森本悟郎のエッセイ その後・第21回

赤瀬川原平(1930~2012)とライカ同盟(1) 発端


2014年10月26日に亡くなった赤瀬川原平さんを送る会が、翌年2月6日、帝国ホテルで開かれた。世話人によれば、ハイレッドセンターのシェルター計画実施の地にちなんで、とのことだった。広い会場も多彩な顔ぶれでいっぱいとなり、赤瀬川さんの人脈の広さ、親交の深さをまのあたりにする思いだった。
会は赤瀬川さんとおつきあいのあった著名な方々により、つぎつぎ思い出話が披露された。それを聞きながら、ふと「群盲象をなでる」という言葉が浮かんだ。逝去直後、カメラ雑誌に書いた追悼文で、ぼくは赤瀬川さんのことを「超多面体」と表現したが、赤瀬川さんの一面については誰よりも親しくつき合いつぶさに見ているひとが、他の数多の面についてはまるで知らなかったり関心がなかったりというのがおもしろかった。つまりみなさんひとりひとり、自分だけの特別な赤瀬川さんをもっていたということだ。かくいうぼくも、古くから赤瀬川ファンではあるが、親しく話し、一緒に行動したのはほとんど「ライカ同盟」の赤瀬川さんだったわけで、つまり群盲の卑小なひとりにすぎない。これから何回かにわたり、一盲者が「ライカ同盟」を通じて触れた赤瀬川原平さんについて書いてみたいと思う。
1992年9月1日、ドイツ文学者・種村季弘さんが企画した、写真家ではない作家たちによる写真展、『14人のイカレた男たち 無写苦写会』(牧神画廊)のオープニングに出ていた赤瀬川さん、秋山祐徳太子さん、高梨豊さんが、ともに偶然持っていたドイツ製カメラ「ライカ」を見せあったのを口火に、三人でライカ談義が盛りあがり、そのままライカ同盟結成へとまっしぐらに突き進んだ(赤瀬川原平『ライカ同盟』では赤瀬川・秋山両氏と歌手のアンリ菅野氏による風景画展、つまり『文人・歌人・怪人風景画展』となっているが、正しくは上記の通り)。誰が「ライカ同盟」と命名したのか確証はないが、展覧会オープニングの流れで行ったビアホールで高梨さんが口にし、秋山さんが赤瀬川さんへのハガキに「ライカ同盟 秋山祐徳太子」と記した、という経緯のようである。
プロ写真家の高梨さんが頼霞(ライカ)流家元となり、赤瀬川・秋山両弟子は一家をなせないので小屋元を名乗る。ライカ同盟はこの三同盟員限定のグループで、以後それは厳として守られている。それゆえ、加盟を許されなかったライカ(ならびに中古カメラ愛好者の)写真家・田中長徳氏、歌手・坂崎幸之助氏、雅楽奏者・東儀秀樹氏らは「偽ライカ同盟」を結成することとなる。
初のお稽古は1994年8月に神奈川県横須賀市で、初展覧会は『ライカ同盟』(講談社)出版に合わせて同年9月に『ライカ同盟発表会』(牧神画廊)を開催。当時はとくにテーマを決めず、めいめいが撮った作品を持ち寄っての展示だった。撮影地を決めて一緒に撮る、撮影後に反省会(と称する飲み会)を開く、作品に題名をつける、展覧会ではゲストを招いてトークイベントを行う、といったライカ同盟方式ができあがるのは1996年の『ライカ同盟名古屋を撮る』展(中京大学C・スクエア)からである。

013-02『ライカ同盟名古屋を撮る』展ポスター

〈上〉秋山祐徳太子「ブリキのライカ」※トタンとハンダで作られたM2。実物大の彫刻作品。
〈下左〉赤瀬川原平「Urライカ」※ライカ原型モデルのドローイング。
〈下右〉高梨豊「ライカを持つ」※愛機M6を持つ、自らの手をライカで撮影。

もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。

------------------------------------
●今日のお勧め作品は、植田正治です。
20151228_ueda_17_sakuhin植田正治
「作品」
1950年頃
ゼラチンシルバープリント
(ヴィンテージ)
17.2x25.6cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。

◆冬季休廊のお知らせ
2015年12月27日(日)―2016年1月4日(月)はギャラリーをお休みします。

◆ときの忘れものは2016年1月6日[水]―1月16日[土]「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」を開催します(*会期中無休)。
中藤毅彦写真展DM_年末のごあいさつなし600写真家・中藤毅彦は、世界各地の都市を訪れ、それぞれの都市の違いに興味を惹かれ、一貫してストリートスナップを撮り続けています。
2001年に初めて東欧の旧社会主義国を訪れてからは、さらに都市の持つ歴史的意味合いにも思いを馳せるようになりました。2014年に出版した『STREET RAMBLER』(ギャラリー・ニエプス刊)には、キューバの首都ハバナに始まり、ニューヨーク、モスクワ、上海、パリ、ベルリン、東京の20世紀に劇的な変化を遂げた各都市の姿が収録されており、本写真集で2015年の第24回林忠彦賞を受賞しました。
本展では1999年と2014年の15年の年月を隔てたベルリンの都市や人々を撮影した写真作品を約25点出品します。

●イベントのご案内
1月9日(土)18時より中藤毅彦さんと金子隆一さん(写真史家)によるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-mail. info@tokinowasuremono.com