
本の名称
(1)天
(2)地
(3)小口(前小口)
(4)背
(5)平(ひら)
(6)見返し(きき紙)
(7)見返し(遊び紙)
(8)チリ
(9)デコール(ドリュール)
(10)デコール(ドリュール)
額縁装
表紙の上下・左右四辺を革で囲い、額縁に見立てた形の半革装(下図参照)。
角革装
表紙の上下角に三角に革を貼る形の半革装(下図参照)。
シュミーズ
表紙の革装を保護する為のジャケット(カバー)。総革装の場合、本にシュミーズをかぶせた後、スリップケースに入れる。
スリップケース
本を出し入れするタイプの保存箱。
総革装
表紙全体を革でおおう表装方法(下図参照)【→半革装】。
デコール
金箔押しにより紋様付けをするドリュール、革を細工して貼り込むモザイクなどの、装飾の総称。
二重装
見返しきき紙(表紙の内側にあたる部分)に革を貼る装幀方法。
パーチメント
羊皮紙の英語表記。
パッセ・カルトン
綴じ付け製本。麻紐を綴じ糸で抱き込むようにかがり、その麻紐の端を表紙芯紙に通すことにより、ミゾのない形の本にする。
製作工程の早い段階で本体と表紙を一体化させ、堅固な構造体とする、ヨーロッパで発達した製本方式。
半革装
表紙の一部に革を用いる場合の表記。三種類のタイプがある(両袖装・額縁装・角革装)(下図参照)【→総革装】。
革を貼った残りの部分は、マーブル紙や他の装飾紙を貼る。
夫婦函
両面開きになる箱。総革装の、特に立体的なデコールがある本で、スリップケースに出し入れ出来ない場合に用いる。
ランゲット製本
折丁のノドと背中合わせになるように折った紙を、糸かがりし、結びつける。背中合わせに綴じた紙をランゲットと言う。
全ての折丁のランゲットを接着したあと、表装材でおおい、装飾を施す。和装本から着想を得た製本形態(下図参照)。
両袖装
小口側の上下に亘るように革を貼る形の半革装(下図参照)。
様々な製本形態
両袖装
額縁装
角革装
総革装
ランゲット製本
●今日のお勧め作品は、品川工です。
品川工
「作品」
木版
イメージサイズ:54.7x39.5cm
シートサイズ:59.8x44.0cm
サインあり
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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
◆ときの忘れものは2015年8月25日[火]―9月5日[土]「内間安瑆展」を開催しています(*会期中無休)。
内間の代表作となったのは、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた〈森の屏風 Forest Byobu〉連作です。鮮やかな色彩のハーモニー、微妙なぼかしが入った色面が幾重にも重なる複雑な構成、多色にもかかわらず画面全体には静かな気品が漂います。1950年代の初期から80年代の Forest Byobu 連作まで、多色木版約20点ご覧いただきます。
●作家と作品については「内間安瑆の世界」をお読みください。
出品リストはホームページに掲載しました。
価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください。
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栃折久美子氏が主宰する「ルリユール工房」での数年間の勉強ののち、ベルギーへ旅立ったのが1995年9月、今から20年前のことになる。歳を重ねると、時間は加速度を増して早く過ぎ去る。
実は帰国直後、知人の誘いで「留学記」を書いていた(http://www.mars.dti.ne.jp/~4-kama/taira/01.html)。あと一歩のところで未完のままに終わってしまった(当時の読者がいらしたら、ごめんなさい)が、ルリユール修業についてはそちらに書いたので、今回は一層つれづれなるままに。
勉学のために住み着く前、旅行で二度ブリュッセルに行っている。だからという訳ではないが、通うことになる学校を事前に見学に行くこともなく、「無謀だね」と言う人もいた。しかし栃折氏の「モロッコ革の本」を繰り返し読んでいたし、美大出身でもない自分が三十代後半で外国に美術修業に行くことの不安を別にすれば、よく見知った場所に来たという印象だった。
栃折久美子著「モロッコ革の本」ちくま文庫
ルリユールの勉強は、好きなことをしているのだから、苦労はあっても構わない。それより問題は一連の教養科目だった。試験で一定の成績を収めないと、それぞれが所属するアトリエの審査を受けることが出来ないシステムだから、それはもう勉強した。この熱心さで、若い時にもっと勉強しておけば良かったと思うくらいに。
その講義の中で印象に残っているものの一つに「意味論」がある。 担当講師については、学生の間でも評価が分かれていた。「奴はラシストだ」と批難する者も少なからずいた。私自身は直接そのような言動に接したことはないが、言葉の端々、雰囲気に何となく西洋(人)至上主義のようなものは感じていた。それはともかく、この先生の授業がなんと三年間あり、最初の二年は意味論とそれを敷衍した授業、三年次はなぜか「文学」である。
