中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」 第7回
真岡・久保記念観光文化交流館
今回は、真岡鐵道に乗車して栃木県真岡市にある久保記念観光文化交流館へ行ってきた。真岡は瑛九を一生涯支えた久保貞次郎(1909‐1996)のゆかりの地であり、瑛九もまた真岡に度々訪れていた。スランプに陥っていたときの療養地、戦禍を逃れるための疎開地、児童画公開審査会の審査員として参加したときなど、瑛九は様々な場面で真岡の地を踏んでいた。
蒸気機関車の形をした真岡駅。土日祝日はSLに乗車できる時間帯がある。
真岡駅から徒歩15分。趣のある酒蔵とおしゃれな古家具店を通り過ぎ、大きな通りに出たところで左手に曲がるとやがて久保記念観光文化交流館が見えて来る。本館は、昨年10月にオープンしたばかりの複合観光施設である。
久保が1957年に米蔵をアトリエとして改修した。現在は「美術品展示館」と改め、真岡市が所蔵する「久保コレクション」「宇佐美コレクション」等を展示する場として活用されている。
1958年頃の「久保アトリエ」。二階部分の外壁に左からオノサト・トシノブ《壁画A・B・C・D》、瑛九《カオス》、靉嘔《四つの雲》、一階外壁には左から池田満寿夫《運行》、磯辺行久《火が燃える》が掛けられていた。オノサトと瑛九の作品は東京都現代美術館に収蔵され、その他の作品は真岡市が所蔵している。
展示室内。無料で観覧できる。
本展では、瑛九の初期から抽象画に至るまでの油彩画、フォト・デッサン、エッチング、リトグラフが展示されている。
展覧会は前期と後期に分かれており、こちらの油彩4点の他は全て展示替えとなる。
会場に展示されている写真パネル。当時もこの場所に瑛九の作品がびっしりと並んでいた。
瑛九と久保貞次郎の最初の出会いは、1935年12月8日こと。日本エスペラント学会が宮崎で行われたときに久保が訪れたのが切っ掛けであった。分厚い眼鏡の青年瑛九と親しくなった久保は、彼のアトリエでおびただしい数の作品を披露され、ショックを受ける。以来、瑛九を親身になって見守り続けた久保貞次郎であるが、それを象徴するような次のエピソードを紹介したい。
瑛九のは油彩二十点、水彩三十点、種類の違う版画二百点ほど買った。今年、ぼくが展覧会の費用を全部負担するから、個展をやらないかとすすめたが、かれにことわられた。理由はめんどうくさいからだという。これにはぼくも閉口した。かれは、食って、わずかの制作費ができれば、個展などやらないほうが、ずっと制作のじゃまにならないでよいと語る。(「楽天的作家を」『芸術新潮』1958年12月)
そして、久保はこの文章の終わりに「おくれた思想をよりどころとしない、しかもいつもみづからあいまいにおちるのを嫌う画家たちをたゆまず探し求め、熱心にかれらの作品を買い入れなければならない」と、画家の不本意な言い分にもめげることのなく、受け入れてゆくという姿勢を示している。
当時、瑛九の作品は久保や小コレクター運動によって得た一部のファンによって購入されていた。しかし、瑛九の暮らしは、決して裕福ではなかったであろう。都夫人は鎌倉彫の内職をし、サービスをしてくれる遠くの八百屋にまで自転車をこいで野菜を買いにいく生活を送っていた。
自分に残された時間を察知していたのであろうか。晩年の瑛九は、とにかく作品を作ることに集中していた。
<出品作品リスト(※前期のみ)>
姉妹、1944年、紙、油彩
題不詳、1944年頃、紙、油彩
手品師、1956年、カンヴァス、油彩
窓、1957年、カンヴァス、油彩
黄と白と青の網目、1957年、カンヴァス、油彩
題不詳、1958年、合板、油彩
ピアの、1936年、印画紙、フォト・デッサン
題不詳、年代不詳、印画紙、フォト・デッサン
春の風、1951年、印画紙、フォト・デッサン
ネオン、1956年、紙、リトグラフ
海辺の孤独、1957年、紙、リトグラフ
ともしび、1957年、紙、リトグラフ
題不詳、年代不詳、紙、エア・ブラシ
題不詳、年代不詳、紙、エア・ブラシ
エッチング集『小さい悪魔』未使用の表紙、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』表紙、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』1 背中合わせ、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』1 背中合わせ、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』2 ヴァイオリン、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』4 散歩、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』4 散歩、1952年、紙、エッチング
真岡市蔵(宇佐美コレクション)
※宇佐美兼吉(1916-1999)のコレクションについては、2014年に栃木県立美術館で行われた「瑛九と前衛画家たち展 : 真岡発 : 久保貞次郎と宇佐美コレクションを中心に」で刊行された「宇佐美コレクション総目録」を参照されたい。
後期では瑛九の和綴画帖『道楽静楽』と画冊『師教照心』が展示される予定。いずれも兄正臣と岡田式静坐に取り組んでいた時期のもので、大変貴重な資料である。
***
ちょっと寄り道....
