先日の入札会の感想をいくつか紹介させていただきます。
01

<先程、メサジェールの作品を無事に受け取りました。
丁寧な梱包ありがとうございました。
額、作品共に非常に綺麗で驚きました。
以前の持ち主の方が大切にされていたのでしょう。
この度はありがとうございました。
また、機会がありましたらよろしくお願い致します。
Nさんより)>

<早速のご発送ありがとうございました。
玄関を入った正面にかけさせていただいています。
おっしゃるとおり、とても明るく華やかな作品なので、
帰ってきたとき、ちょっと幸せになります。
妻にもほめてもらえました。
今回は、ありがとうございました。
Iさんより)>
04

<支払い後、画廊に取りに行きたいと思っていますので、画廊に置いといて下さい。
今回の56番ロベルト・クリッパは完敗でした。
良い作品だったので、残念だったのですが、あの落札金額はこちらの予想外でした。他にも最高入札と次点に大きな差があるものが何点か有りましたが、見えない異次元のコレクターの怖さが、良くわかりました。では・・・
Sさんより)>

<ご無沙汰しています。このたびは素敵な機会をありがとうございました。
二点も落札できてとても嬉しいです。スーラージュとマーク・トビー欲しかったですが、全然、届きませんでした。
次に東京に行けるのは26日(土)になるのですが、ギャラリー開いていらっしゃいますか?
開いていらっしゃらないようでしたら、送っていただこうと思います。
ご連絡お待ちしています。
Mさんより)>
06

<御丁寧にありがとうございます。
御社のホームページは数年前から拝見していましたが、今回初めてお邪魔して作品を見せていただきました。
入札に参加したのも初めてで、落札できなかったのは残念ではあるのですが、作品の価値は必ずしも金額ではないとはいえ、自分で作品を評価することの面白さと難しさを少し経験できたように思います。
入札したのはフェイトの作品のみですが、実物を目の前にすると、他にも魅力的なものがいくつもあるのがわかり、美術館とはまた違う形で、作品の良さに触れられる空間であるように感じました。
また機会があればお邪魔させていただければと思います。
Tさんより)>

<この度はお世話になりました。
結果は、次点でしたが、現物の作品とお話を伺え貴重な時間となり、こちらこそ御礼申し上げます。
佐野繁次郎の作品を今後扱われることありましたら当方へご連絡頂ければ幸いです。
ご丁寧なメールありがとうございます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
Nさんより)>

<ご連絡ありがとうございます。
落札できた作品の顔触れに満足しております。(入札方式の常で、そんなに高く入れる必要はなかったのにという悔いは残りますが・・・)
有難うございました。
Uさんより)>
07


入札というのは(たとえ最低価格が設定されていても)、買う側が自分の目で作品をチョイスし、自分の納得できる(もちろん財布の中身と相談して)金額を設定して、作品を買うという行為です。
そこには他の人と競いながら、自分の判断に不安を覚えつつ「買う」というコレクターの醍醐味があると、(買うのが大好きな)亭主は思っています。

その不安と恍惚は画商も同じ。
画商さんには買うのが得意な人と、売るのが得意な人とがいます。両方うまい方がきっと大画商になれるのでしょうが、亭主なんぞはもっぱら社長の目を盗み見ながらちょこちょこと買っては、売るに売れず後悔ばかりの日々であります。お客様あっての画商であると痛切に反省する次第です。
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明日は今から12年前の2003年12月22日に急逝されたOさんの命日です。
亭主とは一つ違い、30年間にわたり、文字通り私どものパトロンでした。
レセプションや建築ツアーなどの宴会では「ワタヌキ被害者同盟代表のOです。」と自己紹介するのが常でした。
亭主がエディションした作品の限定番号1番は多くはOさんでした。
会社を訪ねて用が済み、帰る段になると、5階の社長室から一階の玄関までおりてきて必ず見送って下さいました。それは相手がどんな人でもです。納品のためにうちが使っている赤帽さんが「あんな社長さん、はじめてだよ」と賛嘆していました。
歌舞伎やクラシックカーなど多くの趣味を持ち、古き時代の旦那衆を思わせる、明るく、華やかで偉ぶることのまったくない方でした。

亡くなる前に(予感があったのでしょうか)ご自分の会社をたたんでの旅立ちでした。
その始末が実に見事でした。取引先には事前に知らせきれいに清算し、全従業員には割り増しの退職金を支払い、自社ビルをマンションに建て替え、ご家族の行く末も完璧に準備したのでした。
Oさんの言葉が忘れられません。

「ワタヌキさん、仕事は一人ででもできるけれど、遊びは一人じゃあできない
ボクは(仕事がなくても)、死ぬまで遊ぶ自信ができたよ」

たくさんのよき友人に恵まれた人のうらやましい述懐でした。