どこがどう意味論と関係があるのか、私にはついぞ理解出来なかったが、内容は面白かった。テーマは「幻想文学」で、具体的な題材はE.T.A.ホフマンの「砂男」。名前だけは知っていた、このドイツ・ロマン主義の作家の作品に触れ、魅了された。ちなみにチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」も、ホフマンの原作である。小学六年生の時に、ナレーションが入った「くるみ割り人形」のLPを、伯父がクリスマスプレゼントとして買ってくれた。当時は原作者の名までは知らなかったのだが、長じて知ってみれば、一年に一度、クリスマスの夜にプレゼントを持って訪れるおじさんという設定が怪しく、それだけでもうホフマンである。かくして、ベルギーの美術学校で「文学」を教わるうちに私は、幻想小説というものが好きなのだということに気づいていった。
そのホフマンの「牡猫ムルの人生観」(岩波文庫)を、ここでご紹介しておきたい。ペダンチックだが俗物の猫、ムルが人間の言葉の読み書きを覚え、自伝を執筆。その際に、飼い主が書いた「楽長クライスラーの宮廷生活」についての書物を引きちぎっては下敷きや吸い取り紙にしていたら、誤ってそれらが一つの書物として出版されてしまったという、ざっとそれだけでも奇想小説といえる。しかも、これに着想を得て、シューマンは美しいピアノ曲「クライスレリアーナ」を作曲、というオマケがついている。
「狂えるクライスラー」「牡猫ムルの人生観」E.T.A.ホフマンによる挿画
話がそれてしまったが、私に幻想小説を発見させてくれて、卒業後もこれだけの豊かな生活を与えてくれたのだから、あの教師に感謝すべきなのかもしれないと、二十年後の今では思う。
美術愛好家の皆様が楽しみにされるこのブログで、文学と音楽の話に終始してしまい、お詫び申し上げます。次回は市田文子がお届けします。
(文:平まどか)

●作品紹介~平まどか制作


”LES CHANTS DE MALDOROR”
COMTE DE LAUTREAMONT (ISIDORE DUCASSE)
Illustrations de René MAGRITTE
EDITIONS APOLLO ファクシミリ版 1984年
1984年刊/思潮社
・1999年制作
・パッセカルトン山羊総革装
・手染め装飾紙
・手染め見返し
・夫婦函
・タイトル箔押し:平まどか
・240x180x31mm
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●ルリユール用語集
ルリユールには、なじみのない用語が数々あります。そこで、frgmの作品をご覧いただく際の手がかりとして、用語集を作成しました。
本の名称
(1)天(2)地
(3)小口(前小口)
(4)背
(5)平(ひら)
(6)見返し(きき紙)
(7)見返し(遊び紙)
(8)チリ
(9)デコール(ドリュール)
(10)デコール(ドリュール)
額縁装
表紙の上下・左右四辺を革で囲い、額縁に見立てた形の半革装(下図参照)。
角革装
表紙の上下角に三角に革を貼る形の半革装(下図参照)。
シュミーズ
表紙の革装を保護する為のジャケット(カバー)。総革装の場合、本にシュミーズをかぶせた後、スリップケースに入れる。
スリップケース
本を出し入れするタイプの保存箱。
総革装
表紙全体を革でおおう表装方法(下図参照)【→半革装】。
デコール
金箔押しにより紋様付けをするドリュール、革を細工して貼り込むモザイクなどの、装飾の総称。
二重装
見返しきき紙(表紙の内側にあたる部分)に革を貼る装幀方法。
パーチメント
羊皮紙の英語表記。
パッセ・カルトン
綴じ付け製本。麻紐を綴じ糸で抱き込むようにかがり、その麻紐の端を表紙芯紙に通すことにより、ミゾのない形の本にする。
製作工程の早い段階で本体と表紙を一体化させ、堅固な構造体とする、ヨーロッパで発達した製本方式。
半革装
表紙の一部に革を用いる場合の表記。三種類のタイプがある(両袖装・額縁装・角革装)(下図参照)【→総革装】。
革を貼った残りの部分は、マーブル紙や他の装飾紙を貼る。
夫婦函
両面開きになる箱。総革装の、特に立体的なデコールがある本で、スリップケースに出し入れ出来ない場合に用いる。
ランゲット製本
折丁のノドと背中合わせになるように折った紙を、糸かがりし、結びつける。背中合わせに綴じた紙をランゲットと言う。
全ての折丁のランゲットを接着したあと、表装材でおおい、装飾を施す。和装本から着想を得た製本形態(下図参照)。
両袖装
小口側の上下に亘るように革を貼る形の半革装(下図参照)。
様々な製本形態
両袖装
額縁装
角革装
総革装
ランゲット製本●今日のお勧め作品は、品川工です。
品川工「作品」
木版
イメージサイズ:54.7x39.5cm
シートサイズ:59.8x44.0cm
サインあり
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◆ときの忘れものは2015年8月25日[火]―9月5日[土]「内間安瑆展」を開催しています(*会期中無休)。
内間の代表作となったのは、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた〈森の屏風 Forest Byobu〉連作です。鮮やかな色彩のハーモニー、微妙なぼかしが入った色面が幾重にも重なる複雑な構成、多色にもかかわらず画面全体には静かな気品が漂います。1950年代の初期から80年代の Forest Byobu 連作まで、多色木版約20点ご覧いただきます。●作家と作品については「内間安瑆の世界」をお読みください。
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