「久保記念館」は、もともと明治40年に建てられた「日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡支金庫」であった。1階には案内と真岡木綿の展示があり、2階は久保貞次郎の資料を常設する資料室として無料で公開している。
2階の久保資料館。
久保貞次郎「瑛九のフォト・デッサン」の原稿。(『みづゑ』1950年12月)
久保貞次郎が使用していたスタンプの数々。瑛九の画集(1971年)の刊行に合わせて制作されたものもある。
右は観光まちづくりセンターで、左はレストラン「Trattoria COCORO」
ちょっと無理をしてパスタのランチメニューを注文した。サラダ、自家製パン、シフォンケーキ、コーヒーがセットで付いてくる。画像はメインの「フレッシュトマトとマスカルポーネのフェデリーニ」。
観光物産館。
久保記念観光文化交流館を訪れたら、五行川を渡って「久保講堂」まで足を運ぶことをお勧めしたい。1938年に遠藤新(1889‐1851)の設計で真岡小学校の講堂として建てられた木造建築。久保家が建設費、および1986年の移設費等を受け持った。この場所で児童画公開審査会が行われた。現在は、国登録文化財に指定されている。
(なかむら まき)
●展覧会のご案内


「瑛九 久保記念観光文化交流館 美術品展示館企画展」
会期:前期 9月16日[水]―10月18日[日]/後期 10月21日[水]―11月29日[日]
会場:久保記念観光文化交流館 美術品展示館
時間:9:00~18:00(入館は閉館の30分前まで)
休館:毎週火曜日(9月22日、11月3日を除く)、9月24日、10月19日、11月4日
主催:真岡市教育委員会
出品作家:瑛九
●今日のお勧め作品は、瑛九です。
瑛九
「風景」
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり
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◆「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
真岡・久保記念観光文化交流館
今回は、真岡鐵道に乗車して栃木県真岡市にある久保記念観光文化交流館へ行ってきた。真岡は瑛九を一生涯支えた久保貞次郎(1909‐1996)のゆかりの地であり、瑛九もまた真岡に度々訪れていた。スランプに陥っていたときの療養地、戦禍を逃れるための疎開地、児童画公開審査会の審査員として参加したときなど、瑛九は様々な場面で真岡の地を踏んでいた。
蒸気機関車の形をした真岡駅。土日祝日はSLに乗車できる時間帯がある。真岡駅から徒歩15分。趣のある酒蔵とおしゃれな古家具店を通り過ぎ、大きな通りに出たところで左手に曲がるとやがて久保記念観光文化交流館が見えて来る。本館は、昨年10月にオープンしたばかりの複合観光施設である。
久保が1957年に米蔵をアトリエとして改修した。現在は「美術品展示館」と改め、真岡市が所蔵する「久保コレクション」「宇佐美コレクション」等を展示する場として活用されている。
1958年頃の「久保アトリエ」。二階部分の外壁に左からオノサト・トシノブ《壁画A・B・C・D》、瑛九《カオス》、靉嘔《四つの雲》、一階外壁には左から池田満寿夫《運行》、磯辺行久《火が燃える》が掛けられていた。オノサトと瑛九の作品は東京都現代美術館に収蔵され、その他の作品は真岡市が所蔵している。
展示室内。無料で観覧できる。
本展では、瑛九の初期から抽象画に至るまでの油彩画、フォト・デッサン、エッチング、リトグラフが展示されている。
展覧会は前期と後期に分かれており、こちらの油彩4点の他は全て展示替えとなる。
会場に展示されている写真パネル。当時もこの場所に瑛九の作品がびっしりと並んでいた。瑛九と久保貞次郎の最初の出会いは、1935年12月8日こと。日本エスペラント学会が宮崎で行われたときに久保が訪れたのが切っ掛けであった。分厚い眼鏡の青年瑛九と親しくなった久保は、彼のアトリエでおびただしい数の作品を披露され、ショックを受ける。以来、瑛九を親身になって見守り続けた久保貞次郎であるが、それを象徴するような次のエピソードを紹介したい。
瑛九のは油彩二十点、水彩三十点、種類の違う版画二百点ほど買った。今年、ぼくが展覧会の費用を全部負担するから、個展をやらないかとすすめたが、かれにことわられた。理由はめんどうくさいからだという。これにはぼくも閉口した。かれは、食って、わずかの制作費ができれば、個展などやらないほうが、ずっと制作のじゃまにならないでよいと語る。(「楽天的作家を」『芸術新潮』1958年12月)
そして、久保はこの文章の終わりに「おくれた思想をよりどころとしない、しかもいつもみづからあいまいにおちるのを嫌う画家たちをたゆまず探し求め、熱心にかれらの作品を買い入れなければならない」と、画家の不本意な言い分にもめげることのなく、受け入れてゆくという姿勢を示している。
当時、瑛九の作品は久保や小コレクター運動によって得た一部のファンによって購入されていた。しかし、瑛九の暮らしは、決して裕福ではなかったであろう。都夫人は鎌倉彫の内職をし、サービスをしてくれる遠くの八百屋にまで自転車をこいで野菜を買いにいく生活を送っていた。
自分に残された時間を察知していたのであろうか。晩年の瑛九は、とにかく作品を作ることに集中していた。
<出品作品リスト(※前期のみ)>
姉妹、1944年、紙、油彩
題不詳、1944年頃、紙、油彩
手品師、1956年、カンヴァス、油彩
窓、1957年、カンヴァス、油彩
黄と白と青の網目、1957年、カンヴァス、油彩
題不詳、1958年、合板、油彩
ピアの、1936年、印画紙、フォト・デッサン
題不詳、年代不詳、印画紙、フォト・デッサン
春の風、1951年、印画紙、フォト・デッサン
ネオン、1956年、紙、リトグラフ
海辺の孤独、1957年、紙、リトグラフ
ともしび、1957年、紙、リトグラフ
題不詳、年代不詳、紙、エア・ブラシ
題不詳、年代不詳、紙、エア・ブラシ
エッチング集『小さい悪魔』未使用の表紙、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』表紙、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』1 背中合わせ、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』1 背中合わせ、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』2 ヴァイオリン、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』4 散歩、1952年、紙、エッチング
エッチング集『小さい悪魔』4 散歩、1952年、紙、エッチング
真岡市蔵(宇佐美コレクション)
※宇佐美兼吉(1916-1999)のコレクションについては、2014年に栃木県立美術館で行われた「瑛九と前衛画家たち展 : 真岡発 : 久保貞次郎と宇佐美コレクションを中心に」で刊行された「宇佐美コレクション総目録」を参照されたい。
後期では瑛九の和綴画帖『道楽静楽』と画冊『師教照心』が展示される予定。いずれも兄正臣と岡田式静坐に取り組んでいた時期のもので、大変貴重な資料である。
***
ちょっと寄り道....
「久保記念館」は、もともと明治40年に建てられた「日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡支金庫」であった。1階には案内と真岡木綿の展示があり、2階は久保貞次郎の資料を常設する資料室として無料で公開している。
2階の久保資料館。
久保貞次郎「瑛九のフォト・デッサン」の原稿。(『みづゑ』1950年12月)
久保貞次郎が使用していたスタンプの数々。瑛九の画集(1971年)の刊行に合わせて制作されたものもある。
右は観光まちづくりセンターで、左はレストラン「Trattoria COCORO」
ちょっと無理をしてパスタのランチメニューを注文した。サラダ、自家製パン、シフォンケーキ、コーヒーがセットで付いてくる。画像はメインの「フレッシュトマトとマスカルポーネのフェデリーニ」。
観光物産館。
久保記念観光文化交流館を訪れたら、五行川を渡って「久保講堂」まで足を運ぶことをお勧めしたい。1938年に遠藤新(1889‐1851)の設計で真岡小学校の講堂として建てられた木造建築。久保家が建設費、および1986年の移設費等を受け持った。この場所で児童画公開審査会が行われた。現在は、国登録文化財に指定されている。(なかむら まき)
●展覧会のご案内


「瑛九 久保記念観光文化交流館 美術品展示館企画展」
会期:前期 9月16日[水]―10月18日[日]/後期 10月21日[水]―11月29日[日]
会場:久保記念観光文化交流館 美術品展示館
時間:9:00~18:00(入館は閉館の30分前まで)
休館:毎週火曜日(9月22日、11月3日を除く)、9月24日、10月19日、11月4日
主催:真岡市教育委員会
出品作家:瑛九
●今日のお勧め作品は、瑛九です。
瑛九「風景」
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり
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◆「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
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